cosmotiger発信!!

日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~熊野古道伊勢路編(5)

2019-01-25 | 熊野古道伊勢路run!!

★ブログ上は2015年♪名古屋ネタです★

天気予報を念入りにチェックし、今日こそ!
と思い、家を出る。

今日はツヅラト峠!
前回とセットのようなものだ。

毎度のルートで近鉄松阪駅に到着。
さぁ、これまたお馴染みの三重交通「熊野古道特急バス」ね。

バスの時刻表を何気に見る。
「あ!!」

時刻改正されてる!
さっき発車したばかりだ!
2時間以上、次のバスは来ない!!

やっちゃったよ。
天気OKと思ったら、三重交通のバスのチェックを今度は怠った。
「どうせお馴染みのルートだから」と安易に考えてた。

旧街道runも倦怠期?なのか、最近ケアレスミスが多いねぇ。

どうしよ~、ここまで来たのにねぇ。
しばし呆然と松阪駅前で立ち尽くすコスモタイガー。

帰るのもアホらしい。
観光案内図を見て、とりあえず松阪城跡の見学でもするかね…。

駅から城跡まで、1.5kmほど。
歩く気力もないわ。
ってこれから走る人が言うセリフじゃないけどさ。

市内中心部はさすがにいろんな系統があってそれなりにバス便もある。
そのうちの1つに乗り「市役所前」で下車。

はい、到着♪
松阪城は現代表記で、正式には松坂城。

築城は蒲生氏郷。
江戸時代になると紀州藩領になったため、ここは城代が置かれただけ。

だから松阪は、商人の町としてはすこぶる有名だけど、城下町としては地味な存在だよね。
(※商都としての松阪は、旧伊勢街道編4を参照してね♪)

でも松阪牛は全国的に有名だし、最近の若い人なら、歌手の西野カナ(松阪出身)を連想するかもしれないね。

松阪牛は手が届かないし、西野カナは別にファンじゃないし、松阪城跡目的に来たわけじゃないから、粛々とシャメだけ撮って簡単に散策しましょう!







はい!散策終了。

さぁ、駅まで戻ろう!
さすがに今度は徒歩ね。

予想外の状況でお腹空いたから、コンビニで簡単に食事を済ませ、はい、いつもの特急バス。
ようやく乗れました。

目的地の梅ヶ谷停留所に再び降り立ったのは、すでに13時過ぎ。
えらいロスしちゃったよ~。

ついでに言うなら、あんなにチェックしてきた天気も怪しい。
暑さをしのげるのはありがたいけどさ、雨はもう勘弁して!

もうここは3回目。
感傷に浸る場所でもないし、時間もない。
さっそくトレーニング開始!

見慣れた交差点、国42をはずれ、右の県道758ね。
大きく「ツヅラト峠」と書かれた看板があるから迷わないけどさ。

JR紀勢本線を渡り、紀勢自動車道を潜ると、右手に大きな建物は老人保険施設。
ここに自販機があるから、給水ドリンクを購入しておく。
この先、峠に入ったら、給水できる見込みがないからね。

再び県道に戻る。
県道とは言いながら、車も人もほとんど通らない。

センターラインが消え、若干道が狭くなったと思ったら、熊野古道の案内板と幟を発見!
ここから左に入っていけ!と指示している。


右側に小川が流れる。
案内板が整備されてるから走りやすいね。

いったんアスファルト道に合流し、すぐに現れた橋の手前で分岐。

さぁ、ここからが世界遺産「ツヅラト峠」登山道!
すぐに舗装路から、トレッキング道になって、あっという間に山深き峠道。

両側に杉の木が並び、美しいトレッキング道が少しづつ登っていく。(冒頭写真

一気に高度を上げ、走れば走るほど山深き森の中に入っていく。
1人がやっと通れるほどの狭い道。
恐る恐る走りながら、目を左下に移すと、直線に伸びる杉の木が美しい。


はい、やっと登り切りました!
ここが峠の頂上です。

少し道から外れたところに「見晴台」。
要するに展望台のことね。


うーん、今日は雲が多いね~。
折角の景色もイマイチ。
降らないだけマシか。

地図上では梅ヶ谷バス停から5~6kmだと思うけど、もちろんそんな単純じゃなく、トレーニングとしてはかなりの強度。
太ももパンパンだよ。

さぁ、下ります。

登りもきつかったけど、下りは右に左蛇行して、これまた長いトレッキングが続く。
中山道の碓氷峠を思い出すなぁ。(旧中山道編29参照
「ツヅラト」の語源は九十九(つづら)折から来てるから、当たり前なんだけどね。

途中、「野面積み」という中世の石垣が垣間見つつ、ひたすら下る。。
あんまりゆっくり見てる余裕もないけどさ。

さすが世界遺産だけあって、案内板や説明版は整備されてるから、迷わず走れるのはありがたい。
どんどん高度を下げ、途中から簡易舗装になり、走りやすくなった。
自然とペースも上がる。

小川に沿って走る。
右側に公衆トイレも整備されている。
ここを過ぎれば、一気に視界が広くなって、集落が近いことを思わせる。

案内板に従い、いったん橋を右折で渡る。
さらに少し進んで、また次の橋で元に戻る。

少し広い道に合流。
って、これ、国道422だけどね。

寄り添ってきた小川もここで本流(赤羽川)に合流する地点だ。
ここからは国道run。

400mほどで国道が分岐。
右の旧道の方が正解。
直進はバイパスで、紀伊長島インターに出てしまう。

さぁ、もう一気に長島集落に向かうだけ。
見どころも特にない。
国422は、途中から左に分岐するけれど、熊野古道は赤羽川に沿ってこの道を走る。

国道42号、続いてJR紀勢本線を渡れば、十字路に出る。
右手は「長島橋」。

ここが前回の荷坂峠コースとの合流点。
このまま橋を渡っていけば、前回のゴール、古里温泉だ。

というより、予定ではそのつもりだったんだけどね。
松阪城観光で大幅に時間ロスしちゃってさ。

今から古里まで走って温泉入ってたんじゃ、帰りの「熊野古道特急」に間に合わないのさ。
古里集落は、JRの駅からも遠いしね。

ってことでここは左折して、前回のコースを逆走。

JR長島駅前。
ここをゴールに、ってことも考えたけど、まだ列車まで時間あるし、ロングシートってのも何だかね~。

ってことでもう少し頑張って逆走。
見覚えのある集落を快走し、国42を歩道橋で渡り、さらに足を進めれば、大きな池の畔にある「道の駅紀伊長島マンボウ」に到着!


峠越えとはいえ、ここまで14~15km程度と、旧街道runとしては少なめ。
池(片上池)の周囲を散策jogしたい衝動にかられるけれど、帰りの熊野古道特急バスの時間が迫ってて、そこまでの時間はない。
少し物足りないが、ここをゴールにして、今日のトレーニング終了としよう。

身支度を整え、国道反対側のバス停(「マンボウ」←そのまんま)へ移動。
しばらくしたら定刻通りにバスがやってきた。

あ~あ、約2時間のロス大きかったわ~!
古里温泉、入りそびれた。
代わりに松阪で行きつけ?と化している「ひょうたん湯」にでも寄って行こうか!

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コスモタイガー漂走記~熊野古道伊勢路編(4)

2018-11-22 | 熊野古道伊勢路run!!

★ブログ上は2015年♪名古屋ネタです★

曇ってはいるものの、うっすらと日が差している。
ピークを過ぎたとはいえ、まだ夏の余韻が残る9月下旬。
これぐらいの方がちょうど良いんじゃないの?
まさに旧街道run日和だ!

というより、世間は平日ながら、コスモタイガーはやっと取得できた遅~い夏休み。
貴重な一日なんだから、躊躇している暇はない。

などと思いつつ、自宅を出て、名古屋駅から近鉄で松阪駅、そしてお馴染みの熊野古道特急バスに乗換。
慣れた道♪

なーんて油断すると痛い思いをするんだよ。
東海道から始まった旧街道run、すでにベテラン?の領域のはずなのに、やっちゃったよ~。

国42を快調に進むバス。
窓は滴に濡れ、途中から完全に雨模様。

今日のスタート地点、梅ヶ谷停留所に降り立った時には、もはや完全に土砂降り。


尾鷲地域は日本で最も雨が多い、って偉そうに講釈ぶったばかりじゃねーかよ!
尾鷲地区の天気予報、チェックしてこなかったのかよ!

ここ梅ヶ谷は、熊野古道伊勢路の大きな拠点、と前回書いたのには理由がある。
ここで熊野古道は二手に分岐。
「ツヅラト峠」と「荷坂峠」、別々のルートを通るのさ。
どちらのルートも一部は世界遺産に指定されている。

どっちにしようか、いや、両方走ろうか、それならそれでどっちを先に走ろうか、など妄想ばかりしてて、今この時点でもまだ迷っててね。
仕方ないから両方の資料を持って、今日張り切ってやってきたのは良いんだけどね、天気予報チェックという初歩的な動作を怠ってしまったのさ。

元々はツヅラト峠が「本道」だったんだけど、江戸初期に紀州藩によってバイパスとして開削されたのが荷坂峠。
だから旧街道runの元々のコンセプト、江戸時代を偲んで~ということなら、荷坂峠を走れば事足りるだけどね。

でもツヅラト峠も外すわけにもいかない。
ってことで、ツヅラト峠は次回、ということにして、今日の悪条件なら、多少は走りやすい「バイパス」の方を走るとしましょうか。

現代の道、国42も、この荷坂峠ルートを継承している。
ってことで、まずはこのまま国42を直進。
前回、顔だけ出したJRの「梅ヶ谷」駅も素通りだ。

実際の熊野古道は、この駅前辺りから、左に逸れていると思われるんだけど、現在は跡形もない。
小川を渡ってすぐ、民家の間に分け入るような小道を左折するしかなさそうだ。

「コ」の字型に走って再び国42に戻る。
200mも走れば、右斜めに分岐の小道。

もちろんこれが熊野古道。
木製の道標も建てられている。

緩い上り坂、静かな集落の中を走る。
旧街道らしい、静かな風景だ。

もっとも、200mぐらいでまた国42に合流なんだけどね。

まぁでもしばらくは国42とくっついたり離れたり、が続く。
両側に山が迫ってるだけに、旧道は人の気配もなく、雨の音だけが耳に入ってくるようだ。

どれほど走ったかな?
右手にプレハブ小屋のようなものが見えてきた。

ここで国道とはしばらくのお別れ、いよいよ荷坂峠越えだ!
入り口には、説明書きがあって、我々余所者を受け入れてくれる。(冒頭写真

いきなり足元はぬかるんだクロカン道。
ただでさえ日も差さなさそうな山の中、この生憎の天気で、より鬱蒼とした感がある。
道幅が広いのが若干の救いではある。


国42に再度出会うと、右手に荷坂トンネルが口を開けている。
このまま国道を横切り、トンネル横の山道を登るよう、案内板が設けられている。

ここからが世界遺産指定エリアだ。
もちろん行くしかない!

誰にも会わない。
平日だしね。
雨だしね。
山の中だしね。

雨は少しだけ小降りになってきた。
酷暑よりマシだよ。

緩やかに登ってはいるものの、さすがにバイパスとして作られただけあって道幅も広く、走りやすい。
さらに素晴らしいのは、世界遺産ということで、標識がほぼ100mごとに完備されている。

1/12、2/12、3/12、…。
つまり世界遺産エリアとしての荷坂峠は、1200mってことですね。

約5分ほどで、荷坂峠頂上らしき場所に到着。
案内板と簡易ベンチがあるものの、見通しは全然良くない。
シャメだけ撮ってすぐに下りに入る。

行政区域は、「度会郡大紀町」から「北牟婁郡紀北町」へと変わったようだ。

すぐに標識があり、坂道を上ると「沖見平」という高台に出るらしい。
名前の通り、海が見える。
…と言いたいところだけど、この天気じゃ見通し全然悪く、何も見えない。

仕方ない、戻ります。
降りてすぐ、足元に目を凝らすと、三本松長八茶屋跡、の立札。
詳しいことは知らないけれど、長八さんがやってた茶屋なんだろうね。

分岐点に出た。
標識が「明治道」と「江戸道」を示している。
どちらも正規の熊野古道には違いないんだけど、大半のガイドブックや資料が「明治道」を薦めているからね、ここはそれに従う。

まぁ似たような分岐は東海道や中山道等でも経験してきたけれど、「新しい方が通行しやすい」のが鉄則だよね。
旧道の険しさを克服するために新道を作る。
現代の車社会にも通ずる当たり前の話だけどね。

源流近い小川のせせらぎを聞きながらの起伏走は気持ち良い。
確かに明治道で正解だ。

江戸道と再合流、しばらくして何やら両側に石垣が現れた。
猪垣といって、猪が畑を荒らさないよう、仕切ってあるんだね。

足回りのしっかりした林道に合流。
気味悪いぐらい、誰にも会わない。

徐々に標高を下げ、舗装路になった。
再び猪垣を目にしながら走ってしばらく、左手に一里塚石仏碑。
かつては塚もあったらしいが、現在は石仏のみが静かに残されている。

小川に沿っての1本道で、快調に足が進む。
国42をアンダークロスすると、民家がチラホラと道なりに見えてきた。

庚申塚、集会所。
街道らしい目印もあり、気持ちが切れることは無い。

と同時に、雨足が再び強くなってきた。
普通なら中止にしてる状況なんだけどね。
こんなところで止めれるかよ!

久しぶりに車の走ってる音がする。
国42が左から近づいてきて、合流。
目の前は「道の駅紀伊長島マンボウ」。

ここは景色の良い道の駅として、東海地区では有名だ。
熊野灘臨海公園の中にあり、眼前には広大な「片上池」という名の干潟が広がっている。
池を周遊する散策コースも整備されており、のんびり過ごしてみたい場所ではある。

といいつつ、この天気では寄りたいとも思わない。
すぐ右に曲線的な道が、民家の裏を通るように伸びている。
半月のようにぐるりと回る旧街道。

そしてすぐ国42と再合流するものの、またさらに100mほどで右に分離。
そしてやはり、民家の裏を行く生活道路の感じだ。

400mほどで国42との交差点。
ここは歩道橋で渡り、そのまま住宅街の中へ入っていくのが旧街道。

住宅街、と言っても人通り少なく、ひっそりしてるけど。
信号もないけど、ちょっと広めの十字路に出て、左に目を移せば、そこにJRの紀伊長島駅がある。
特急「ワイドビュー南紀」も停車する主要駅なんだけどね。

すぐに信号があって、そこを直進するのが熊野古道。
交差する道は、駅前ロータリーに直結してるだけに、対面通行の立派な道路だ。

ここを右折すれば国42や国422。
大きなスーパーも数件あるようで、車社会の現代、人の流れはそっちに移ってるってことなんだろうね。

踏切を渡れば県道766号に合流、そのまま流れに沿って県道を走る。
某電話会社のビルを過ぎ、川を渡れば、道なりに左へ。

魚まち。
この辺が紀北町(旧長島町)のかつての中心と思われる。

車がやっと1台通れる細いメインストリート。
そしてあちこちに昔からあったであろう裏路地がある。
昔ながらの港町の風情が素晴らしい。


十字路に出た。
右前方が駄菓子屋(雑貨屋?)になっているのが目印だ。
ここを右折。

港町らしい路地裏風景がさらに続く。
雨の影響で人通りが少ないのも、さらに良い。

国42にぶつかって、静かな時間は終了。
左折し、つまらない国道runとなる。

左手、ポツンと建つ鉄筋の建物は、紀北町地域振興会館。
消防署も隣接している。

この3回に資料館があることはリサーチ済だが、この天候での寄り道は体冷やしそうだし、そもそも寄る気にもなれない。
そういえばこの先に温泉があったから、そこまで頑張ろう!

海沿いに出た。
灰色の冷たい海。
涼しさを通り越し、寒々とした感じで、9月下旬とは思えない。


しばらくは国道を走るだけ。
晴れていれば、港町から見る青い海と、周囲の緑が調和して、さぞかし素敵な風景に違いないんだろうけれど、この状況では脇目も振らず走るしかない。

「加田」「加田西」の信号もそのまま直進。

干物屋さんがあって、そこから左に分岐する細い道が熊野古道らしい。
ここからまた峠越えなんだよ。

「一石峠」。
まぁ、大した峠じゃないと資料にはあるけどさ、この雨の中、気が重いなぁ。

案内板は完備されてるけれど、雨の中、淡々と峠道が伸びている。


それでも何とか頑張って、5分ほどで峠の頂上。
もっとも見通しも悪く、特に語るようなものもない。


長居は無用!
すぐに下る。

目の前にゲートがある!
通れない!

と錯覚しそうだけど、ここは脇に通れるスペースが設けてあって、ホッとする。
ゲートの対象は車なんだね。

ここで舗装路に出た。
横切るのは県道581号線。

そしてここを右折して、県道を下ることになる。

この県道とは400mほどのお付き合いで、その先、左に分岐、坂を下りていくのが熊野古道らしい。
古里(ふるさと)集落に入ってきた。
あとひと踏ん張り!

見えてきた!
「←きいながしま古里温泉」の看板!

迷わず左折!
というより、ここは温泉だから、というだけじゃなく、熊野古道自体も左折。

集落の中、小道ばかりの変則5叉路。
街道はもっとも右の道らしいけど、もう迷いはない。
そのまま直進し、温泉を今日のゴールとしよう!

道なりに幟が立ってるから迷うことは無い。
着いた!
寒い!
ここでゴール!
おしまい!

温泉と言っても、スーパー銭湯ではなく、地域の公衆浴場に近い感じで、お世辞にも広くはないけれど、逆にそれが嬉しい。
お湯も良い。

ホカホカしてやっと心も落ち着き、体もサッパリできた。
さて、帰らなきゃ!

雨は少し小降りになったのが救い。
来た道を戻り、変則5叉路も直進。

「←一石街道→」なんて気になる道標もあったりして、もしかして温泉まで行き来した道がそれにあたる気がしないでもないが、リサーチ全くしてないし、もうそんな気持ちの余裕もない。

突き当りを左に折れれば、踏切を渡って国42に出る。
目線を右に移せば、道路の反対側に、松阪方面の三重交通の停留所。
熊野古道特急も停車する「古里」のバス停だ。

はぁ、まじ、疲れた。
パラパラ雨ならともかく、今日は完全な土砂降りだったもんね。

「熊野古道の荷坂峠を走った」という既成事実を作りに来ただけで、景色もあんまり楽しめないからね。
「現地の天気予報を確認する」という基本を怠っちゃダメだよね。
特に熊野古道は雨が多いからね。

快適な観光仕様のバスがありがたい。
暖房の効く車内で微睡みながら、松阪駅に到着。

案の定、松阪駅周辺は、路面が濡れてすらいない。
雨降ってなかったんだね。
信じられないけど。

それを見てさらにドッと疲れを感じた。
毎度の近鉄急行に乗換、家路に着くコスモタイガーであった。
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コスモタイガー漂走記~熊野古道伊勢路編(3)

2018-10-05 | 熊野古道伊勢路run!!

三重県尾鷲地方は、日本で最も降水量の多い地区とされる。
名古屋や大阪といった都心部では降ってなくても、現地に行けば雨、なんてことも結構な確率であるらしい。
熊野古道伊勢路をやっつける上で、天気予報は絶対に要チェックだ。

とはいえ、貴重な休日の、さらにまた丸一日空いてるときなんてそんなにないからね!
この先、多少の雨なら強行することも、ありえるかもしれない、と思ってたりする。

2014年師走。
名前の通り忙しい時期だけど、輪番勤務の平日休みを生かし、今日という貴重な一日を、熊野古道に捧げることにした。

前回、JRの「快速みえ」利用だったからね、今日は近鉄にしよ♪
通勤の混雑に紛れて名古屋駅へ。
そこからは近鉄急行で松阪へ。

本音はここから前回の帰路に利用した「熊野古道特急バス」を利用したいところだけど、ちょっと時間的に合わないのさ。
だからここでJR紀勢本線の普通列車に乗換。

わずか10分で多気駅到着。
前々回、この何もない駅をゴールにしたせいで、随分と寄り道することになってしまった。(※熊野古道伊勢路編1参照

今日は単なる乗換。
ここまで来たら鈍行乗継に徹したいところだけど、適当な列車がなく、こんな所で長時間待ちぼうけはもったいない。

ってことで、不本意?だけど、すぐ後にやってくる特急「ワイドビュー南紀」を1駅だけ利用し、三瀬谷駅下車。
JR東海の場合、30km未満の特急利用は320円だから、まぁそれぐらいの贅沢はヨシとしよう。

時計はまもなく正午になろうとしている。
前回のゴール、道の駅「奥伊勢おおだい」とは背中合わせのような状態だ。

記念に駅舎をパチリ。(冒頭写真
さっそく今日のトレーニング開始とする。

駅前道路を100mほど直進すれば、百五銀行。
ここを左折すれば前回と重複。

見覚えのある本屋さんのところで左折すれば、まもなく「佐原」の交差点で国道42に出て、重複区間終了。

右斜め、いかにも深山渓谷に分け入っていく感じの狭路が見える。
もちろんこれが熊野古道なんだけど、ちょっと寄り道して(といっても50mほどだけど)、前回の終了地点の某電話会社のうら寂れた?ビルを記念に撮影しておく。


佐原の交差点に戻って、さっき見た狭路に入っていく。
ここからが実質的なスタート。
初っ端から街道オーラ満開で、テンション上るなぁ。

船木橋を渡る。
下を流れるのは宮川。
ここまで来るとかなりの渓谷美だ。


そのまま道なりに走ればすぐに「船木大橋南」の信号に出るけれど、その手前にショートカットして坂を上る道がある。
ここを左折し、別の県道(県道747)に合流。
鋭角に曲がる感じだ。

ここから約2km、県道run。
もっとも谷あいの静かな、船木集落を通るから、飽きは来ないけど。

左手、宮川で、その向こうは、さっきスタートした三瀬谷駅と大台町中心部の集落も見える。
何だかこの辺で熊野古道は、とんでもなく大回りしているようだ。

たまに車が通るぐらいの静かな道。
突然頭上に場違いな高架橋が現れた。
紀勢自動車道。

そこを過ぎるとまた別の小さな集落があり、興味本位に脇道に入っていくと「多岐原神社」。
鬱蒼とした、でも由緒ありげな神社だけど、残念ながらリサーチしてこなかった。

それより気になるのは、この神社から宮川岸に降りた所が、前回素通りしちゃった「三瀬の渡し」の降り口だったらしい。
でも何だかさびしげな雰囲気だし、先を急ぎたいので、パスして、早々に熊野古道に戻ろう。

再び県道に戻って約100m。
案内板があり、右の山の中に入っていけ、と指示している。


今日の目玉!
三瀬坂峠。

民家の間を急激な上り坂で高度を上げ、一気に山の中へ。
アッと言う間に完全にトレイルラン状態となった。


平日ってのもあるかもしれないけど、誰とも会わない、すれ違わない。
街道ランというより、完全にクロカン走。

右手にお地蔵さん。
宝暦地蔵と呼ばれている。

それを過ぎるとすぐ。
はい、登り切りました♪
どうやらここが峠の頂上。
とはいえ、両側は森林に囲まれ、足元にひっそりと標識があるだけ。


ここからは下り。
相変わらず山の中。
下りは得意だけど、調子に乗って膝痛めないように。

降り切った所で視界が広がり、ポツンと池がある。
三瀬坂池、の名がついている。

国道42に出た。
左折(南下)して、その国道を走る。


100m弱。
右斜めに分岐する小道がある。
地図を確認するまでもなく、これが熊野古道であることは明らかだけど、ここは信号も横断歩道もない。
気を付けて渡るしかない。

小道に入り、集落の家並みを走る。
小さな祠があったりして、ここが旧街道であることを静かに伝えてくれている。
滝原集落だ。

そういえば峠越えの前に、多岐原神社なんてあったことを思い出す。
きっと同じ由緒を持ってるんだろうね。

国42をそのまま斜めに横断。
ここは信号もあるからホッとする。

田んぼと民家の中、のどかな田舎道だ。
道なりだから迷う場所もない。

やがて両側が鬱蒼とした森となり、左側には広大かつ立派なお社が見えてきた。
「滝原宮」。
正式には、皇大神宮別宮瀧原宮。

要するに伊勢神宮の別宮で、天照大神が伊勢神宮に祀られる前、一時期この地に祀られていた、とされる。
いかにも凛とした雰囲気が伝わってくる。

ここは折角だから寄り道してお参りして行こう。
本殿は参道を通って随分と奥だ。
と思って鳥居をくぐった瞬間!

警備の職員に「境内は走るな!」と。
「え?本殿までかなりありそうですけど」。

職員曰く、「敷地内は神様のいらっしゃるので一歩たりとも走ってはダメ!バチ当りだ」という話。

え?そーなの?
知らなかった!

確かに熊野古道スタート地点の伊勢神宮も、地元熱田神宮も走ってないけど、それは人が多くて遠慮してたから。
逆に誰もいない家の近所の神社とかなんて、普通に走って駆け抜けてた。

だからバチが当たったのか、こんなしがないサラリーマンなのかもね。
今度から気を付けよう。

一歩たりとも、なんて念押されたからね、ゆっくりウォーキング♪
そして本殿到着。
お参りしましょうね。


そしてまた、入口の鳥居まで徒歩。
まぁそれはそれで、神々しい雰囲気や新鮮な空気を感じ取れて楽しいけどね。

鳥居を出て、トレーニング再開。
再び静かな集落の続く道。
街道名物?の集会所もあったりして、安心する。
走っていて飽きない風景が続く。

大紀町の役場前を通過すると、県道に合流。
と思ったら100mほどで今度は国42にも合流。
そこは信号になっていて、「出谷」という地名らしい。
合流地点手前に歩道橋があるから、反対車線に渡って、そのまま国道を進む。

と、思ったらまたすぐに右へ降りていく道。
この辺は要所要所に標示板があって、道中の助けになる。

くねくねと続くうねりが街道らしくていいなぁ。
またまた集会所を超えると、道なりに右へカーブ。

右側には学校らしき建物。
大宮小学校・大宮中学校と隣接している。
通学路として気を使ってるのか、道も広くなる。

これを超えると、人家すらない。
左折カーブで坂を下る。

気持ちよくこのまま下ってしまいそうだけど、すぐに右斜めに分岐するのが熊野古道。
再び古道らしいうねりの道になり、国42をいったんアンダークロスして回り込むようにして合流する。

300mほどは我慢して国道とお付き合い。
でも歩道は設置されてるから安心だけど。

左に分岐。
再び静かな集落の中をくねくねと伸びる旧街道。
ここは阿曽集落。

紀勢本線を踏切で渡る。
シャメするほどのポイントは特にないんだけどね、でも街道らしい「ニオイ」が感じ取れ、退屈しない。
楽しいなぁ。

小さな十字路。
熊野古道はそのまま直進だけど、案内板に「→阿曽温泉」とある。

トレーニング中だし、こんな所でゴールする予定はないけどさ、温泉か~、いいなぁ、と思いつつ、女々しくも足を向けてしまった。
右折して約100m。
郵便局と隣接する形で、そこに町営の温泉施設が建っていた。


ささ、まだまだ続くよ、トレーニング!
熊野古道に戻る。

小さな商店が点在。
宮川の支流、大内山川を渡ってすぐ、右手に現れたのが立派な観音堂。
古くから熊野古道の旅人を見守ってきた「阿曽観音堂」。


迷いようがない1本道をさらに進む。
左手、川向うは、JR紀勢本線阿曽駅。
まだまだゴール予定は先。

国42に再び吸収され、しばらくは国道run。

約1km。
川沿いに降りていく感じで左に分岐する道に入る。
この辺は、近畿自然歩道とも重複しているため、その案内板が建っていて判り易い。

阿曽の集落内をくねくね走ると、再び国42へ吸収され、何度目かの近藤run。
でも左手には、大内山川が寄り添い、癒しを与えてくれる。

ここでまた1km近く国道を走ると、大内山川を渡って、何やらモニュメントらしきものが現れる。

東屋とトイレもあって、歩行者であればちょっとした休憩ポイントではあるけれど、もちろんコスモタイガーは素通り。
ここを左折し、すぐ右に行くのが熊野古道。
まぁ雰囲気でわかるけど。

柏野集落。
ここも静かだなぁ。


いかにも地元民しか通らないうねり道を行けば、一段高いところに「宝蔵寺」。
由緒は知らないけれど、地元の人の信仰を集めた名刹の雰囲気だ。

またまた国42に合流。
約200mもすると、大内山川を渡る「拍野大橋」。
これ、渡るんだね。

道順的にはどう見ても橋渡って左、だけど、右へ少し戻る。
「垣内後(かいとじり)庚申塚」。
本来の熊野古道は、川を渡ってここを通ってたんだろうな。

軽く手だけ合わせて古道に復帰。
右に山、左に大内山川を見ながらの快調なrun。
やがて人家もなくなり、踏切でJR線を横断。

そこから1km。
見どころらしいところもなく、人通りもない山道をひた走る。

ちらほらと家並みが現れたら、左に某電話会社の紀勢交換所。
といっても、入り口の門が目立つだけで、広大な駐車場?の奥に、小さな無人ビルがある。
随分贅沢な土地の使い方をしてるんだなぁ。
この辺は撮影するものもないから、これ、シャメしとこっと。


振り返れば、正面は大皇神社。
山々を背景に、かなり奥深そうな神社だけど、まだまだ先は長いからね、ここはパスしよう。

歴史を感じる大きな民家が並ぶ。
素敵な集落だ。

伊勢柏崎駅への入り口となるT字路をそのまま直進すれば、まもなく右手やや高台に、「大蓮寺」。


リサーチ資料によれば、北畠家臣の山﨑家によって1569年に開基された、とあるから、これまた由緒も格式もあるお寺なのだ。
散策路もある立派な境内らしいけれど、これまた先を急ぐ旅の者。
お詣りだけして失礼する。

JR線を再び渡ってすぐ右へカーブ。
再び川沿いの道となる。
右側は、素敵な古民家が並んでいる。
ちなみに手元の資料では、県道538号、ということになっている。

右は崖、左は川。
人家もない1本道を走るだけ。

民家がポツンポツンと現れ、JR線の下を潜って間もなく。
正面に集会所らしき建物が見えたら左折。

そのまま国42に交差。
信号はないけれど、横断歩道があるから、そのまま直進。
すぐT字路になってて、右折。

わずか50m少々だけど、ここにも熊野古道が忘れられたように残り、国42に吸収された。

リサーチによれば、100mほど国道runしたところで左に分岐するはずだけど、残念ながら柵、その向こうは森。
森の上には紀勢自動車道が走っているから、建設時に消失したのかもしれないね。

仕方ないからさらに200mほど国道を走れば、右に分岐する道があり、案内板も建っている。
道なりに、集落の中を黙々と走る。

そのまま国42に合流、と思ったら、ここは変則4叉路になってて、「国昌寺」と書かれた石碑が建っている。
石碑に従い、右に90度折れるのが正解で、そのままその国昌寺に到着。


のどかな寺だなぁ。
お詣りしようとしたら、おばあちゃんが孫を連れてのんびり歩いてる。
見たことないおじさんが奇怪な格好で現れたから、不思議そうな顔をして通り過ぎていく。

ここには立派な公衆トイレも併設されていて、旅人にはとっても有難い。
せっかくだから、コスモタイガーも用を足していく。

このお寺の前がT字路になっいる。
熊野古道は右折、つまり今用を足したトイレの前を横切り、お寺の裏を通ることになるんだね。

川沿いに走るのどかな道。
田んぼに囲まれて見通しが良く、国昌寺だけが離れても目立っている。

案内板に従って突き当りを左折すれば、国42にぶつかる。
で、右折してわずか50mほど国道を走れば、またすぐに分岐。

この辺は国42とくっついたり離れたり。
でも案内板も整備され、迷わず走れるのはありがたい。
だから効率も良い。

道沿いにはひっそりと庚申塚もあり、ここが旧街道であることを教えてくれる。
約700m。

橋が現れる。
渡った先は国42。

でも熊野古道はここを左折。
そしてすぐにあるのが、大内山一里塚。


何だか久々に一里塚を見た気がする。
小さなお地蔵さんは当時のままだけど、樹齢400年の松の木は1982年に枯れてしまい、現在は2代目、ということらしい。

ここを過ぎると道は未舗装となり、ヒノキ林の中のトレイル状態となる。
さらに道は狭くなり、ほとんど獣道状態。
「ホントに道、繋がってるの?」と不安になるが、目印にヒノキに赤いテープが巻いてある、との予備知識は得てあるので、それを頼りに走るしかない。

登ったり下ったり。
やっとしっかりした道になり、ホッとする。

木製の小さな橋が現れた。
一応、芦谷橋、という名前が付いている。

大きな看板があって、左に行くと大内山動物園、なんてのがあるらしい。
こんな山の中に動物園があるなんて、ちょっと信じられない。
(※後日、ネットで調べたところ、自然と共有できる、かなり評判の良い動物園だそうです)

江尻橋南の交差点に出た。
国42を渡ってそのまま直進。

大内山集落。
またまた某電話会社の大内山交換所、なんてあったりする。
こんな所にまで設備を作るのも、大変だね~。


緩やかな上り坂の中に、昔ながらの床屋さんや酒屋さんがあったりして、なかなか楽しい空間だ。


右手に現れたのは、紀勢本線大内山駅。
ここも鈍行しか停車しない無人駅で、ひっそりしている。

その名も「大内山」の交差点で、国42に合流。
大紀町役場の支所や町立保育園を右に見ながら、しばらくは国道run。

夕暮れが近づいてきた。
12月は日が短いのが難点だよね。
ちょっとペースを上げる。

紀勢自動車道の高架を見上げ、さらに走ると、大内山大師堂なる看板が右手に。
資料にも載ってないけど、何だろう?
弘法大師に関係あるのかな?

それより、ここから左に分岐する道をやり過ごさないようにしないとね。
といってもわずか200mほどでまた国道に合流。

さらにしばらくするとまた左に分岐。
ゆるやかに下りつつ、忘れ去られたような道だ。


合流したところにバス停がある。
梅ヶ谷停留所。
前回帰路にも利用した、「熊野古道特急」バスも止まる停留所だ。


と同時に、「梅ヶ谷」の交差点。
ここは熊野古道ハイカー(ランナー)にとって、大きな拠点となるところ。

交差点からさらに200m進んだ右手に、不気味な?無人駅。
梅ヶ谷駅。

もちろん無人駅だけど、不気味さを醸し出してるのは、駅の裏が「八柱神社」になっていること。
人気のない夕暮れの神社は、結構寂しさを感じるよね。

境内に入ってみると、意外に広さを感じる。
ここをお参りして、今日のトレーニングを締めることとしよう。


さて、帰路をどうしようか。
2者択一。
このまま目の前の梅ヶ谷駅からJR紀勢本線鈍行の旅とするか、さっきのバス停から前回も利用した「熊野古道特急」バスを利用するか。
どちらもしばらく待てばやってくる上に、場所が場所名だけに、いずれもかなりの確率で座れるはずだだから、かなり迷う。

結局選んだのは、熊野古道特急バス。
疲れた体には、JR鈍行のロングシート車より、観光バス仕様の乗り心地の良さは魅力的♪

案の定、松阪駅へ向かうバスは暖房も効いて暖かく、ウトウトしてる間に松阪駅到着。
今日はさすがに「ひょうたん湯」に寄る時間はない。
さっさと近鉄に乗換、名古屋へ一目散に帰宅するのみだ。

(※熊野古道特急バスは、2018年10月1日にダイヤ改正され、尾鷲市内で分割されてた2系統を統合・整理し、さらに各停化されました。これにより、「特急」ではなくなり、路線バス松坂熊野線、通称「熊野古道ライン」、として再出発しているようです。熊野市内まで乗換なしになった代わりに所要時間は増加しました。)



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コスモタイガー漂走記~熊野古道伊勢路編(2)

2018-07-30 | 熊野古道伊勢路run!!

★名古屋ネタです★

前回、変な所でコースアウトしてしまった熊野古道。
何となくすっきりしないから、早く先へと進みたい。
そう思いつつ、諸々の忙しさに追われ、約1ヶ月ぶりの旧街道runとなった。

2014年8月。
今日もコスモタイガーは、輪番勤務で平日なのにお休みなのだ。

暑さまっただ中、家を出て、地下鉄で名古屋駅に到着。
ここからは「快速みえ」号に乗車。

まぁ値段的には、前回の帰路の逆(近鉄で松阪駅→JRに乗換えて多気まで)が安いんだけどさ、なんかメンドくせぇ。
久しぶりに快速みえに乗りたくなったのさ。

乗換えることなく、ディーゼルカーのエンジン音に聞きほれながら、多気駅までの鉄道旅に満足♪

おっとっと、ここで満足してちゃいけねぇいけねぇ。

で、コンビニも食堂もない多気駅に降り立つ。
8月の厳しい日差しに、立ってるだけでも汗が出る。

そうそう、まず熊野古道に復帰するまでに約5km、走らなきゃいけないんだ!
あ~あ、前回の終了地点がね~~。
わかっててもどうしようもなかったんだけどね…。

まぁとにかく、あれこれ考えてても仕方ない。
走るぞ!!

見覚えのある風景をひたすら進む。
途中、トラックや車が追い抜きつつ「こんなところで炎天下を走ってる!」とでも思うのか、冷たい視線を感じたりする。

着きました!永昌寺。
もう一回、前回と似たアングルでシャメしとこう。(冒頭写真
そんなに大きなお寺ではないけれど、江戸中期の建立とのことで、なかなか歴史を感じる古寺ではある。

さあ、やっとここからが前回の続き。
永昌寺を右に見て道なりに。

と思ったら、ものの30~40mで左に行く怪しげな道。
この道こそ、熊野古道なのだ。

道なりに右折した先に、また似たような感じで左に入る山道が分岐。
そしてここでもこの山道に入るよう、道標が建てられている。

左手に鄙びた神社が現れた。
「西外城田神社」。
残念ながら詳しい由緒は知らないけれど、誰もいない静かな佇まいに、思わず寄り道してしまった。

広い道(とぃっても片側1車線…)に出てホッとする。
県道119号。

交通量は少ないから安心。
しばらくは県道run。

1kmぐらい走ったかな?
小川を渡るような感じで右斜め前方に分岐する小道がある。
これが熊野古道だ。

ポツンポツンと昔ながらの蔵があったりして、なかなか風情のある道だ。
案内板は、この右上に「成川大師堂」なんてものがあることを教えてくれる。

正面はため池だろうか、突き当たったところを左折し、少し登りきった感じで、県道119に再会。

でも交わる県道は熊野古道ではない。
そのまま十字路になっていて、直進する細い道がある。

さぁここからが今日のメインディッシュ!
女鬼峠。
伊勢から歩く旅人にとって、最初の峠越えとして有名だったんだね。

あまりの貧相な農道に、不安になるけど、目線を下にしてよく見ると、小さな道標がこの道が熊野古道であることを教えてくれる。

「女鬼峠入口」の看板と、丁寧な案内板がゴング替わり。
ここから一気にトレッキング道!
熊野古道の一般的なイメージとしては、ここからだろう。

黙々とただ登る。
やっとここが頂上らしき所?

全然眺めは良くないけれど、木々の間からわずかに見える風景が、山深きところであることを教えてくれる。

さぁ今度はひたすら下り。
山の中深々と、ただ下る。


やっと下りきった。
熊野古道伊勢時最初の峠、女鬼峠、まずは無事通過。

右手に小さなため池?が現れ、暑さをやわらげてくれる。
手元の資料によれば「新池」というらしい。

久しぶりの広い空、両側田んぼ&茶畑を味わったら、県道119に出た。
ここは道標に従い、県道を右へ。

といっても県道runは50mほど。
自販機の設置してある雑貨屋の手前から、左に行く狭い道が熊野古道だ。

またすぐに道なりに右折。
小さな、でも古い道標が、歴史を感じさせる。

この辺は「相鹿瀬」という集落なんだね。
のどかで、でも歴史を感じる小道だ。

やがて県道709に合流。
しばらくは県道run。

そして寺子屋跡。
江戸のころから、こんなところにも教育が行き届いていた。
明治以降、列強にも負けず発展してきた日本の「強み」だよね。

小さな川を渡って約200m。
左に折れる分岐道が熊野古道らしい。

茶畑と田んぼの真っ只中を行くだけだから、不安になるけれど、手元の資料によれば間違いないらしい。
突き当たって左手に大きな福祉施設があるところで右へ行けば、公民館があったから、間違いなかったことを確信する。

T字路になり、再度県道709に出た。
左折ね。

周辺には茶畑が目立つ。
伊勢茶になるのかな?
すぐに見えてきた、左手にある工場らしき建物は、製茶工場らしい。

再び左に分岐する熊野古道。
旧街道らしい、懐かしさを感じるエリアだ。

「柳原観音千福寺」。
その歴史は古く、聖徳太子によって建立されたとされる。

すぐにまた県道709に出た。
街道臭?を放つ古道が、県道をそのまま渡る形になっていることはすぐに判る。

その古道に入ってすぐ右手に、大きな、そしていかにも風格あるお屋敷が!
「元坂酒造」。
創業は1805(文化2)年というから、江戸末期。
現在の社長は6代目という、この地域では、老舗中の老舗ってことになるね。

残念ながらコスモタイガーはビール党。
毎夜の晩酌も、季節を問わずビール!で、日本酒系は全く飲まない。

外観のシャメだけ撮って足を進めることにする。

小さな十字路に出た。
右手前方に、公民館風の建物とバス停があるのが目印だ。
ここを右折するのが熊野古道。

さらに50mほど先の突き当りを左折。
くねくねとしたうねりが、いかにも街道らしさを伝えてくれる。

県道709に再び合流し、しばらくは県道run。

500mほどで、いったん県道から分離するものの、50mもしないうちに再会し、再び県道を走る。
この一角は見どころもないが、山に囲まれたのどかな風景と茶畑のため、退屈はしない。

さらに500m進む。
ここで道は2手に分岐。
右の狭い道はいかにも古道っぽい。

右の古道は「旧道コース」、直進(つまり県道をそのまま進む)は「新田コース」として案内されている。

歴史的には旧道コースに分があるけれど、新田コースも元禄時代(江戸中期)にバイパスとして新設されたということで、いずれも熊野古道であることに間違いない。
つまりここはどっちを選んでも正解ってことだけど、いろんな資料やHPでは「新田コース」の方をメインに扱っている。

ってことで、コスモタイガーも「新田コース」を選択し、そのまま直進する。

立派な橋が見えてきた。
田口大橋というらしい。

すぐに県道は右斜めへカーブ。
分岐するような形で、そのまま直進するのが熊野古道。

阿弥陀寺を過ぎると、製茶屋が数軒並び、ちょっと珍しい風景。
バイパスとして創設されただけあって、旧街道としては直線的な道で、これはこれで新鮮だ。

そのまま県道に沿って走れば、国道42と交わり、「新田」の交差点となる。
県道709自体はここが終点らしいけれど、熊野古道は国道は渡るだけで、そのまま直進。
案内板もあって、迷うことはない。

紀勢本線を超えてすぐ、左手に懐かしさを感じさせる立派な佇まいの建物は、旅館「岡島屋」。
江戸時代から続き、今も宿泊可能な、現役の旅館なのだ。

もっともかつてはかなりの広大な敷地だったらしいけれど、紀勢本線開通に際し、敷地内を線路が通ることになってしまったとか。
もし宿泊すれば、鉄路の音を聞きながら眠ることも…、というほど、列車の本数ないけどね。

もちろんコスモタイガーは宿泊するわけもなく、ひたすら足を進める。
しばらくは、くねくねと進む1本道。
人家も少なくなり、山深き雰囲気の中、左手に紀勢本線が寄り添う。

さて、問題はここ!
このまま進んでしまいそうだけど、それは×。

左手に小さな変電所があって、見落としそうな水路(小川?)が道路の下を通っている。
ここを右に降りていく、作業路!
これが熊野古道なのだ。

水路の清掃員しか通らなさそうな狭い作業路、そしてその先には背中を丸めないと通れない低いトンネル。
半信半疑で降り、水路に沿ってトンネルで道路を潜る。
水量次第では通れないらしい、現代の難所ではある。

「馬鹿曲り」という妙な名前のついたカーブだったらしいんだよね。
ホントにこんな作業路を名古屋から走りに来るなんて、馬鹿みたいな話ではある。

小川渡るんだけど、橋なんかない。
石というか岩というべきか、それを伝ってヒョイと渡る。

足元もぬかるみ、ぐちゃぐちゃな未舗装道。
完全にトレッキング状態だ。
滑らないように注意しないとね。

右手見上げるようなところに、さっきの道路と紀勢本線が見えるせいか、谷底を走っている感覚だ。
くねくねしと道なりに走れば、小さな橋は馬鹿曲り橋。

坂を上り、わずかに家並みが見えてくると簡易舗装が復活し、国42にいったん合流。
右手に、地元の人に守られた立派な祠にほっこりする。
その先、50mほどで再び右に分岐する生活道路が旧街道だ。

相変わらず茶畑が多い中、集会所を過ぎると、左に降りていく道が分岐。
見落としそうだけど、案内板も建っている。

ここも木々に遮られ、日も差さないため、谷底感があるけれど、ある意味涼しくて走りやすい。
資料によれば、この辺りに明治40年建築の眼鏡橋(神瀬橋)なんてのがあるらしいけれど、樹木に囲まれて視野が狭く、判然としない。
また、立ち止まってまで探そうとしない大雑把なコスモタイガーだったりする。

国42に出た。
と思ったら、足元に小さな道標があり、「熊野古道→」と右折を示している。
もちろん道標に従う。

と思ったら、また左折を示す道標。
まじ?と思うような、地元の人がショートカットでしか利用しないような土道だ。
これも熊野古道なんだね。

で、また国42にランデブーだけして、右折。
紀勢本線を横断する。

すぐ左に目をやると「殿様井戸→」と書かれた木製の案内板が設置され、足元には熊野古道の道標もある。
ここから分岐する獣道が正解らしい。

といっても、草茫々、見るからに人気の無さそうだ。
しかも金網のゲートで閉められている。
でも施錠はされておらず、特に注意書きもない。

もちろん下調べ済で、先達たちは、このゲートを開けて通行しているらしいけれど、その予備知識がないと、「入っていいのか?」と大いに戸惑うに違いない。

またしても谷底を走る感じ。
良く言えば涼しくて走りやすい。

殿様井戸。
名前の通り、ここで昔の殿様が水を飲んだということだけど、目の前には落ち葉の浮いた水溜りしかない。

アスファルト道に再合流。
そのまま道なりに進む。

等高線に沿うかのようにくねくね道は続き、やがて紀勢本線の踏切を超える。
国42とランデブーし、再び右斜めに入っていく熊野古道。

ありがたいことにここから先、約6kmほどは1本道。
この田舎道をひたすら進むだけ。
しかも旧街道らしいうねりと、のどかな農村風景が続くらしい。

すぐ左手に案内板だけがひっそり立つのが、「旧旅館阿波屋跡」。
汗かいてて、シャメが滑ってしまう(泣)。

さらに進んで再び紀勢本線を渡る。
名古屋市内と違って、列車なんかたまにしか来ないからね。

川添駅前。
と言っても無人駅で、人の気配すらない。

反対側(右手)には、保育園と小学校が建っていて、ここにも生活があることを実感する。
資料によれば、小学校の裏には「透光院」というお寺もあるらしいが、目的は熊野古道自体!もとい、熊野古道を利用したトレーニング(笑)。
ここはスルーして、1本道をひたすら走る。
地図見ることもなく、快調に足を進められるし、微妙な起伏や変化が楽しい。

本当に一人ぼっち。
すれ違う人すらいない。
黙々とトレーニング♪
観音寺、八柱神社、と、歴史ありそうな史跡が続き、旧街道の目印になる。

右手に「街かど博物館奥伊勢」という古風かつおしゃれな喫茶店兼案内所がある。
残念ながらコーヒーなんか飲んでる場合じゃないからスルー。
でもここが熊野古道であることの良いチェックポイントにはなっているようだ。

ここで道は緩やかに左折しながら坂を下り、久々に国42に合流。
ここからはしばらく国道runがメインになる。

300mほど走ると、一瞬右に分岐するけど、すぐに国42に戻る。
緩やかな上り坂が延々と続く。

しばらくすると紀勢自動車道の高架を潜る。
石龕地蔵なんて看板があった。
良く見ると小さなお地蔵さんが、石垣に埋もれるように鎮座している。

並走する紀勢本線がトンネルに入った。
しばらくして右に分岐する道がある。
これが熊野古道だが、何だかしんみりする道だ。

国道こそ車が時折通るものの、1本入ると人の気配もないからね。
山深き里であることを痛感させられる。

またまた右手に八柱神社なんてあったりして、国42に重なったらそのまま横断して直進。

左後方からやってきた生活道路に吸収される形で、旧街道はそのまま進んでいく。
この生活道路を200mほど戻り、さらに宮川河川敷に降りていくと「三瀬の渡し跡」なんてものがあるらしいし、予約しておけば渡し船の体験もできるらしいけれど、さすがに疲れてきたから寄り道は遠慮しておく。

慶雲寺。
結構広い境内の立派なお寺だ。
手を合わせ、写メも記念に撮っておこう。
正式には「正法山慶雲寺」といい、浄土宗のお寺とのこと。

間髪入れず、道の反対側には、「三瀬砦跡」。
伊勢国司北畠氏の家臣、三瀬氏の城跡とされているが、現在は小さな神社として整備・信仰されている。

この辺り、まさに集落みたいになってきて、「三瀬集落」を形成している。
ちょっとした町だ。

さらにまた小さな鳥居があり、案内板に従って降りていくと、「大谷不動明王」と呼ばれる滝。
ありがたいねぇ。
視覚的にも涼しいわ。

この辺りは近畿自然歩道とも重複してるらしく、案内板はとっても親切だ。
迷うことなく、ラストスパートだ。

左手には廃校となった宮川高校の跡地らしく、なんだか寂しい。
(※現在は、大台厚生病院という立派な病院になりました!)

国42を「上三瀬」の信号で渡り、道なりに直進。
踏切渡ってすぐの十字路を左折。
左手に紀勢本線を見る形になった。

ゴール予定の「三瀬谷駅」はもう目の前なんだけど、熊野古道は標識に従い、いったん右折。
三瀬谷地区の中心らしき所で、古い旅館などもあり、なかなかいい感じのところだ。

中心らしき十字路。
百五銀行があるのが目印。
ここを左折すれば三瀬谷駅。

うーん、迷ったけど、ちょっと腹案もある。
もうちょっと頑張ろう。

200mも走れば本屋さんがあって、ここを左折。
再度紀勢本線を渡る。

「佐原」交差点で国42に出た。
そのまま右折して国道を走れば、約50m。

某電話会社の「大台佐原電話交換所」。
ここ!
ここをゴール!

何の変哲もない場所だけどね、特に意味もないけど(笑)。
それどころか休憩する場所もない。

でもrunはここまでね。
徒歩で国道を戻る形で、佐原の信号も超えれば、すぐに大台町の町役場があり、道の駅「奥伊勢おおだい」も併設されている。

名目上のゴールはさっきの電話交換所だけど、実質のゴールはこっちやね(笑)。

位置関係的には、ちょうど三瀬谷駅の裏(三瀬谷駅が裏?)に当たるんだけど、明らかに駅よりこっちが栄えてる。
国道に面して三重交通の立派な停留所も整備されている。

腹案というのはこのバス。
「熊野古道特急」という名称で、松阪駅まで観光バス仕様の路線バスがあるのさ。

名前のとおり、熊野古道の主要地をつなぎ、松阪~尾鷲間をつないでいる。
運行は三重交通。

まぁ紀勢本線よりはこっちの方が便利かな?
何よりリクライニングシートに座っていけるのが嬉しい。
しかも高速を通らず、国42をひたすら走るというルートで、田川陽介さんと蛭子能収さんが喜びそうな路線だ。
(※翌2015年、実際に某番組でこの2人とゲストの女性が、このバスに乗りました♪)

このバスに乗りたいという気持ちが心の隅にあったからね、今日はこの道の駅までちょっと頑張ったのさ。
旧街道runとしては長めの27~28kmぐらいかな?
多気駅からの無駄?な5kmもあったし、女鬼峠を筆頭に、起伏も結構あったからね~。
ちょっとハードなトレーニングになった。

さて、道の駅で休憩&着替えを済ませ、少し時間をつぶしてたら、やってきました、熊野古道特急バス。
行き先は「松阪中央病院」だけど、当然松阪駅にも立ち寄る。

松阪駅まで約50分。
路線バスの旅を楽しんだ。

そして前回も利用した、駅から徒歩5分ほどの「ひょうたん湯」。
さぁ、ここからは前回と一緒、近鉄急行で帰るだけだ。

のんびり湯船に使って、今日の街道run、もとい、充実したトレーニングの余韻に浸るコスモタイガーであった。

コメント (3)
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コスモタイガー漂走記~熊野古道伊勢路編(1)

2017-09-14 | 熊野古道伊勢路run!!

伊勢神宮は、説明不要なほどの超有名なパワースポット。
全国のあまたある神宮・神社の中でもっとも格式高いとされている。
よって伊勢神宮なんて呼び方は通称で、正式には単に「神宮」。
そう、神宮と云えば即、お伊勢さんのことを指す。

大きく分けて「内宮」と「外宮」があることも当たり前といっても過言じゃないほどだけど、それぞれの正式名称は皇大神宮(内宮)、豊受大神宮(外宮)、と称する。
(※伊勢街道runのゴールで来てるからね、伊勢神宮についての詳しい能書き?は、旧伊勢街道編6を参照してね)

今、コスモタイガーが立っているのは内宮。(冒頭写真
正規の作法としては、まず外宮にお参りしてから内宮だけど、熊野街道の出発点がここ内宮だからね…。
それに、伊勢街道runの際、ちゃんと作法通り?にお参りしてるしさ。

てなわけで、まずはお参り。
何せ広大な敷地だからね、若干駆け足気味だけど。








神社なんて若いころはさして興味湧かなかったけど、歳を取ったのかなぁ、癒されるわぁ~。
ただでさえ暑いのに走る気無くしそう…。

とりあえずお参り終了!
宇治橋を渡れば、そこは伊勢街道のゴール地点、そして熊野古道伊勢路の出発点!

目の前には赤福の内宮前支店で、思わず涎が垂れそうだけど、ここでのんびりし過ぎちゃ何しに来たのかわからなくなっちゃう。
さすがにそろそろスタートしないと…。

と言ってもさ、ここから外宮までは、熊野古道=伊勢街道の重複区間。
要するに旧伊勢街道編6を逆走するだけ。
だから細かいルートは省略!

さぁ出発!
おいしそうな香りが漂う中、おかげ横丁をゆっくり走る。
右手に赤福本店。

猿田彦神社も再訪。
一応手を合わせておく。

右折すればすぐに上り坂となり、街道らしい雰囲気となり、しばらくすれば古市集落。
かつての遊郭街の繁栄はなく、静かな街並みが横たわる。

ってか、内宮と外宮の間に遊郭!
昔の人はお参りの最中にそんなことして遊んでたのか!と勘繰ってしまう。

道なりに走るだけだからこの辺は地図確認もいらない。
近鉄鳥羽線を超えてしばらく。
右手に「マリア保育園」は記憶に新しい。

で、御木本道路に再会し、そのまま右へ行けば、今度は「外宮」の大きな森が左手に。
なるべく正確に旧街道を走りたいしね、最初の変則交差点で右にランデブーする道(県道37号)にここで入る。
とはいえ、逆走してるだけだから、そんなに気にする必要もないんだけどね。

「外宮北」の大きな交差点。
すぐ左手には外宮の正門。

さすがに観光客らしき人が多い。
外国人も多く、さすがお伊勢さんだ。

さぁ、ここも当然お参りね。
といってもここが目的地じゃないから、サクッとね!




もっともこの外宮参道自体が熊野古道の一部らしいんだけど。
だから外宮をお参りすることは寄り道でも何でもない。


観光客の奇異の眼差しの中、汗だくだくで境内を小走り、順路に従ってお参りを済ませ、「北御門」から敷地の外に出る。

すぐ前の信号を左折して、某電話会社の大きなビルの前を通過。
ここも伊勢街道で通ってる。
実はもう少し伊勢街道との供用区間が続いてるんだよね。
がまんがまん!

反対側に横断しておこう。
で、すぐに右側に一見してわかる古い建物。

はい、「小西萬金丹薬舗」。
もう2回目だから、特に感慨もないけど、シャメだけ撮っておこう。

道路の反対側には小児科もあるようだからね、現代では処方箋も扱ってるのかな?などと、どーでもいいことを考えてみたりする。

筋向橋。
はい、本日の第1チェックポイント。
供用区間はここまで。

狭くなってるけれど直進するのが、すでに制覇した伊勢街道。
逆からだと目立たないねぇ。

で、熊野古道は道なりに左。
そのまま県道(22号)を走ることになる。

いよいよここから本当の意味での熊野古道!
初めてのコースだけに、テンション上がってきた!

といってもしばらくは見どころらしきものはなく、市街地を走るだけ。
「津久留」という信号から、県道は徐々に左にカーブし、まもなくガソリンスタンドがあるのが目印。

街道はいったんここで途絶。
正面は宮川。
ここで堤防に上がるため、右の脇道に入る。

お伊勢さんのおかげで少し信心深くなったかな?
小さな祠があったから、軽く手を合わせておく。

河川敷のだだっ広い公園を500mほど北上。
堤防の上に登り、すぐに県道(37号)に入って橋を渡る。
「度会橋」ね。

渡ったらすぐ左。
反対側の堤防道路ってことだけど。

約200m。
右に降りていく道がある。
ここに「柳の渡し」の案内板が掲げてあり、その隣には熊野古道伊勢路の幟がはためいている。


そう、街道が途絶した理由ね、対岸からここまで渡し船だったんだ。
そしてここから再び歩いたんだ。

それにしてもここからの宮川の風景、素敵だなぁ。
思わずシャメしてしまった。


案内板の裏手には何やら資料館のような建物がある。
尾崎咢堂記念館。
誰それ??
いずれにせよ熊野古道とは関係なさそうだから、このままスルー。
(※帰宅後調べたところ、戦前に活躍した政治家、尾崎行雄の雅号だそうです。)

突き当りを左折すれば、「地蔵堂」というお寺がある。
久しぶりに街道らしい、静かなうねり道となった。

道なりに左、そして「板東」というバス停を過ぎたら右へ。
自動車修理工場を過ぎると、突然家並みが途絶え、両側、田んぼが広がる風景となった。

汁谷川という小川に小さな橋が架かっていて、ここに庚申塔が建ち、この道が熊野古道であることを教えてくれる。
そしてここで行政区域が伊勢市から玉城町へ変わるらしい。

左に城田幼稚園、城田郵便局を見て直進、さらに上地町の信号で県道を渡る。
踏切でJR参宮線を横断。

ひたすら真っ直ぐ西へ道が伸びている。

再び集落の中に入ってきたなぁと思ったら、「小林政太郎生家の碑」。
ごめん、誰??

すぐ、外城田(ときだ)川を渡ると、田丸地区。
ここはいかにも旧街道らしい雰囲気が残り、足取りが自然とゆっくりになってしまう。

国生神社、光明寺。
いいねぇ、街道らしい史跡だけど、トレーニング優先ね♪

T字路になった。
右折。

さらに50m、百五銀行の手前で左折。
升形かな?
城下町風情だねぇって、実は城下町なんだけどね。

どうやらこの道は県道(530号)に指定されているらしく、田丸地区の人々にとっては重要な生活路線なのか、車の往来が多い。

150mほど進むと、変則十字路となり、県道はここで左折。
というより、熊野古道もここで左折!

実はここ、追分なんだね。
道標も残されていて、「右紀州街道」は確実に読める。


説明書きによれば、ここで初瀬(はせ)街道と熊野街道(熊野古道)が合流し、そのままお伊勢さんに向かう。
もちろんこれは京・大阪方面から歩いてきた人を想定してるわけで、伊勢から走ってきたコスモタイガーからすると、ここで2つの街道が分岐するってことになる。

もちろんコスモタイガーも左折(南下)するんだけど、せっかくここまで来たんだからと、あえて直進し、初瀬街道へ。

といっても初瀬街道、リサーチなんて全くしてないからね、今回は目的対象外。
目指すは目の前にある田丸城跡!
JRさわやかウォーキングのパンフレットなんかでたまに案内されていて気にはなっていた城跡さ。


田丸城。
南北朝時代、南朝方の北畠親房・顕信によって築城されたとされる。

その後、1342(康永元)年、足利尊氏によりいったん落城するものの、再び北畠氏により再建され、紆余曲折ののち、紀州藩の管轄となった。
城代として、家老の久野家が治め、幕末まで続いたものの、明治維新により取壊しとなった。

お堀を渡れば、左に玉城町役場、右には村山龍平記念館。
これまた何者なのかしらないけど、立派なハコモノがある。

その奥は玉城中学で、隣に保育園。
要するにこれらが今も城跡にあって、今も昔も玉城町の中心なのだ。

残念ながらのんびり城跡めぐり、とはいかない(泣)。
とあえず本丸跡に登り、田丸の街を見下ろして、自己満足終了。
はい、下りましょう!

シャメも取らずに下り、追分地点に戻り、熊野古道に復帰。
南下し、踏切を渡る。

ここでゴールにすることも頭をよぎる。
田丸駅はすぐ左手にあるからさ。

逆にここをスルーすると、JR参宮線とはおさらばだから、一気に不便になる。
でもちょっと物足りないんだよね。
前半はほとんど「供用区間」だったし。

ってことで、トレーニング継続。
案内板に従い、踏切のすぐの分岐を右折、道なりに左、右と走る。
東海道に例えるなら、「○○曲がり」ってやつだね。
何回曲がってるか勘定してないけどさ。

T字路で左、南下すると、その先、水路のような外城田川で行き止まり。
ここにあるのが庚申堂。

左折して県道530に戻り、外城田川を渡る。
「田丸大橋」の名がついている。

「勝田」の交差点。
ここで右折。
しばらくはこの県道13号がお相手。

1kmぐらいはただ走るだけ。
「勝田西」の交差点に、古い道標を発見し、わずかな痕跡を感じるのみ。

その先に二股。
ここも県道(右)を選択。

右手にポツンと立ってるお地蔵さんが「接待地蔵」。
地中に埋もれていた台座が発見され、お地蔵さんは新しく建立されたとか。
単調な県道runの中で、久しぶりのチェックポイントだ。

ちらほらと民家があるものの、のどかな風景の中、ひたすら県道を走る。
立ち止まるような見どころもない。
ただ、道がうねってることが、かすかに街道らしさを伝えてくれる。

どれぐらい走っただろう?
右手にガソリンスタンド。
そこから約200m。
右に分岐する小道をようやく発見!

やっと街道らしい道になった。
地図によれば、「原」という集落らしい。
直線に延びる静かな風景に見入ってしまった。


階段を上がった所に「巡礼道引観音」なる多数の石仏があるらしいけれど、先を急ごう。

道は90度左へカーブ。
そのまま県道を渡って直進。
突き当りを右折。
街道名物?の郵便局を通過。

くねくねと街道らしい道が続き、この辺りは楽しいけれど、県道runが意外に疲れた。
しかも暑い!
いつの間にか行政区域は「多気町」になった。

Y字型の地点に出た。
正面には由緒ありげな古刹、「永昌寺」。


お参りを済ませ、左の道を選択。
お寺の裏、といってもいい距離だけど、ここでまたY字分岐があって、狭い左の道へ。

道なりに右へ曲がったところに、いかにも登っていく感ある狭路があり、ここに道標がある。

現代版の道標も並んで建ち、このまま今の道を進むのが和歌山別街道で、この狭路を入っていくのが熊野古道と案内してくれている。
つまりここが追分ってことだね。


さて困った!
体力的にはまだ余力あるけどさ、ここから足を踏み入れると、ますます「交通機関皆無区間」に入っていくことになる。

それどころか、このまま走れば、熊野古道伊勢路最初の峠越え「女鬼峠」に分け入ることになる。
すでに時計は15時を過ぎている。
厳しいなぁ。

かといって、今ここでやめてどーするの?という話。
一応、さっきの永昌寺の前に「野中」の停留所があって、多気町営のバスがあるらしいんだけど、戻って確認したら、1日1往復!
しかも朝7時台(泣)。

まぁ、明らかに地元の人たちの朝、出勤・登校のためもの。
よそ者には使えねぇ~。
とりあえずもう一回、永昌寺を記念にシャメっておく。


北上して「野中」の交差点。
この辺りはそういう名前の集落なんだろう。

地図で確認すると、目の前をまっすぐ(北上)する県道119号。
この道をひたすら走れば多気駅。
強いて言うならこの多気駅が最寄り駅ということになる。

多気駅自体は、ワイドビュー南紀も快速みえも停車する紀勢本線の主要駅で便利だけどね。
若干の起伏と約5kmの道のりがあるからしんどいなぁ。

しかも多気集落は、伊勢本街道(初瀬街道)の宿場町。
さっきの田丸城跡の追分からお城の北側走れば、素直に多気にでるわけで、何とももったいない話。

でも迷ってる時間がもったいない。
それならそれで多気駅発の列車に間に合うように走らないと!
トレーニングと思ってもうひと踏ん張りするか!

途中、外城田神社という何やら由緒ありげな鬱蒼とした神社もあるけれど、当然リサーチなどしていないからスルー。

多気集落に入れば、そこかしこに、伊勢本街道を示す手作り案内板があったりして、またまた興味を注がれるけど。

多気駅に到着。
簡易の着替えを済ませ、駅前の雑貨屋でパンとジュースで空腹を満たしながら、改めて今日のコースを復習。

熊野古道伊勢路だけでほぼ18km、その後の多気駅までほぼ5km。
寄り道含めれば、24~25km程度走ってる上に、スタート前の内宮で結構歩いてるし。
暑い中、これだけ走って歩けばそりゃ疲れるわ!

そんでもって、次回はこの無駄?な5kmを走って熊野古道に復帰ってことになる。
だからあれほど「変なところでゴールすると次回困るよ」って言ってるのにねぇ。

やっぱり田丸地区を適当に散策ランして距離稼いで、田丸駅から帰った方が無難だったかなぁ…。
でも余力があれば少しでも先に行きたいという本能には勝てなかった…。

多気駅から名古屋へは「快速みえ」なら乗換なし!
だけどね、高いんだ!(1,830円)
第3セクター伊勢鉄道を通過するのが大きいんだよね。

伊勢街道runの際に有効活用した「快速みえ」だけど、それは「青空フリー」という優れモノがあったから。
それにまだ空は明るく、このまま名古屋に戻るには少々もったいない。
正直、さっぱりしてから帰りたい。

ってことで、普通列車で2駅、松阪で下車。(200円)
駅前の観光案内所のお姉さんに教えてもらった銭湯へ。

徒歩5~6分といったところか?
「ひょうたん湯」。

スーパー銭湯じゃなく、昔ながらの銭湯!
懐かしいな。

そして今後、熊野古道伊勢路をやっつけていく上で、ここ松阪が重要な拠点となることは間違いない。
このひょうたん湯を知ったことも大きな収穫で、何度となく利用することになりそうだ。

さぁ、いい休養になった。
ここからは近鉄急行で名古屋まで。(1,260円)
多気からだと1460円だから、JR利用に比べてほとんど風呂代が浮いた感がある。
しかも松阪からなんて、まず絶対というほど座れることも経験で知っている。

初っ端から前途多難を思わせる熊野古道に思いを馳せながら、うたた寝で帰るコスモタイガーであった。


コメント (4)
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