ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

○柔らかな思想、硬直化した思想。

2010-06-04 15:48:18 | Weblog
○柔らかな思想、硬直化した思想。

 人は心によって生きていくのである。瑞々しい感性があるからこそ、生に潤いが出てくるのである。生に潤いがあれば、人は如何なる難局に立ち至っても、それを超克することが出来る。困難を超克しつつ、孤立することなく、他者を受け入れ、他者と共感出来るのである。このとき、人の思想は柔らかだと規定してよい、と思う。しかし、思想が柔軟であるには、それなりの訓練が必要である。
 人は柔らかさの意味をしばしば誤解する。少々露悪的に表現すると、柔らかさを、自己の論理を殺してまでも他者にすり寄ろうとすることだと、思い込む。このような思考回路はむしろ硬直化したそれである。そうではなくて、人の思想の柔軟さとは、あくまで他者の思想を汲み取りつつ、自己がこれまで構築してきた思想と照らし合わせ、検証した上で受容することである。その上で受容した異物としての思想を自己の言葉で編み直すこと。こうして人の思想の幅は広がっていくのである。当然、その結果は思想の柔軟さをもたらす。これを柔らかな思想とその獲得の経緯と位置づけよう。もし、我々をとりまく世界が少しでも広がりのあるものにcultivateしていくとするなら、その根底に柔らかな思想が据わることが絶対条件である。そうでなければ、我々をとりまく世界は閉塞していかざるを得ないし、生きづらい未来を背負い込むことになるだけだろう。これはわれわれにとって不幸と云うしかない。
 さて、まとめて硬直化した思想について観想を述べておこう。思想が硬直化することの最も分かりやすい現れは、思想の磁場に、排除の論理が働いているということではないだろうか。そこには俗的な言い方をすれば、勝ち負けの論理が罷り通っているということでもある。つまりは、排除という論理の土台とは、勝敗という俗的な価値意識が支配的であるがゆえに、総じて保守的で、排他的な様相を呈するのは当然の成り行きなのである。現象的な負けから学ばない思考回路にとっての勝利とは、進歩なき凡俗な勝利の美酒に酔うかのごとき心境を指すのである。したがって、ここに苔のごとく土台を覆っている保守主義とは、排除の論理と同義語と云って差し支えないのである。このような硬直化した思想の磁場から、新たな価値意識が創造されることは絶対にない。換言すれば、守りに入った思想などは、新たな価値を生み出せないという意味において、どこまでも無効である。たぶん、自前の思想を構築するための前提とは、柔らかさの概念を自己の既成の思想の中にいかに取り込むことが出来るか、にかかっていると言っても過言ではない。また、そのようにもがきつつも新たな価値と対峙する覚悟と勇気を持ち続けること。これが今日的な思想の課題ではないのだろうか。今日の観想とする。

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