ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

○頭をよぎる風景(3)

2012-08-31 12:37:45 | 観想
○頭をよぎる風景(3)

隠遁し、枯れた老人のような暮らしをしている現在だけど、幼い頃から結構腕力にも自信があったし、子どもっぽいレベルではあったにせよ、それなりの政治力?もあった。いまにして思い起こせば、自己評価としてはかなり嫌味なガキだった、と思う。人生の総括と称して、こうして書き続けているけれど、過去の自分は、どうにも好きになれない。もっとも、いまの自分もどうかと思う。まあ、そうであれば、やはり落伍者として生きていくしかないね、僕みたいな人間は。

目の前で弾け飛ぶ鮮血。鼻から吹き出す血液は、どちらかといえばサラリとした、同じ赤といっても、薄めの赤だ。早く決着をつけたくて、顔面を狙って繰り出したパンチで、喧嘩の相手の鼻から鮮血が飛び散った。やり過ぎたか?と云う想いと、これで決着がつくだろうという確信めいた気分で、片方の手で相手の首を締め上げていた。勿論、僕も息苦しくなるほどに締め付けられてはいたけれど。中学校の屋上。昼休みの終わりを告げるベルが鳴って、僕は焦っていた。中1。まだ小学生の頃の喧嘩で売った名前を落としたくなかった、とんでもなくアホウな時代。ウラベくん。忘れんよ、君の名前。在日二世の少々やさぐれた友人の一人だ。喧嘩の理由?よく思い出せない。たぶん、ゴーマンな僕の施し(そう、おためごかしの、あれは施しだったね)としての援助を彼はないがしろにしたからだった。こうして書くと、おどろおどろしき、捻くれた少年のように感じるかもしれないが、少なくとも更生不能な人間ではなかったとは思う。しかし、どうひかえめに見ても、僕はゴーマンではあった。認める。

ウラベくんは強かった。強靭な粘りだ。正直、あれには参った。致し方なく、この喧嘩は放課後に持ち越しだと宣言して(実際には逃げて)、教室にもどった。午後の授業はまさにうわの空。怖かったからだ。あの精神の強靭さはどこから来るのか?決して喧嘩が強かったわけではないのに。

在日の友人はたくさんいたにせよ、やはり僕は差別者の側の人間だった、と思う。いろんな建前を剥ぎ取ってしまえば、やはり僕は、当時のオトナたちの差別の論理の影響をモロに受けていた、と思う。放課後、屋上に行く前に親友だった別の在日の友人に、オレはやつがなぜつっかかるのかが分からぬと言い、やつの粘りが怖いとも告白したら、その友人は僕に言ったね。彼の、少年らしい拙い言葉を翻訳すると、ウラベは、おまえの差別者としての本質を見抜いたし、やつはお前と闘いながら、その後ろの差別そのものと闘っているんだ、と云うことになる。いくら弱くても、虐げられた人間が本気になると手ごわいぞ、ともその友人は言った。

屋上に行くと、やはりウラベくんはそこに待っていて、彼を殴ったその瞬間に、僕はもう喧嘩なんてやめようと決意した。腕力なんて、人間の底力の前ではモノの役には立たない。素直に負けを認めた。それ以来、タイマンを張った喧嘩はやっていない。自分の中の暴力性は、学生運動の挫折までうもれたままだったが、それ以降、かなり漂白されたと信じたい。もう、暴力性という馬鹿げたものに縛られるのはコリゴリだから。さらに云うなら、その当時から差別を嫌う人間だったけれど、さて、いまの自分の思想として、それが真正のものになり得ているのかどうか?自信はないが、自覚的ではある。これは間違いなくある。

目の前でぱっと広がる鮮血のイメージ。僕の人生観を変え得るものだった。ウラベくんは元気なのだろうか?心から元気でいてほしいと願う。彼は僕の恩人だから。

文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃