このブログでは2度目の登場です。
浦賀奉行所への旧道でした。昔「浦賀道」と呼ばれていた東京湾側のルートではなく内川新田から奉行所へ入るルートです。現在ではその400m近く南側に県道が作られたため単なる山道になってますが、往時は周辺が幕府の「御用林」だったこともあって、それなりの交通量があったようです。
現在の道はコンクリで舗装されているものの、それ以外は当時の雰囲気を少し残してます。西側からアプローチしました。
地図左中ほどにある「眞福寺」あたりから30度ほどの急勾配が続きます。
路面はコンクリ舗装ですが擁壁はむき出しのままなので、プチ旧道探索気分。
地図中御林の"御"の字辺りにある石碑。「青面金剛」と刻まれています。一番古いのは…
明和五年(1768年)です。340年以上昔!
この先延々と急坂を登ります。
紅葉、とはほど遠い里山の風景。椎の木が茂ってます。「ガードレール」が興醒め。
路肩の落ち葉を踏んで、パスハンティング気分を盛り上げます。
峠の頂上、ってほど感動的ではない場所ですが、歴史的な道ということもあって看板が立ってたりします。
きちんとしたログを取れば参考になるんでしょうが、近所なほど手を抜く傾向があります。CC-AT200が泣いてます。
内川新田から浦賀奉行所に抜ける旧道で、水田から登る西側は峠の頂上まで、峠を越えた東側50mくらいがそれぞれひたすら急な坂、そこを抜けた浦賀側は山腹をなだらかに降りていく道です。
明治時代になって久里浜と浦賀を直接結ぶ必要が発生し現在の県道が作られると、この道もすっかり寂れてしまいましたが、雰囲気が残っているのはありがたい限りです。
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