観音崎公園は、戦争中は一般人の立ち入りが厳しく制限されたところでした。東京湾の入り口ということで軍の施設が多数あり、今でも一部の立ち入りは制限されています。
ふと思いついて、ちょっと行ってきました。
「廃」の字が違っているけど、細かいことは気にするな。
図面のうち「27加砲」の(おそらく)弾薬庫から奥を見る。左手の壁が砲台跡。砲台跡と言っても円く塀が作ってあるだけ、砲座の痕跡みたいなのくらいしか残っていない。
こっちは砲台跡の下の、こっちこそ弾薬庫かしら。
ただ、昼過ぎに行っても蒸し暑く、薮蚊など(防諜上の理由から蝮も放し飼いされてた)が沸いていたことを考えると、『戦争ってヤーネ』という感想しかない。
観音崎公園の戦争遺跡を繋いでいる園路は、おそらく当時のままで、それを舗装しなおしていると思われます。
往時のものと思われる門柱。
園内しばらく歩くと
戦没船員の碑。心霊スポットらしいけど、ここで死んだわけじゃないからねぇ。
「戦争はね、良くないよ。俺たちみたいに平和に暮らすのが一番だよ」
と諭されて帰ってきた。
OLYMPUS E-3 / ZUIKO DIGITAL 14-54mm 1:2.8-3.5
…言われてみれば佐久の辺りは確かに盆地ですから、湖があったのは納得できますね。岩手県の遠野も、あの辺りはもともと湖で「とおの」の語源がアイヌ語の「湖」だった、というのに通じますね。
軽井沢の海戸平ですが、浦島伝説が上松(寝覚ノ床)にあることにも似ているみたいですね。
コメントが遅くなりまして、失礼しました。
m(_ _)m
長野県の南佐久に「小海」「海ノ口」「海尻」など海の名前が付く地名があるのは、昔この辺りに大きな湖があったからだそうです。