山とバイクと時々お遍路

近畿北部、北陸の山(特に白山が好き)歩き。バイクツーリング、自転車で遊んでいます。

伯耆大山 春の花

2018年05月14日 | 山歩き
2018年5月11日(金)晴れ

因幡三名城攻略後 大山下山キャンプ場にて前泊。大山は今年1月の雪山以来2度目の訪問です。
前夜は星が瞬きよい天気でした。いっそご来光にしようかと思いましたが、今回は花を目的に来たので夜明けを待ってスタートしました。

コースタイムはゆっくりですから参考にはならないと思いますが・・・
下山キャンプ場:6:16
6合目・・・・・7:25~38
大山頂上・・・・8:27~9:00
正面登山口・・・10:10
下山キャンプ場:10:55

大山橋からお日様をお見送りして


夏山登山口




ヤマブキ


マムシグサ




6合目避難小屋




フキ


ショウジョウバカマ


芽吹き




ようやく頂上台地に


木道


頂上碑


剣ヶ峰


烏ヶ山




気温は10度


この高度感がたまりません


アケボノスミレ


ダイセンキスミレ






タチツボスミレ


コイワカガミ






ユキザサ




チゴユリ




ヤマボウシ




ヤマツツジ


正面登山口


ニシキギ







クルマバソウ








因幡三名城攻略その3 鹿野城(標高152m)

2018年05月13日 | 城郭・城跡
2018年5月10日(木)晴れ

山陰にある戦国の城では珍しい内堀、外堀、石垣などが今でも当時の面影を留めています。春には、ソメイヨシノ約500本の桜の花が辺り一面を桜色に染め水面に映し出されます。鹿野城は現在、天守などの建物はなく石垣などの遺構が残されています。戦国時代の山城とは、まさにこの城のことです。天正九年(1544)出雲の尼子勢出身の亀井武蔵守茲矩が鹿野城主となり、父子二代でこの城を拠点に三七年間統治しました。元和三年(1617)二代目政矩は津和野へ移封、城は寛永五年(1628)焼失し、石垣は正保元年(1644)取り壊されました。天守跡からは日本海が眺望でき東西南北全方角を見通せます。
【ふるさと鹿野観光情報より】


名称・・・・鹿野城、王舎城、志加奴城、鹿奴城
所在・・・・鳥取県鳥取市鹿野町鹿野
形態・・・・平山城
築城年・・・不明
築城主・・・志加奴氏(鹿野氏)
主な城主・・志加奴氏、山名氏、亀井氏、池田氏
廃城年・・・1871年
遺構・・・・石垣、堀、曲輪、土塁
指定文化財・なし






























幸盛寺(山中鹿之助菩提寺)


山中鹿之助の墓



因幡三名城攻略その2 鳥取城(久松山城)標高263m

2018年05月13日 | 城郭・城跡
2018年5月10日(木)晴れ

名称・・・・鳥取城、久松城 久松山城
所在・・・・鳥取県鳥取市東町2丁目
形態・・・・梯郭式平山城および山城
築城年・・・天文年間(1532年~1555年)
築城主・・・但馬山名氏
主な城主・・山名氏、吉川氏、宮部氏、池田氏
廃城年・・・明治4年(1871年)
遺構・・・・石垣、堀、井戸
指定文化財・国の史跡

【鳥取市ホームページより】
鳥取城跡(久松山)。大地が育んだ急峻な地形を持つ山は、戦国時代の山城を起源にした城跡です。
防御性の高さや、山頂からの優れた眺めから、「日本(ひのもと)にかくれなき名山」と評され、織田信長は「名城」と評しました。
鳥取城は、歴史的に著名な羽柴(後の豊臣)秀吉の兵糧攻めの舞台になり、江戸時代には国内12番目の規模を誇った鳥取藩32万石の居城となりました。その歴史の長さから、中世から近世に至る多様な城の姿を残しています。それ故に、鳥取城跡とその周辺は、日本城郭の歴史を物語る「城郭の博物館」と呼ばれています。





































































鳥取砂丘












因幡三名城攻略その1 若桜鬼ヶ城(標高446m)

2018年05月12日 | 城郭・城跡

2018年5月10日(木)晴れ

名称・・・・鬼ヶ城、若桜城
所在・・・・鳥取県八頭郡若桜町若狭
形態・・・・連郭式山城
築城年・・・正治2年(1200年)以後
築城主・・・矢部暉種
主な城主・・矢部氏代々、山中鹿之助、八木豊信、木下重堅、山崎家盛、山崎家治
廃城年・・・元和3年(1617年)
遺構・・・・郭、石垣、虎口、竪堀、櫓台
指定文化財・国の史跡
駐車場・・・町体育館、八幡広場

【若狭観光協会HPより】
若桜宿の南東「鶴尾山(452m)」にある若桜鬼ヶ城は、正治2年(1200)に駿河国矢部十郎テル種によって開城されました。矢部氏16代の城主が続き、尼子、毛利、秀吉軍らの戦場となり、その後木下・山崎氏等の居城となりました。一国一城令により廃城となりましたが、現在も当時の石垣が残り、典型的な山城の形態をとどめており、平成20年3月に国史跡に指定されました。

詳細は
http://kanko.town.wakasa.tottori.jp/search/watch/culture/onigashiro/

注釈【一国一城令】
江戸幕府が出した大名統制の法令。徳川家康が慶長20年6月13日 (1615年) 諸大名に対し,居城以外のすべての城の破却を命じたもので,西国大名に対し,特に厳重に施行された。その趣旨は,直後に発布された『武家諸法度』のなかでも強調され,諸大名の軍事力の抑圧をおもな目的としていた。

鬼ヶ城 国道29号から


体育館裏からスタート


谷を登る


尾根道に合流


曲輪跡の削平地か


石垣が現れる


五合目


さらに急登が続き


三ノ丸に到着




展望が開ける






打ち壊しでくずれた石垣




二の丸






本丸跡を見上げる










本丸跡












天守跡










馬場へ向かう










馬場跡 ここまで車で来れる




六角石垣へ行くべく引き返す




天守跡を見上げる












六角石垣














八幡広場に下城


歩いて車に戻る


縄張り図









氷ノ山の花に会いに行く(後編)

2018年05月07日 | 山歩き
2018年5月5日(土)晴れ

頂上避難小屋で少し早い食事を済ませ東尾根から下山します。

鉢伏山 後ろに蘇武岳、妙見山


少し歩いて神大ヒュッテ ここにも多くの方が休んでおられました。


今日、最高に感動したサンインシロカネソウです








ミヤマカタバミ


次の谷にも








ドウダンツツジはまだ蕾でした


イワカガミ




グリーンシャワーを浴びながら


東尾根避難小屋に到着 最後の休憩をします


ハウチワカエデ




チゴユリ


イカリソウ


ヤマルリソウ


イチリン草


東尾根登山口に下りました ここからは車道を歩き車へ


セントラルロッジ


車道沿いの花を楽しみながら
カキドオシ


ガマズミ


タニウツギ


キケマン


ミツバツチグリ


ユキグニミツバツツジ


駐車場が見えました 車もだいぶ減っています



人の多い山は好みませんが花を見たさに来ました。この時期にしか会えない花にも会えて嬉しい一日になりました。

感謝合掌(^^♪