2022年2月26日(土)晴
場所:丹波市青垣町遠阪
2022年2月11日(金)晴
総時間・・・・2時間(休憩10分)
歩行距離・・・約 7㎞
神出神社
神社より南を望む
明石海峡大橋も見える
梅林でホトケノザ
菜の花
梅はこれから
これから行く雄岡山
雄岡山頂上
一等三角点
雌岡山へ戻る
参道入り口で終了
2022年2月9日(水)晴
総時間・・・2時間13分
休憩時間・・30分
歩行距離・・・約 4㎞
【金山城跡】
金山城は一度目の丹波攻めに黒井城(赤井直正)と八上城(波多野秀治)の連携により敗走した明智光秀が
黒井城と八上城の分断を計るため築いた城です。故にその場所からは両城が望めます。
丹波攻略のためだけに築かれた城で、攻略がなった以降に城主が置かれたことは無いようです。
ウキペディアより
城郭構造 | 山城 |
---|---|
築城年 | 天正6年(1578年)[1] |
主な城主 | 明智氏[1] |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 曲輪、土塁、竪堀、竪土塁、虎口、石垣[1] |
指定文化財 | 丹波篠山市指定史跡[2] |
標高:540m
鐘が坂公園からスタート 11:36
旧道を歩いて
昭和トンネル横から
ここで明治トンネル、鐘が坂峠、鬼の架け橋に分岐 右へ
要所に標識があり安心です
杉の植林帯
金山城へ
鬼の架橋
南方面
譲葉山
柏原町街
北
金山城本丸
八上城を望む(中央)
12:38~54分
黒井城(中央)
松尾山と白髪岳
西光寺山
三角点426mより金山城
鐘が坂峠
分岐に戻る 13:33
セツブンソウ(青垣町遠坂)
2022年2月5日(土)曇り時々雪舞う
岩尾城跡
現在の城址には戦国時代の山城と、佐野氏改修の近世的な城郭様式とが混在しているが、本丸跡には天守台とそれを取り囲む付櫓の礎石や、野面積みの石垣等がよく残っており、戦国時代末より近世に移行する両時代の様相をとどめた城郭址である。
標高:358m
城郭構造:連郭式山城
築城主:和田日向守斉頼
築城年:永正13年(1516)
改修者:木戸十乗坊(佐野下総守)
城主:和田氏、佐野氏
落城:天正7年(1579)に明智軍の丹波攻めにより落城
廃城:慶長元年(1596)
遺構:石垣、堀切、土塁、天守台、付櫓台の跡
指定文化財:県指定文化財(史跡)平成13年6月13日指定
総時間・・・2時間09分(休憩時間 31分)
登城・・・・42分
下城・・・・56分(西尾根経由)
観光客用の大きな駐車場(和田地域づくりセンター会館裏)
和田小学校の門を入り直進し突き当りを右折します(11:20)
今日は休校日なのでそのまま通りますが平日は学校に連絡してください
校舎裏の職員駐車場 正面建物を左の山へ
岩尾城へフェンスを開けて
天守まであります
南の尾根に合流(11:35)
新しく作られた展望所
からの展望
天守台が見えました
下知殿丸曲輪跡
石垣が出てきました
立派な石垣です
小野尻峠方向
天守台
(12:00~12:30)
加古川上流
寒い中、食事も済ませたので下城します
若林方向へ行ってみます
標識類は有りませんが踏み跡は明確
天守台を振り返り
羊歯が多い尾根
これは堀切
尾根を下り切りました(13:07)
牧山川に出て下流へ
岩尾城
下った尾根
和田小学校に戻りました(13:24)
2022年2月4日(金)晴
天気が良いのでランチはどこか景色の良い所でと黒井城跡に登りました。
黒井城概要・・ウキペディアより(黒井城 - Wikipedia)
別名 | 保月城、保築城 |
---|---|
城郭構造 | 連郭式山城 |
天守構造 | 不明(天守台の祖型が推定されている) |
築城主 | 赤松貞範 |
築城年 | 建武年間(1334年-1338年) |
主な改修者 | 赤井直正、斎藤利三、堀尾吉晴 |
主な城主 | 赤松氏、赤井氏、斎藤利三、堀尾吉晴 |
廃城年 | 天正12年(1584年) |
遺構 | 石垣、空堀、郭跡、堀切、土塁等 |
指定文化財 | 国の史跡 |
再建造物 | なし |
登山口
石踏の段の赤門
三嶽、西ヶ嶽
左から三尾山、夏栗山、黒頭峰
白く雪を冠るのは長老ヶ岳
眼下に氷上高校 遠くに篠ヶ峰、千ヶ峰
妙高山
五大山へと連なる山並み右に五台山
福知山線を上り列車が行く(中央)
ゆっくりと食事もできたので下ります
樹木が切り払われて見晴らしが良くなりました
興禅寺 黒井城の下館跡。
風もなく気持ちの良い天気でした。