発達障がい・こころのやまい

専門外ながら相談を受けることがあり、その際に読んだ本や集めた情報を書き留めました(本棚9)。

特別支援学級への壁

2025-01-21 15:33:07 | カウンセリング
発達障がい児(現在は“神経発達症“)は小学校入学前に、普通学級か支援学級か、選択を迫られます。

私もその就学前相談を担当していたことがありました。
保護者は「普通学級」を希望されることが圧倒的に多いです。
「支援学級」を提案すると・・・
「レッテルが貼られて本人がかわいそう」
「将来、姉(妹)の縁談に支障が出る」
など、様々な理由で反対されます。

しかし障がい児本人にとって、不適切な振り分けをすると、つらい日々が待っています。

例えば、IQ80のお子さんがいたとします。
IQ100のお子さんが平均とすれば、その8割程度の知能・理解力をイメージしてください。
小学1-2年生時は何とか授業について行けるかもしれません。
でも四年生になってクラスのみんなが10歳になったとき・・・彼には二年生(8歳)の知能・理解力しかないのです。
当然、授業にはついて行けず、
授業はじっと座って意味不明の話を聞き流す苦行と化します。
それが1日中、そして毎日続くのです。
これはもう、拷問ですね。


▢ 教科書破り、爪はがし…発達障がい児が「通常学級」で見せたSOSと「特別支援学級」への壁
2025/1/19:NBC長崎放送)より一部抜粋(下線は私が引きました);

 小さい頃から「手のかからない子」だったA君。4歳半で自閉スペクトラム症(ASD)と診断された。IQは120。知的障がいを伴っていないため、小学校は「通常学級」への入学を選択した。しかし1年半後、A君は不登校となった。A君が不登校になるまでの過程を追いながら、診断のタイミングや学校・学級選びにおける課題を考える。  

▶ 「静かすぎる子」の違和感 
 A君は幼い頃から「手がかからない子」だった。公共の場で騒ぐことはなく、おむつを替えている時には近くにあるベビーベッドの「使用法・注意事項」をじーっと見ているような子だった。 ただ、母親の心には小さな違和感があった。公園で他の子の輪の中に入らない。他の子が遊ぶ声を「うるさい」と言う。「…少し変わっているのかな?」―そう感じていた。 
 転機は3歳の時に訪れた。幼稚園の集団健康診断で、医師から「指示が通らないことがある」「足を引きずるような独特の動きをしている」との指摘を受け、障害福祉センターの受診を勧められた。 センターの予約を取り半年間の待機期間を経て受診。その結果、4歳半の時に自閉スペクトラム症との診断を受けた。 
 発達段階の確認(評価)をする長崎市障害福祉センター(もりまちハートセンター)。相談は完全予約制で、センターによると小児科の予約件数はここ数年右肩上がり。予約しても「半年待ち」の状態が続いているという。 

▶ 「通常学級で大丈夫」 
 小学校入学を前にした発達障がいの診断。学校の選択はどうすべきなのか?両親は入学を前に、通学区域の小学校の教頭と面談した。A君は面談時とても落ち着いていて、教頭からは「通常学級で大丈夫だと思います。もし通常学級が難しいとなっても、通級指導教室には年度途中でも入れますから」との言葉をもらった。 通級指導教室とは、通常学級に在籍しながら週1〜2回、個別・小集団で自立活動を行う教室だ。 「先生が言うなら、きっと大丈夫」。教頭の言葉に安心し、さらに後押しされて、両親は通常学級での入学を決断した。

▶ 入学から5か月―担任の提案 
 しかし入学から5か月後の面談で、A君は担任から通級指導教室の利用をすすめられた。 担任: 「クラス全体に出した指示がA君に伝わらず、個別に指示を出す必要があります。夏休み後から週1回ペースで通級指導教室に通ってはどうでしょうか?」 担任の提案を受け、両親は「特別支援学級」への転籍を検討した。しかし壁にぶつかる。年度途中で「通常学級」から「特別支援学級」に変更することは原則できない、という制度的な制約だった。 

▶ なぜ年度途中の転籍はできないのか 
 長崎市教育委員会によると、小学校の学級形態には以下のような選択肢がある。 
(1)通常の学級 
(2)通常の学級+通級指導教室 
(3)特別支援学級 
 特別支援学級や特別支援学校を希望する場合、前年度の9〜10月頃までに申請書類を提出しなければならない。申請を受け、市は医師や臨床心理士らで構成する「教育支援委員会」で適切かどうか審議する。年度途中での変更は原則できない。 理由は、「文部科学省が定めたカリキュラムが異なるため、年度途中での変更は子どもの負担になる」。 

【長崎市教育支援委員会】―長崎市教育委員会の審議機関。学識経験者、医師、公認心理士、臨床心理士、保育・福祉関係者、教員等で構成され、就学先などについて判断するが、あくまで参考意見。最終的には保護者と就学相談担当者で合意形成を図りながら決定する。 

▶ 始まった自傷行為 
 夏休み明け、A君は通常学級に在籍したまま、週1回ペースで通級指導教室に通うようになった。しかしA君は次第に心身のバランスを崩していく。 ペースを乱されるのが苦手なA君は、片付けの時間に女子児童から世話を焼かれるたび、パニックを起こすようになった。 授業中には「ワーッ!」と大声で1時間ほど叫び続ける。ストレスで、左手の人差し指・中指・薬指の爪を剥がすようになる。 毎夜うなされ、歯ぎしりを繰り返し、犬歯はまっ平に。歯茎には白い水泡のようなものができ、前歯の神経を抜いた。

▶ 崩れていく心身のバランス 
 学年が変わると状況はさらに深刻化していった。 他の子どもたちの騒ぎ声に耐えられずパニックになると、教科書を床に投げたり、机をひっくり返したり、叫び続けたりする状態が続くようになった。静かな場所を求めて、廊下で本を読んだり、教師が使用する教卓の中に隠れて過ごすようになった。 ランドセルの中からは、ビリビリにページを破った音楽の教科書やマジックで塗りつぶされた漢字ドリルが見つかった。 そしてA君は母親に告げた。「もう無理です。教室が怖い。1年頑張ったから、もういいよね?」教室に入ることができなくなり不登校になった。 

▶ 不登校、そして新しい一歩へ 
 不登校になったA君。自宅で過ごす中で、減っていた体重も5キロ戻り、笑顔をみせることも増えてきたという。今は、自宅や屋外施設でクロムブックなどを使って母親と勉強をしたり、ポケモンのゲームをしたりして過ごしている。 A君と両親は「特別支援学級」への転籍を市に申請、「教育支援委員会」での審議をへて、来年度から特別支援学級への転籍が決まった。 
 多くの同級生と同じように、できるなら「通常学級」に通ってほしい―、親としては誰しもそう願うと思う。でも今A君の両親は入学前の選択を後悔しているという。 
A君の母親: 「年度途中であっても、通常学級から特別支援学級への変更に対し、柔軟に応じてもらえたら、もしかしたら二次・三次障害を防げたかもしれない…」
 ※二次障がい(自信低下・反抗)、三次障がい(不登校・引きこもり・反社会的な考えや行動) 
A君の母親: 「入学前に子どもの話をたくさん聞いて欲しい。発達障がいの特性や状態を一番理解しているのは親です。その子にとっての‟普通”を先生に伝え、親が子の気持ちを代弁してあげてほしいのです。入学後も、子どもが発するSOSのサインを見逃さないよう、学校での様子を親子で話す時間を作ってください」 
 特別支援学級では、少人数での授業や個別の支援計画を通じて、A君が自分のペースで学ぶ環境が整えられる。音への敏感さを軽減するためのヘッドホンの活用や、対人関係の築き方やコミュニケーション取り方などを学ぶ機会も設けられる予定だ。
 A君の両親は、彼が「できた!」という喜びを積み重ねていく姿を見るのを心から楽しみにしている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自閉症スペクトラムが世界中で増えている

2025-01-17 06:12:46 | カウンセリング
昨年、自治体の乳幼児健診(3歳児健診)に参加したときのことです。
カルテに「発達障害」あるいは「発達障害の相談中」の文字が目立ちました。
保健師さんに確認すると、なんと受診者の1/3が発達障害(あるいは相談中)とのこと。
その数字に愕然としました。

発症率が増えたのは、診断基準が変わったからだとか、社会の受け入れ体制が変わったからだ、と言う意見もありますが、やはり実際に増えているのでしょう。

この世代が社会を支える時代になったら、日本はどうなるのでしょう。
3人に1人はサポートが必要・・・その負荷に社会は耐えられるのでしょうか。

以下の記事を読むと発達障害の増加は日本だけではなく、世界規模であることがわかります。


▢ 若年者の健康問題、自閉症がトップ10にランクイン
HealthDay News:2025/01/17:Care Net)より一部抜粋(下線は私が引きました);

 2021年の世界での自閉スペクトラム症(以下、自閉症)の患者数は約6200万人に上ったことが、新たな研究で明らかにされた。米ワシントン大学健康指標評価研究所のDamian Santomauro氏らによるこの研究結果は、「The Lancet Psychiatry」に12月19日掲載された。
 この研究は、世界疾病負担研究(Global Burden of Diseases, Injuries, and Risk Factors Study;GBD)2021に基づき、自閉症の有病率と健康負担(障害調整生存年〔DALY〕)の最新の世界的な推定値を提示したもの。有病率の推定では、受動的な患者の発見に依存した研究を除外し、新たなシステマティックレビューに基づきデータを更新した。また、障害による重み付けの推定方法も修正された。最終的に、33カ国における自閉症の有病率に関する105件の研究データが統合された。
 解析の結果、2021年には世界で約6180万人の人が自閉症であると推定された。これは、127人に1人が自閉症であることを意味するという。世界の年齢調整有病率(10万人当たり)は788.3人で、男性では1,064.7人、女性では508.1人と推定された。自閉症による健康負担は1150万DALYsと推定された。これは、10万人当たり147.6DALYs(年齢調整済)に相当する。地理的枠組み別に見ると、年齢調整済DALY率は、東南アジア・東アジア・オセアニアで10万人当たり126.5DALYsと最も低く、高所得地域で204.1DALYsと最も高かった。またDALY率は年齢とともに減少する傾向が見られ、5歳未満の子どもでは10万人当たり169.2DALYs、20歳未満では163.4DALYs、20歳以上では137.7DALYsと推定された。ただし、こうした健康負担は生涯を通じて認められた。さらに、20歳未満の若年者では、自閉症が非致死的な健康負担のトップ10にランクインすることも確認された。
 研究グループは、「これらの数字は、人生の早い段階で自閉症を診断し、生涯を通じて役立つ治療を受けられるようにすることがいかに重要であるかを示している」と述べている。また、「自閉症の子どもや若者のニーズだけでなく、研究やサービス提供の対象として考慮されないことが多い成人のニーズにも対処することが不可欠だ」としている。
 ただし、本研究で推定された自閉症の有病率は、米疾病対策センター(CDC)の推定(36人に1人)よりはるかに高い。この点について研究グループは、「この高い有病率は、臨床および教育記録の症例ノートのレビューにより個人が自閉症の診断基準を満たしている可能性が高いかどうかを判断したものであり、集団診断調査で行われるような自閉症の臨床的評価により判断されたものではない。そのため、自閉症の有病率は過大評価されている可能性がある」と述べている。
 研究グループは、「世界的な自閉症の健康負担に対処するには、早期発見プログラムへのリソースを優先させる必要がある。特に、ケア、介護者のサポート、および自閉症者の生涯にわたり変化するニーズに合わせたサービスへのアクセスが限られている成人や低・中所得国の人を対象に、診断ツールを改善することが重要だ」とワシントン大学のニュースリリースで結論付けている。

<原著論文>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たくさん愛情を注いだはず・・・なのに。

2025-01-01 12:30:01 | カウンセリング
「あなたのためを思って」
「お前の将来を思って」
親は自分の行動に講理由をつけがちです。

しかし子どもにとっては「ありがた迷惑」のことが多いのが現実。

事実、私も、
「勉強を頑張れ、もっと頑張れ」
「いい大学へいけばいい生活が待っている」
と常に圧力を感じた中学高校時代でした。
現状に満足せずもっと上を目指すことを指示され、
期待した成績より悪ければガッカリした表情になり、
“そのままの自分“を認めて愛してもらった感情は希薄でした。

私の両親は戦争で青春も将来の夢も奪われた世代、
なので子どもに期待するのはある程度仕方が無い、
と割り切ったつもりでも、
窮屈な日々であり、そのために人生を曲げられた感覚が今でも残っています。

この記事は本の内容の紹介ですが・・・ウ〜ン、すべて想定内なので、
購入して読む気が起きません。

▢ こうして親子の間にどんどん溝ができていく…いたって普通の家庭で愛着の問題を抱える子が育つ深刻な理由ほめられても、無条件の愛情は感じられなかった…
村上 伸治:精神科医
2024.12.27:PRESIDENT Online)より一部抜粋(下線は私が引きました);

普通の家庭で育った子どもも愛着の問題を抱えるのはなぜなのか。精神科医の村上伸治さんは「親の側は一生懸命愛情を注いだつもりでも、子の側は『素の自分を愛してはもらえなかった』という思いを抱き続け、親子間に溝ができてしまうことがある」という――。

▶ 普通の家庭でも愛着の問題が生じる
虐待などの不適切な養育環境ではなく、まったく普通の家庭で育てられたにもかかわらず、愛着に問題を抱えている人が実は少なくないのです。
もっとも典型的なのは、神経発達症(発達障害)がみられる子どもの場合です。
愛着関係は相互のやりとりで形成されます。愛着形成がもっとも活発に行われるのは、0歳から3歳ころまでの時期です。ASD(自閉スペクトラム症)がある場合、他者との情緒・相互的交流が育ちにくかったり、かなり遅れたりするため、親との愛着形成が乳幼児期にはなかなか進まず、発達障害に加えて愛着の問題を抱えやすくなります。
また、発達の問題がなくても、些細な誤解がきっかけとなり親子関係にボタンのかけ違いが生じ、それが長期化し、親子の距離が広がってしまった可能性も考えられます。
目立った衝突や葛藤がないため、親も子も自分たちのあいだにある溝を、なかなか自覚できません。
基本的安心感や自己肯定感が乏しく、それが子どもの頃からあったのであれば、どこかに愛着の問題(広義の愛着障害)が隠れていると考えるべきでしょう。

▶ くり返す精神疾患の背景
うつや不安症などの精神疾患がくり返されるケースでは、表面化している症状だけを見るのではなく、根底にある身体の機能的な問題(発達の問題)と養育の問題(愛着の問題)にまで目を向ける必要があります。
・・・精神疾患の根底には発達と愛着の問題が存在すると考えると理解しやすいでしょう。
とくに愛着は、物心のつかない、自我ができあがっていない時期に生じ、精神という建物の土台をつくります。ここに問題があると、土台の歪みが、やがて別の精神疾患などを引き起こします。
上層階や屋根が立派でも土台が弱ければ、その建物は傾いてしまいます。外にあらわれた疾患の背景にある愛着の問題に目を向け、自己理解を深めていくことは、精神疾患の根本的な治療にもつながるのです。

▶ 素の自分を見てもらえなかった
成績や試合の結果について親が子どもをほめるとき、成果に注目してほめる場合とがんばりに注目してほめる場合とでは、子どもに与える影響は異なります。成果ばかりに注目してほめると、本人は「素の自分」ではなく「出した結果」だけがほめられたように感じてしまいます。
本人にとって、成果はあくまで自分の外側。成果が出たことだけをほめられると、まるで「きれいなコスメだね」と言われているように感じ、素の自分がほめられているとは感じられません。
親の側は一生懸命愛情を注いだつもりでも、子の側は「愛情をかけてもらってはいたが、親が求める条件を満たさなくなったら、愛してもらえなくなると感じていた」「素の自分を愛してはもらえなかった」という思いを抱き続けることになるのです。
成績がよくてもわるくても、試合で勝っても負けても、親がつねに「がんばったね」とプロセスを見てくれていたら、無条件の愛情を感じられ、素のままの自分に生きる価値があると思えたのかもしれません
「がんばらなくてもほめてあげてください」と伝えたら「がんばらなくてもほめるんですか」と聞き返したお母さんがいました。人にはがんばれないときもあります。そんなときは「生きているだけでじゅうぶん」と、ほめてあげてください。がんばれないときも「それでいいのよ」とハグすることで、子どもは親との絆を深めて安心できるのです。

▶ 親が忙しそう、しんどそう……
子どものほうから愛着形成のサイクルを止めてしまう場合があります。親が忙しかったり大変そうだったりすると、子どもがそれを察して、自分から愛情要求を止めてしまうのです。
こうした傾向は、生まれつきの性質も関係します。幼くても周囲の状況や他人の表情を敏感に感じとれる子や、その場の状況に対して、適切なふるまいができる子がいます。親が忙しそう、つらそうだとわかると、自分の要求を控え、親が望むように行動してしまいます。
子どもをかまえないほど忙しい親と、このタイプの子のくみ合わせになると、愛着形成は双方からストップしてしまいます。親からすると、子どもが早熟で自立したように見えるため、「もうあなたは大丈夫ね」と安心して子どもから離れてしまいます。
手がかからないしっかりした子ども時代を過ごしたように見えますが、本当はもっと甘えたかったという思いを抱えている人が多いのです。

▶ 甘えることができなくなった
親や周囲の大人からほめられたことがきっかけで愛着サイクルを止めてしまう子もいます。
たとえば下の子が生まれて忙しいとき、上の子が世話をしてくれると親は「さすがお姉ちゃんね」などと、ほめることがあります。上の子はまだ幼く、本当は弟や妹のように親に甘えたいのに「お兄ちゃんだから」「お姉ちゃんだから」と言われると、甘えられなくなってしまいます。
また、家族に病人がいて、小さいときから家事やケアを担っている子もこのタイプで、現在はヤングケアラーとして問題化しています。
「しっかりしてるね」「強いね」という親のほめ言葉は、「あなたはもう甘えなくていいわね」というサインにもなります。サインを受けとった子どもは自ら「甘えたい」という本音に蓋をしてしまいます。
ほめられることで自立を意識するようになった子は、じゅうぶんな安定感や安全基地がつくられる前に愛着サイクルを止めてしまいます

▶ 発見が遅れるヤングケアラー
病気の家族の介護や家事を過度にまかされている子をヤングケアラーと呼びます。子どもらしい遊びや学習時間、睡眠や将来の夢など自分の人生を犠牲にしているのに、家族には「よくお手伝いする良い子」とほめられ、本人も「自分がやらないと」と思い込んでいるので、学校の先生も周囲の大人も気づかず発見が遅れてしまいます。

▶ 「タイパ」が子どもの成長を急かす
現代はスピードが重視される時代です。「タイパ」という言葉が流行るように、誰もが時間をかけず効率よくものごとを片づけようとしています。子どもの心の成長にもその影響が出ているように思えます。
共働きの両親と核家族が増えたせいなのでしょうか、家事や育児にも時間や気持ちの余裕がなくなってきています。ますます子どもも「早く大人になってほしい」と成長を急かす親御さんが増えた印象です。仕事や家事を効率化するのは合理的かもしれませんが、子どもの成長は違います。数十年やそこらで人間の成長スピードが変わるはずもなく、子どもの心も体も一人前に成長するには、急かされない環境で、ゆったりとした時間が必要です。

▶ 個人の努力だけではどうしようもない
お話ししてきたように、人の精神構造は建築のようなもので、突貫工事でつくればいろいろな問題が生じます。後から補強もできますが、それにはとても大変な労力と時間がかかってしまいます。
だから、時間をかけて基礎工事をすることが大切なのです。「まだやってるの」と言われるぐらい時間をかけたほうが建物は安定します。
誰もが愛着の問題を抱えやすい世のなかになったのが現代です。本書を手にとったみなさんも、過去のできごとを思い出すにつれ、いろいろと思い当たることがあったのではないでしょうか。いつの時代も、親と子がじっくり向き合う時間がとれれば理想的なのです。
しかし、家族関係、人間関係は社会の影響を大きく受けます。個人の努力だけではどうしようもない部分もあるのです。
さまざまな精神疾患で受診する患者さんと話をしていると、最初は気づかなかった生育の問題に気づくことがよくあります。本人も意識してこなかった自己肯定の問題が浮かび上がり、それが主題になって診察が進むこともあります。毎回ほんの10分程の診察でも愛着の問題に目をやり、改善していくこともできると感じています。
自分の愛着の問題に気づいた人は、親との関係の再構築が困難であっても、周囲の人との間で愛着形成を補うことで心の補強工事をしていくことは可能です。

▶ 愛着形成を社会全体で支える
かつて日本社会は地縁が深く、近所のおじさんおばさんと家族ぐるみのつき合いがありました。子どもたちは親や家族と愛着を形成した後、愛着を身近な大人に広げることで、親との愛着に不備があっても、身近な大人との関係でそれを補うことができました。
ところがいま、地縁社会は失われ、子どもは親や先生以外の大人と交流する機会はとても少なくなっています。愛着を親子関係だけのことにせず、身近な大人との関係を豊かにすることで、愛着形成を社会全体で支えるようになることが望まれます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ススキノの首刈り事件〜北海道発、猟奇的殺人事件2024

2024-10-04 19:27:23 | カウンセリング
娘が男性の頭部を持って帰ってきた。
父親は精神科医。

映画やテレビドラマのストーリーではなく、
現実に起きた事件です。

我々はどう理解すればいいのでしょう?

取材記事が目に留まりましたので、紹介します。
1997年にやはり猟奇的殺人事件を起こした「酒鬼薔薇聖斗」との共通点に言及しています。

今回の事件の父親は精神科医です。
このような患者を診療するプロです。
どうしようもなかったのでしょうか?


▢ 「ススキノ首狩り娘」はいかにして誕生したのか
…精神科医の父が娘の凶行を止められなかった哀しい理由「異常な人間の特殊な犯罪」では片付けられない
2024/06/23:PRESIDENT Online)より一部抜粋(下線は私が引きました);

▶ 失敗しない子育てなんてあるのだろうか
・・・自分の娘が小学校低学年の時、同級生のひと言に激怒し、彼の首にカッターナイフを突きつけたとしたらどうであろう。
 親を奴隷のように扱ったり、架空の恋人と虚空を見つめながら愛を語ったりするようになったら、私だったらどう対処できたのだろう。

▶ 頭部のない全裸男性の遺体が発見される
 精神に異常をきたしたのだから精神病院にでも入れろと、多くの親たちはしたり顔でいうのだろうが、娘の父親は精神科医、しかも名医だったというのである。
 週刊文春(6月20日号)の「ススキノ首狩り娘(田村瑠奈・30)と精神科医父(60)のSMプレイ」は、娘の母親・浩子(61)の冒頭陳述や綿密な周辺取材で、この事件の“深層”に迫ったすぐれたルポルタージュである。文春を見ていこう。
 昨年7月2日、札幌市内のラブホテルの一室で、頭部のない全裸男性の遺体が発見された。被害者は、恵庭市に住む会社員のA(当時62)だったが、ホテル内や周辺の防犯カメラは、大型のスーツケースを引き、現場を1人で立ち去る小柄な同行者の姿を捉えていた。
 捜査当局は被害者と接点のある女に絞り込んで捜査を進めたが、この世にも稀まれな猟奇事件は単独犯ではなかった。娘とその両親による犯行だったのである。
 7月24日、北海道警は、職業不詳の田村瑠奈を殺人、死体損壊、死体領得、死体遺棄容疑で、その父親で精神科医の修はほう助容疑で逮捕した。翌25日、母親の浩子もほぼ同じ容疑で逮捕された。

▶ 「おじさんの頭を持って帰って来た」
 文春は、1年後の今年6月4日に札幌地裁で開かれた浩子の初公判での冒頭陳述をもとに、こう書いている。
 娘と夫がAを殺して首を家に持って帰ってきたことを知らなかった浩子は、二階のリビングで起床して、同じ階にある洗面所に向かった。
 「浴室に見慣れないプラスチックのケースが置かれていた。中には、黒いゴミ袋のようなものが入っているのも見える。勝手に触れば、瑠奈の機嫌を損ねてしまうだろう。浩子は容器の中身を確認しなかった。
 数時間後、三階の部屋から起きてきた瑠奈が、さらりとこう口にする。

▶ 『おじさんの頭を持って帰って来た』」(文春)
 にわかに信じられるものではなかった。その場を取り繕った浩子は、翌日、ススキノで頭部のない遺体が見つかったというニュースを目にする。娘のいったことは本当だったのだろうか?
 「その数日後のこと。浩子は瑠奈に呼び出された。
 『見て』
 普段と変わらない自然な口調だったため、浩子は警戒心を解き、促されるまま浴室に足を踏み入れる。目に飛び込んできたのは、洗い場に置かれている、皮膚を剥がされて全体が赤くなった人間の頭部だった――」
 この時の心境を浩子は、弁護士にこう語ったという。
 「この世の地獄がここにあると思い、深い絶望感に襲われました」
 なぜこのような娘が育ったのだろうか?

▶ 同級生の喉元にカッターナイフを突きつけ…
 北海道で生まれ、北海道教育大学旭川校を卒業した浩子は、1993年3月、旭川医大卒で精神科医の修と結婚した。翌年2月、生まれたのが瑠奈であった。
 一人娘だった瑠奈は、両親の愛情をたっぷり受けて育った。小さな頃の瑠奈は、友達を自宅に招いて遊ぶ普通の子どもだった。
 だが、小学校2年生の頃から次第に不登校気味になっていったという。
 両親はそれでも瑠奈の個性を尊重し、家庭教師をつけながら娘を見守ろうとしたそうだ。
 この頃から、何事においても「瑠奈ファースト」という親子関係が形成されていったと、検察側は冒頭陳述で指摘したそうである。
 だが、小学2年生の幼いわが子が不登校気味になっていれば、修のように精神科医でなくても、しばらく見守ってやろうと思うのではないだろうか。
 だが、小学5年生の時、瑠奈が同級生の喉元に刃物を突きつける“事件”が起きた。
 その当事者は、瑠奈の服装を「アニメのキャラみたいだな」といっただけなのに、急に筆箱からカッターナイフを持ち出してきて、馬乗りになられ、「次いったら刺すからな」といわれたという。

▶ 「田村瑠奈は死んだ」と宣言
 瑠奈の父方の祖父がこう話している。
 「瑠奈は小さい時から“病気”があったんです。息子の修が言うには、癇癪の一種だと。何かあったら脳の中に蜘蛛が出てきて、悪さをして、その瞬間は、瑠奈も自分で何をやっているか分からないんだって」
 事件から間もなく、修が札幌市厚別区に三階建ての自宅を購入。瑠奈には三階が与えられた。
 だが、状況は好転せず、中学に入学してからは一切登校できなくなっていった。その頃から瑠奈は、人体の構造に興味を持ち始め、頭蓋骨の模型などを部屋に展示するようになったという。
 修は精神科医だったが、自分の子どもを診るというのは客観的な判断ができなくなると考えたのだろうか、瑠奈が中2の頃に別の精神科医を受診させたそうだ。主治医の意見も聞きながらフリースクールに通わせていたが、そこにも通えなくなり18歳の頃には完全な引きこもり状態になってしまった。
 そして自殺未遂を繰り返し、「田村瑠奈は死んだ」と宣言したという。これを弁護側は、「瑠奈の死体に五~六人の人格、魂が入り込んでいると思い込む『ゾンビ妄想』が出始めた」といっているという。
 両親が瑠奈と呼ぶことを許さず、「お嬢さん」と敬語を使わせ、修を「ドライバーさん」、浩子を「彼女」と呼ぶようになった。

▶ 父親と娘で「SMプレイ」の練習を…
 やがて瑠奈には「ジェフ・ザ・キラー」なる妄想上の恋人もでき、時折虚空を眺めて「彼との会話を楽しんだ」という。
 ホラー映画やSMに興味を持ち始め、ススキノの「怪談バー」へ行きたいというようになった。昨年5月28日、修の運転でススキノに足を運び、クラブ「キングムー」の閉店イベントにも出かけ、そこで女装したAと出会ったのだ。
 だがAは、「女装はするけど、好きなのは女の子」だった。知り合ってすぐにAと瑠奈はラブホへと向かったという。
 そこでトラブルが起きた。Aは短時間に何回も性行為に及んだが、最後は、避妊具をつけるという瑠奈との約束を破ってしまったのだという。
 別れた後Aの仕打ちに怒り狂っていたそうだが、瑠奈は、Aが謝ったら許してあげる、次にはSMプレイをしたいと両親には話していたようだ。
 だが検察側は、人体に関心があった瑠奈は遺体を解体して弄ぶことを計画し、両親もそれを容認し、協力したとみているという。
 「SMの女王」になりたいという瑠奈のSMプレイの練習のため、家で修と2人で練習をしていたそうだから、異様というしかない。
 娘と父親はAを探し当て、7月2日、ラブホへAと瑠奈が入って行った。

▶ 「娘と地獄まで付き合う」という覚悟があったのか
 「入室早々、全裸になったAさんを浴室に誘導した瑠奈は、SMプレイを装ってアイマスクで彼の視界を塞ぎ、両手を後ろ手にして手錠をかけた。そしてハンディカメラを用意する。
 『お姉さん(Aさん)が一番、反省しなきゃいけないのは、私との約束を破ったことでしょ』
言葉と同時に、瑠奈の殺意が爆ぜる。刃渡り約八・二センチの折り畳みナイフを、Aさんの背後から右頸部に何度も突き立てた。(中略)その後、瑠奈は用意していたノコギリを使い、約十分でAさんの頭部を切断した」(文春)
 先の祖父がこうもいっている。
 「病気のある瑠奈を大切にしていたのは分かる。『修さ、抱え込んだってダメなんだよ』って言ってきたけど、うちの子はこういう症状が出るから、これでいいんだと。ドライバーさんとか呼ばれていたっていうのも、従属してるんじゃなくて、そうやって瑠奈に付き合ってあげていたんだろう。殺人まで起こすなんて、二人とも分かってなかったと思う」
 だが、精神科医の父親と、やはり学歴のある母親が、なぜ、娘の鬼畜のような行動を止められなかったのか。娘と地獄まで付き合う。そういう覚悟があったのだろうか。
 これを読みながら、私が週刊現代の編集長だった1997年5月に起きた「少年Aの事件」を思い出していた。

▶ 小学6年生の時にAが作った異様な作品
 中学校の正門の上に小学4年生の男の子の頭部を置くという残忍な犯行は、世の中に大きな衝撃を与えた。その前には小学生の女の子をハンマーで殴り殺している。
さらに不敵にも「酒鬼薔薇聖斗」と名乗り、新聞社に犯行声明を送りつけたのである。メディアも総力を挙げ て取材合戦を繰り広げた。だが杳ようとして犯人像を絞り込めなかった。
 それから約1カ月後、私はタクシーの中で逮捕の一報を聞いてのけ反った。14歳の少年だったのである。
 事件の詳細は省くが、事件から2年後に少年Aの母親(父親も書いてはいる)が手記『「少年A」この子を生んで……』(文藝春秋)を出版した。
 その中にこのような記述がある。
 「学校の図工の時間に、Aが赤色を塗った粘土の固まりに、剃刀の刃をいくつも刺した不気味な作品を作ったのは、小学六年生のときでした。『粘土の固まりは人間の脳です』と説明し、聞いた担任の先生がびっくりして、夜七時頃に家を訪ねてこられたのです」
 「当時は(温度計を万引きした=筆者注)その理由が分からず、ただただ不思議でした。でも、その頃Aが、猫を解剖したり、温度計の水銀を集めて猫に飲ませたりしていた、と逮捕後の報道で知り、頭を何かで殴られたような気分になりました」

▶ 田村容疑者とAの共通点は多く見つかる
 「Aの中一か中二か、どちらか忘れてしまいましたが、春休みのときに、家の軒下の空気孔から、家では誰も使っていないはずの家庭用の斧が出てきました」
 「中学二年の十一月には、レンタルビデオ店でホラービデオを万引きし、警察に補導されたことがありました」
 「鑑定書の中で、あの子は自分の空想で作りあげた友達を語り、その姿を描いていました。
 『エグリちゃん』と名付けた身長四十五センチぐらいの女の子。
 その絵は気持ち悪くなるようなグロテスクなものでした。
 頭から脳がはみ出て、目玉も飛び出している醜い顔で、エグリちゃんはお腹が空くと自分の腕を食べてしまうそうです。
 『ガルボス』という空想上の犬(絵はない)も友達で、『僕が暴力をふるうのは「ガルボス」の凶暴さのせい』と、話していました」
 「精神鑑定の結果、精神や脳には異常はない。あの子は一体、何者なんでしょうか?」
 同級生の喉元に刃物を突きつける。人間の脳に見立てた粘土に剃刀を突き立てる。ホラー好き。空想の人間と対話する。田村瑠奈容疑者と少年Aの共通点は多く見つかる
 ましてや瑠奈の父親は精神科医である。このままでは娘は大変なことをしでかすと見通していたのではないか。

▶ 狂気に気づいた時点で手が打てるとは限らない
 しかし、娘の暴走を止めるどころか、犯行に加担してしまったのだ。母親は、自分は傍観者のように証言しているようだが、そうではあるまい。
 3人だけの異常だが親密な世界をつくり、その中だけで生きていけるのなら、それでいいではないか。他人に迷惑はかけていないのだから。そう考えたのだろうか。
 しかし、娘はその世界からハミ出し、自分の欲望のハケ口を外に求め始めた。その先に何があるのかをわかっていたはずだろうが、両親はその現実を直視することが怖かったのではないか。
 そして娘の狂気が暴走してしまった。もはや両親にはそれを止める体力も気力も残っていなかったのだろう。
 だからといって、両親の罪が軽いというわけではない。少年Aの母親も、子どもの狂気に気付いた時、何らかの手を打てたのではなかったのか。世の多くの親はそう考えるに違いない。だが、果たしてそうだろうか。
 少年Aの母親は事件が起きた後もこう綴つづっている。
 「私の知っていたAは、親バカかもしれませんが、人に必要以上に気を遣うなど、繊細でやさしいところのある子でした。すぐ人を信じて傷つきやすく、臆病で純粋すぎる。根がバカ正直なので、学校でも先生に思ったことをそのまま言うなど、不器用で心配になる部分があるほどでした

▶ 「異常な人間の特殊な犯罪」で片付けていいのか
 この母親は子どもの躾けに厳しく、自分の母親から「あんたは叱りすぎる」と窘たしなめられていたというから、溺愛しすぎて盲目になっていたのではないようだ。だが、親が見ているのは子どものごく一部分でしかない。
 どうしたら自分の娘や息子の本当の姿や本音を知ることができるのだろう。そう悩んでいる親たちは多いのではないだろうか。専門家と称する人たちのトリセツ的な子育て論が役に立つとは到底思えない。
 この2つの事件を、異常な人間が犯した特殊な犯罪と片付けてしまっていいのだろうか。
 誰もが失敗する子育てだからこそ、失敗から学ぶことは多いし役に立つことも多いはずである。
 早くも少年Aの事件は世間の関心が薄れ、忘れ去られようとしている。だが、この2つの猟奇殺人事件は、「子育て」という観点から今一度、徹底的に研究、分析される必要があると、私は考える。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「魂をゆさぶる歌に出会う」(ウェルズ恵子)

2018-06-14 07:06:55 | カウンセリング
 アメリカ黒人文化のルーツを黒人音楽を介して解説した内容の本です。
 その中で、ブルーズの説明を読んでいて驚きました。

 アメリカの黒人達は、200年以上にわたって奴隷として搾取され、むごい扱いを受け、一瞬一瞬を上と暴力におびえながら暮らしてきた。彼らの中に植え付けられた人間に対する不信感や恐怖は、生きていく希望を根こそぎ借りたってしまった。
 ぬぐいきれない不安や、ほんとうに自分を押しつぶしてしまう「いや〜な気持ち」を、彼らをとても苦しめた。頑張って何かをしようという気になれないのである。だいたい、朝、憂鬱すぎて起きることができない。他党としても、足の下に悪魔がいるような気がする、そんながんじがらめの気分。
 ブルーズが生まれた頃の南部の黒人の多くは、今の私たちから見ると「どうやって生き続けていたんだろう」と思うほどの苦難を生きていた。
 でもすごいのは、その苦難を「トラブル君」と呼び、自分の鬱状態を「ブルーズ君」というキャラクターにしてしまったこと。トラブル君やブルーズ君に文句を言ったりして「やれやれ、かなわないなあ」と歌って「ダメ男」の仮面を演じ、深刻な事態をまるで人ごとのように扱っている。「たいへんさ」を自分から取り出して、壁に掛けて、眺めて、話しかけて、茶化して、歌ってしまう。
 もしあなたがいま、とてもゆううつで動けないような気がしていたら、あなたの「うつ君」に「おい、相棒、オレの側をウロウロすんなよ」と話しかけるといい。
 ブルーズの歌い手はいつも不安である。そして歌には、彼の不安を化身したような気味悪い生き物が「ブルーズ君」として現れる。


 驚きました。
 これはまるで、うつ病の精神療法そのものではありませんか!
 ブルーズの歌詞は、ゆううつを客観視し、擬人化して手放すことを歌っているのですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする