発達障がい・こころのやまい

専門外ながら相談を受けることがあり、その際に読んだ本や集めた情報を書き留めました(本棚9)。

総合診療「うつより多い“不安”の診かた」より

2018-06-19 15:15:45 | 不安障害
一般内科医向けの医学系雑誌に「不安」の特集がありましたので、購入して読んでみました。

総合診療2017年9月号、医学書院



 主に治療薬と精神療法の項目を読みました。
 不安障害診療の概要を俯瞰するには手頃な内容だと思います。
 不安障害に使用する薬剤は、抗不安薬ではなく抗うつ薬であること、精神療法を行う場合の心構え、さらに一般内科医と精神科の仕分けの目安も参考になりました。

 ただ、期待して読んだ漢方薬については目新しい情報はありませんでした。
 不安障害の病態と、漢方薬・生薬の証がかみ合った解説がないと、自信を持って処方できないと感じています。


<メモ>

 さて、「不安」と「不安障害」の定義については、今まで読んできた本と同じです。

・誰でも感じる「不安」は“警戒警報”であり、正常な心理である。
・「異常不安」は「過剰不安」である。


また、「DSM-5による不安症群の主な分類」が参考になりました。

【分離不安障害】 愛着を持っている人から別れた結果生じる過剰な不安
【選択的寡黙】  通常は話せるが、特定場面でまったく話さない。
【限局性恐怖症】 特定の状況・場面への極端な恐怖・不安
【社交不安障害】 他者の注目を浴びる可能性がある場面での著しい不安
【パニック障害】 パニック発作(※)を繰り返す
※ パニック発作:突然、激しい恐怖が発作的に生じる。
【広場恐怖症】  公共交通機関・広い場所・群衆の中などで著しい恐怖が生じ、そのような状況を避ける。
※ 「広場恐怖症」はDSM-5から「パニック障害」とは別の障害として扱われるようになった。
【全般性不安障害】いろいろな出来事・活動を過剰に心配する。
※ 「強迫性障害」はDSM-5deha不安症のカテゴリーに入っていない。


内科医でも可能な「精神療法(心理療法)のポイント」は、

・状況や症状に共感する。
・不安症の成り立ちを説明する。
・楽観的見通しと支持的な態度を崩さない。
・薬物療法について説明し、治療薬への依存を避けること。


一方、内科医の限界、「精神科へ依頼するタイミング」として、

・希死念慮が強い。
・双極性障害・パーソナリティ障害・アルコールや薬物依存などの併存。
・薬物療法で改善が認められない場合。
・副作用が強く、十分な薬物療法ができにくい場合。
・妊娠中と授乳中
・患者が薬物療法を望まない場合。


と明言しており、わかりやすい。

「不安」に対する薬物療法の位置づけは、あくまでも“サポート”であり、重要なのは患者自身の“養生”や家族の“支援”と書かれています。

第一選択薬はSSRI(selective serotonin reuptake inhibiters:選択的セロトニン再取り込み阻害薬)。
「不安症」「強迫症」「PTSD」のいずれに対しても高い効果を示す。
SNRI(serotonin and noradrenarine reuptake inhibitors:瀬戸路人・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬)やNaSSA(noradrenargic and specific serotonergic antidepressant:ノルアドレナリン作動性・特異的セロトニン作動性抗うつ薬)よりも一枚上手であり、中等度以上の病態であればSSRIを用いることが治療の根幹となる。
効果発現は、抗うつ効果よりやや遅く6〜8週、特に「強迫症」では10〜12週かかることがあり、うつ病治療より高用量を必要とすることが多い。
不安症の患者は副作用に敏感であり、開始用量は添付文書に記載されているものの半量とする。

ただし、不安症や強迫症は他の性心疾患の併存が多いことで知られ、なかには抗うつ薬を使用しづらい疾患(双極性障害や境界型パーソナリティ障害など)もあるため、治療をする場合は併存疾患を持たないピュアなもの、あっても二次的な軽度の抑うつ症状に狙いを絞るべきである。


各薬剤についての著者(宮内倫也Dr)のコメント。
まず、抗うつ剤には様々な副作用があるので注意喚起。

「賦活症候群」(activation syndrome):SSRI発売後に注目されるようになった副作用で、不安・焦燥・不眠・敵意・衝動性・易刺激性・アカシジア・パニック発作・軽躁・躁状態などの中枢神経刺激症状を呈する。悪化すると自傷行為や自殺に至ることもあり、とくに若年ではかえって自殺のリスクを高めるという報告もあり、日本ではパロキセチン(パキシル®)の18歳未満のうつ病患者への投与について「警告」として注意喚起が行われている。SSRI以降の新規抗うつ薬のみならず、従来型の抗うつ薬でも生じる。

<SSRI>
・フルボキサミン(デプロメール®、ルボックス®)とパロキセチン(パキシル®)は広汎にCYP(シトクロムP450)を阻害するため、他の薬剤との相互作用の点から使いづらい。
・セルトラリン(ジェイゾロフト®)とエスシタロプラム(レクサプロ®)は軽度のCYP2D6阻害作用をもつのみであり、相互作用という点ではこの2剤が無難で第一選択薬となる。

<SNRI>
・SSRIではなく、あえてSNRIを選ぶほどの根拠は薄い。なお、「強迫症」への効果ははっきりしておらず、SSRIより劣る。
・ミルナシプラン(トレドミン®)とデュロキセチン(サインバルタ®)とベンラファキシン(イフェクサー®)があるが、「不安症」や「PTSD」であればベンラファキシンが幅広く使用できる。

<NaSSA>
・報告が少なく、SSRIほどの切れ味に欠ける。
・ミルタザピン(リフレックス®、レメロン®)は鎮静作用や制吐作用を有するのが特徴であり、「不安症」で不眠が目立つようなら、またSSRIが副作用で服用できなければ、次善の策として本剤を用いてもよい。
・「強迫症」や「PTSD」に対してはエビデンスが不十分であり、少なくとも強迫症にはあまり効果的ではない。

<漢方薬>
・軽度であれば漢方薬も有用。
★ 竜骨牡蠣を含むもの;「不安症」や「PTSD」への基本方剤。
柴胡桂枝乾姜湯)冷え・口渇・空咳がある場合
柴胡加竜骨牡蛎湯)冷え・口渇・空咳がない場合
桂枝加竜骨牡蛎湯)軽い冷えがあるか胃腸が若干弱い場合
★ 抑肝散と四逆散;
抑肝散/抑肝散加陳皮半夏)心身ともに緊張が強い場合の基本方剤。顔から血の気が引くようなら抑肝散、さらに浮腫がある、痰が多い、胃の調子が悪いなどがみられたら抑肝散加陳皮半夏。
四逆散)心身ともに緊張が強い場合の基本方剤。緊張で手が冷たくなり手掌に汗をかく場合。他の方剤と合方することが多い。
※ 合方;
当帰芍薬散)冷えが特に強い場合(例:柴胡桂枝乾姜湯+当帰芍薬散など)
六味丸)ほてりがあり全体的に甲状線機能亢進症のような印象を患者から受ける場合
苓桂朮甘湯)発作的に症状に襲われる場合に桂枝加竜骨牡蛎湯に合方する。
★ 神田橋処方;さまざまな「フラッシュバック」に有効。
四物湯(もしくは十全大補湯)と桂枝加芍薬湯(もしくは小建中湯や桂枝加竜骨牡蛎湯)の組み合わせ。それぞれ2包/日でよく、2週間〜1ヶ月程度で効果が感じられる。
・四物湯は胃に障ることがあり、その際は十全大補湯に切り替えるか、それでも受け付けなければ四物湯に六君子湯2包/日を付加する。
甘麦大棗湯
・発作的に症状が出現する、涙もろくなり何となく悲しくなるなどの時の頓用として使用可能(BZD薬の代わり)。


また、ベンゾジアゼピン系薬(BZD薬)に頼らないこと、と念を押しています。

BZD薬は、頓用や1〜2週の使用であればいい働きをしてくれるが、ほぼ期待を裏切らず“効いて”しまうため、患者も医師もつい頼る。処方するなら、依存性と離脱症状の説明を必ず行い、また安全な中止方法も知らねばならない。

「不安」に対する精神療法(認知行動療法)について(今村弥生Dr.)

・認知行動療法とは「悩んでいる人を一人の人間として理解してストレスを味方にしながら心豊かに生きれるように助けること」(大野裕Dr.)。クライアントが持っているうつや不安などの症状に、自ら対処できるようになる力を引き出すための面接法。

・面接における目的:「心身相関」(こころに不安やストレスを抱えていると、体が反応する)を理解し、不安を受け流す方法を身につけ、不適切な対処をやめることで、体の不快感を軽減させることを目的とする。
 不安に駆られるとしばしば、最も制御するのが難しい「体の症状」に意識が集中してしまい、比較的制御しやすい「考え方のクセ(認知)」や症状改善の糸口となりやすい「行動と不安の増減の関係」などには目が向けられず、その結果、症状が持続する状態が打開できず、さらに不安になるという“苦悩の悪循環”に陥っていく。そこから脱却するため、体に目を向けつつ、柔軟に視点をずらし、視野を広げていくことを面接の中で試みる。

・面接は、「傾聴」でもなく「レクチャー」でもなく「対話」が望ましい。
 止めどなく続く症状や周囲への不満などをひたすら「傾聴」するだけの面接は、患者の「気づき」につながらない。逆に、治療者がいつもなすべきことを指示する「レクチャー」形式も、患者自身が自らの力で変えていこうという機会を取り去ってしまう。
 望ましい会話量は、患者:治療者=4:6〜5:5。

・「マインドフルネス」
 東洋の「禅」の思想を取り入れたアプローチで、「瞑想」を治療の中に取り入れやすい形に改変して、うつや不安の症状改善に利用するもの。
 ふだん使わない体の感覚に意識を集中させることで、初心者でも瞑想を実践しやすく改変されている。不安には、呼吸法を意識しながら「ボディスキャン」(リラックスして座った状態で目を閉じ、体の「触覚」に意識を集中させる。所要時間10〜30分)を行うことが、座る場所さえあればできる方法として推奨される。

★ 「不安」の精神医学的な定義;
・「不安発作」は立ち上がりが速く、基本的に30分前後で消える性質がある。一方、「気分」は数日〜数週間続く性質があり、似て非なるもの。
不安は直視すると消える。逃げるとさらに不安になる。
・そもそも不安とは、正常な生理反応で、危険な状況への“注意信号”として発現する。安全な状況にもかかわらず発動する“誤作動”が「不安症/不安障害」であるが、正常な不安まで完全に消すことができない。


宮崎仁Dr.が担当している「医師の不安への処方箋」は、医師を当事者とした珍しい展開です。
興味深く読ませて頂きました。

・医師を不安にするのは「他人」や「出来事」ではなく、それに対する「自分のとらえ方」である。そして、とらえ方を決めるのは自分の“こころの姿勢”である。

・医師が診療上抱える不安・怖れを軽減する方法として、「不安や怖れを受けとめ、味わい、手放す」というマインドフルネスの姿勢を保てば、不安と怖れから自由になれる。

★「自動思考」(automatic thought)
 その瞬間に頭に浮かぶ(頭をよぎる)考えやイメージ。認知行動療法における認知の階層では、表面的・瞬間的な「浅いレベルの認知」と位置づけられているが、浅いからといって価値が低いわけではない。

★「スキーマ」(schema)
 個人の頭の中に存在する自分や世界や他者に対する深い思いや価値観のこと。認知の階層では、深層的・継続的な「深いレベルの認知」と位置づけられており、「認知=自動思考+スキーマ」という図式が成り立つ。

・「自己攻撃性が高い自動思考」こそが、医師を不安と怖れという暗闇に導くものの正体である。医師に特有な自己攻撃性の高い自動思考は「名医になりたい」「救世主になりたい」というもの。その深い思いが「名医や救世主になれない自分」を執拗に攻撃してくる。
 医師を不安や恐れへ陥れる犯人は、他人や出来事ではなく、「名医や救世主になれない自分」に攻撃を仕掛ける、自分自身の“内なる声”(自動思考)である。言い換えると、医者がむかついているのは「イケていない自分」に対してなのだ。

・マインドフルネスとは、自分の体験すべてに対して、ツッコミを入れない(評価や善し悪しの判断をしない)で、興味関心をもって「ふーん、そうなんだ」と受けとめ、味わい、手放すことである。
 マインドフルネスの基本は「自分の体験をコントロールしようとしない」ことである。どんな体験もそのうち消えるので、消えるに任せる。さらに、消えていくのを「見送る」ということができれば、自動思考やそれに伴う不安な反応に直接巻き込まれなくなる。
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「魂をゆさぶる歌に出会う」(ウェルズ恵子)

2018-06-14 07:06:55 | カウンセリング
 アメリカ黒人文化のルーツを黒人音楽を介して解説した内容の本です。
 その中で、ブルーズの説明を読んでいて驚きました。

 アメリカの黒人達は、200年以上にわたって奴隷として搾取され、むごい扱いを受け、一瞬一瞬を上と暴力におびえながら暮らしてきた。彼らの中に植え付けられた人間に対する不信感や恐怖は、生きていく希望を根こそぎ借りたってしまった。
 ぬぐいきれない不安や、ほんとうに自分を押しつぶしてしまう「いや〜な気持ち」を、彼らをとても苦しめた。頑張って何かをしようという気になれないのである。だいたい、朝、憂鬱すぎて起きることができない。他党としても、足の下に悪魔がいるような気がする、そんながんじがらめの気分。
 ブルーズが生まれた頃の南部の黒人の多くは、今の私たちから見ると「どうやって生き続けていたんだろう」と思うほどの苦難を生きていた。
 でもすごいのは、その苦難を「トラブル君」と呼び、自分の鬱状態を「ブルーズ君」というキャラクターにしてしまったこと。トラブル君やブルーズ君に文句を言ったりして「やれやれ、かなわないなあ」と歌って「ダメ男」の仮面を演じ、深刻な事態をまるで人ごとのように扱っている。「たいへんさ」を自分から取り出して、壁に掛けて、眺めて、話しかけて、茶化して、歌ってしまう。
 もしあなたがいま、とてもゆううつで動けないような気がしていたら、あなたの「うつ君」に「おい、相棒、オレの側をウロウロすんなよ」と話しかけるといい。
 ブルーズの歌い手はいつも不安である。そして歌には、彼の不安を化身したような気味悪い生き物が「ブルーズ君」として現れる。


 驚きました。
 これはまるで、うつ病の精神療法そのものではありませんか!
 ブルーズの歌詞は、ゆううつを客観視し、擬人化して手放すことを歌っているのですね。
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「正しく知る不安障害」(水島広子著)

2018-06-08 15:29:02 | 不安障害
不安、怒り、悲しみなどは、やっかいな感情です。
しかし、それぞれの感情には意味があり、必要なモノ。
うまくつき合い、飼い慣らすことはできるのでしょうか?

最近、手元にある「不安障害」関連本を読んでいます。
今回読んだ本も前項と同じ著者ですが、対人関係療法ではなく不安障害一般の啓蒙書であり、パニック障害やPTSDなども扱っています。

正しく知る不安障害」(水島広子著)技術評論社、2010年発行



著者の言いたいことは「不安を理解し怖れを手放す」という文言に集約されますが、少々わかりにくい。
箇条書きにすると、
・不安を感じることは正常反応であり、それを消そうともがく必要はない
・不安を怖れて悪循環に陥り不安が肥大化してそれに生活全般が支配されてしまうことが病的
・その悪循環から抜け出せれば回復に向かうはず
・不安そのものを見つめるのではなく、不安の背景を見つめるべし
・回復した人は、不安をなくしたわけではなく、別次元で不安を見つめることができた人
等々。

系統的な記述ではなく、理解しやすいことを目標に書かれていますので、とらえどころがない内容と感じる方もいるかも知れません。
でも読了すると「こんな風に考えればいいのかな」「こんな風に不安と付き合えばいいのかな」と何となくイメージがわいてくるよい本だと思います。


<メモ>

■ 感情は、私たちに自然に備わった自己防衛能力である。

■ 悲しみ
 大切なモノをなくしたことを知らせてくれると同時に、しばらくは自分をいたわることが必要な時期ということを教えてくれる。
 体の怪我と同じように、心の傷も安静にして大事にする時間が必要である。悲しむべき時に悲しまないと後にうつになることがある。

■ 怒り
 その状況が自分にとって不利だということを知らせてくれる。
 怒っている人は困っている人で、感情的に怒っている人で、不安でない人は存在しない。何かで困って「どうしよう」と不安になると、相手に怒りをぶつけてしまう、「八つ当たり」と同じ現象である。
 自分の不安を不安として引き受けることは、案外勇気とエネルギーを要するもの。自分の不安を引き受けて向き合うよりも、それを相手への怒りとしてぶつけてしまった方が楽だから。
 心の病になる人の多くは、怒りとのつきあい方が下手。「よくない感情」と思ってしまい、感じることも表現することも抑制してしまう。すると自分にとって不利な状況が改善されず、ストレスがたまっていき、何らかの病気になることもある。

■ 不安
 安全が確保されていないということを知らせてくれる感情であり、不安を感じるからこそ安全を確保する行動をとることができる。
 不安を感じることそのものを否定するのではなく、不安をいかに活用して安全に生きていくか、ということが重要。

■ 解決可能な不安
(例)対人関係における相手とのずれは、コミュニケーションをとることにより埋めることができる。

■ 感じるしかない(解決不可能な)不安
(例)転居の際には、どれだけ準備しても不安はゼロにはできない。そして不安になった自分にさらに不安を抱くという悪循環が生まれる。悪循環から抜け出すには、不安であることを「当然のこと」(新しい土地に引っ越すのだから、不安なのは当たり前)として受け入れるのが一番。「自分が不安になる理由」が「既知」のものになるので、そこから不安が生まれなくなる。
 感じるしかない不安に対しては、当たり前の不安だと思うことによって悪循環から抜け出し、本来の不安のレベルに収めるというのが最も適切なやり方である。
 「気にしないようにする」という対処法も軽い不安には有効だが、不安がある程度以上強い場合には逆効果になる。
 「当たり前の不安」はどうすることもできないが、「今は無理をしないでマイペースでやろう」「少しくらい失敗しても気にしないように使用」など、自分をいたわることにより軽減することはできる。
 無理をしないでやっていくためには、周りの人の理解と協力が必要である。何も言わないでいると「手抜きをしている」「わがまま」などと思われかねない。「当たり前の不安」を乗り越えていくためには、周りの人たちに、自分が今どういう不安を抱えていて、何に気をつけて生きているのか、その上でどういう協力をして欲しいのかを伝えて、理解したり共感したりしてもらうことが必要である。

■ クロニンジャーのパーソナリティ七因子モデル
※ パーソナリティ=性格

<遺伝的な影響の強い因子>
・新奇性追求(好奇心・衝動性など)
・損害回避(心配性・慎重)
・報酬依存(人情家・感傷的)
・持続(粘り強さ)
<環境的な影響の強い因子>
・自己志向(自尊心・自分への信頼感)
・協調(協調性)
・自己超越(スピリチュアリティ)

 後天的に何ができるかというと、その生まれつきのパーソナリティ特性を長所にするか短所にするかということであり、基本的な「性格」は変えられないけれども適応力は上げられる。

■ 損害回避
 困ったことにならないように物事を避ける傾向のことで、一般的には「心配性」「慎重」等が近い。
 不安障害の人はこの「損害回避」が高いが、「損害回避」が高いことそのものは、よいことでも悪いことでもない。要は、その性質をどれだけ自分のものとして使いこなし、自分の役に立てていけるかという所にポイントがある。

■ 自己志向
 言い換えると、「自分への信頼感」「自分のやり方への信頼感」「自分をしっかり持っている人」「安定した自信がある人」等々。
 「損害回避」が高くても、「自己志向」も高ければ、よい意味で慎重な人になる
 「損害回避」が高く、「自己志向」が低い人は、不安に振り回されるようになってしまう。すると、本来は自らの特徴に過ぎない「損害回避」に人生を振り回されてしまう。不安を基準にして物事を決めるようになってしまい、自分の人生がかなり制限される。

■ 「損害回避」と「自己志向」の低さは両方向性で、悪循環を形成する。
・「自己志向」が低いので「損害回避」に振り回されて不安のコントロールが難しくなる、という方向性。
・不安に振り回された結果として、じたいをコントロールできない自分にますます安心できなくなる、つまり、ますます「自己志向」が下がる、という方向性。
 この両方向性は、不安になることによってその人はますます不安になりやすくなる、という悪循環を形成する。
 これが不安障害である。

■ 社交不安障害の治療目標としての「自己志向」
 社交不安障害の治療結果を調べた研究から、治療が成功した例では「自己志向」も上がることが報告されている。
 逆に言うと、これが社交不安障害の治療目標である。
 不安と不安障害をよく知り、コントロール感覚を増すこと、つまり、自分が不安にうまく対処できるという自信を持つことは、「自己志向」を高めることに他ならない。
 「損害回避」という本来の性質をそのまま享受することができれば、自分の特性を肯定的に捉えることができる。自己受容は「自己志向」を高めるので、今度は悪循環からプラスの循環に入っていくことができる。

■ 不安の表現型は多彩(隠れ不安)
【過干渉】
 自分のやり方以外は「未知」なので不安だから、こちらのやり方には見向きもせずに自分のやり方を押しつけてくる。
【イライラ】
 不安で落ち着かないので、ソワソワしたりイライラしたりする。
 過干渉の人も、イライラする人も、自分自身の不安には気づいていないことが多く、「自分をイライラさせる相手が悪い」と思っていることが多い。
【攻撃的】
 以上の構造がひどくなると、相手に攻撃的になる。
 DVの加害者は、要は自らの不安に向き合えていないことがほとんどで、不安に向き合うことが怖いため、目の前の人を制圧することで安心を得ようとする
 暴力をふるわないとしても、常に相手に買っていないと不安に耐えられないため、どんなに理不尽なことを言ってでも絶対に負けないという人がいる。やたらと好戦的で「ああ言えばこう言う」タイプによく見られる。
 
・・・ここを読んで、思わずトランプ大統領を連想しました。また、自分の非を認めない政治家ってこの傾向がありますね。

【確認行為】
 不安を打ち消すために行う確認行為、儀式的行動。
 確認行為に時間をとられて日常生活が支配されることを「強迫性障害」という。
【決断力不足】
 「もっとよい方法があるのではないか」という不安から決められない。
 そのようなときには、目標を小さくして不安も細分化してあげると役に立つ
【原因不明の症状】
 不安を不安として表現できないと、めまい、頭痛、胸の苦しさ、しびれなど、身体症状に現れることがある。
 不安が体に出やすいタイプとしては、日頃から自分の気持ちを見つめたり表現したりする習慣のない人や、自分に向き合うのが怖いという人が多い。
【健康不安】
 不安が転嫁された身体症状を重病の印だと思い込み、繰り返し医療機関を受診・検査を希望する。
 このような人は「体さえよくなれば不安はなくなる」と思い込んでおり、そもそも不安が身体症状につながったという視点は持っていない。
【アルコール依存・薬物依存】
 アルコール依存、薬物依存、過食、買い物依存、リストカット等の行為は強い不安に直面しなくても済むように、こころを麻痺させる効果を求めて依存していることが多い。
 これらの依存行為は、不安を和らげるという意味ではむしろ逆効果。アルコールにしろ薬物にしろ、結局は不安に敏感な体になってしまう。
【ひきこもり】
 不安の向き合うのを恐れて引きこもっている。

 以上、不安の表現型は多彩であるが、「本当は不安なんでしょう」と直面化させることは必ずしもプラスにはならない。
 不安を不安として認めて表現することすら不安なのだ、という構造を理解する必要があり、解決方法は「安心」しかない。

■ 不安障害の種類
・パニック障害
・社交不安障害(社会不安障害、社会恐怖)
・強迫性障害
・全般性不安障害
・心的外傷後ストレス障害(PTSD)

■ 健康な不安と病的な不安の違い
 不安障害の不安は、基本的には正常な不安とは連続線上にあって、程度が強くなったもの。
 「わかるけれども、そこまで気にしていたら生活が成り立たないでしょう」という性質のもの。
 本人も「こんなに気にするなんて、自分はきっと気にしすぎなんだろう」と思っている。不安障害の人は自分の不安を隠していることが多く、そこにもう一つの病理がある。つまり、「自分はおかしい」と思うので、それがさらなるストレスになる。
 不安障害の不安は、病気の症状のため、コントロールできないことも特徴の一つ。

■ 過保護と批判は親の不安の表れ
 不安障害が起こりやすい子育てのパターンとして「過保護」と「批判」が指摘されており、どちらも親の不安を反映したものである。親の不安を和らげたいので過保護になって何かと手を出してしまう、自分を不安にさせないで欲しいという思いから批判的になる。
 子どもからすると、過保護に育てられると自分で試行錯誤して自信を付ける機会に恵まれない。また、批判的に育てられると、自分はダメな人間だという気持ちばかりが強くなる。
 過保護も批判も「自己志向」を低くしてしまう。
 親が自分の不安を受け入れてうまく対処している様子を見せると、子どもの「自己志向」は高まる。
 
 子どもへの不安は、それを子どもへの批判としてぶつけるのではなく、親自身の不安として打ち明けた方がよい。
 子ども自身の不安にもよく耳を傾け、批判するのではなく一緒に対処してあげるようにすれば「自己志向」は高まる。その際、「代わってあげる」という過保護的な対処ではなく、子どもが自分自身の力で安心して取り組めるようにしてあげることが必要。

■ 不安障害を維持するにはエネルギーが必要〜その名は「悪循環」〜
 不安障害が繰り返しにより慣れて軽減しない理由は、そこに悪循環があるから。
 悪循環の主役は「思考」である。つまり、自分の不安をどう捉えるか、ということ。
 不安障害の人は、自分の不安を刺激するような状況を避ける。この「回避」行動も悪循環となる。
 回避は短期的にはよい選択に見えるかもしれないが、長い目で見ると逆効果である。回避し続けている限り、慣れることはあり得ない、現実観察もできない。回避している自分の自己評価も低くなり不安に対して前向きに取り組めなくなる。つまり悪循環である。
 不安障害に対処していく上では、不安そのものに働きかけるのではなく、これらの悪循環をどう打ち破っていくかがポイントとなる。悪循環を維持している「思考」に注目して見直していったり、悪循環を維持している「回避」のパターンを少しずつ変えて現実を観察したりすることが必要である。

■ 認知行動療法=認知療法+行動療法
【行動療法】
 主に不安の対象に段階的に慣れていくアプローチ。安全な環境で、少しずつ、怖いものになれていく。
【認知療法】
 物事のとらえ方(認知)に注目し、不安につながる認知を体系的に振り返って修正を試みる。

■ 対人関係療法
 身近な人間関係と症状との関連に注目して治療を進める。
 発症のきっかけとなった対人関係上の出来事や変化は何か、発症してから、症状によって身近な人間関係がどのような影響を受けているか、また、身近な人間関係によって症状がどのように影響を受けているか、ということに注目していく。

 強迫性障害に対しては、認知行動療法が適する。
 社交不安障害とPTSDには、対人関係療法が向いている。

■ “呼吸”により自律神経に働きかける
 不安反応は主に自律神経によるものだが、自律神経そのものを私たちが直接コントロールすることはできない。
 しかし“呼吸”でのみ自律神経に働きかけることができる。呼吸を意識することにより自律神経もリラックス系に変化させることができる。自分の意思で細く長く呼吸をすると、副交感神経優位の状態、つまり、リラックス状態を創り出すことができる。
 不思議なことに、呼吸は自律神経にコントロールされる部分と、自律神経をコントロールする部分が存在するのである。
 
 呼吸のコントロールは、回数指定と鼻呼吸により行うことができる。
 回数のコントロール法の一例として、1分間に10回の呼吸を目指す方法がある。3秒間で息を吐き、3秒間で吸う、ということを数を数えながら行う。
 鼻で息をしている限り、過呼吸になることはまずない。吐く息は口から吐いた方が筋肉がリラックスする人もいるので、自分にとって楽な方でよいが、少なくとも吸う息は鼻からにすべし。
 呼吸のコントロールは、パニックになったときにもまず心がけると落ち着く。

■ 対人関係療法における「役割期待の調整」
 対人関係に対するコントロール感覚を高めて、症状を改善していく方法。
 二つの視野;
1.どんな対人関係(あるいはパターン)が不安につながっているのか、
2.不安になることで対人関係にどのような変化が起こっているか、

 代表的な作業「役割期待の調整」
 我々はあらゆる人に対して何らかの役割を期待している。そして、相手がその期待に反することをするとストレスを感じる。
 このようにあらゆる対人ストレスを「役割期待のずれ」と見ることができる。「役割期待のずれ」は自分が相手に期待したことをやってもらえないときだけでなく、相手が自分に期待していることが自分がやりたくないことだったりできないことだったりする場合にも生じる
 このように捉えることにより解決が可能となり、コントロール感覚を持つことができる。
 その際に活用すべきはコミュニケーション。コミュニケーションが貧弱・曖昧だと役割期待がずれてしまう自分の気持ちと、相手にやってほしいことを、直接、純粋に伝えるコミュニケーションが最も効果的である

■ 社交不安障害
 社交不安障害の中核は、
1.人からの評価を気にしすぎて生活が支配されてしまっていること
2.そんな自分は気にしすぎだとおもっていること
 本質は「人からネガティブな評価を受ける事への不安」が強すぎて生活に支障が出る状態。「人からネガティブな評価を受けたくない」ということが人生の唯一のテーマになってしまい、何にもまして優先されるようになってしまう。
 もう一つの特徴は「そんな自分をネガティブな目で見ている」ところ。自分は気にしすぎ、だと自覚しており、ますます自分がダメに思えて、人の評価が気になる。

■ 社交不安のセンサー修理はコミュニケーションで。
 社交不安障害において修理が必要なのは、身体反応そのものではなく、状況を「脅威」と感じるセンサーの部分。
 社交不安のセンサーを修理するためには、現実の人とふれあう必要がある。
 社交不安障害の人は「他人」を気にするが、実際にはそこに現実の「やりとり」はほとんどなく、そこで見ているのは「自分の話し方をどう思っているか」という部分だけであり、いろいろな事情を抱え、いろいろな気持ちを持って生きている相手そのものではない。
 実際にやりとりをして、受け入れられる体験をしたり、相手にもいろいろな事情があることを知ったりすることにより、だんだんと「脅威」のセンサーが修正されていく。
 ここに至るためには、もう一つの悪循環である身体反応にも注意すべし。身体反応に必要以上に力を与えてはいけない。「まだセンサーが直していないのだからサイレンが鳴って(身体症状がでて)当たり前だ」と捉えるべし。

 社交不安障害の人の中には、人と人との交流というのは評価をし合うことに過ぎない、と心からしんじている人がいるが、それは、それ以外の人間関係を知らないからである。
 社交不安障害になったということは、そんな「対人関係の思い込み常識」を見直すチャンス。自分が「ふつうの対人関係」だと思っているものは、一般の対人関係よりも一面的で、厳しすぎるのかもしれない。確かに私たちは人からどう見られるかということを気にしながら生きているが、それがすべてではない。自分がどうなろうと受け入れてくれる肉親がいたり、同情して勇気づけてくれる友達もいる。
 このような体験をしていくためには、まず、自分をさらけ出す必要があるが、これが社交不安障害の人には難しい。
 治療の中で、実際に人とのやりとりをしていくと、外面の評価以外の人間関係の要素を体感していくことができる。社交不安障害の治療とは、自分の「対人関係の常識」を見直すプロセスと位置づけることができる。
 
■ 安全なコミュニケーションのコツは、「私」を主語にして気持ちを中心に話すこと
 不安から逃げずに、現実のコミュニケーションによる試行錯誤を繰り返す中で「なんだ、こんなものか」と思えればしめたもの。

■ PTSD(心的外傷後ストレス障害)
 心に大きな傷がついたときの後遺症の病気。敵は去って、もう日常生活に戻っているというのに、敵がいるという認識が解除されずにサイレンが鳴り続けているという現象がPTSDという病気。
 診断には、次の3つの症候群が1ヶ月以上続いている必要がある。
1.トラウマの原因となった出来事の持続的なよみがえり(フラッシュバック、夢など)
2.二度と傷つきたくないための回避と麻痺(その出来事を思い出させるものを避ける、他の人から疎遠になっている感じ、愛の感情を持つことができないなど)
3.持続的な覚醒亢進症状(不眠、怒りっぽい、集中困難、過度の警戒心、驚き方が過剰など)

 そもそも、PTSDの症状は、「闘争か逃避か」反応と同じように、危険な状況を生き延びるために体に起こる適応反応である。
 ただ、「闘争か逃避か」反応が「脅威から逃げる」ことを主目的にした反応であるのに対して、PTSDの症状は「敵にやられないようにする」ことを主目的にした反応である。全体にピリピリした状態になり、傷を頭に刻みつけることにより警戒態勢を維持する。

 社交不安障害が「脅威」についてのセンサーがずれている病気であるのに対して、PTSDは敵が去ったということをよく認識できていないという意味でのセンサーのずれの病気である。

■ 不安障害の周囲の人ができること
 感じるしかない不安に対しては、まず安全な環境を作ることに集中すべし。そして聞いてあげること。感じるしかない不安は、原則として、安全な環境で表現するとだんだん落ち着いてくるもの。
 不安障害の治療に於いて、治療者の役割と身近な人の役割は明らかに異なる。
 周囲は安全な環境を作るべく、話をよく聞き気持ちを肯定し、本人のペースを尊重する。

■ 不安障害が解決するとき
 不安障害は、解決不可能な次元にとどまって不安が持続している病気である。不安障害が治るときは、必ず別の次元での変化が起こる。
 社交不安障害が治るときは、自分がどう見られているかという次元においては本当のところ確固たる答えは出ない。「でも人間関係はそれだけではない」ということがわかると治る。自分の不安をそのまま伝えてみたら相手が温かく応えてくれた、というようなやりとりから何かを感じていく。あるいは、相手には相手の事情があるということを知っていく。

■ 怖れを手放すと不安は本来の大きさにしぼむ
 不安は単なる感情である。
 単なる感情である不安を苦しいものにしてしなうのは、不安を怖れるこころの姿勢である。
 不安障害が治るということは、不安を肥大化した“不安のお化け”から単なる感情という本来の位置に戻すこと。
 不安は「怖れ」を吸収すると「お化け」になる
 「不安」は感情、「怖れ」はものごとに向き合うこころの姿勢。単なる感情である限りはただの不安であるが、不安を怖れてしまうと「不安のお化け」になる。
 不安も、不安障害も怖れる必要なない。不安は役立てていくことができるし、不安障害は治していくことができるし、そこから何かを学ぶことすらできる。感情が備わった人間として生きていくことの面白さや、感情を通して人とつながることの温かさを感じてほしい。

■ 「不安をコントロールする」のではなく「不安に対してコントロール感覚を持つ」
 不安の存在を認め、不安が出てくることも含めて受け入れることができれば、コントロール感覚を持つことができるし、不安に対する怖れを手放すことができたといえる。
 不安に対する怖れを手放せるようになると、不安をあるがままに見られるようになる。「不安は悪いもの」をいう評価を手放すと、逆に、不安から距離をとって客観的に見られるようになる。

■ 不安障害になった意義
 社交不安障害の場合、人生にわたる問題に初めて取り組むことができる。それまで、外面を評価するような人間関係しか経験していなかった人が、初めて、人と人との心のふれあいを通して、人間というものを学んでいくことができる。
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対人関係療法でなおす「双極性障害」(水島広子著)

2018-06-04 21:36:45 | カウンセリング
 「社交不安障害」に引き続き、同シリーズの「双極性障害」編を読んでみました。

対人関係療法でなおす「双極性障害」(水島広子著)創元社



 双極性障害は、以前は「躁うつ病」と呼ばれていた病気です。
 現在はうつ病のことを「単極性うつ病」と呼び、躁うつ病のことを「双極性障害」と呼ぶようになりました。

 すると、単極性うつ病は双極性障害の「うつ相のみ」の病気と考えがちですが、そうではありません。
 単極性うつ病は治る病気ですが、双極性障害は治らない、一生つき合っていかなければならない病気です。
 治療の最終目標は「治る」ことではなく、躁状態・うつ状態の再発をできるだけ抑えて病気に振り回されないようになること」にとどまります。

 そして双極性障害は20歳代で発症する、残酷な病気でもあります。
 それを本書では「健康の自己の喪失」と表現しています。
 「あなたは一生薬を飲まなければなりません」と宣告された若者が病気を受け入れることがいかに難しいか、想像に難くありません。

 患者が望んで病気になったわけではありません。
 患者が自在に病気をコントロールできるわけでもありません。
 患者が努力すれば病気と縁が切れるわけでもありません。
 病気になったことで誰よりも人生にダメージを受けているのが患者本人です。
 同時に、周囲の人が症状のために傷つき、問題を抱え込むことも事実。

 それに対して、本人・家族の腹のくくり方というか、覚悟の仕方がしっかりと書かれていたのが印象的でした。
 家族が本人を支えるスタンスも大変参向になります。

 「病気+本人」 vs 「家族」
 ではなく、
 「病気」 vs 「本人+家族」

 であるべきだ、という提案には感動しました。
 双極性障害という難敵には個人では分が悪い、だからチームで闘う必要があるのですね。

 社交不安障害では「対人関係療法」での対応でしたが、「双極性障害」では対人関係療法に社会リズム療法を加えた「対人関係・社会リズム療法」となっています。これは双極性障害向けの修正版だそうです。
 双極性障害は生活の変化により大きく影響を受けるため、生活リズムに焦点を当てる必要があります。

 文中の以下の文言には考えさせられました;

 双極性障害では「無理がきかない」ので困る。いや、「無理をきかせる」ことが現代社会の異常さなのであって、「無理がきかない」ことは生物としての自然な叫びなのかもしれない。

 現代社会に潜在する病理は、経済性・生産性を重視するあまり、人間が自然のリズムで生活できなくなっている環境に起因するのかもしれません。

 この本は、病気との付き合い方を解説することにより、覚悟と勇気を与えてくれる内容だと思います。


<メモ>

■ よい睡眠のための習慣
・毎日決まった時間に起床する(休日でも朝寝坊しない)
・日中適度に体を動かす
・昼寝をする場合は、午後3時までの短時間(30分以内)にする
・夕方以降はカフェインなどの刺激物を避ける
・寝る前は穏やかに時間を過ごす(パソコンやメールも避ける)
・寝る前にアルコールを飲まない
・ベッドでテレビを見たり本格的に本を読んだりするのを止めて「ベッド=寝る場所」という関連を心身につける

※ どうしても眠れないというときには、決まった就寝時刻に電気を消して横になっているだけでも刺激を減らす効果はあるので、応急処置としては有効。
※ アルコールは睡眠に悪影響を与える。睡眠がかえって浅くなり、逆効果になる。飲むと一時的に気分がよくなる気がするかもしれないが、アルコールはうつを促進する効果があるので、結局はうつになる。アルコールに期待すること(睡眠、気分の高揚、不安の解消など)は、すべて薬物療法に期待した方が確実である。

■ 活動量と刺激のバランス
 活動の刺激が強すぎると「躁」になり、活動の刺激が少なすぎると「うつ」が促進される。
 双極性障害の場合には、「躁」にならない程度に行動を抑制し、「うつ」にならない程度に行動を活性化する必要がある。

■ 双極性障害のエピソード間は無症状ではなく「軽度のうつ」でいる人が多い。

■ 社会リズムの変化を予測してエピソードを予防する。
 双極性障害という病気の嫌なところの一つに「無理がきかない」ことがあるため、社会リズムを乱すようなことは避けなければならない。いや、「無理をきかせる」ことが現代社会の異常さなのであって、「無理がきかない」ことは生物としての自然な叫びなのかもしれない。
 社会リズムを安定させるためには、色んな要素の時間的束縛程度・刺激の強度の検討が必要である。
 例えば、新しい仕事に就く場合の検討項目;

・労働時間
・出張の多さ
・通勤時間
・責任の重さと範囲
・ストレス
・勉強しなければいけないことの量やその期限

■ 対人関係療法の実際
 現在進行中の重要な対人関係に焦点を当て、対人関係上のやり取りや出来事と、気持ちや症状とを関連づけて進めていく期間限定の治療法。
 治療の際には四つの問題領域のうち一つか二つを選んで治療焦点とする。

1.悲哀(重要な人の死を十分に悲しめていない)
2.役割をめぐる不一致(重要な人との不一致)
3.役割の変化(生活上の変化にうまく適応できていない)
4.対人関係の欠如(上の三つの問題領域のいずれにも当てはまらない=親しい関係がない)
(第5の問題領域)
5.「健康な自己の喪失」に対する「悲哀」

■ 対人関係問題領域①-「悲哀」
 大切な人を亡くしたとき、人は以下の「悲哀のプロセス」を踏む;

・「否認」
・「絶望」
・「脱愛着」

 悲哀のプロセスは、人の心が喪失という大きな傷から立ち直るために必要なものである。
 この悲哀のプロセスをきちんと経験しないと、心の傷は手当てされずに放置されたままで、先に進む態勢ができないため、その無理がたたってあとでうつ病などの病気が出てくることになる(双極性障害のうつ状態もその一つ)。

■ 対人関係の第5の問題領域-「健康な自己の喪失」に対する「悲哀」
 病気になることは「役割の変化」の範囲にとどまるという意見もあるが、双極性障害はその枠組みでは扱いきれないために追加された。
 双極性障害では治療継続の動機づけが難しい。
 それは診断と治療の受け入れが難しいことに起因する。そのための儀式が「健康な自己の喪失」という枠組みにのける悲哀である。
 「健康な自己の喪失」を受け入れて悲しんだ後の「現在の生活」というのは、「双極性障害という病を受け入れて、うまくコントロールしていく生活」のこと。治療の過程で、「健康な自分」は死んだかもしれないけど、決して自分自身が死んだわけではない、ということにだんだん気づいてくる。

■ 対人関係問題領域②-「役割をめぐる不一致」
 あらゆる対人ストレスは「役割期待のずれ」から発生する。
 双極性障害では、病気が対人関係に及ぼしている影響も常に考慮に入れる必要がある。
 家族は躁状態を重く見るけれども本人は軽く見る傾向があり、本人はうつ状態を重くみるけれども家族は軽く見る傾向がある。
 双極II型障害の場合にも「ずれ」は起こりやすく、軽躁状態の気持ちよさを手放したくない本人と、とにかく治療を続けて気分の波をなくしてほしい周囲との間で役割期待がずれることがある。また、軽躁状態の時もイライラしがちに焉、様々な衝突が起こる。

■ 双極性障害は、社会リズムの変化に敏感な「無理のきかない」病気である。

■ 双極性障害になったことと、双極性障害の症状は、本人の責任下にはない。
 本人にできることは、せいぜい、薬を欠かさずに飲み、自分の社会リズムを安定化させることくらいであり、ひとたびエピソードが起こってしまったら、その中での症状はまったくコントロールがきかない。
 躁やうつを「気合い」や「意志」で治すことはできない。

■ 対人関係問題領域③-「役割の変化」
 生活上の変化にうまく適応できずにエピソードが起こるときに治療焦点として選ばれる。
 「役割の変化」が問題領域となるようなケースでは、その本質は「変化そのものの見通しが立たない」ということよりも、「自分や周囲への基本的な信頼感を見失ってしまっている」ことにある。「まあ、何とかなるだろう」ととても思えなくなってしまう。
 なので、自分の力や周囲とのつながりを取り戻すことが重要になる。そのために必要なのは、自分が現在どういう経験をしているのかという「位置づけ」である。変化を位置づけるために欠かせないのが「自分の気持ち」の確認である。自分の気持ちをよく見つめ、肯定し、できればそれを身近な人に伝えて共感して貰うもらうことが重要である。
 双極性障害に起こる「役割の変化」は「病気の結果」(症状隊のために仕事や家庭を失う、借金のために生活レベルが低下する、職場や家庭での居心地が悪くなる、など)であることが多く、それを乗り越えるのは困難がつきまとう。
 「変化」を乗り越えるポイントは、自分の気持ちを感じて肯定し、それを周囲の人とも分かち合うことである。身近な人たちと役割期待の整理をし、こういうときにどうやって支えてもらうを話し合っておくことはとても大切である。
 
 「役割の変化」の時には社会リズムが変わることが多い。事前の準備で予防できることなのかどうかを見極め、常に自分の社会リズムを優先させるという姿勢を崩してはいけない。
 もし、突然職を失った、突然離婚された、というようなときでも規則正しい生活を心がける。ひどい体験によって既に傷ついている自分を、これ以上傷つける必要はない。「安定した社会リズムで自分を癒やそう」と発想を転換し、仕事はないとしても、規則正しい日常生活を送り、適度な活動と刺激を盛り込む。自尊心が低下し「これからどうしていったらよいか、わからない」ときにも「いつも通り生活できている」ことが精神的安定につながる。

 エピソードから回復し、復職するときも「役割の変化」である。「社会リズムの変化」によく注意して安定化させるようにしておかなければ、エピソードのぶり返しが襲ってくる。起こりがちなのが、復職してがむしゃらに働いてしまうこと。復職にあたっては、社会リズムの変化を最小限に抑える努力をすべし。

■ 対人関係・社会リズム療法と薬物療法との関係
 双極I型障害では併用が原則。

■ 双極性障害対策チームを作るべし
 患者と周囲の人たちが「病気」という問題を与えられて、皆で苦労しているというのが双極性障害の構図である。
 周囲に求められるのは、「患者を支えるチーム」ではなく「患者を含めたチーム」である。

 [周囲]対[患者+病気]
 になりがちであるが、これでは解決に向かわない。目指すべきは、
 [患者チーム(周囲+患者)]対[病気]
 という構造である。

 チームとしての危機管理の目的は、

1.患者の命を守ること
2.社会的信用の失墜をできる限り防ぐこと
3.経済的な危機を回避すること
4.家庭崩壊を防ぐこと

 を最優先する。

■ 自殺対策
 自殺したい気持ちが高まっているときは、その気持ちを表現してもらって肯定する(自殺という行為を肯定するのではなく、自殺したいほどつらい気持ちを肯定する)ことにより、少しは楽になることもある。
 「自殺はしないで」と言うことと「自殺したいなんて言わないで」と言うことは、まったく逆の効果になる。
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対人関係療法でなおす「社交不安障害」(水島広子著)

2018-06-03 08:37:13 | カウンセリング
 “不安”というモンスター。
 人間の心の弱みにつけ込む難敵です。

 私自身も持病に伴う“不安”にさいなまれ、理屈ではコントロールできない不安とどうつきあっていくべきか悩む日々を経験したことがあります。「気にしないようにしよう」と自分に言い聞かせても繰り返し襲ってきます。

 今は何とか飼い慣らして落ち着きつつありますが、ここに至るまで何が大切だったのか、振り返ってみますと・・・

・自分を客観的に見つめる視点を持つ。
・不安の対象の正体を知る。

 以上を心がけても、やはりうまくいきませんでした。
 不安の正体を見極めて「命に関わることではない」とわかっていても、不安をぬぐえないのです。

 ふと、以前購入してあった本書が目に止まったので読んでみました。
 すると、上記に対する答が書いてありました。
 「不安は安全確保のための自然な反応」であり「不安センサーが過敏になっているだけ」との説明。

 なるほど。
 確かにそうかもしれない。

 ただ、この本の内容は「社交不安障害」であり、私の場合と内容が少し異なります。
 「人間のストレスはすべて対人関係に由来する」と言ったのはアドラーだったでしょうか。
 対人関係が不安対象の場合、それに対する思い込み・誤解を解きほぐしていくことにより、軽減する手法が紹介・解説されています。

 私の場合は実体のある病気・症状なので、それを解決しないことには不安が消えてくれません。
 実際には、発作性のものが頻度が増すとともに軽症化・日常化していく過程で「それ程焦ることはないのかな」と緊急性がないことを繰り返し実感すると、不安は軽減していきました。 

 というわけで、不安対象の種類に関わらず、「敵を知り、それほど怖がる必要のないことを繰り返し体感していくこと」が地道ですが一番の近道かもしれません。

対人関係療法でなおす「社交不安障害」(水島広子著)創元社、2010年発行



 「社交不安障害」の「社交」って聞き慣れない言葉ですが、これは「社会」と同義と捉えてよいそうです。

 さて、精神疾患に対するカウンセリング・精神療法は
1.行動認知療法
2.対人関係療法
 の二つが代表的。

 近年、1が有名になり、その第一人者の大野裕先生の名前をよく耳にします。患者さんの認知(感じ方・考え方)のゆがみをカウンセリングの中でゆっくり矯正していく手法です。
 一方の2は馴染みの薄い言葉ですが、国会議員も務めた精神科医の著者が第一人者だそうです。とともに、水島先生は大野先生の教え子でもあります。

 2は、不安障害の症状に注目するのではなく、そのベースにある対人関係に注目します。
 不安障害を“不安に対するセンサーが過敏になっている状態”と捉え、症状を否定するのではなく肯定し、対人関係のゆがみを矯正することにより、症状のコントロールを目指す手法です。
 ここでいう“対人関係のゆがみ”とは、複雑な人間関係を意味するのではなく、“思い込み”程度の意味です。

 この文言を読んで、私はアレルギー疾患のメカニズムとの共通性を感じました。
 アレルギー反応は、自分の体を守る免疫システムが、敵ではないダニや花粉にも過敏に反応して暴走し、つらい症状を引き起こす病態です。
 それが心で起きると・・・自分に危害を加えるはずのない他人を“不安センサー”が過敏・過剰に反応して不安が募り、つらい症状を起こすのですね。

 ただ、その心の“病的なクセ”を治すのは簡単ではありません。
 試行錯誤を繰り返しながら、周囲の協力を得つつ、小さな成功体験を積み重ねて克服していくモノなのでしょう。
 まあ、“思い込み”や“病的なクセ”を矯正していくという点では、認知行動療法と共通するところがありそうです。

 本書はテキストではなく啓蒙書のため、内容が今ひとつ系統立ててかかれていないので体系的に理解するのは困難ですが、“おわりに”と“あとがき”にそのエッセンスが書かれていましたので、一部を抜粋させて頂きます。

“おわりに”から;
 社交不安障害からは何が学べるでしょうか。私は「人間性の受容」が学べると思います。
 相手そのものに関心を向けることは、社交不安障害の症状を楽にします。また、相手の不完全さを受け入れることも、社交不安障害の治療にプラスです。人間としての相手を見て、相手が実際に感じていることを知り、受け入れていく、というプロセスが、成功する治療の中で必ず起こります。そしてその結果として、社交性不安障害をこじらせている、自分に対する評価も手放すことができるのです。人前で話すときに緊張するのは、恥ずかしいことではなく、むしろ人間らしいことなのだと、自分自身のことも受け入れられるようになると、社交不安障害は治ります。


“あとがき”から;
 社交不安障害の人が感じる孤独感や疎外感、自分には対人関係能力がないという無力感は、実は、症状そのものから来るのではなく、「生の」人間関係が乏しいところから来ているのではないかと思います。
 症状はあるとしても、「生の」相手との実質的なやり取りをするようになると、人間の心には豊かな変化がいろいろと生まれてきます。自分や他人の不完全さを受け入れることによる暖かい受容も生まれてきます。そんな中で、症状の相対的な重要度が下がってくると、症状も改善してきます。それが、社交不安障害への対人関係療法の真髄だと思っています。単なる対人スキルの訓練ではなく、実際の対人関係を通して、人間の温かさや自分に備わった力に繋がっていく治療だと思うのです。



<メモ>

■ 不安は自己防衛反応
 不安という感情は安全かどうかわからないと言うことを自分に知らせてくれる、安全確保のための機会を与えてくれるものであり、不安の存在意義は「安全の確保」である。

■ 不安障害とは?
 不安の「質の問題」ではなく「程度の問題」である。

1.不安の程度が強すぎて苦しいもの
 人間として理解できる不安、不安そのものの内容が異常なのではなく、「確かにその通りなのだけれども、いくら何でもそこまで気にしていたら生活が成り立たなくなってしまう」というところに特徴がある。本来自分を守るために備わった感情が強くなりすぎて自分を苦しめる結果になる。

2.不安そのものに不安を抱くという悪循環が成立
(例)パニック障害
 パニック発作はどんな人にも起こりうるものだが、「またパニック発作になったらどうしよう」という点に不安の対象が移っていく。つまり、自らの「不安(パニック発作)」に不安を抱き、それが次の不安につながり、その不安に対して不安を抱くという悪循環が成立してしまう。
 本来何が不安だったのかという客観的な見方がだんだんできなくなり、「なんだかわからないけどとにかく不安」という状態になってく。

 通常、不安という感情は、それを引き起こす状況を繰り返し経験することによって減じるが、社交不安障害では繰り返しにより不安が減じるということはあまりなく、むしろ繰り返しによりますます不安に焦点が当たっていくようなこともある。

■ 社交不安障害の診断基準(DSM-IV-TR)

1)よく知らない人たちを前にした状況や行為に対する著しく持続的な恐怖がある。自分が恥を掻かされたり、恥ずかしい思いをしたりするような形で行動する(あるいは不安反応を呈す)ことを恐れる。
2)1の状況にさらされると、ほとんど必ず不安反応が誘発される。
3)自分の恐怖が過剰、または不合理であることを認識している。
4)1の状況を回避しているか、強い不安または苦痛を感じながら耐え忍んでいる。
5)1の状況の回避や苦痛のために、正常な生活が障害されているか、著しい苦痛を感じている。

・社交不安障害は典型的には十代半ばで発症する。
治療をしないと慢性の経過をとり、自然に回復する率は低い
・社交不安障害を持つ本人も、自分の不安が合理的なものではないということを自覚している。だからこそつらい。
・「自分は病気だとは思わない」という感じ方も社交不安障害の特徴。「自分は人間としてできそこないなのだ」と感じている人がとても多い。
・社交不安障害は「回避性パーソナリティ障害」と質的に違いがなく、回避性パーソナリティ障害は、全般性社交不安障害のより重度な形であるという見方もある。
・うつ病は社交不安障害の人の約1/3に起こる。

■ 社交不安障害の治療のポイント
・社交不安障害が、ある日突然憑きものがとれたようにパッと治ることはない。
・社交不安障害は、複数の悪循環により維持されている病気である。このうち一つだけでも悪循環を打ち破ることができれば、計り知れないプラスの効果をもたらす。
・治療目標の大きな目標は「自分自身のコントロールを取り戻す」ことである。そのためには、自分に何が起こっているのかを正確に知り、実現可能な目標を立てること。
・対人関係療法では、治療目標を「症状」という自分が直接コントロールできないものにはあえて置かず、「自分の力を感じる」ことを目指す。回復のイメージは「不安症状がきれいになくなる」というものではなく「回復に向けての取り組みそのものが自分の力を感じるプロセスになる」というもの。結果ではなくプロセスに満足を見いだせるようになったとき、社交不安障害は本質的に治ったと言える。
・治療上の重要なポイントは、対人関係上の不一致は自分だけのせいでないことを理解すること。全て他人のせいにする人も問題だが、社交不安障害の場合の問題は、何でも自分のせいにすること。

■ 用語の整理;社交不安障害=社会不安障害=社会恐怖
・米国精神医学会の診断基準(DSM-IV-TR)の2002年日本語訳では「社会恐怖(社会不安障害)」
・2008年日本精神神経学会の改訂版精神神経学用語集(第6版)では「社交恐怖(社会不安)」
という経緯から用語の混乱を招いているが、上記は全て同じ意味である。

■ 社交不安障害の不安の本質は「人からのネガティブな評価を恐れる」こと
 ネガティブな評価をされたときに、「自分がその程度の人間だから」と、「自分の問題」として捉えるのではなく、そんな言動しかとれない「相手の問題」として捉えられるようになると、自分自身についての感じ方がだいぶ変わってくる。

■ 社交不安障害では「危険センサー」が過敏な状態
 不安反応による身体症状は、その状況を危険と認識したときに生物としての人間に起こる反応に過ぎず、本来はその危険から逃れるために体の機能を集中させるシフトである。
 社交不安障害では危険に対する不安反応そのものは適切だけど危険センサーが少しずれてしまっている。本来は危険ではない状況なのに危険センサーが働いてしまい、体が危険対応モードになってしまう
 その対策は危険センサーを調整することである。つまり、本当は危険でない状況に危険を感じなくなるにつれて、だんだんと治まってくる。

■ 認知行動療法(CBT)
 認知(物事のとらえ方)に焦点を当てた治療法である認知療法と、恐怖する状況に段階的に慣れていく行動療法を組み合わせた治療法。
 社交不安障害では、基本的な認知が偏っている。不安という感情そのものに対処することはできなくても、その不安を生み出している考え(認知)は客観的に見つめることが可能である。
 薬物療法に比べて再発率が低いが、無効例が40%以上ある。

■ 対人関係療法(IPT)
 現在進行中の重要な対人関係と病気の症状との関連に焦点を当てて治療をしていく期間限定の精神療法である。
 「現在の」対人関係に焦点を当て、社交不安障害という病気の症状がどのように現在の対人関係に影響を与えているか、そして現在の対人関係が社交不安障害にどのような影響を与えているか、というところに注目する。
 治療目標は、コントロールを取り戻して自分の力を感じられるようになること。
 不安障害に対する治療法なのに不安そのものに焦点を当てない、とてもユニークな治療法である。

■ 治療目標は「不安を感じなくなること」ではない
 不安の恐ろしさは「この先どうなるかわからない」ところにある。その「コントロールできない感じ」が怖い。
 治療目標は、不安を「コントロール可能なもの」にしていくことであり、それは「不安を感じなくなること」ではなく、「不安を正統な感情として理解し、活用できるようになること」である。
 「不安を感じなければ何でもできるのに」ではなく、「ある程度の不安を感じながらも」何かをすれば、それが結果として不安を軽くすることになる。

(社交不安障害)ネガティブな評価を恐れる→ 対人関係を回避する→ ますます自信がなくなり、ますますネガティブな評価を恐れる、という悪循環。
 ↓
対人関係をよく研究して、それを自分のコントロールの範囲内に納めることができれば・・・
 ↓
(治療過程)ネガティブな評価を恐れる→ 実際に人とやりとりをしてみたら、ある程度の成果を得られた→ 少々自信がつき、次のやりとりをしてみる気になる、というサイクルへ軌道修正していくことができる。

 ・・・治療効果は、徐々に、そして地道な努力の中で起こる。

 何の戦略性もなく、ただ人のいるところに行っても、おそらく失敗体験を繰り返すだけ。
 対人関係療法では「その場でどのように人とやりとりするか」というところに焦点を当てる。そのための作戦を立て、実際に何が起こったのかをよく振り返り、次へとつなげていく実験のようなものである。「失敗」に見えるものも含めて、一つ一つが成功体験である。
 不安は「病気の症状として当面仕方がないもの」として、また「現在どのくらいストレスがあるか」を示してくれる指標として見ていく(体温計の目盛りのようなモノ)。
 16回(4ヶ月間)の面接で社交不安が治ることはないが、「やり方」がわかる。その「やり方」を続けていることで自分はよくなるという感覚が持てる。すると、将来を自分のコントロール下に置くことができる。「この先どうなってしまうのかわからない」のではなく、「こんなふうにやっていけばよい」ことがわかるからである。

■ 不安センサーを調節するための第一歩は「自分の感じ方を肯定する」こと
 社交不安障害の人は、おそらくこれまでに「これは不安を感じなくてもよい状況のはず」と自分に言い聞かせる、ということを試してきて、うまくいかなかった経験を持っている。そうやって考えれば考えるほど不安に意識が集中してしまい、不安を感じる自分がおかしいという気持ちが強まってしまう。
 対人関係療法では、逆転の発想で「自分の感じ方を肯定する」ことからはじめる。自分の感じ方がおかしいと思っている限り変化は始まらない。自分の感じ方がおかしいと自分を責めていると、能動的な変化を起こすために必要な自己肯定感も育てることができない。
 どんな気持ちであれ、感じた以上は適切であり「不適切な気持ちなどない」。これは社交不安障害のような病気で、状況の意味づけを知るセンサーがずれてしまっている場合ですら正しいことである。
 自分の感じ方が不適切だと思ったときは「それが別の人の気持ちだったら」ということを考えてみると役に立つ。自分が逆の立場だったらどうだろう、という視点を持つことは自分の気持ちを肯定していくためのよいトレーニングになる。

■ 対人関係療法の実際
 現在進行中の重要な対人関係に焦点を当て、対人関係上のやり取りや出来事と、気持ちや症状とを関連づけて進めていく期間限定の治療法。
 治療の際には四つの問題領域のうち一つか二つを選んで治療焦点とする。

1.悲哀(重要な人の死を十分に悲しめていない)
2.役割をめぐる不一致(重要な人との不一致)
3.役割の変化(生活上の変化にうまく適応できていない)
4.対人関係の欠如(上の三つの問題領域のいずれにも当てはまらない=親しい関係がない)
(後から追加)
5.役割不安(本来は能力のある領域なのにリラックスできない)


■ 役割の変化
 生活上の変化にうまく対応できていないことが症状悪化につながっている場合。
(例)一般的に「よいこと」とされている昇進は、社交不安障害の人にとってかなりの負担になりえる。昇進すればそれだけ注目を集める機会も増え、昇進したのにつらいという自分を「こんな事では一生何をやってもうまくいかない」とますます絶望的に捉えることも多い。
 このような場合は「霧の中で遭難したと思っている人の霧を晴らす」イメージで扱う。
 起こっている気持ちをよく知って、安全な環境で表現して位置づけていくことと、自分を支えてくれる人間関係を再確立して安心感を作っていくことで、霧は晴れていく。すると、自分は「遭難」しているわけではなく単に「移動」しているに過ぎないことがわかってくる。
 相談できる、愚痴を聞いてもらえる、などのサポート源があれば、それだけ変化は乗り越えやすくなる。
 役割の変化によるストレスに対処するためには、不安を何らかの形でコントロール範囲に収めることが大切。そのために重要なことは「新しい役割に入る時に不安を感じるのは当たり前」と認識すること。
 これについては、似て非なる考え方を頭の中でしてみたことのある人は多いはず。「気にしないようにしよう」と呪文のように自分に言い聞かせるようなやり方・・・でもそういう方法は、まず、うまくいかない。なぜかというと、「気にしないようにしよう」というところに力点が置かれているために、現在の感情を肯定するという重要なテーマが抜け落ちてしまっているから。すると、気にしないようにしようとすればするほどますます気になるという状況に陥ってしまう。現在の不安を一度キチンと受け入れることによってしか、次のプロセスに進むことはできない。感情を受け入れる作業は、他人にも共有してもらうことで容易になる。

■ 役割をめぐる不一致
 対人関係上のストレスは、役割期待がずれるときに起こる。自分が期待していることと相手が実際にやっていることがずれていたり、相手が自分に期待していることが苦痛なことだったり、という場合である。
 社交不安障害をもつ人は「いい人」を演じやすい。自分のニーズよりも他人のニーズを優先させる傾向にあり、それはネガティブな評価を恐れるためでもあり、本人の自己肯定感の低さとも関連している。社交不安障害の人は「自分のニーズを伝えないことが相手との関係性をよくするための秘訣」と思っているが、実際の人間関係では、お互いに色々なことを打ち明け合うことにより相手への理解が深まり、親しくなっていくもの。相手は親しくなるためにもっと自己開示してほしいと望んでいるのに、こちらは親しくなるために自己開示を控えているというずれ(不一致)が存在する。
 ずれの原因を「自分の方がおかしい」と自分の責任だけにするのではなく、「相手の問題」「関係性の問題」として捉える習慣をつける必要がある。問題は自分にあるのではなく相手にあるのだという認識は、社交不安障害においては治療的になり得る。
 自己開示のきっかけは「気軽な一言」である。これを面接の中で一緒に考えることが多い。

 次のステップは「境界設定」と呼ばれる考え方。
 これは、自分側の問題なのか、相手側の問題なのか、という境界線をはっきりさせること。境界線がしっかりと引かれ、お互いの「敷地」を尊重し合うことができれば満足のいく人間関係が構築されるが、「敷地」を侵してしまうとストレスにつながる。
 治療において対人関係上で意識していきたいのは「自分の敷地を守る」こと。
 ネガティブな評価を回避することによって自分の敷地を守っていると思うかもしれないが、実際は逆で、「いい人」になってしまうことに代表されるような自己主張のなさは、相手が自分の敷地に入りこむのを許していることになる。
 本当に親しく安定した関係を作っていくためには、境界線をきちんと守ることが必要であり、問題が起こったときに、それが自分の敷地の話なのかどうかを考える視点を持つことが重要。
 これができるようになると、他人と親しくないことで寂しさを感じ、他人と親しくなることに恐怖を感じるというジレンマが軽減する。

 ずれを解消して安全かどうかを確認する方法は「コミュニケーション」しかない。
 しぐさなどの言葉を使わないコミュニケーション、直接的な言い方をせずに遠回しな物言いをする間接的なコミュニケーションなど、曖昧なコミュニケーションは思い込み・誤解の温床となる。さらに“沈黙”はコミュニケーションの打ち切りであり、最も破壊的な対応である。
 以上、問題あるコミュニケーションでは「生の」相手に向き合っていないという特徴がある。

■ 役割不安
 本来は能力のある領域なのにリラックスできない状態。
 身近に批判的な人がいたりした影響で、長年の間に身につけてしまった「根拠のない不安」。

1)社会的孤立
2)傷つきやすい自尊心
3)受動性/自己主張のなさ
4)怒りを表現することができない
5)対立の回避
6)リスクの回避
7)社交やパフォーマンスのポジティブな側面を楽しむことができない
 という要素が含まれる概念。

 まず、自分を「役割不安」から守るために身につけているパターンを検討してみる。
(例)
・いつも忙しそうにしている → ①
・人と一緒に時は常にスマホを操作している → ①
・その場の話に関心が無さそうなふりをする → ②
・人と目を合わせないようにする → ③
・できるだけ目立たないようにする → ③
・「いい人」になって相手のいうことを何でも受け入れてしまう → ③
(対人関係や自己肯定感への影響)
① 社交に関心のない人だ。
② 自分たちと関わりを持つことに関心がないんだな。
③ 自己肯定感をますます失っていく。「いい人」でいないと自分は好かれない、という感覚を増す。

★絶対に謝らない人
 「負けることへの恐怖」が潜在する。ほんとうは、ちょっとした行き違いの中で謝るということには「負ける」というほどの意味はないが、自己肯定感が低く、ネガティブな評価を常に恐れている人は「負け」に敏感である。絶対に謝らないという態度は、人間関係の断絶に直接つながることもあるし、社会適応としても好ましくないと思われることが多い。
 「謝る=負けを認める」という図式から抜け出して、謝ることも一つのコミュニケーションだと思えるようになることが目標となる。現実世界では「勝ち負け」以外の要素の方が人間関係にはむしろ多いことを体で覚えていく必要がある。

■ 社交不安障害の人は怒りの表現も苦手
 怒りは不安と同様、人間の自然な感情であり、無理に抑制するのはよくない。
 通常、怒りを覚えるような環境は「役割期待のずれ」があるような状況である。

■ 仕事における役割は定義がはっきりしているため「得体の知れない不安」が少ない。

■ 「自分は緊張症」とさりげなく公言してみる。
 不安を恥ずかしく感じないために、ことさらにそれについて口に出してしまうということも一つのやり方である。
 人から笑われる前に自分から話題にして笑わせてしまう処世術は、社交不安障害においても有効である。
 コミュニケーションを諦めてはいけない。

■ 「予期不安」に自分一人で対処するのは困難である。
 不安は「感じないようにしよう」と思えば思うほど不安になるものである。
 それを和らげる方法は、信頼できる相手に話すこと。否定したりアドバイスしたがる人は適切ではなく、ただ聞いて受け入れてくれる人がよい。

■ 自分以外の人の不完全さを受け入れていくことも、社交不安障害からの回復につながる。

■ 不安障害における不安反応は条件反射である。
 理屈を超えているので、新たな条件付けをしていくことでしか変われない。人間は機械ではないので、新たな条件付けにはある程度の時間がかかるため、対人関係に自信が付いてから、実際に不安反応が治まってくるまでには時間のギャップが存在する。
 不安反応が起こった時は、「以前のパターンが続いているだけ」「また症状が出たな」と認識し、引き続き精神面の安定を図る努力を続ければよい。

■ 社交不安障害の人の家族にできること
・治療可能な病気であることを認識する。
・本人の感情を肯定する。
・新たなパターンは本人のやり方で試してもらう。

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