大同マルタ会

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オランダから見た大同染工 -4-

2017年11月16日 | 技術
オランダから見た大同染工 ー 4 -
 1961年(昭和36年)オランダ「ブリシンゲン社」の技術者が極秘に旧大同染工を見学した報告書から  オートスクリーンプリント
 「イタリア製機械 『コメリオ』、 広巾使用で大きな型がついていた。しかし、これは稼働していなかった。 他に『イチノセ』製の日本の機械が 7台あった。これらの 7台の機械はすべて稼働しており、あらゆる服地をつくっていた。つまり、綿サテン、ポプリン、ピケの一種の生地をプリントしていた。

 これらの機械で 18色までできる。 送り(レピート)は 18吋で、プリント巾は加工された 36吋巾までだ。 布が片側から挿入される。 プリント板のいずこかに “送り”がつけられ、その間にスクリーンが印捺されるということだ。プリント板の先には(後方)乾かすための箱がある。それぞれの機械に 4人がついていた。

 プリントスピードは 7ヤード/分で、これは、 100 ヤードを 4.2 反/時間 つくれることになる。 デッサンを交換する(型換え)時間は 30分とみられた。
週に 48時間を二回りさせて、 9台の機械で、90万ヤード/月 がつくられているといわれた。 月毎で考えると、大体 9 × 4 × 100 時間 = 3,600 時間 ということで、これは 100ヤードを 2,5 反/時間でつくっている計算で、理論的には 4,2 反となる。 これは採算がとれる数字だ。
 これらの機械によって美しい作品が仕上がっていた。 我々の写真版ローラープリントの効果は制限されたものとなっている。 (私は金属をもってきていた) )」
 【 注:― 《意味不明》 おそらく、スクリーンで出来ない金属の写真版彫刻を持って対抗しているということか ?】

「更に、特定の効果を出すために、”型”は惜しまず使われていた。綺麗なデッサンのために (色数)10~12 枚の型を使うことも当たり前だった。 我々が銅版深印刷で到達することの出来る効果は、スクリーン機械の写真版ではできない。
ストライクオフ(見本作成)に関しては冷たい板の上で、かなり原始的方法でつくられていた。この作業はきわめてゆっくり行われていた。 通常、 各配色に対して 4ヤードカがつくられ、 1ヤードは顧客に送られ、そのほかの 3ヤードが自分たち用にとっておかれていた。 顧客が要求すればもう数ヤード余分につくることができたが、これは通常のプリント価格に上乗せした特別費用を必要とした。」

箱 (乾燥機)
「特に注意に値することはなかった。」
 
加工部(後工程)
「すべての加工(蒸し、後染め、水洗など)は、広巾の機械で行われていた。」

     東山十条87