元大同マルタ染工社長の中山久英さんが他界されました。
中山さんは去る10月9日94歳で永眠なされました。
中山さんは
大正11(1922)年 7月13日奈良県天理市(旧・丹波市町)生まれ(享年94歳)
昭和15(1940)年 奈良商業学校卒業
昭和17(1942)年 9月名古屋商業学校卒業
昭和17(1942)年 10月旧・東京商科大学(現・一橋大学)入学
昭和18(1943)年 学徒出陣(海軍第14期飛行予備学生)・マニラ勤務
昭和20(1945)年終戦・捕虜収容所へ
昭和21(1946)年復員・復学
昭和22(1947)年旧・東京商科大学(現・一橋大学)卒業
昭和23(1948)年東洋染色(株)入社・その後(S.24)東洋紡績(株)に吸収合併
昭和和53(1958)年同社常務取締役
昭和56(1981)年大同マルタ染工(株)顧問・翌年同社取締役社長・その後会長
平成4年(1990)年日本染色協会会長
中山さんは若い時からいろいろ御苦労なされ、最後の会社勤めも大同マルタの再建という全く予期もせぬ苦難と闘い、大変だったと思います。その様子は中山さんの著書「渇仰」・「返照」・「私の風景」に詳しく書かれております。
私たちは中山さんが大同マルタの中興の祖と心に刻んで欲しいと思います。それと同時に、折角中山さんが立て直した大同マルタを失ったことに心からお詫びをしなければならないと思います。
中山久英さんのご冥福を心よりお祈りいたします。 合掌
この稿 田中 頌でした。
明るく闘病しておりました本人ですが、残念ながら力尽きてしまいました。しかし、体の状態には困難な部分があるものの、頭は最後まではっきりしていました。亡くなりましたのが、連休前日の夜でしたので、親族のみで送ることとしましたが、会社関係・OBの方の御参列もいただき、大変恐縮に感じ入っております。御連絡すべき方々に一報をお入れできなかったこともあったかと思います。失礼の段、お許しいただけますとありがたく存じます。
その後もあわただしく過ぎましたが、おかげさまで先日四十九日をすませることができましたことを御報告させていただきます。
御紹介にもあげられている本人の文章を、私は生前にはまともに読むことをしないままでしたが、改めて読むと、なかなか波乱万丈な人生を全うしたのではないかと愚考しております。
このたびは、お気遣いありがとうございました。今後のOBの皆様方の御健勝を心よりお祈り申し上げます。
ありがとうございました。