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昨日酷暑の中を京都まで八重の桜展示会に家内と共に足を運びました。
会場はNHKで放送中のため多くの人でいっぱいでした。
弘化2年(1845)、会津藩の砲術師範の子として生まれた八重は飛び抜けた才能の持ち主であったと伝えられていました。
戊辰戦争では新政府軍との戦いで鶴ヶ城に籠城。自らも銃をとって奮戦しますが、会津藩は戦いに敗れます。
敗戦後は、兄の山本覚馬を頼って京都に移り、その半年後には、女学校{女紅場」の教師となりました。
明治8年(1875)アメリカ帰りで後に同志社大学の創立者となる新島襄と出会い、その翌年には結婚します。気高く毅然と立ち振る舞う八重の生きざまを、襄は「ハンサム」と評しました。
会津戦争で負けた会津の人々は努力して教育者・京都府の官吏・中央の官吏に薩・長・土・肥の氏族をものとはせずに登り詰めております。
本当に会津の氏族は苦難を乗り越えた偉い人たちであったと思います。
奥州万歳!東北万歳!
ならぬものはならぬものです。
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