爺さんの独り言

雑木林から街中に帰ってきた爺さん

義母の死

2011年09月05日 | 日記
 連れ合いの母が他界。3泊4日、北陸の地へ行って来た。90歳であったので、現在のような長寿社会にあっても、まずまず良い年齢であったと思わなければならないのだろう。それでも、永久の別れは寂しいものではあるが、自分は義理の間柄、むしろ連れ合いの心を思いやる気持ちの方が強い。死ぬ前にもう一度、会っておいて欲しいと言うので、5月に一緒に行って、入院中ではあったが元気に話をする姿を見ていて本当に良かったと思う。昔はよく喧嘩もしたそうだが、若い頃はなかなかの二枚目だったという夫の写真を病院のベッドのそばに置いていて、部屋に入って来る医者や看護婦さんに盛んに夫の話をしていたようだ。自分たちが行ったときも夫の話が途切れることが無かった。

 死んだ人の顔はどうしてこんなにきれいなのだろう。義母の顔を見てそう思った。安らかな良い顔をしていた。そして驚いたことは、その夫である義父の顔によく似ていることだった。生きている時は義父と違って大きめの丸顔であって、似ていると思ったことはなかったのだが、今回行って死に顔をみて本当によく似ていると思った。84歳で無くなり先にあの世に行っている義父が迎えにきたのだろうか。その顔をみてそう思った。

 北陸の地は浄土真宗の盛んな地、お墓に行っても90%以上が”南無阿弥陀仏”であり、”何々家の墓”と大きく書かれた墓は少ない。浄土真宗の教えでは"死即浄土”、49日を待たずして極楽浄土に往生しているはずである。火葬場に行って思うことは"無常”、“諸行無常”。 生が終わる時、死も終わる。みんないつかはこうなる。この世にいる間、残された日々を楽しく生きて行きたいものだ。楽しく生きて行くの上で、一番大切なことは連れ合いを大事にすることだろう。よき伴侶に恵まれたことは最高の幸せなのだから。

   




 
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