Uさん、こんばんは。
「キヤノン機のシャッターフィーリング」に関連した投稿です。
一昨日、カメラ全般のシャッターフィーリングについて言及しようとしたところ、最初にキヤノン機のことに触れてしまったので、そのままこのメーカーについてのお話になってしまいました。
が、自分が言いたかったのは、特定のメーカーについての事ではなく、写真機という一種の道具における、操作官能性についてでした。
写真機というのは、実際に人が手に取り、接眼レンズを覗き、対物レンズを繰り出しで焦点を合わせ、各種の機能ボタンを押下・動作させることで、そのイメージが撮像素子に結像され機械内部の保存機構に記録されます。
そして写真機のこの道具性;人が手に取り・操作したときの感覚、すなわち、可動部の動きが滑らかだったり、グリップがすっと手に馴染んだり、ファインダーが広く明るくて見やすいなど、感覚・感性に響くようなモノとしての作りこみの良さは実に大切なことだと考えています。
外見・すなわち意匠も同様であり、人の心に訴えかけるような美的感覚も重要です。
大枚をはたいて買ったカメラが押すと凹むようなペラペラとした貧相な外装で、直ぐに塗装が剝げ落ち、ボタンが取れたり外れたり、シャッターを押すと、ガシャンという大きな安っぽい音、手の平にダイレクトに帰ってくる衝撃。レンズの焦点合わせのリングがゾリゾリと摩擦があって、除き窓は狭くて暗く、対象に焦点を合わせにくい....外見は縦横のバランスが取れておらず、奇抜な色合いで塗装されているどうしようもないカメラ・レンズだけど、撮れる写真はそれなりに素晴らしい。
そんなカメラ、進んで使いたいと思う人は少ないでしょう。余程の銘柄でなくては高額な製品がこれで許されることは少ないと思います。
肝心の絵が良くても、他のことが気になって、どうにも写欲がなかなか起こらないかもしれません。
人が道具として使う以上、物としての上質さ、手に取ったときの印象・手から伝わる感覚・目から得られる情報が、すなわちカメラを操作することから得られるフィーリングが、写真撮影においては併せて大事な要素であり、このことで良い写真を撮ろうという意欲が一層喚起されると自分は考えています。
そして決定的な場面で操作を行う、事を決するときに使用するシャッターボタンのレリーズ感覚、シャッター機構の動作音・ショック、ファインダーの見え具合は、とりわけ大事な要素ととらえています。
話が随分戻りますが、あの投稿の冒頭で書いた、”自分の意見は異なる”というのは、絵が良ければシャッター音やショックはそれほど論議にならない、大した問題ではない、と切り捨ててしまえないものはやはりある、ということなのです。
それらは大事ですよ。それらの事柄を気にしている人はそれなりにいます、ということに言及したかったということなのです。
だから掲示板でシャッター音が不満ということについて書き込み、追従した他の投稿者からけんもほろろ、皆から袖にされ、意見が一蹴されても悲しまないでで良いと思います。
市井には、この感覚を大事しているアマチュアカメラマンが沢山います。
自分などは、フィルム時代から写真撮影を行っている古い人間で、更新の激しいデジタル機器に対する向き合い方としては、時代遅れの感覚なのかもしれませんが、これからもこの気持ちを大切にしたいと思います。
※ですが実際のところ、自分もシャッターフィールも悪く、筐体の仕上げも安っぽく、ファインダーも見ずらいカメラを何台も持っています。優柔不断でしっかりした判断が出来ないまま入手し、何となく手放せずにいるカメラ達です。現実には、思うような機種はなかなか手に入れられませんね。
では、これで失礼します。
ごきげんよう。
さようなら。