木陰の椅子

「シニア夫婦二人暮らしのつれづれ」から「一人ぼっちのつれづれ」に。明日も良い日にするために頑張りたいなと思います。

あと1ヵ月の辛抱…

2023-05-31 | つれづれに

昨日は、左足首捻挫受傷後27目の整形外科受診。
大分良くなっているが、やはりあと1ヶ月はかかるらしい。
レントゲンを見ると、ヒビが入ったヵ所がまだ横一文字の黒い線というか影のようになっている。この黒い部分が白くなれば、くっついて骨になったことになるんだとか。

ゆっくりなら杖を使わなくても歩けるようになったが、歩を進めるたびに痛みはある。
先生曰く、「まだ1ヶ月じゃ痛いのは仕方ないですね」と。「年寄りだから治りが悪いのでしょうか?」の質問には「それはないです、若い人でも2ヶ月はかかります」との答え。
それだけのケガだったということか。

 

 

〇〇歳ひとり暮らしの……とか、〇〇代一人暮らし大切に……とか、〇〇シニアのかろやかな一人暮らし……とか、今、シニアの一人暮らしに関するネット記事や書籍などが氾濫している。
この私も、昨年夏から後期高齢者の一人暮らしがスタートしている。そして、次々とアクシデントに襲われている。

昨年12月3日の日記に「不運ラッシュもジ・エンド?」と書いたが、けっきょくその後も続々と続いていて、先月も玄関の鍵が壊れ、内側からはどんなに頑張っても掛けられなくなった。仕方ないから、外側から鍵を使って掛け、デッキから室内に入る、なんて不便なことをやっていた。市内の信頼できそうな業者さんが見つかって、補助鍵も取り付けてホッとしたのも束の間、副鼻腔炎になり、それも完治しないうちにこの度の左足首捻挫。

 

 

私本人はもとより、姉妹やお嫁さん方も同情を通り越して呆れ半分。それでも「今度こそこれで終わりだと思うよ」と慰めてくれる。私もそんな気がする。いや、終わりにしなければと、強く念じている。

あと1ヵ月、慎重に慎重に頑張ろう!

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「このタイミングで花粉症(副鼻腔炎)?」からのこと⑤

2023-05-29 | つれづれに

5/4
さすがに入浴はやめ、ロキソニンテープを貼って布団に入った。動かなければ痛くない、ズキズキと疼きもしない、それを根拠に「大丈夫、日にち薬で良くなるだろう、医者に行かなくても大丈夫」とほとんど安心しながら。
しかし朝一番に、右足の1.5倍ほどに膨れ上がり、足底以外は、赤黒紫に指の先まで変色した左足の悍ましさは、一瞬、呼吸するのを忘れるほどの酷さだった。
気持ちを静めて「内出血だろう」と自分に言い聞かせ、摺り足でビッコ引き引き、何とか最低限の用事を済ませてからは、ひたすら横になって過ごした。娘からは「明日早朝には行くから」と、ラインで返事があった。

5/5

娘が来てくれた安心感も手伝ってか、だんだん痛くなってくる左足に不安が、ぐんぐん湧いてきた。「楽だから」と、お使い時には、登山をしていた頃のストックを持たされたが、摺り足・ビッコ歩行はスピードが落ちていくばかり。

娘には「医者に行こう」とうるさく言われたが、骨の関節の病を持っている身としては、その主治医のいるI病院での受診以外は考えられないから、「GW明けまで待つ」とか、「駅まで送って行ってもらって行こうかな」とか、ころころと変わる言い訳を言い続けた。
が、実のところは「そんな迷惑をかけられない」とか「何とか自力でいけないかな」とか、助けに来てくれているのに、場違いな遠慮をして困らせていただけだったように思う。

 

5/8
週明けになってもまだウジウジしていたため、半ば強引に、娘の車でI病院に連れていかれた。

何枚ものレントゲン撮影後に診察してくれた整形外科の医師は、「レントゲンでは異常なしですが、腫れ具合が酷く心配なのでCTを撮りたい」との診たて。CT検査で、くるぶしにヒビが入っていることが分かった。
医師はすぐに「ギブス」という言葉を口にしたが、その後しばし沈黙。「今からギブスというとすごいストレスでしょう。受傷後1週間近く経っているけれどズレ等も出ていないし……」と、またしばらく言葉を切った。

そして「ギブスは無しにしましょう。ただし、痛み止めは出しません。痛みが軽くなると動いてしまいますから。外出は極力しないで、安静にしていること。それが約束です。もう1度クルッとやったら手術になることを覚悟してください」と言い渡された。

「老いては子に従え」と言われるけれど、それを実感した。
受診して良かったとしみじみ思った。
あのまま「日にち薬」に頼って、少しは動かした方がいいなどと素人療法で無茶動きしていたらと考えると、ゾッとする。

意地を張らないで、もっと可愛いばあちゃんにならなければ。
そしたらもっと楽なのに…。
周りも安心できるのに…。
と、甘え下手を後悔する。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「このタイミングで花粉症(副鼻腔炎)?」からのこと④

2023-05-27 | つれづれに

5/3、今日もピカピカ良い天気。
外へ出て遊び始めた姫孫たち。ボールでひとしきり遊んでいたが、次は、電車ごっこをすることになった。
ロープで大きな輪を作り、長女孫が運転手さん、次女孫、三女孫、しんがりは私、脇をママがかためて、サイクリングロードを走る(歩く)。
笑い声を聞きつけてやってきた隣家のチビ友ちゃん2人が、その列に加わって、総勢6人となった電車は超満員。前の子を踏んづけないように変な歩き方をせざるを得なくなってすぐのことだった。

 

 

一瞬の不覚‼️
アスファルトの窪みに左足がはまり転倒してしまった。
痛みが走ったわけでもなく大笑いしながら立ち上がろうとした時に、激痛に襲われた。どうやら左足首を捻ってしまったようだ。
しばらくは痛みの為に立ち上がることも、もちろん歩くこともできなかったが、6人の固まった様子に、力を振り絞り、何気なさをよそおいながら、とにかく家に向かった。
ビックリしたのだろう、続いて長女孫が派手にスッテンコロリ、両肘・両膝をかなり擦りむいたが、必死で堪えている様子が可哀想でならなかった。
午後2時、一家は東京に帰ったが、寄る予定だった夫のお墓への同行も、駅まで見送ることも出来なかった。

 

 

翌日からは東京の娘宅に行く予定だった。
ネモフィラを見に行こう、混むのを承知で動物園にも行きたい、大好きな小説に登場する神社にもお参りしたい…帰りは娘が車で送ってくれて、今度は娘が数日間、我が家に滞在するというGW〆めの計画が待っているのだ。

東京に行くのも娘宅に行くのも、何年ぶりかにやってきた機会、行きたかった。
どこにも遊びに行かなくてもいい、ただ行きたかった。

一人になった家で、「痛みはきつくても摺り足ビッコで歩けるのだから、骨折はしていないはず、明日は予定通り東京へ行こう」、「いや無理無理、この状況では東京までは遠すぎる」と、いたずらに堂々巡りして過ごしたが、夜8時、行けなくなってしまったと娘にラインした。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「このタイミングで花粉症(副鼻腔炎)?」からのこと③

2023-05-27 | つれづれに

薬の服用は続いてはいたが、鼻の調子もだんだん良くなり、まあまあ快適に過ごせるようになって、ふと周りに目を向ければ、「今年は大丈夫だった、良かった!」と、順調な生育を喜んでいたタマネギに、やはりカビが出てきて、あっという間に腐り始めた。
3年間、毎年毎年、ほぼ全滅。
土の改良に一生懸命だった夫の努力がようやく実ったと喜んでいたのに、なんたることよ。
そんなこんなにあたふたしているうちに、気が付けばGWに入っていた。

5月に入り、2日、3男君一家5人がやって来た。
6歳、4歳、3歳の姫孫ちゃんの可愛さと言ったら、言葉にできないほど。
まずは大騒ぎでイチゴ狩り。
それから、未だに完成しないペーパーハウスに色を塗り、お花をつけ、朗読劇で腕を磨いた(?)絵本の読み聞かせをして……。

 

 

夕食の五目寿司は、長女・次女孫ちゃんの二人がマゼマゼし、盛り付けし、後片付けまでしてくれた。
長女孫ちゃんの、洗い桶の底まできちんと洗う片付けっぷりには脱帽。
べたべたくっついてきたり、どこへ行くにも後をついてきたり、お布団に入る時は、順番におやすみなさいの“ギュッ”。
「一緒にお風呂に入る」と言い出した時は、さすがにやんわり断ったら、「どうして、どうして?」と許してくれない。
「だって、ばぁばはね、しわくちゃなんだもん。恥ずかしいよぅ~」というと、生意気にも大うけ。しわくちゃを見たいと騒ぎ出した。

 

 

一人で寂しく過ごしているはつゆきばぁばは、嬉しくて幸せで、泣いてしまいそう。
「夫にもこんな風な喜びを味わわせたかった」と思ったら、もうダメ、慌ててそんな思いは追い払い、「おやすみなさい、また明日ね」と3人を寝室に送った。

 

このところの傷んでいた日々も、今年もダメだったタマネギのことも、夫が居なくなってから、これでもかこれでもかと続いているアクシデントのことも、スッポリと頭から抜けていた1日だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「このタイミングで花粉症(副鼻腔炎)?」からのこと②

2023-05-27 | つれづれに

17日の受診からしばらくは、体力的にかなりキツイ日が続いたが、皮肉なことにいろいろな事も集中もした。
まず車の6ヵ月点検。
かなり重症の方向音痴の私は、限られた場所数ヵ所にしか運転していけないが、ここも然り、一人で行ったことがない、したがって行けない場所。でも行かねばならない。

前にお嫁さんが来た時にシュミレーションしていたが、やはり迷った。広い通りの向こう側に工場はあったが、中央分離帯があって、辿り着けない。予約時間に十分な余裕をとって家を出たのに、けっきょく遅刻した。

 

 

朗読劇の練習。
慰問活動も少しづつ復活してきたが、出来上がっていたルーチンというか、様々な取り決めはコロナ禍の間に崩れてしまっていて、最初からとはいわないまでも、練習なしには上演できる状況にない。今回の作品で私は音楽係なので、朗読者とのタイミング合わせは避けられない。声を出さずには済んだが、長時間の音合わせは辛かった。

何よりも畑作業が気がかりで気がかりで…。
堆肥やトマト苗など近所からいろいろいただいても、準備が何も出来ていない。それどころか1度きれいにした箇所が元の木阿弥、草が伸び放題なのだから、気持ちは焦るばかり。15分20分と細切れに、何度も何度も畑に出かけてはみたが、とうていなんとかなるはずもない。

 

 

他にも幾つかの約束を断り、5日分の薬では良くならなかった耳鼻咽喉科を再受診し、義理息子夫婦の突然の帰省があり……GWも近づいてきた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする