強風と猛烈な冷え込みで外に出る気になれず、かつての仕事部屋に何年も蓋を開けていないダンボールを見つけ、整理しようと思いたった。
正社員として再び働き始めたのは、下の子が小学4年生になった時で、そういう職種があることさえ知らなかった写植(写真植字)オペレーターとして。
32歳だった。
活字を用いず、文字板からレンズを使って1文字1文字ずつ感光紙に印字して印刷版をつくるもので、2ヵ月の講習後、現場に配属された。この再スタートが、後期高齢者となった今に続いてる。
40歳になった頃、仕事の幅を広げたくて夜間のデザイン学校に通い版下を学び、カラス口等を使って取説用のイラストなどを描いたり、切ったり貼ったり、顧客から受注して印刷所に渡すまでのなにもかもを手仕事で進めた。
楽しかった~!
やがてデジタル化(DTP)が進んで、それらはパソコンで出来るようになり、若者たちが入社してきて、私はデザインやコピーライター、旧態依然の版下、営業・顧客管理、やがて経理と仕事は多岐にわたり始め、"何でも屋さん"は定年まで続いた。
これらも楽しかった。
やりがいがあった。
のめりこんだ。
娘が交通事故で重傷を負って長い入院生活となり、共通の話題を得るため、一緒に放送大学で学び始めたのは42~43歳の頃?
30代半ばから会社の同僚たちと山歩きはしていたが、慢性関節リウマチ発症でその仲間たちとの山行が難しくなり、一人登山をすべく基礎から山のことを勉強しようと、1993年5月、区主催の「中高年のための山歩き講習会」受講。
受講後、講師に指名されて40名ほどの山の会を設立。一人登山どころか、15年間副会長として大勢の仲間達と山を楽しんだ。
いつ頃だったか、柳ジョージが好きだったこともあった、のを思い出した。
BOX型のツアー記念カセットテープ。コンサートに行った時、買ったのかなぁ?
このての整理は思い出の虫干しに終始して進まないものだが、キチキチに詰め込まれていた半分を処分できたことにビックリ。今ではそれほど思い入れもなくなったのかもしれない。
ダンボールはあと2つ。
コンサートグッズとか、映画のパンフレットとか、諸々の企画展ノベルティとか、旅のあれこれとか、手がけてきた仕事関連とか、こちらは思い入れの強い物たち。
今回のようにさっさと出来たらいいけれど、多分出来ないだろうな。