9月まで見ていた「新宿野戦病院」と同じ時間枠だったので、なんとなく見ています。
ちゃんと最初からしっかり見ているのですが、いまだに全体像が見えてきません。Tverで見直したりしているのですが、それでもよく分からないのです。
たぶん全体像が見えてしまうと、それで最終回になるのでしょうね。
まず登場人物の名前が難しくて覚えられない。はずかしながら名前を覚えたのは興玉雅だけです。登場人物が通常の名前と神様としての名前の二つを持っているので、それで覚えにくいのかもしれません。
ドラマとしては、とにかく説明のセリフの部分が長いです。内容的に仕方がないと言えば仕方がないのですが、持って回ったストーリーなので、余計にそう感じるのだと思います。
ドラマは主に雨野小夢の視点で描かれています。まずそのことを理解しないといけません。ドラマは小夢が天宇受売命としての記憶を完全に失った状態からスタートしています。
前回は興玉神だと思っていたら天石戸別神でしたという、とりとめのないストーリー展開です。ちなみに天石戸別神は「御門の神」らしいです。
今週は放送がないので、最終回まであと2回か3回なのでしょうが、いまだに「ひるこ」の正体がわかりません。「ヒルコと全面戦争の状態にある」と興玉神が言っていましたが、そうなった経緯もわかりません。日本神話に出てくるヒルコにそういった役柄を押し付けてよいのかどうかも疑問です。
天宇受売命は宮比神と同一視されることもあるようで、宮比神は興玉神と共に内宮の守護神的な立場のようです。ですから、そういったイメージで理解しようとしていたのですが、それも崩れてしまいました。
日本神話の神々を現代によみがえらせるというアイデアで独特の雰囲気を作っていますが、それだけなのかもしれません。
理解不能なストーリーのまま、それでもなんとなくまだ見ています。
このドラマの視聴率が必ずしも高くない理由は、ドラマの作りがわかりづらく、持って回ったストーリー展開にしているからでしょうか。出ている役者は皆さん素晴らしいです。
警部補役の成海璃子はいつのまにか大人になりました。「瑠璃の島」での印象は今でも記憶に残っています。それから映画「神童」も記憶に残る映画でした。
さてさて、神様がたくさん登場していますが、皇室に直接つながる神様は出てこないのでしょうか。
今調べたら豊玉毘売命は神武天皇の祖母にあたるようですから、別にそういったシバリはないみたいですね。
月読命にしても、アマテラスと姉妹です。その月読命が人間?にあっさりと殺されてしまうというのが、不可思議なのです。天宇受売命も人間?に殺されたようです。しかも殺された場合、神として再び転生できないこともあるという設定のようなのです。そのあたりはよく分かりません。
なお小日向文世さんが演じている宇迦之御魂神はお稲荷様の神様です。このドラマでは男神として描かれているのだと思いますが、女神とする見方も古くからあるようです。
このドラマは、日本神話の勉強にはなります。
日本神話については、こんな時でもなければ調べ直しません。
一般論としては、人間の中にこういった特殊な(特別な)人達がいるという考え方は、危険な考え方であると思います。生まれながらに使命を帯びた特別な集団の一員という意識(いわゆる選民意識)は、たいがい社会に対立を作り出し、紛争の火種になります。
そうではなく、すべての人々が神の生まれ変わりであるとか神の化身であるとかというのであれば、対立や差別を生むことはないのであります。
日本の場合、八百万の神々がいらっしゃるわけですし、一木一草一石ことごとく神の現れであると、そう考えるのがよさそうです。
なお、古事記や日本書紀に登場する神様は、それらの書物が作成された当時の王朝の人達の祖先崇拝の産物であり、なおかつ自分たちが王族であることの正当性を示すものでもあったはずです。
《 追記 》 最終回。「事度を渡す」、むずかしい言葉です。ドラマでは「神についての記憶を消し去ること」みたいな感じに使われていました。
修理固成、「おさめつくりかためなす」とでも読むのがよさそうです。
ヒルコが感じている「人間の傲慢さへの怒り」と「それを甘やかして放置している神々への怒り」が、このドラマの隠れたテーマなのでしょうか。
日本の信仰の基本はたぶん「祈りと感謝の心」なのだと思います。春に八百万の神々に祈り、秋に八百万の神々に一年の無事を感謝する。あるいは朝に祈り夕べに感謝する、あるいは同時に感謝し祈る。まず感謝してそれから慎み深く祈るというのが一般的でしょうか。
そういえば最近祈ってばかりで感謝の気持ちが足りなくなっていたように思い反省しました。
大自然に対する感謝、生きとし生けるものへの共感と慈しみ、そういったものが日常生活のベースに必要です。田舎で暮らしているからかもしれませんけどね。
二宮警部補は誰なのか。二宮は呪符を外されても、基本的なところではあまり変わらなかったですよね。呪符で操られていたというのとはいくぶん違うような感じでした。ラストの近くではベッドで船を編んでいました。舟を編むのは誰かというと、ヒルコ本人ではなく母のイザナミだと思うのですが、イザナミは死んで黄泉の国の主宰者になった神です。アマテラスが高天原の主宰者であるのと対照的です。病院から抜け出した二宮が続編に続くということはあり得るのでしょうか。
「人間は科学技術により神と同じような力を得た」的なセリフがありました。しかし現状を見れば科学技術はまさに「禁断の果実」そのものだったように思われます。科学技術が生み出した核兵器、AI。最近ちょっと気になるのは「鏡像細菌」。どちらにしても科学技術の暴走はだれにも止められません。そして人類文明は最終的に自分たちの生み出した科学技術のどれかによって滅ぶことになります。滅びたくないなら、強い強制力を持って地球全体の科学技術をコントロールすることが必要です。それができますか。
核兵器を見れば明らかなように、持っている国々が、自分のことは棚に上げておいて、これから持とうとする国を制裁したり空爆したりしているのです。とんでもない話です。これって階級社会そのものです。核兵器を持っているグループは自分たちを特権階級だと思い込んでいるということです。似たようなことはほかにもあります。
閑話休題。いちおうドラマは、ヒルコは実は役小角(えんのおづぬ)だったということで終わりましたが、無理がありますよね。役小角とヒルコには関連が全くない。役小角が「ヒルコ」を名乗る理由がわからない。役小角は仏教系の修験行者の元祖みたいな人です。
そういえば京都の局長は「あまでら」さんでしたから「アマテラス」でしょうか。
それから意味が分からなかったのは、宇迦之御魂神が戦闘態勢に入る時に、指先を噛んでその血を唇に塗ったしぐさ。かつてどこかで見たような気はするのですが、わかりませんでした。たしかに雰囲気はあるんですけどね。
さてさて、エンディングはわずかに続編を匂わせていたのかもしれませんが、たぶんないでしょうね。