如意樹の木陰

古い記事ではサイババのことが多いです。
2024年に再開しました。

春の旅(4)

2007-08-30 22:21:41 | インド旅行記
ビブーティー
インドに入ってから5日目、バンガロールに着いてから4日目である。
ゲート前の店で背もたれと座布団を買う。これで今日は足や腰の痛みを気にする事なく、サイババに集中する事ができるはずである。
アシュラムの敷地内はいつもきれいに掃除されていてゴミひとつ落ちていない。これはボランティアの人達が掃除しているらしく、会場に集まってくる人々を整理する仕事をしているのもボランティアの人達らしい。
サイババの周囲にも取り巻きの人はいるのだろうが、出家をした僧侶のような人はいないのではないかと思う。そういう職業的な宗教の匂いは感じられない。
サイババを待つ間、前庭の列に並んで座わり本を読んでいると、とてもよい気持ちになってくる。ダルシャンの行われる会場に入ってからもやはり本を読んだり、瞑想?をしたり、待つ時間を楽しむようになってくる。それによって、サイババに会うための準備ができてくるようである。
ダルシャンの会場に最後に入ってくるのは、いつも学生達である。高校生か大学生かわからないが、服装は白で統一されている。その学生達が200人くらい小走りに入ってきて舞台の正面に用意された場所に座る。学生が入り終わるのを待ちかねたように、会場にインド音楽が流れ、ダルシャンが始まる。サイババはふたりをしたがえてゆっくりと歩いて来た。
ホワイトフィールドの会場は、三方が壁のない吹き抜けで、屋根は光が透けるプラスチックの材質のものである。屋根の高さも充分にあって、木陰にいるような開放感がある。その会場の外から、サイババはいつものように会場の外にいる人に手を振って答えたり言葉をかけたりしながらゆっくりと入ってくる。
集まった数千人の視線が全てサイババに向けられる。拍手も歓声もない。会場は静かである。熱狂した感じは全くない。ただみんなの目と心がサイババに注がれている。サイババの移動に合わせてみんなが自然と向きを変える。少しでも長い間、少しでも近くでサイババを感じていたいと、誰もが思っているのだ。
ゆっくり歩いているはずのサイババは、しかしあっというまに会場をくまなく歩き、手紙を受け取ったりビブーティーを出したりする。
ある人は「サイババのいる周囲の空間だけ異次元のような感じがする。」と言い、ある人は「サイババのオーラで会場が満たされている。」と言う。確かにそうかもしれない。二日前に初めてここに来た時は感じなかった何かに、いつのまにか包まれてしまったような気がした。
人によっては「そこに集まっている数千人の人々の欲望で背筋がゾッとするようだ。」と言うが、そんな風な感じはなかった。サイババの信者は「誰でもサイババに呼ばれた者でなけサイババの元に来る事はできない。」と言うが、まあ、広い意味ではそうなのかもしれない。イスカリオテのユダはイエスに呼ばれたのである。

バジャンという神をたたえる歌を歌い終わりサイババが会場を出ていくと、それをもってダルシャンは即終了する。このようなダルシャンが毎日毎日だぶん365日朝夕に行われているはずである。これはすごい事だと思う。もし仮に、彼が神の化身を演じているとすれば、この毎日毎日の興行はとてもやりきれないものなのではないかと思う。

サイババは1926年11月に生まれたというから70才になるわけだが、その年齢に比べればずいぶん若く見える。肌のつやもいいし、精悍な感じさえ受ける。老人には見えないし、魅力的である。

インドには有名な神様がたくさんいる。男神ではシバ、ヴィシュヌ、クリシュナなどが有名だ。女性の神様もたくさんいる。しかしサイババがそういった神の生まれ変わりかというとそうでもない。「そうでもない。」というのは、「一面においてはそうでもある。」ということである。神をどう説明しても一面的な説明にしかならないのである。「すべての宗教の神はひとつである。」とサイババは言う。
ただ、彼はインド人であり、ヒンドゥー教の世界の人である。それでアシュラムにはクリシュナやガネーシャやサラスヴァティーの像が置かれている。その中でもクリシュナは別格らしく、マンディールの祭壇に置かれていたのはクリシュナであった。

アシュラムの近所に、サイババや仏陀の写真の表面にビブーティーなどの粉が吹き出す民家があるというので、高山さんに連れていってもらった。行って見るとごく普通の家なのだが、確かにサイババの写真に白い粉が厚く付着してる。サイババの写真の隣のシルディーのサイババの肖像画には赤い粉がやはり厚く付着している。また、部屋の奥の方には仏陀の絵があって、それには白い粉が付いていた。この場所以外でも同じような現象が起きているという話を聞いている。付着した粉を削り落としても、また数日で元の通りになってしまうという。真偽のほどはわからないが、不思議なものを見せてもらったという感じはした。
私がブッディストだと言うと、その家の主人は仏陀の絵に付いた粉をかき落として紙袋に入れてくれた。粉の下から現われたのは、まるで女性のように美しい色白のヒンドゥーの神様である。「これが仏陀ですか。」と私は主人に聞き返してしまった。しかし、それからついまた手を合わせてしまった。

春の旅(3)

2007-08-30 20:49:33 | インド旅行記
旅の予定
ホテルに戻ると、再び旅の予定の事が気になりだす。今後の予定をある程度決めて、帰国便の予約くらいは取っておかないといけない。「地球の歩き方」とにらめっこして、おおまかな予定を立ててみる。今回の旅行の目的はサイババなのだから、日本に帰るまでアシュラムにいてもいいはずなのだが、せっかく来たのだからとつい思ってしまう。
どうも私はせっかちである。後で思えば、もう一日二日様子を見てから考えたほうがよかったのだろうが、それができない。
翌日には、前日のタクシーの運転手に頼んで航空会社をめぐり、国内線の予約と帰国の便の手配をした。
インド国内は列車を使うべきなのだろうが、鉄道の切符の手配は面倒だとガイドブックに書いてあったので、長距離の移動は飛行機を使う事にした。
まず国内線のインディアン・エアラインに行った。前日作った計画では、十日間くらいサイババの所にいて、それからボンベイに行って、エローラ、アジャンターの仏教遺跡を見て、それからヒンドゥー教の聖地であるガンジス川沿いのバラナスィに行くという予定だったが、調べてもらうとその頃のボンベイ行きの飛行機は全て満席だという。それでその場であっさり計画を変更して、デリー経由で直接バラナスィに行く事にする。なんともいい加減な計画だが、それでもいいような気がしてしまう。
それから次に、帰りのフライトを決めにエア・インディアのオフィスに向かう。オフィスは月曜日のためか混んでいて、11時前に行ったのに昼食休憩を挟んで午後3時近くまで待たされてしまった。
しかし、エア・インディアのオフィスで待たされたおかげで、高山さんという日本人に会う。彼はホワイトフィールドのアシュラムの外に部屋を借りている。これでまた私の予定は少し変わる事になった。実のところ、私はアシュラム内に宿泊する事に若干の抵抗を感じていたので、彼に相談にのってもらってアシュラムの外に部屋を探す事にした。若干の抵抗というのは、主に私がタバコ好きだという事である。
高山さんは、サイババに会いたいという知り合いを連れてバンガロールに来ているが、ゴアの方が好きなようで、近いうちにゴアに戻るという。
さて、彼の話によると、彼が案内してきたその知り合いの女性には若干の霊能力があるのだという。そして、その女性は今やはり日本から来ているもっと本格的な?霊能者と行動を共にしたいと言っているのだそうだ。さすが、サイババの所にはいろんな人が来ているものだと思う。それから、そう思っている私もそのいろんな人のうちの一人にちがいないとも思う。
ホワイトフィールドのサイババのアシュラムの正門前の通りには土産物屋や食堂などが並んでいる。高山さんに連れられて、その店の間を通り抜けて裏手にまわると、小学生くらいの子供たちが何人か集まって来た。高山さんが、空いている部屋があるかどうか子供たちに尋ねると、子供たちはそういった事を知っていて案内してくれる。
案内されたのは家の集まった所からはちょっと離れたアパートのような作りの2階建ての建物である。建物はきれいなピンク色に塗られていて新しい。
部屋を見ると風通しがよさそうなのも気に入ったので借りる事にした。ここは管理人が住んでいるわけでもなく、宿というよりは貸し部屋である。一日250RS。サイババのアシュラムの周辺は外国人が集まるために、インドでも特別に物価が高くなっているらしい。ちなみに、その後の旅の途中、北インドの観光地では同じような部屋が100RSで借りられた。
借りる事になった二階の部屋は眺めもいいし、結構きれいで、静かである。ベットはないが、そのかわりにゴザと敷き布団と枕が2人分置いてあった。これでやっとインドらしい所に来たような気がした。部屋は四畳半くらいで、トイレと水のシャワーのある部屋が付いている。窓には鉄格子がはまっていて、もちろんガラス戸ではなく板戸である。

ωケンタウリ
食べる事についてはインドにいる間あまり困ることはなかった。外国人が立ち寄るような場所ではイタリア料理風のメニューもあるし、インドの食事では、チャパティーという小麦とフスマでできた薄いパンと野菜カレーのセットが食べやすかった。インドではお米も取れるので野菜入りのフライドライスなども食べられる。また、外で食べるのが面倒な時は、クラッカーとバナナとオレンジなどの果物で済ませる事もできる。
飲み水は1リットル容器のミネラルウォーターがどこでも安く手に入るのでそれを持ち歩いていれば全く問題ない。
夕方の7時頃、高山さんに案内してもらって、アシュラム内の食堂に食事に行った。食事はもちろん完全なベジタリアンだが、好きなものを選ぶ事もできるし、味付けも日本人好みの薄味で美味しかった。しかも料金がたいそう安いので、申し訳ないようだった。
夜になってもアシュラムの前の土産物屋はにぎやかだ。日本の夏祭の縁日のような感じである。しかし、にぎやかなのはアシュラムの門前の200メートルほどの場所だけで、ほんの少しそこから離れるともう懐中電灯の必要な田舎の暗い道である。
借りた部屋には裸電球がひとつだけで、本を読むのも疲れるので自然と早寝になった。
翌朝、肌寒いような明け方の3時頃、目が醒めたので南の空を見ると南十字星とωケンタウリが見えていた。ωケンタウリは、子供の頃から見たかった星のひとつだ。星ではなく球状星団なのだが星のように明るく見えるのである。星を見る事を楽しみにしている者にとって、日本では見る事のできない南の空は憧れである。
「ケンタウルス、露をふらせ。」は宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の中の『ケンタウルス祭』での子供の囃子言葉だが、これはωケンタウリのイメージだろう。

春の旅(2)

2007-08-29 21:06:02 | インド旅行記
バンガロール
次の日、バンガロールに向かう飛行機はデカン高原の荒涼とした大地の上を南に向かって一直線に飛んだ。窓から下を見下ろせば、高原の土色の大地の上を道路が線のように走っていて、幾つかの道路が集まったところに町のようなものがあった。
バンガロールはデリーから南に1700Km、インド亜大陸でもかなり南にある高原の町である。
ガイドブックによれば、インドでも近代的な都会であるらしい。
空港に着いて、飛行機を降りるとデリーに比べ日差しが強く、南に来たという感じがする。乾いた暖かい風が吹いている。しかし暑いというわけでもない。
空港の出口にはやはりたくさんの人がいて恐いようである。とりあえずタクシーに乗って運転手に尋ねると「今、サイババはホワイトフィールドに来ている。」との事。しかし、このまますぐサイババのいるホワイトフィールドに乗り込む気にはならない。「乗り込む」という表現は変なのだが、私としては少し遠くから様子を覗いて、それからおもむろに接近したい方がよさそうな気がしたのだ。
そこで、SSOJ発行の「聖地へ」という本に載っているラーマ・ホテルに行ってみることにした。
ところが行ってみると、空いている部屋は40US$の部屋だけだという話。40US$は予定外の大金、日本の4000円とは少しばかり意味が違う。後のことを考えて少し迷ったが、だからといって他のホテルを探すのも面倒で、とりあえずそこに泊まる事にしてしまった。立派なソファーや大きなテーブルのある部屋である。
しかしこんな高い部屋に長居はできない。大名旅行をする気は全くない。
このホテルはサイババの信者がよく利用するのだそうで、それらしい服装の白人の姿が多く見られ、サイババに少し近づいた感じはした。
翌朝にサイババのいるホワイトフィールドへ行く事にしてタクシーをフロントに依頼した。
なにはともあれ、なんとなく順調である。日本で考えていた時には、こんなにすぐにサイババを見る事になるとは思っていなかった。
しかし順調であるのはよいのだが、あまり喜びが沸いてこない。日本からわぜわざこんな遠くまで来て、明日はとうとうサイババに会える!という感激が沸き上がってこない。なぜだろうと思う。
たぶんその理由は、期待を裏切られるのではないかという不安にあるのだと思う。
サイババは、ホテルのフロントで貰ったバンガロールの地図に、写真とメッセージが大きく載っているくらいこの町では有名人である。しかし、あまりに有名人でサイババのアシュラムが観光名所のようになっていて、観光客にサイババが手を振ってニヤニヤしていたらどうしようなどと、つまらない事を考えてしまう。「キリストのような聖者」と「商業主義のパンフレットで手を振る男」をうまくひとつに重ねる事ができないのだ。
それと、自分の中にある、宗教に対する拒否反応のようなものが頭をもたげてくるのである。宗教関係の本をひとりで読んだりするのは良いけれど、宗教の事は友人との話題にはしないし、まして宗教組織との係わりは一切ない。信仰はあくまで個人的なものであって、組織的な宗教活動は信仰ではないという思いが強いのである。

ホワイトフィールド
早朝、明るくなり始めた6時頃、老人の運転するタクシーでホワイトフィールドへ向かった。サイババのアシュラムは、バンガロールからマドラスに向かう鉄道の途中にあるホワイトフィールドという駅のすぐそばにある。距離にすればバンガロールから20kmくらいである。
日曜日ということもあって、アシュラムに近づくにつれて、道はバスやタクシーで混雑してくる。みんなアシュラムに向かっているらしい。
運転手の老人は、アシュラムの壁際に車を停めると、車のナンバーを覚えてから行くようにと言う。確かに似たようなインド製の車がたくさん並んでいる。だからナンバーを覚えておかないと帰る時に苦労するのだ。
アシュラムの前の通りには、花や座布団を売る物売りが出ている。
まだ門が開かないのか数人のインド人が並んでいるので、その後ろに並んでいると、すぐに門が開いた。
アシュラムのゲートの所では職員が人の出入りを見ているが、物売りや子供以外はほとんど自由に入れるようだ。

さてアシュラムの中に入ってみる。アシュラムに入っての第一印象は、ずいぶん場違いな所に来てしまったという思いである。実際、アシュラムの内側は、外とは違った特殊な空間であるような感じがした。何がどう特殊なのかはわからないが、とにかく何かが違うようである。
私の嗅覚には、印象的な匂いがいろいろ登録されていて、イメージが匂いを伴って湧いてくるのであるが、このアシュラムにもある特定の匂いが感じられた。しかし、他の匂いと同じようにしばらくすると慣れて区別が付かなくなった。
あるいは、それは昨日も感じた、宗教に対する拒否反応かもしれない。無意識に、自分の心にちょっとバリアーを張っている。自分の立場は、観光客でもないけれど信者でもない。観察者、傍観者である。そう自分の立場を明確にする事で少し落ち着く。

入り口近くの塀の側に立って周囲を見回すと、私のように遠巻きに事の進み具合を見ている人も多い。さいわい、このアシュラムの様子は前に一度テレビで見た事があるので、誰に聞かなくても何とかなりそうな感じである。庭の周囲の適当な場所に靴を脱いで、インドの人達に混じって列に並んで座った。
ダルシャンと呼ばれる朝夕の集会には、サイババに会うため数千人が毎回集まる。集会はアシュラム内にあるマンディール(寺院)で行われるが、マンディールの建物に入るために、まずマンディールの前庭に列を作ってすわり、入る順番を待つようになっている。
私は、コンクリートの上に1時間ほど座っているだけで疲れてしまった。インドの人達はあぐらに慣れているように見える。西洋人には背もたれ付きの座布団を使っている人がかなりいる。
それからしばらくしてくじ引きが行われ、どの列から入るかの順番が決められた。したがって早く並んでいたからといってよい場所にすわれるわけでもないのだが、それでも皆ずいぶん早くから並んで待っている。
そして、マンディールに入る時には金属探知器で危険物のチェックがされる。カメラ、バックはもちろんタバコも持ち込み禁止である。係りの人に注意されて荷物を事務所に預けに行く人もいた。
日本人も含めて外国人の多くは白のクルタ・パジャマを着ている。この服は、オウム真理教の修行服に使われていた関係で、あまり良いイメージがないが、別に服装が悪い事をしたわけではない。
ただし、クルタ・パジャマはインド人にとってもあまり一般的な服装ではないらしく、アシュラムの外からダルシャンに集まってくるインド人の中にクルタ・パジャマを着ている人はあまりいない。
マンディールに入ってからさらに30分ほど待って、足や腰が充分に疲れたところで、場内に音楽が流れはじめた。会場が一瞬ザワッとして、みんなの視線が一点に集まって、その先にオレンジ色の服を着た男が小さく見えた。サイババである。すでに私の周囲の人達は手を合わせたり、手をかざしたり、中腰になったりしている。

さて私はどうしたらよいものかとちょっとまごつく。観察者という態度がこの場にふさわしくないことはすぐにわかったのだが、だからといって、本当に手を合わせて拝むべき対象なのか判断がつきかねるのである。
実は、心の内のどこかで、サイババに会ったらドラマチックな心の変化が起きるのではないかという期待があった事も事実で、もちろんそんな変化は起きないから、それで少しがっかりしたような感じなのだ。失望したというわけではないのだが、期待が大き過ぎた分の反動がきたのである。後で考えてみれば、劇的な効果のある薬にはたいがい強い副作用があるわけで、ゆっくりジワッと効いてくる漢方薬の方が長い目で見れば良いのである。(ただし、薬にはプラシーボ(偽薬)というのもある。ポラシーボでもある程度の効果が得られるのが人間である。)
サイババの態度は実に自然なもので、しかも威厳があった。眼差しは強いのだが、鋭さはなくて、暖かい感じである。彼の特徴的なしぐさは、手のひらを上に向けて空中をなでるような動作だが、そのしぐさもごく自然なもので、好ましく感じられた。

ダルシャンが終わってからアシュラムの事務所に寄り、アシュラムに泊めてもらえるかどうか尋ねてみると、「明日から泊まるなら、明日来てくれ。」とのことで、その日はそれだけにしてホテルに帰った。
午後、明日からのアシュラムでの生活のためにクルタ・パジャマを買おうと思ってバンガロールの町を歩いた。日曜日と言う事もあって閉まっている店が多く、ようやく見つけた店でも、外国人向の1000RSもするものしかなかった。それでクルタ・パジャマはあきらめて、白いインド式のワイシャツを買った。白っぽいコットンパンツを持っているから、一応これで間に合うはずであった。それとサンダルを買った。日常品を買うとだんだんインドの物価がわかってくる。物によって違うが日本円に換算すれば、日本の物価の2割から3割程度である。
買い物の途中でバクシーシ(喜捨)をねだる10歳くらいの女の子に付きまとわれた。私が店に入っても外で待っている徹底さに根負けして、お金を差し出したら、とても喜んでくれたのでこちらもうれしくなってしまった。あまりあげるべきではないのかもしれないが、インド人でもあげている人がいるし、一人にあげたからといって他の子供が我も我もと寄ってくるわけでもないので、心に感じるものがあったらあげてもよいのかもしれない。

春の旅(1)

2007-08-29 06:46:19 | インド旅行記


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< インド旅行記 >
これから、インド旅行の記録をこのプログに載せてゆく事にした。
10年前ほど前に書いたものだから現在の考えとはズレもあるのだが、基本的には当時のままで載せてゆきたい。
このプログでのカテゴリーは「インド旅行記」とした。
春と秋に旅行しているので、各タイトルは「春の旅(№)」、「秋の旅(№)」とする。       
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インドへ
インドへ行こうと思った。神の化身といわれるサイババを一度見ておきたかった。
インドだけでなく他の国の人からも高く評価されているという。イエスのような人物だとも言われているらしい。
そういう人の生きる時代に生まれあわせたのは、非常に幸運な事だとも聞く。
もし本当なら、行ってみる価値は十分にある。本物かどうか、行って見てみればわかるかもしれない。とにかく行ってみようと思って準備を始めた。
インドについての知識は皆無に近い。ガイドブックを拾い読みしたが、あまりよくわからない。日本とはだいぶん事情が違うらしい。
英語が話せれば何とかなるらしいが、あいにく英語とは縁がない。しかし、ガイドブックが田舎の本屋さんに売っているくらいだから、行けば何とかなるに違いない。万事にいい加減になってしまっている私は、それ以上考えるのはやめて、とにかく行ってみる事にした。

出発
2月1日。正午に離陸予定のエア・インディアは遅れた。
成田のロビーで待つ間、ガイドブックを開いては閉じ、開いては閉じ、落着かない。今晩デリーで泊まるホテルさえ決めてないのだが、デリーに到着するのが真夜中ではどうなる事やら見当も付かない。先が思いやられ、心細くなってきた。
夕陽が寒空に沈んで暗くなった頃、飛行機はやっと成田を飛び立った。本当にインド行くのだと、実感する瞬間である。
飛行機は日本列島を南下し、しばらくしてから機首を西に向けた。
気が張っているせいで眠る事はできそうもない。窓の外を見ると、南の空に明るい星が見えている。たぶんカノープスだと思う。
飛行機はずっと左手にカノープスを見ながら東アジアの陸の上を飛んで、いつの間にかベンガル湾に出て、すぐにインドの上空に入った。インドは案外近いと思った。
インデラ・ガンジー空港はオレンジ色のもやに煙っていた。
空港の入国ロビーは、通風ダクトがむき出しになっていたり、ダクトに巻いてある断熱材がはげかけていたり、私の気持ちを引き締めるのには充分な雰囲気であった。
入国して、まず両替をすると、50RS札を100枚ステップルで留めたものを渡された。200ドルを一度に両替したためだろう。財布に入りきる厚さではない。
しかし札束を持つと少しリッチな気分になった。
あとで使ってみると50RS札は、千円札以上に使いでがあった。日本円に換算すると200円以下だから、日本人にとってインドは旅行しやすい国なのである。
機内で知り合った人達と最初の晩だけは行動を共にさせてもらうことにして、タクシーでホテルに向かう。
道には信号機もほとんどなく、明るい照明もあまりなくて、ほこりっぽい風が暗い商店街の横断幕をぱたぱたはためかせて吹いていた。とにかく、ここはインド、頭の中を切り替えなければ、とまた思った。

デリー
翌朝のデリーは、濃い霧に覆われていた。翌日の新聞の一面に霧の写真が大きく載っていたから、濃い霧は割と珍しいのかもしれない。朝の気温は、思いのほか涼しい。薄手の上着をはおってちょうど良いくらいである。
朝起きて、さて、何をしなければならないかと考える。もちろん、今までに考えていなかったわけではないのだが、はっきり決まっている事は何もないのである。「このまま何もしないで、デリーでゴロゴロしてそのまま日本に帰ってしまう事だってできる。」そう思う事で気を楽にさせていたのだが、実際にはそうもいかない。
選択肢はふたつある。ひとつは北インドの観光名所を回りながらだんだん南下して、サイババのいるバンガロールにたどり着くルート。もうひとつはデリーから直接バンガロールに直行するルート。
もちろんインド行きの航空券を手配する時は前者のルートを考えていた。しかし、デリーに着いてみるとやはり不安が大きく膨らんでくる。
そして結局、とりあえずサイババの所に行って、それから先の事はまた後で考えようという事にした。
バンガロールへ行くための航空券を買いにインディアン・エアラインに行く事にする。
タクシーの運転手に旅行代理店に連れて行かれ、少しもめたが、別に悪い代理店ではなかったらしく翌日の航空券が手に入った。ただし、手書きである。
インドの初日とあって、必要以上に力が入っているのが自分でも分かる。
日焼けしていない東洋人は目立ってしまうのだろうか。慣れない英語に四苦八苦し、ボールペンを欲しがる町の若者を振り切っていると、なんでこんな所にわざわざ来てしまったのだろうという思いが沸き上がって来た。
それで、オートリクシャをつかまえて、逃げ込むように国立博物館に入った。首都の国立博物館だけあって立派である。展示品は、ヒンドゥー教や仏教の像が主体だが、宝石の展示室などもある。その宝石の展示室はまさに金庫そのものの作りであった。
展示品の中に仏舎利があった。とてもきれいに展示してあったのは、仏教徒の気持ちに配慮しての事だろうか。
近頃信心深くなっている私は、仏舎利を前にして手を合わせないわけにはいかなかった。イワシの頭も信心から、まして仏陀の骨である。

無題

2007-08-25 14:35:57 | Weblog
なにげに、GoogleMapでプッタパルティーをさがしたら、すぐに見つかりました。しばらく前に探したときは、見つからなかったのですが・・・改善されたのでしょうか。
航空写真の解像度はまだあまり高くなく、アシュラムを確認する事はできませんが、飛行場の滑走路らしいものと湖との間に1500m四方くらいの町が見えるので、それがプッタパルティーの町とアシュラムかと思います。
ならば、ホワイトフィールドも見つかるのではないかと、バンガロールの周辺を探しました。少し時間がかかりましたが、ありました。
バンガロールから右方向に伸びる鉄道の線路を20kmくらいたどってゆくと、ホワイトフィールドの駅があります。
ホワイトフィールドのアシュラムは、駅の左上です。こちらの航空写真は十分に解像度が高いので駐車してある車まで確認できます。
ホワイトフィールドからバンガロールまで鉄道で往復した事があったので、それで位置の見当がつきました。

中島みゆきのコンサートがある。少しだけ行ってみたい気もする。ツアーの日程を見るとものすごいツアーです。2ヶ月間にわたって30回くらい。何万人動員するのでしょうか。
そう思いつつ、久しぶりに中島みゆきを聞いてます。コンサートに行く費用で、アナログレコードの中島みゆきをCDに買い換えた方が正解だとは思う。
私にとって中島みゆきは、レコードでありCDであるわけで、コンサートに行って、もしがっかりしたらつまりません。
たとえば、作品が好きだからといってその作家のすべてが好きとは限らないようなものです。試してみる価値はあると思いますが・・・リスクはあります。

暑さはまだまだ続いていますが、どことなく秋です。空が澄んで、空気が白っぽく感じられてくると秋です。
セミの鳴き声が、いつしか夜の虫の音にかわり、音がよく響くようになる。
秋になるとギターの音色がよくなったりする。昔の話です。

松長有慶著「密教(インドから日本への伝承)」を読んでいる。ここで密教とは真言宗のことです。
この本の中に「クリシュナ川、ゴーダバリ川の近辺の南インドの東海岸、アマラパティ周辺が大乗仏教、密教の中心地であった」ということが書いてあります。この地域はハイダラバードの東側にあたり、プッタパルティーから300kmくらいの距離。
日本の文化の中心にあり続けている仏教の中心地であった場所と、サイババの住むアシュラムがこれほど近いというのも何か意味があることなのかもしれません。

虫の話

2007-08-17 23:47:36 | Weblog
ひさしぶりに会社に出勤。まだ暑さは続いているが、昨日ほどではない。
気が付けば、会社の周辺の桑の木がどれも丸坊主になっています。原因はアメリカシロヒトリの大発生。
アメリカシロヒトリが、桑の葉を食べつくして丸坊主にしてしまいつつあります。
このあたりに桑の木が多いのは、かつて養蚕がさかんに行われていたなごり。
養蚕が行われていた頃には、多くの畑の作物が桑でした。私の子供の頃には、農家のほとんどが養蚕をしておりました。
その桑がいまでも畑の周囲に残っていたり、あるいは放置された桑畑が桑の林になったりしているのです。
現在は養蚕が全く絶えてしまったから、アメリカシロヒトリもこのまま放置されるのかもしれません。

そういえば、今年はセミの数が多いような気がします。昨日畑の仕事の行き返り、木立の下を通るとセミが身体にあたってきたりしました。
ほとんどジーと鳴くアブラゼミです。今年は、セミの多い年なのでしょうか。

私の子供の頃の夏休みには、昆虫採集をしましたね。昆虫採集といってもひたすら採るだけですが。
一度くらいは、昆虫採集セットというのを買ってもらって標本箱に虫を並べて、夏休みの宿題にしたかもしれません。
昆虫採集セットには、虫ピンのほかに防腐剤とかそれを虫に注入するための注射器とか入っていたと思います。当時は、そんなものがどこでも売られていたんです。

里山に入れば、カブトムシやクワガタが野球帽一杯採れました。
当時の里山には、ヤマユリやキキョウがずいぶん咲いていて、それを採ってきて盆花にしたり、根から掘って持って帰って庭に植えたりしました。
庭に植えてあったものは、絶やしてしまいました。もったいない事をしたものです。
今はもう、里山自体がゴルフ場になったり、荒れ放題になったりして、花を見ることはなくなりました。昔は里山をみんなが手入れして、大事に使っていたんですね。

夏休みの終わり頃、里山の夕方にはヒグラシが山全体に鳴きました。
カナカナカナカナというヒグラシの声が夕暮れの空に満ちるようになると、もう夏休みも終わりになるわけで、子供心に寂寥感みたいなものを感じていました。

この情景を思い浮かべると記憶によみがえってくる歌があります。
「山寺の和尚さんが、鞠はつきたし鞠はなし、猫をかんぶくろに押し込んで、ポンとけりゃニャンとなく・・・」。姉が鞠つきでもしていたんでしょうね。
さらに、この歌詞が私の記憶の中ではまた少し変化していまして、なぜか「スマトラの半島の山寺の和尚さんが・・・」と私はぼんやり覚えております。
子供だった私の頭の中には、ハリマオの活躍するようなスマトラという深い森の山の中に、長~い石段を登らなければたどり着けない山寺がある、そういうイメージがしっかりできあがっておりました。
木立に埋もれた山寺の、夕暮れの薄暗い境内にヒグラシの声だけが聞こえている。なんともわびしい情景です。

無題

2007-08-16 22:47:13 | Weblog
今日も気温が高いです。玄関の温度計で38度になってました。先日、この高温の原因はフェーン現象と書きましたが、もちろんこれはどこかのテレビの気象予報士の受け売りです。
別の気象予報士は、高気圧が三段重ねになっているからこのように気温が高い日が安定して続いているというようなことを言っておりました。低層も中層も高層も気圧が高いということなのでしょう。
ちなみに、有料で放送している放送局のある気象予報士は3日前に、「関東地方の明日あさっては今日よりも少し気温が下がる」というようなことを言っていましたが、どうもこの方は期待を予報にしてしまうタイプかもしれません。そういう人もいます。普通の人は結構その傾向があります。私もよくそんな事があります。
それから、最近のテレビの天気予報では気圧配置図を見せてくれないのですが、本当は見せてくれた方がわかりやすいです。インターネットで見られますけどね。

こんな気温にもかかわらず、今日は外で仕事をしました。例によって除草剤撒きと、畑仕事。明日から会社なもので今日しかできないのです。
来月の初めにはだいこんや芯摘菜・ブロッコリーの種を蒔きたいので、畑仕事はその準備です。外に出ると気温は高いですがカラッとした暑さで、汗は出ますが割りとさわやかでした。畑の土もカラカラに乾燥しています。
日曜あたりからは雨になりそうですけど・・・

そういえば今日は送り盆でした。夕方送るのが本来なのでしょうけれど、今日は朝の涼しいうちにお送りしてしまいました。
年によっては15日にしてしまった事もあります。またすぐお彼岸ですから。

話は変わります。
「Aquarius Let the Sunshine in」をテーマにしたテレビ番組を見ました。 数日前に録画しておいたものです。
この曲はフィフスディメンションというグループの曲で、邦題は「輝く星座」。
この曲が、ロックミュージカル「ヘアー」のなかの曲「Aquarius」と 「Let the Sunshine in」をくっつけたものなのだと初めて知りました。
1960年代後半の曲ですが、私はその頃多感な少年時代でした。それで、このあたりの曲を聞くととても懐かしくなります。
たとえばピーターポール&マリーとかママズ&パパスとか。意味はわからないんだけど、ハーモニーが気持ちよくて。
そのなかでも「輝く星座」はすごくよい曲だと思ってました。そして今聞いても実際よい曲です。
さて、この番組の内容は主に、サラエボ内戦の最中、サラエボに住むアーティストが平和を訴えるメッセージをこめて「ヘアー」を上演し続けた話。
サラエボ内戦の映像を見るとすさまじいです。一般市民の住む町を軍隊が囲んでいて、無差別に狙撃が行われている。とんでもない状況です。
88年がサラエボオリンピックで91年から95年まで内戦。けっして昔の話ではなく、つい最近、しかもわれわれと同じように現代的な生活をしている土地で行われた戦争です。
民族の対立とか、よくわかりませんが、どうにかならないんでしょうか。
それとも日本人が平和ボケしているだけなんでしょうか。

『上弦の月を喰べる獅子』 ・ 『イノセンス』

2007-08-15 13:59:25 | Weblog
『上弦の月を喰べる獅子』を読み終えました。不思議な小説でしたね。
この小説に出てくるいろいろなテーマ、DNA・進化・生命・意識・仏教・輪廻・らせん・・・これらはどれも私にはなじみのあるものばかりで、さてその先はどうなるのかと、実は期待していたのですが・・・どうもまだその先に進む事ができずに、またふりだしに戻ってしまったような感じです。
しかし、らせんの上での運動というのは実はそういうものなのです。遠くに行ったように思っても気がつくとほとんど元の位置に戻っている。ではまったく元のままかというと、少しではあっても必ず位置は変わっている。
それにしても、この小説でも前提になっていると思われる「上昇志向」のようなものは何なのでしょうか。
この疑問については、このプログの8月3日のスエデンボルグの霊界についての話題のところで似たような話をしました。
実のところ、この小説には目新しいところはないのかもしれません。なぜなら、この小説は過去の歴史の話だからです。この小説の最終行から現在に至るまでに、すでに二千数百年が経過していることになる。

それから、進化。
われわれ人類は、進化の最先端にいるように思いがちですが、本当にそうなのでしょうか。
あるいは、もしかしてすでに進化の袋小路に足を踏み込んでいるのではないかと、そう思うこともある。本筋の進化はもっと別のところで、ひっそりと目立たないようにゆっくりだが着実に進んでいるかもしれない。もしそうならそれはそれでもよいと思う。
それに、進化という名の変化を上昇志向と混同している節があるが、そうでもないことは少し考えてみればわかる。
また、たとえばわれわれよりもはるかに高度な文明を持ちはるかに洗練された高い知性を持った生物がどこかに存在したとしても、われわれ人類がその生物に尊敬や愛情や憧れを感じるかどうかはわからない。

話は変わります。
先日BS2で押井守特集としてアニメーション映画を3本放送していた。
そのうちの一本「イノセンス」を見た。この映画は2004年の日本SF大賞を受賞している。ちなみに小説『上弦の月を喰べる獅子』は1989年の日本SF大賞を受賞している。
この映画の内容はよくわからない。圧倒的な映像と音響。全体を通じて映像の質感が非常に高い。映画館で見たらもう一度見たいと思うだろう。
そしてさまざまな名文句の引用。これは、脳が外部記憶装置に自由にアクセスする事ができるということを表現しているのだろうか。
映像に暗いさがある。明るく輝く未来を描いたのでは、ストーリーにはならないということか。
これも『上弦の月を喰べる獅子』と同じようにエンターテインメントですから、問いかけてくるものはあっても、その答えまでは用意してくれていないようです。
『上弦の月を喰べる獅子』のせりふを引用すれば「お前が問うて、答えを得られないとき、それは、問いが正しくないからである。正しい答えが欲しければ、正しく問うことである。それは正しい問いの中には、すでに答えが含まれているからである。」。そして、答えは自分で見つけなければ意味がないのでしょうね。自分で答えを見つけることによってのみ、一歩前にすすめるのでしょうから。

それにしても、気温が高いです。玄関の温度計でももう37度を越えてます。外の気温は38度を超えているでしょう。これがつまりフェーン現象の影響。フェーン現象といっても風はほとんど吹いてません。部屋のエアコンもあまり効かなくなりつつありますし、猫さんもそうとう参っているようです。

お盆

2007-08-14 23:49:38 | Weblog
猛暑が続いている。温暖化とかヒートアイランドとかを実感する。
明日あさっては、もっと暑くなるらしい。原因は、南西方向から吹き降ろす風によるフェーン現象とのこと。

日曜日には、盆棚を作った。仏壇の前に竹を2本立てて縄をはり、杉の葉とほうずきを付ける。簡易だけれどもこれでいちおう結界を作った事になる。
13日に盆迎えをして、この結界に先祖様の霊をお招きするわけです。

同じく日曜日には、Bフレッツが開通した。当たり前だが速くなりました。

月曜日は、親戚の新盆に呼ばれた。新盆の風習は土地によってずいぶん違う。その土地では、まず親戚一同で墓地に行き、それから盆棚の前でセレモニーをして、それから一席設けて食事を振舞う。回忌法要と同じようでした。我が家の方では、新盆はもっとずっと簡素にやってます。

同じく月曜日の夕方、我が家でも、盆迎えをしました。
お寺に行き灯明をもらい、それからそれで迎え火を焚いて、父母をはじめとする皆様の霊を我が家にお迎えしたわけです。お盆というのはそういうことをします。
まあ、風習としてやっっているだけですが、やらないとどうも後ろめたいような気がします。

今日は、昨日とは別の新盆見舞いに出かけました。こちらはお線香を上げてくるだけなので簡単です。

暑くて外に出る気もせず、『上弦の月を喰べる獅子』を読んでいる。サクサク読める本なのでもう500ページまで進んだ。
私がいろいろと考えていたのと同じような事を夢枕氏も考えていたんだなぁ・・・という感じ。
ただ賢治と妹としの関係についての解釈は、あまりいただけないと思う。
まあ、この小説はエンターテインメントですからあくまでも虚構です。

この小説では「汝は何者であるか」という問いが重要なポイントになっている。この問いはマハリシの「私は誰か?」と全く同じです。
ここのところマハリシを読んでいた私には、なんともなじみの深い問いです。
たぶん夢枕氏もマハリシを読んで氏なりに考えた結果がこの小説なのかもしれません。違うかもしれませんが・・・
もう少しで読み終えますから、そうしたらまた感想でも書こうかと思います。

螺旋(らせん)

2007-08-11 15:12:27 | Weblog
盆休みに読もうと思った本は夢枕獏『上弦の月を喰べる獅子」。
注文の翌日にはもう某古書店から届きました。速いです。
盆休みに何を読もうかと考えたとき、最初に浮かんだのは「陰陽師」。新作も出ているし、夏休みらしいゆったりした気分で読めそう。
しかし、「陰陽師」の雰囲気は確かに大好きだが、そこから新しいおどろきの発見があるかというと、あまり期待できないかもしれない。
それで、夢枕獏の本を検索していったらいろいろな賞を取っているこの本にぶつかった。読んでおくべき一冊に思えた。

まだほんの数ページを読んだだけである。
早々に宮沢賢治の長い引用がある。しかし、宮沢賢治の文章そのものではなく、夢枕氏がいくつかの宮沢賢治の文章の断片を再構成したもののようである。
つまり、その長い引用と思われる文章の最初の出だし部分が「春と修羅」の「序」の冒頭であるとわかるだけで、それからあとの文章はどこからの引用なのかはっきりしない。どこかで読んだような、宮沢賢治風の文章なのだが・・・
小説の主人公の「わたし」と宮沢賢治をダブらせているということか。

『上弦の月を喰べる獅子』の目次を見ると螺旋という言葉がたくさん並んでいる。螺旋構造がこの小説の骨組みになっているらしい。

「螺旋」については、私にも思い入れがある。そのことについて少し書いておきたい。
螺旋のイメージは、螺旋階段、バネ。バネの形状が一番わかりやすい。
螺旋の特徴は、螺旋の上での距離と空間の中での距離が全く違う事にある。たとば緩やかなスロープのらせん状の階段の1階と2階は直線距離にすれば4メートルだが、歩く距離は10メートルだったりする。
それでも、階段の場合には自分が螺旋の上にいる事が分かっているので別段不思議ではないのだが、もし自分が螺旋の上を移動していると気づかない場合には、話が変わってくる。
自分の移動したと思っている距離に比べ実際の空間上での距離がずっと近いのである。
次にバネをイメージしてみる。ばねは、一本のまっすぐな針金が円を描きながらしかも交差せず円柱の上を一方に巻き上がってゆく形をしている。これが普通の螺旋である。
さらに複雑なバネをイメージしてみる。先ほどは針金が円柱の上を巻き上がったのだが、針金を巻く元の型は曲がっていてもかまわないのである。そこで、円柱の代わりに螺旋形の太いパイプの上を針金が巻き上がってゆくことをイメージしてみる。こうして出来上がった物は、「螺旋でできた螺旋」になる。、「螺旋でできた螺旋」では、針金の上での距離と空間での距離はさらに異なったものになる。
このイメージをさらに拡張して、「螺旋でできた螺旋でできた螺旋でできた螺旋でできた螺旋・・・」をイメージする事もできる。
こういった複雑な螺旋の上では何万キロメートルも離れているようにみえても、実は空間の中では、数ミリメートルしか離れていないという事もありうる。

私が螺旋についてこのような事を考えたのは、時間をどうイメージするかいろいろと考えていた頃のことである。
つまり、時間を距離に換算したときにあまりにも遠くになってしまい、実感と合わないので、それを解消する構造を探していて、「時間の構造=螺旋」にたどり着いたわけです。
もし時間が螺旋を描いていれば、時間上の距離がいくら離れていても、その霊的な距離はそれほど離れてはいないかもしれないし、すぐ隣に接しているかもしれない。たとえば、キーボードをたたく私のすぐ隣に、ティラノザウルスが巨大な口をあけていたとしてもおかしくはないと、そんなことを想像していました。
ただし時間は通常の空間を進むわけではないので、霊的な空間?を進むとして「霊的な距離」と書きました。このあたりは全くいい加減な話です。

そして現在は、時間の構造などどうでもよいと思っていますし、イメージなどできるものではないとも思っています。

無題

2007-08-11 01:54:51 | Weblog
最近、銀行が、金融商品を薦める電話をかけてくる。私は面倒な事は嫌いだしそういった方面に興味もないが、取引銀行でもあるから、毎回丁寧にお断りしている。
それにしても「お金がお金を産む」などというせりふを使うのにはうんざりする。
本当に儲かるなら、銀行で運用して利益を出せばよいし、出した利益のほんの一部を使って、少しでも金利を上げてくれればよかろう。本来、銀行というのはそういった役割を担ってきたはずだ。
資金を運用するには膨大な情報が必要だろうし、リスクを回避するためには広く薄く投資する事も重要になるだろう。
それをするのが銀行だったはずだが、いつのまにか証券会社のようになってしまったらしい。

それから、日産のディーラーのセールスからも、ダイレクトメールや電話がある。何回か車検を出した事のあるディーラーだし、故障したときにはお世話になるだろうから、電話に対してはやはり丁寧にお断りしている。
たしかに今の車にはもう13年も乗っている。充分に買い換える時期ではあったわけだ。
実際のところ、買い替えについても少しは考えた。
考えた結果として、今の車に不満がないわけではないが、かといって買いたい車が特にあるわけでもない。
セールスには他所で車検を受けたことを伝えたから、これからしばらく電話は来ないだろうと思う。車検を取ってすぐに買い換える人は、そういない。
車検はディーラーよりずっと安くできるところがあるので、なかなかディーラーには出せない。
安いところはそれなりかもしれないが、すでに13年乗った車である。車は全体に傷んでいるので、高額な修理をする意味はあまりない。

「地球の歩き方 インド」の最新版を購入した。これからこのプログに10年前の旅日記を載せるにしても、地名などがあまり違っていては困ると思ったからだ。
実際に旅行に持っていった10年前の「地球の歩き方」も残ってはいたが、行く先々で必要なページをばらしてしまったので、あちこちページが飛んでしまい使い物にならない。
10年前に比べれば最新版は、ページ数が少し減り、カラー写真や地図が綺麗になったが、全体としての印象はあまり変わっていないようだ。
ただし、10年前の表紙にあった副題『インド世界を、1日1500円以内で、ホテルなどの予約なしで、鉄道とバスを使って旅する人の入門ガイド』という文句はなくなっている。
これはつまり、インドを旅する人が多様になり、バックパッカーばかりではなくなったということなのでしょうね。
あるいは、昔ほど安くは旅行できなくなっているということなのでしょうか。

盆休み

2007-08-08 06:36:28 | Weblog
5日、6日、7日と夕立があった。雨の降り方は日を追って弱くなってきているから、今日あたりはもう降らないかもしれない。
夕立がなくなるとだんだん空気も乾いてくるのだろう。あと1カ月は暑さが続く。
私は暑さには強い事になっているのだが、35℃くらいの日が数日続くと、だんだん仕事に集中できなくなってくる。
暑さにへこたれて早寝をして、早起きしてしまう。老人の生活パターンに近づいてきたかもね。

もうすぐ盆休みだけれど、お盆にどこかに出かける予定はない。
これから予定でも作りましょうか。どこかに出かけるとしても日帰りなので、予定をわざわざ作る必要もないのだけれど。自由に使えるのは15日・16日だけだし。
家にいて、猫の背中でもなでながら、テレビ、DVD、本ですごすのが正解だとは思う。
しかし、少しでも有効に使うには、何をするにしてもやはり考えておく必要はある。
たまには行き当たりばったりの旅にでも出てみたいと思ったり・・・でもどこに行っても人だらけなんでしょうね。
たぶん、東京はすいているのだろうけれど、東京にあまり魅力はない。
そういえば先日仕事で、十数年ぶりに車を運転して東京に入ったけれど、やはり怖いです。

というわけで、今とりあえずamazonで夏休み用の本を注文しました。ユーズドだけれど休み前にはたぶん届くでしょう。

写真は今年の芙蓉です。
今年はたくさん花をつけました。そういえば今年の春蒔いた芙蓉の種はどうなったのだろう?どうもあまり育たなかったような・・・
芙蓉は、冬地上の茎は枯れるけれど株が残っていて、そこから写真のような茎が育って花をつけるので、株ができるまでに何年もかかるのだろうか?

たぶん、愛

2007-08-04 10:49:25 | サイ・フォーラムへの書込み
無題 投稿者:風天  投稿日:2004年 5月15日

「前世療法」の著者ワイス氏の「魂の伴侶(PHP出版 原書1996年出版)」にサイババに関わる件がありました。少し長文です。ご存知の方も多いと思いますが、共感するところが多かったので紹介しておきます。
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(前略)-- わたしたちはみんな超能力者であり、みんなグルである。わたしたちはそれをただ忘れているにすぎない。
ある患者が、わたしにサイババというインドの聖者について質問した。彼はアバターと呼ばれる、肉体を持って地上に降りてきた神なのだろうか?
「わたしは知りません」とわたしは答えた。「でも、ある意味で、わたしたちはみんなそうではありませんか?」
わたしたちはみんな神なのだ。神はわたしたちの中に存在する。わたしたちは超能力に惑わされてはならない。なぜならば、超能力は、霊的な成長の道の道標に過ぎないからだ。私たちは、自分たちの神聖と愛を、良き行いによって、また人々への奉仕によって、表わす必要があるのだ。おそらく、誰も、1ヶ月か2ヶ月以上にわたって、誰かのグルになるべきではないのだろう。インドへ何回も行く必要はない。真の旅は、私たちの内にあるのだから。
 自分で超常的な体験をすることは、神の存在に心を開き始めるために、あるいは、人生は目に見えるものよりも、ずっと大きく広いということを理解するために、まぎれもなく有効である。人は自分で体験しないと、それを信じないことが多いからだ。
 私たちの道は、内へ向かう旅である。それはより困難で、よりつらい旅である。私たちは自分自身の学びに責任を負っている。この責任を回避し、誰か他人に、またはグルに責任を押し付けることはできない。
--(後略)


たぶん、愛 投稿者:風天  投稿日:2004年 6月 1日

「愛」という言葉は苦手なんです。もっと他に言い様がないものかと思う。
しかし、「愛」って、なんなのでしょうねぇ。
愛を示す行為。たとえば、見つめ合う。頬ずりする。抱きしめる。キスする。接触し、肌をふれあう。言葉のないときに愛を表現する手段は、そういったことなんだと思います。
今や、テレビの政府広報で?「子供を抱きしめてあげましょう」とかわざわざ言わなければいけない時代らしいです。
一緒だということ。一体だということ。相手に安心感を与えること。愛とは基本的にそんな感じなのでしょう。

人間の場合は、もう少し高等になってきて、「相手の幸福を願う」ということが、愛と呼ばれるかもしれない。
たとえば、彼女の幸福のために、ほれている相手から身を引いたとか・・・情けない話だと思ったりもするが、たぶんこれも愛。

自己愛も立派な愛なのでしょうね。オギャーと生まれたとき他と自分を比べたりはしない。生きたいという本能が自己愛なのかもしれません。赤ちゃんは、まず母親を愛するようになります。自分を愛してくれる人を愛するのです。自分を愛してくれる人を愛する・・・赤ちゃんですから受動的です。

自己愛の「自己」をどんどん拡大してゆけば、どうなるか?
自分の所有するものも自己とみなす。この場合は自分が中心にある感じ。・・・どこまで広げていっても自己愛のままかもしれないが、それが悪いというわけでもない。
それでは、所有という概念を取り去ってしまえばよい。つまり、天動説から地動説に転換する。
自分の所属する集団も自己とみなす。この場合の自分の位置は中心でなくてもよい。家族・仲間・会社・地域・国・民族・・・人間・生きとし生けるもの・地球・・・正義・自由・思想・宗教・・・自分はどの集団に所属しているのか。それを決めるのは自分である。

愛は、結びつける力であり、成長する力であり、発展するための原動力です。それによって、良いことも悪いことも起きますが、何もないよりははるかによいのでしょう。
愛がなければこの宇宙は存在しなかった、かもしれませんね。

**コメント**
サイフォーラムへの書込みのコピーは、これで終わりにします。
2002年9月から2004年6月までの約2年の間、書き込ませていただきました。
なお、サイフォーラムへの書込みをすべてコピーしたというわけでもありません。
また、私の書込みは本からのコピーが多いのですが、掲示板への書込みでしたので紹介の意味もあると御理解いただければと思います。

アドレナリン

2007-08-04 00:32:37 | Weblog
3日前の夜、眠れなかったことをこのプログに書きましたが、その翌朝会社に行ったら大きなトラブルが待っていて、それから今日までアドレナリンをだいぶん消費してしまいました。
あの夜眠れなかったのは、たぶん一種の予知が働いていたのではないかと、そう思ったりします。
つまり、翌日の興奮状態を先取りしてしまっているという感じ。
この種の経験を予知に入れるには根拠が弱いのですが、以前にも似たような事は幾度かありました。

アドレナリンという言葉をよく聞きますし、私も使うことがあるので、その作用をコピーしてみました。

<アドレナリンの作用>---ウィキペディアより
交感神経が興奮した状態、すなわち「闘争か逃走か」のホルモンと呼ばれる.動物が敵から身を守る、あるいは獲物を捕食する必要にせまられるなどといった状態に相当するストレス応答を、全身の器官に引き起こす。

運動器官への血液供給増大を引き起こす反応
心筋収縮力の上昇
心、肝、骨格筋の血管拡張
皮膚、粘膜の血管収縮
消化管運動低下
呼吸におけるガス交換効率の上昇を引き起こす反応
気管支平滑筋弛緩
感覚器官の感度を上げる反応
瞳孔散大
などであり、ヒトであれば一重に「興奮した状態を作るホルモン」としてよく知られている。
---------------------------

私の場合はかなりハイな状態になり、攻撃的になり、思考回路が単純になります。それで判断は速くなりますが、間違いも起きやすくなります。キレやすくなるといってもよいかもしれません。
疲れや恐れや暑さ寒さ痛みなどの感覚が弱くなります。
また、言い争いなどで、大量にアドレナリンを使った場合には後で胃が痛くなります。
当然の事ですが、そのあとで反省する場合が多いです。
今日も反省してます。サルにでもできるような反省ですが・・・

反省。深く深く反省

2007-08-03 23:34:41 | サイ・フォーラムへの書込み
他力本願無為徒食さんへ 投稿者:風天  投稿日:2003年12月23日

宝物のような貴重な時間をこんなことに費やしていていいのかと、私も思いますが。
まあ、案外こういった無駄も、人生にとって必要なのかもしれないと、自分に都合よく考えています。
少なくとも、ひとりで考えているよりも刺激があるし、書き込むことで考えもまとまるかもしれない。

>『レベルが高い、低い』、『霊格(霊性)が高い、低い』、『波長が高い、低い』という表現を聞くと生理的に虫酸が走る・・・
そう思うときが私にも確かにあります。
「高い」「低い」という表現がまずいのですが、階層構造を表現するとそのようになってしまう。階層構造でなく平面的な層構造で表現すれば良いのかもしれませんが、私としても階層構造のほうが、より自分のイメージに近いと思ってしまうのです。

スエデンボルグの霊界って知ってますか、あの霊界の階層構造のイメージが私のイメージなのです。
スエデンボルグの霊界の階層構造は「住み分け」って感じなのです。
その霊界は、闇の世界からまばゆい光の世界へと階層構造になっている。
しかし、まばゆい光の世界が誰にとっても住み易いとは限らない。
「まばゆい光の世界」はちょっと覗く分には良いかもしれないが、1時間とは耐えられない世界・・・モグラが地上を覗いたときのような感じ。

スエデンボルグの霊界は、似たもの同士が集まっている世界なのです。
そして、どの霊も結局住み易い世界に落ち着くわけです。
当人が住み易いと自覚しているかどうかは別として、結局そこでしか住めないのかもしれません。

私たちは、気温15°~28°位が快適であり、それより高くても低くても不快なのです。
それと似たようなものなのです。
まあ、霊界の方には、多少の上昇志向があるわけですが、この上昇志向のようなもの(方向性)は、この世界自体の志向性から生まれてくるものかなと思ってはいます。
ではなぜこの世界にそのような方向性があるのか・・・私にはわかりません。


やっと土曜日の夜 投稿者:風天  投稿日:2004年 1月17日

70年・80年もあっという間・・・。確かにそうかもしれません。
しかし、見方によってはずいぶん長い時間でもあります。
今から70年前は昭和のはじめ頃。
自家用車などはほとんどなく、大八車や牛に引かせた荷車で物を運んでいたし、汽車はほとんど蒸気機関車。便利なコンビなどあるはずもなく、田舎の我が家には電気すらなかったはず。
かまどで煮炊きをして、お便所は汲み取りで。子供は青っ洟にあかぎれが当たり前。
しかし、まあ、それはそれで幸せだったのでしょう。
もちろん私は生まれてません。まあ、私が生まれた頃も似たようなものですが・・・
軍国主義・太平洋戦争・敗戦・復興・工業立国・思想や価値観の激変、まさに激動です。
この大激動の時代を、今のお年寄りは生きてきたわけで、それだけでも尊敬せざるを得ません。

話は変わりますが、たとえばキツネやタヌキなら、30年も生きれば尻尾が何本もある妖怪のようになるんだとか。そんな話を聞きます。
だから人間だって、30年も生きれば、もう立派に妖怪・化け物の仲間入りなんじゃないかと思ったりします。
つまり、人間社会は妖怪・化け物の世界で、みんなで化かしあったり・だましあったりして生きているんじゃないかと・・・そう考えればガテンがゆくかもしれません。
でも、妖怪・化け物になるよりは、仙人になりたいよな。どうせなるならネ。


はてさて 投稿者:通りすがり  投稿日:2004年 1月22日(木)23時56分18秒

人生はすばらしい。
生きてることは、すばらしい。
そう思ってみましょう。
口に出して、そういってみましょう。
催眠術といわれようとかまいません。
「最高です!」と言ってみましょう。
とにもかくにも、今、ここで私は生きているんだと、そのこと自体が奇跡なんだと、そう思いましょう。
解脱なんか糞食らえ。

にっこり笑って生きるのが、人間なんです。
苦しい時・逆境の時に、にっこり笑って穏やかに物事を処理できるのが、オトナなんです。

もっとも俺にはできないけどね。
いつまでたってもオコサマなんだよね。自分のことしか見えていない。反省。深く深く反省。


無題 投稿者:風天  投稿日:2004年 5月 9日(日)23時45分51秒

ここのところの掲示板のやり取りを読んでいて、イエスの言葉を思い出しました。
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< マタイ10章のイエスの言葉 >
地上に平和をもたらすために私が来たと思うな。
平和ではなく、剣を投げ込むためにきたのである。
わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。
そして家の者が、その人の敵となるであろう。
わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。
自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。
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かなり強烈な内容です。
キリスト教に限らず、宗教には本質的にこのような部分があるのだと思います。

宗教は、まだまだ未開のジャングルのようなもので、危険がいっぱいなのは事実です。
魅力はあります。しかしそこに幸せがあるかというと、世間で言うところの幸せはあまり期待できないような気がします。
だから、おいそれと他人に勧めることはできません。

それでも、恐る恐る足を踏み入れるのは、やはり魅力があるからです。
あとはいわゆる「自己責任」だと思います。
もちろん、わたしが言っているのは、宗教全般についての一般論です。