如意樹の木陰

古い記事ではサイババのことが多いです。
2024年に再開しました。

五料の茶屋本陣の雛人形と妙義神社

2025-03-10 23:36:21 | Weblog

安中市松井田町にある五料の茶屋本陣では、たぶん毎年この時期に古い雛人形の展示をしていたと思います。それが3月の節句の恒例行事として新聞に取り上げられたりしていたので、なんとなく記憶にあります。
それで今回、ドライブがてら行ってみることにしました。

本陣といっても宿泊のための宿ではなく、名主の屋敷に大名や公家が休息するための場所を用意してある建物のようです。そのような建物が2棟並んで立っています。太くてよい木材を使った昔の作りの大きな2階建てです。
群馬は養蚕が盛んだった地域で、一般の農家でも養蚕の作業場所兼住居としてわりあいに大きな2階建ての建物が使われており、私も子供の頃にはそんな家に住んでいましたから、懐かしい感じを覚えました。今回あまり写真を写さなかったので、次に行った時に、建物の写真を撮りたいと思います。

名主屋敷は2棟並んでいますが、まず西の建物に入りました。


これらの人形は養蚕の神様らしいです。立ち姿で手に桑の枝を持っています。衣装にも特徴があります。
かつて、養蚕は稲作と並んで重要な産業で、たとえば今でも皇后さまは養蚕をしているらしいです。もちろんそれは天皇陛下が田植えをするのと同じく、行事のようなものです。


こちらは座り雛ですね。私が子供の頃には、まだこのタイプのお雛様がたくさんありまして、大きなひな壇にずらっと並んでいました。それはもしかしたら私の叔母達が初節句に送られたお雛様だったのかもしれません。明治から昭和の初めにかけて女の子の初節句にこれを贈る風習があったらしいです。

次に東の建物に入りました。


この写真は広い土間から写した写真です。土間には馬屋もあります。
床面が高いので、土間から上がったところが一段低くなっています。この低い場所を「あがりはな」といいます。使ってある木材はりっぱないかにもよい木材に見えます。土間の天井に細かく隙間が見えるのはその部分の2階の床が竹床だからです。
普段生活する場所には畳がありません。名主屋敷として使われていた時にも、畳がなかったのかどうかはわかりません。養蚕農家であれば養蚕に使うので、畳にはせず、必要なら茣蓙を敷いていましたが、この家ではどうだったのでしょうか。


東の建物には御殿雛がたくさん飾られています。これもそれほど古いものではないのだと思います。御殿雛は、たぶんですが、嫁入り道具みたいなものなのではないかと思います。戦後に作られたものがほとんどでしょうね。


これは割合に保存状態の良い御殿雛です。ただ、桜と橘の位置が逆ですかね。「左近の桜、右近の橘」の左右は、お雛様から見た左右です。京都市の左京区と右京区の位置関係と同じです。


帰りに妙義神社に寄りました。


  妙義神社総門
妙義神社は、お寺でもあったので、仁王門が残っています。
阿形は上位なので内側から見て左側、吽形は内側から見て右側ということでしょうか。

その前の幟建の石柱には「天必與正義 神必感至誠」とあります「天は正義に與し、神は至誠に感ず」。東郷平八郎の言葉ということです。
「至誠」とは何か。「至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり」これは孟子の言葉で、吉田松陰がよく使っていたらしいです。「精一杯の誠意で相手に接すれば、それで心を動かされない人はいない」という意味だそうです。「正直」「まごころ」「思いやり」「まっすぐな心」こういったものによって自発的に行われる「行動」を至誠というのだと思います。言葉は大事ですけれど言葉だけではなかなか人は動かないと思います。それと、まっすぐな心から発した熱意のある言葉でなければ人を動かすことなどできないでしょうね。
日本人にとっての天と神は、どう違うのか。天は「公平、公正、正義、道義」を司るのでしょうね。「お天道様」という言葉あります。「道理に反することをしたら・・・」「人の道から外れたことをしたら・・・」、「お天道さまに顔向けできない」ということです。
日本人にとっての神は、八百万の神というくらいですから、威力もあり霊験もあるけれど、いくらか人間臭い存在なのでしょうね。ですから「誠を尽くし、まっすぐな心で事に当たりなさい。そうすれば神も力を貸してくれる」そういうことなのでしょう。

今ブログを書きながらネットを見ていたら、「神社は正中から写真を撮影してはいけない」それから「神社の門の敷居は決して踏んではいけない。跨いで通ること」とありました。そうですか。


随神門に登る長い石段の両側の杉がだいぶん大きくなってきました。以前、石段の両脇の杉の巨木を切ってしまって日当たりが良くなっていたのですが、もともとはこのように日影が多い石段でした。


  随神門の左大臣と青鬼
左大臣が外側で、青鬼が内側です。私は左大臣と呼んでいますが、門の左右にほぼ同じ神像が置かれています。左右の違いは口を開けているかいないかくらいです。こちらの神像が内側から見た時に左側にいて阿形です。
ただし、内側にいる青鬼は吽形で、なぜか右手で「通せんぼ」のポーズをしています。外から入ってくる者を「通せんぼ」しているように見えますね。


  随神門の矢大臣と赤鬼
こちらは吽形の矢大臣です。赤鬼は阿形で、左手で内に案内しているようなポーズです。


随神門を内側から見るとこんな感じです。


これは奥の院への登山口に立つ石柱です。「神︀者︀依人之敬增威 人者︀依神︀之德添運」は御成敗式目の冒頭にある文章だそうです。「神は人の敬に依りて威を増し 人は神の徳に依りて運を添ふ」は、総門の前の石柱の文章の「神は至誠に感ず」に通じるところがあります。仏教では「感応道交」というそうですが、それに近い感じです。しかももっと人間の神に与える影響が大きい感じの表現です。これは例えば、「木彫りの仏像は多くの人に長い間祈られることによってその霊験を増してゆく」というようなことにいくぶん似ています。人間の心の力は、人間が思っているよりもはるかにすごいということでもあります。


社務所の玄関には大きな天狗の面と天狗のうちわが飾られています。宝物殿と御殿へは、この玄関の左隣の通用口から上がります。
ただ、最近は宝物殿が開いているのかどうか、見ただけではわかりません。勝手に入ると叱られるかもしれませんから、見学したい時は売店の人に聞いてみるのがよさそうです。


  宝物殿にある厨子の入った千手観音像


  宝物殿にある円空作の不動明王座像
こういう仏像を彫ってみたいです。


  御殿の内部
身分の高い方が暮らすために建てられた建物らしいです。
妙義神社のホームページを見ると「この庭は関東まれにみる借景庭園で、東面の景色はすばらしいものである」らしいので、今度機会があったら見てみたいですね。


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