ここのところ、わき道にそれてしまったようです。
自分でもあまりよくわかっていないことを、いろいろ並べてみたのですが、だんだん迷路に迷い込みそうです。
それも悪くはないのですが、一度出発点を確認したほうがよいかと思うわけです。
そこで、今日は「全託」というサイババの言葉をコピーします。
サイフォーラムに出ていた言葉です。
迷ったときはここに戻ります。
------- 全託 -------
なぜ動揺するのですか?あなたの心配事をすべて私に任せなさい。私が代わりにそれらのことを考えましょう。私が待っているのはあなたの全託以外の何ものでもありません。私はあなたが私にどうすべてを託すかを知っている時にだけ介入します。全託すればそれ以上もう何も心配しなくていいのです。すべての恐れや落胆に別れを告げなさい。そうできないのであれば、それはあなたが私を信頼していない証拠です。そうではなく、あなたは私を無条件に頼らなくてはなりません。
託すというのはあなたが抱えている心配ごとや出逢う困難やすべての問題からあなたの想いをそらせることです。すべてを私の手に委ねてこう言いなさい。
「神よ、あなたのご意志のままに」
つまり、それはこう言うことでもあります。
「神よ、私はあなたがすべてをご自分の手のひらに乗せ、私にとって最善の結果になるように解決してくださることを感謝します。」
覚えておきなさい。ものごとの結果について考えることは託すこととは逆のことです。つまり、あなたが結果が望みどおりにならないのではないかと心配するとき、あなたは私の愛を信用していないことを証明しているのです。それはまた、あなたの人生が私の統制下にあると、あなたが考えていないことの証でもあります。
「これは結局どうなるのだろう?」「何が起こるのだろう?」などと考えてはなりません。こういったことを考えたくなる誘惑に負けてしまうのならば、それはあなたが私を信頼していない証拠です。あなたは私に面倒をみてもらいたいのではないのですか?それならば、どんなことについても不安に思うことを止めなければなりません。私はあなたがすべてを託した時にのみあなたを導きます。私があなたの予測した道と違う道へ導いた時は私はあなたを私の腕に抱えているのです。
あなたが混乱するのは、あなたが理由を探したり心配したりどんな犠牲を払ってでも自分で自分の面倒をみなくてはいけないと思いこんだりするからです。私は物質的なことも霊的なことも含め本当に多くのことをしてあげられますが、それはあなたが私に向かって「お任せします」と言った時だけなのです。そうすればその後は保証されます。
あなたは私に全面的に頼るだけですべてのものを手に入れます。あなたは苦痛を感じた時私に祈り私に介入するよう頼みますが、その介入方法は自分の思い通りにしてほしいと願っています。それではあなたは私を頼っていることにはなりません。それではあなたは私に注文に応じてもらいたいだけではありませんか。
医者にかかっておいて医者に自分の病気の治療方法を指示する患者のように振る舞うべきではありません。かわりにすべての状況においてこう言いなさい。
「神よ、このような困難が与えられたことを感謝します。あなたが望まれるように解決してください。私にとって何が最善かは、あなたがご存じなのですから」
ときどきあなたは惨事が減るかわりに増え続けるように感じるかもしれません。動揺してはなりません。目を閉じて、信念をもって私にこう言いなさい。
「あなたのご意志のままに。あなたのなさるままに。」
あなたがこのように言うとき、私は必要であれば奇跡すら起こします。私はいつもあなたと共にいます。しかし私があなたを助けることができるのはあなたが私に完全に任せた時だけなのです。
------- サイババ -------
##############################
《 追記 》
上の『全託』はサイフォーラムにあった文章ですが、『全託』についてはヒスロップの書いた「サティアサイババとの対話」に別の時にサイババが話した言葉があるのでここに載せておきます。
★☆★ ヒスロップ著「サティアサイババとの対話」より ★☆★
① 神に全託するというのは、すべての想いと行動を全託することであり、行動の結果を望まないことです。また、結果を得るために行動するのではなく、それが自分の義務だから行うことです。その行為が神にささげられるので、その成果は神が受けることになります。このように行われた行為、つまり行為を行ったときにその成果が放棄された行為は、カルマに束縛されません。【P25】
② アートマが真実であることに気づいたときに、すべてがスムーズに働くようになります。一切をアートマに全託するかどうかの問題です。
これは、誰か他人に全託したり、渡したりするという意味ではありません。私たちは自分自身に全託するのです。アートマこそが自分自身であることを認識することが全託です。
全託の本当の意味は、すべてが神であると認識すること、全託をする主体は存在せず、全託されるべきものも存在せず、また全託を受け取るものも存在しないことを認識することです。すべてが神です。神のみが存在するのです。【P165】