如意樹の木陰

古い記事ではサイババのことが多いです。
2024年に再開しました。

ダルシャン

2007-10-02 21:11:21 | Weblog
秋の旅(9)のコメントに書いた内容を、もう一度載せておきます。
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このブログの9月9日に載せたラマナ・マハルシの言葉や、やはりこのブログの9月29日の「ヨブへの答え」のユングの言葉は、このインタビューの場面についてのある程度の説明になっているのではないかと思う。意識してこの二つをブログに載せたわけではないが、結果的にはそういう内容のものを選んでしまったようです。
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ラマナ・マハルシとユングの言葉は前述のブログのとおりですが、ではサイババは何と言っているかという事も紹介しておいた方がよいと思います。このプログを読まれる方の中には、サイババについてあまりよく知らない方もいるかもしれません。
それで S.S.O.J.の「聖地へ」に載っているサイババの言葉を引用させていただきます。

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≪ ダルシャン ≫
私のダルシャンの後は、必ず静かな場所を探して、私の祝福を黙想しなさい。私があなたの所を通り過ぎるとき、私のエネルギーはあなたへと流れてゆきます。もし、あなたがその後すぐに他の人と話し始めれば、このエネルギーは散らされて私の元に戻ってきます。
私が視線を向けたものは何であれ、活力を吹き込まれ、変質させられるので、心を安じていなさい。あなたは日毎に作り変えられているのです。このダルシャンという行為によって成し遂げられていることを、決して過小評価してはなりません。私があなた方の間を歩き回ることは、最高位の天界に住む神々が、その恩恵に浴することを切望したほどの幸運なのです。あなた方はここでその恩恵を毎日受けているのです。この幸運に感謝しなさい。このようにしてあなた方が受けているさまざまな祝福は、それぞれ完全なタイミングで表れます。しかし、それと同時に、多くを与えられた人々からは多くのものが要求されるということを忘れてはなりません。  サティア サイババ
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サイババのこの言葉と前述のマハルシの言葉を比べると、少し違うことに気づくと思う。

それではユングの言葉の方はどうかというと、これは「心的な真理」や「宗教的な奇跡の意味合い」や「宗教的発言とは何か」の説明であって、マハルシやサイババの発言の内容とはスタンスが違います。ユングは心理学者ですから当然のことです。
しかし、ユングのこのような言葉は、サイババのインタビュールームで自分は何を経験したのか、あるいはそれについて自分が書いている記事の意味は何なのかを考えるときに参考になります。
ちなみに、ユングとラマナ・マハルシはほぼ同時代を生きていました。だから、ユングがインド旅行に行くことになったとき、マハルシに会いに行くように薦められたこともあるらしい。しかし、ユングは結局マハルシには会わなかったようです。

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1 コメント

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訂正について (だるまばらむ)
2007-10-04 01:00:51
表現が適切ではなかった1行を削除しました。
適当な言葉が見つからないままに、思いついた言葉を書き込んでしまった事を反省しております。
こういう時、サイババの写真を見ると「どうもいけませんね」の表情に見えます。もう訂正したので、いつもの表情に戻りました。

サイババの言葉の「エネルギー」あるいは「活力」というのは、たぶん「シャクティ」のことなのだろうと思います。
「シャクティ」とは、「宇宙の根源的な力」とか「神そのもののパワー」とか表現されます、しかしそれ以上のことは全くわかりません。

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