如意樹の木陰

古い記事ではサイババのことが多いです。
2024年に再開しました。

最近のニュースについて

2007-07-31 22:11:50 | Weblog
<米下院、従軍慰安婦問題で決議採択>
戦争が終わって60年以上を経た今になって、戦勝国である米国がなぜこのような決議を行うのかよくわからない。
いくら正義を振りかざしたところで、その裏に何か別の意図があるのではないかと感じてしまう。
どちらにしても戦争に慰安婦を連れてゆくというのがそもそも間違いなわけで、60年も昔の細かい事をあれこれ言わずに、あの当時の我国は間違った事をしていましたと謝罪してしまえばいい。それでもまだぐずぐず言うなら、「必要のない核兵器使用の件」につき決議すればいい。
当時の日本の軍隊はそれはひどいものでしたという話はいくらでもあると聞く。それをなかったことにして、だんだんに美化し始めているのは、あまりよいことではない。

<首相退陣論、自民総務会で相次ぐ・赤城農相にも批判>
当然こうなります。自民党はしばらくたいへんです。
参議院で否決されるような法案ばかりを提出する事はできないでしょうし・・・
民主党にしても、これからは反対ばかりはしていられません。民主党に票を入れたのに少しもよくならないと分かったら、次の選挙でせっかく動いた山がまた元に戻ってしまうかもしれません。
こんな状況ではありますが、だからといって、問題を先送りにしつつ国民の顔色を伺いながら行う政治はしてほしくありません。自由民主党の底力?があるなら、いまこそ出して欲しいものです。

<地球上で極小型のブラックホール生成の可能性>
------ウィキペディアより---2007年運転開始の加速器LHC(ラージハドロンコライダー)で極小型のブラックホールの生成実験が予定されている。方法としては、陽子を光速の近くまで加速させ7TeV(7テラ電子ボルト)もの運動エネルギーを持たせてさらにそれを陽子にぶつけて高エネルギー状態にすると、極小型のブラックホールができる。LHCの生成実験では、毎秒一個の極小型のブラックホールができると予想されている。しかし、ブラックホールの根本的な性質はまだ分かっておらず危険性も充分にあるといえるので反発の声もあがっている。------

へぇ、人間の力でブラックホールまで作る事ができるんだ。すごいです。
2007年運転開始って、もう始まっているのでしょうか? どのくらい危険なんでしょう?やってみなけりゃわかんないって・・・取り返しのつかないことにはならないでしょうねぇ・・・


ババジ!!!!!

2007-07-31 06:40:19 | サイ・フォーラムへの書込み
反省も時には必要でしょうけど 投稿者:通りすがり  投稿日:2003年7月 6日

<名無しさんへ>
反省も時には必要でしょうけど、
もっと自分に自信を持ってもよろしいのではないかと、思います。

大切なのは、過程であって結果ではないのです。
完璧なものを、誰も求めてはおりません。
完璧なものに至ろうとする姿を愛することはありますが・・・

結局、人は、自分の見たいものだけを見、聞きたいものだけを聞いてしまうのです。
もちろん見たくないものばかりが見え、聞きたくないものばかりが聞こえることもありますが、それはそこに意識が集中してしまっているからに過ぎません。

客観的な真実など語ろうとする必要はないのです。そのときそのときにあなたが感じた、あなたにとっての真実を語ればそれで十分なのです。
あとは神にお任せしましょう。


ババジ!!!!! 投稿者:通りすがり  投稿日:2003年8月17日

ババジ様と交流のあるちゃんどらさん、正直言ってうらやましいです。
ババジは、どのような存在なのでしょう?
「あるヨギの自叙伝」は魅力的ですが、現実離れしたところがあって、心象風景のように感じていました。
やはりちゃんどらさんは、クリヤヨガをやってるんでしょうか?
ババジに会うには、霊性を磨くしかないのでしょうね。
「うらやましい」なんて言ってるうちはだめでしょうね。
しかし、日本にいてもババジと交流できるというのは、とてもよい話でした。
ほんとに、とてもよい話でした。ありがとう!!


ババジは意識の集合体 投稿者:通りすがり  投稿日:2003年 8月20日

<ちゃんどらさんへ>
ババジはそのように、言ってましたか。
ちゃんどらさんのレスを呼んでいて、私はユングを思い浮かべてしまいました。
瞑想の方法とか「意識の集合体」とか、なんとなくユングを連想してしまいました。

あと気になったのは、「マインドを投入する」ということです。
これは、気をつけないと、精神を害するのではないかと思います。
「心・精神・魂」は、基本的には「今・この場所」にしっかりと保っておくべきです。
そのほうが気力も充実して、実生活ではよい結果が得られるはずです。
釈迦に説法でしょうけれど・・・


無題 投稿者:風  投稿日:2003年 9月11日

<雪さんへ>
雪さんのお話は、久しぶりにホッとするお話でした。
ありがとうございます。
「月のような光」は、私もそんな光を感じたことがあります。
月の光でも差し込んでるのかな、と思って目を開けたら、真っ暗だったとかネ。

<名無しさんの苦痛のお話について>
苦痛を感じない生き物は、気づかないうちに致命的な傷を負ってしまうのです。
それゆえ、苦痛を感じない生き物は、長い進化の歴史の中で生き残ることはできないのです。
「死」そのものは苦痛ではないと思います。
「死」に至る過程は、一般的に苦痛を伴うものですけれど。
「臨死体験」関連の本などを読むと、苦痛のことはあまり書いてありませんよね。


**コメント**
このあたりの書込みにはいろんなハンドルネームを使ってます。

海面水位の上昇

2007-07-29 19:05:27 | Weblog
今日はB フレッツの工事日だったのだが、工事に来た業者さんではできない部分があるということで延期になった。
原因は昔畑だったところに今は人家が建っているため引込み線が引けないことによる。
業者さんは引込み線と屋内工事だけしかできないそうで、NTTが我が家の近くの電柱まで光ケーブルを引いたら、そのあと再度工事日を設定することになるらしい。
そのあたりの調査とか事前の工事を、個別の工事日前にNTTが済ませおくべきだとは思うのだが・・・準備をして待っていた私も時間を無駄にしたし、下請けの業者さんも時間を無駄にした。私は、返却のため外したADSLのモデムをまた接続しなおした。

最近のニュースでは米国がサウジアラビアなどの湾岸諸国に200億ドルを上回る規模で武器輸出を行うという。武器がなければ誰も戦争などはしないものをと思うが・・・
これは米国の武器産業にとっては朗報だろうし、たぶんそれが最大の目的なんだろう。うんざりする。
湾岸諸国としては米国に逆らうわけにもいかず買わされるのだろう。中東に石油があり富がある限り、こういうことが続くのだろうか・・・ムスリム同士で戦わせればいいって・・・うんざり。

今日は参議院選挙の投票日。私としては、政治の停滞や混乱を極力避けるべき時期だと思うので、あまり大きな変化を望んではいない。新聞・テレビで与党の劣勢を報道しているので、それが国民のバランス感覚に影響して、結果が適度に調整されればよいと思っている。
それにしても選挙の争点が「年金問題」「政治資金問題」というのはおそまつな感じがする。確かに金銭に関していい加減なのはよくないし、問題には違いないのだが、日本の将来を考えたときに現在山積みになっている問題のなかでは、これらの問題はそれほど解決の難しい案件ではないだろう。過去の不適切な処理についてはそれを速やかに認め、法を整備し、事務処理を適正に行えば済むことである。
もっと大きな問題は、国民に更なる痛みを強いなければ解決できない問題である。
そして、国民に痛みを覚悟してもらうためには、まず政府が率先垂範しなければならないし、明確な将来のビジョンを示さなければならない。
それをどう国民に納得させ協力させるか、政府のお役人を動かせるか、それが政治家の仕事だと思うのだが・・・
そういうリーダーシップのなさを野党が攻めるのならわかるのだが、野党にもそれができないようだ。

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<温暖化による海面水位の上昇について>(教えて!goo より)
IPCCの報告書には、南極の氷床は増加すると予測されています。水位が上昇するかどうかは、この地球の氷の90%前後を占める南極の氷床の発達の度合いと、海洋の熱膨張および山岳氷河の融解の度合いとの差で、上昇するか下降するかが決定されます。

海水面の上昇率 = 海水の熱膨張 + 山岳氷河の融解 ー 南極氷床の発達

「現在の全球モデルを用いた研究によれば、南極の氷床は十分に低温で、広範囲にわたる表面の融解は起こらず、むしろ降雪が増加するためその質量は増加すると予測される。」
IPCC 第4次評価報告書第1作業部会報告書 政策決定者向け要約

科学的には検証できないことなので、正確な答えは分からないが本当のところだと思いますが、函館海洋気象台の説明によると少なくとも21世紀中の南極氷床は増加し、海水面の下降に寄与するとのことです。

「南極の氷床は、全て融けると海面水位が約65mも上昇するといわれていますが、 21世紀のうちは温暖化で南極大陸上の降雪量が増えるので、南極の氷床はむしろ増加すると予測されています。」
函館海洋気象台 潮汐の知識の解説(3)-- 地球温暖化と海面水位上昇 --

また、完新世以降六千年間融解傾向にあったロス氷棚が増加に転じているともいわれており、次の氷期の兆候ではないかとの説もあります。この場合は南極の氷棚、氷床ともに発達して、それが熱膨張による寄与をうわまれば海水面は下降する可能性もあると思います。
Ian Joughin et. al., Science, 295, 476 (2002)

ちなみにツバルはいまのところ顕著な海水面の上昇は観測されていないようです。
Vincent Gray, The New Zealand Climate Science Coalition, JUNE 15TH, 2006
​Carol Farbotko, ISLANDS of the WORLD VIII International Conference, 1-7 November 2004
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温暖化によって海面水位は上昇すると単純に考えていた私にとっては、このような意見は参考になる。IPCCの報告書では明言を避けてはいるものの、​当面海水面の上昇はそう大きくなさそうに読める。
だからといって温暖化を放置するわけにはゆかないのは当たり前だが・・・

カルトの見分け方

2007-07-29 14:52:22 | サイ・フォーラムへの書込み
カルトの見分け方  投稿者:だるまばらむ  投稿日:2003年2月11日

カルトの見分け方 (某ホームページよりのコピー)

必ずしもカルトが以下のすべての特徴を有しているわけではありませんが、その大部分が当てはまるなら、カルトと考えて差し支えないと思います。
1.真理はその組織に占有されており、その組織を通してのみ知ることができると主張する。
2.組織を通して与えられた情報や考え方に対しては、疑ってはならない
3.自分の頭で考えることをしないように指導する
4.世界を組織と外部とに二分する世界観を持つ
5.白黒を常にはっきりさせる傾向が強い
6.外部情報に対して強い警戒感を与え、信者の情報経路に様々な制限を加える
7.信者に対して偏った情報、偽りの情報を提供することがしばしばある
8.組織から離脱した人間からの情報に接することを禁じる
9.家庭や社会との関わりで多くのトラブルを生じている
10.社会からの迫害意識を持ち、それをかえってバネにする
11.外部に対して正体を隠す傾向がある
12.生活が細部にわたって規定される
13.組織が信者の生活のすべてになっている
14.共同体内部でのみ通用する言葉を多く持っている
15.組織からの離脱について極度の恐怖心を与える

ということらしいです。参考までに。

**コメント**
4年前のこの頃はオウム真理教の残像がまだはっきり残っていた事もあり、カルトに対する警戒感が今よりもあった。
この表の12~15は、出家という形態をとる宗教であればカルトでなくとも程度の差はあっても共通している内容だと思う。
なお、私ははずかしながらかなり人間嫌いの傾向があるので、カルト以前に集団活動に対して拒否反応を起こしてしまうため、カルトに接近してしまう人の気持ちはよくわかりません。

予知夢のお話

2007-07-29 01:38:32 | サイ・フォーラムへの書込み
予知夢のお話 投稿者:だるまばらむ  投稿日:2003年 1月17日

私は、十数年前、かなり頻繁に予知夢を見ました。たわいない日常の出来事、たとえば翌日見て感動するテレビ番組の場面や、半年後に建つ工場の様子、そんなものを夢に見るわけです。夢の1/3くらいは予知夢なのではないかと思ったほどです。かなり頻繁にデジャビュを感じていました。
しかし、もちろんコントロールはできません。勝ち馬投票券を当てることはできないわけです。残念!!
それでも、正直なところ少し舞い上がりました。

しかし、しばらくして、とても怖い体験をして、それから夢を思い出すのはやめてしまいました。

ある日交通事故の夢を見たのです。あまり明瞭な夢ではないのですが、人を車ではねそうな、あるいははねてしまったような、そんな感じの夢でした。
夢の事と笑うわけにはゆかない状況でした。私の夢のおよそ1/3は現実になるわけですから・・・

そして、それから1ヶ月くらいして、ついにその夢は現実になりました。
濃霧の夜に人をはねそうになったのです。しかし、さいわいあとほんの少しのところで車が止まってくれました。
その時はものすごいデジャビュで、総毛立ちました。

今になって考えれば、予知夢を見ていたから、普段以上に安全運転であったので、事故にならなかったともいえるわけで・・・まったく、いちど因果関係が崩れてしまうと、もうわけが分かりませんネ。

今でも見ようと思えばある程度予知夢を見ることはできます。実際こんな文章を書いていると、今晩見てしまう可能性は高まります。
しかし、夢を見たとしても思い出さなければそれでいいわけですし、仮に思い出したとしても、ほっておけば30分もしないうちに忘れてしまいます。夢ってそんなものです。

予知夢は、現象としては興味深いです。何とか科学的に説明できないものかとも思いますし、私なりにいろいろな仮説を考えてもみました。
これから、科学が進歩して、誰かがこういった現象を科学的に?説明してくれる日が来るのかなぁ??

**コメント**
未来を予知する事例はさまざまな本にたくさん紹介されているし、その中には予知夢の話も多い。現象としてはほぼ間違いなく存在すると言ってよいと思われる。
それを糸口に時間と意識の関係をもっと考えてみる必要を感じる。
イメージとしては、過去・現在・未来が時空としてはすでにあると考えるのが一番わかりやすい。
すでにある時空の中を、現在という衝撃波のようなものが移動している。
私は、現在の状況に悲しんだり喜んだり、過去を悔やんだり、未来に不安を感じたりするけれど、もっと深いところには単に見ている自分がいることも感じる。

さて、このように考えてゆくときに不思議に思うのは、私のいる空間上の座標は、私がじっとパソコンの前に座っているにもかかわらず地球の自転によってものすごいスピードで移動しているし、地球は太陽の周りをもっとものすごいスピードで公転しているし、太陽は銀河の周囲をさらに想像を絶するスピードでまわっているだろうし、その銀河もまたさらに速いスピードでどこかに向かって移動しているかもしれない・・・つまり過去や未来は時間的にだけでなく空間的にもはるかに遠いところにあるように思われることだ。
「遠い」ということは、4次元時空上では「長い」ということで、われわれはとてつもなく長い存在だということ。しかも、4次元時空といったところで、絶対的な時間もなければ、絶対的な空間もありはしないらしい。

こんな事をあまり理詰めで考えても、結局何もわからない事を再確認するだけなのだが、それでもたまに考えてみたくなるわけです。しかしやっぱり、この世界はマーヤーなんでしょうかね。
その一方で、この宇宙そのものがまさに奇蹟であり歓喜であると・・・そう思ってみたりもする。

アートマン

2007-07-22 21:56:29 | サイ・フォーラムへの書込み
アートマン 投稿者:だるまばらむ  投稿日:2003年 1月12日

アートマンの話がしばらく続いていましたので、某HPから、COPYしてきました。
少し長文ですが、わかりやすいかなと思いました。

-------------------
「非らず。非らず」 『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』 4.5.6

彼はいった。
ああ、実に良人に対する愛のために良人がいとしいのではない。
アートマンに対する愛のために良人はいとしいのだ。
ああ、実に妻に対する愛のために妻がいとしいのではない。
アートマンに対する愛のために妻はいとしいのだ。
(中略)
ああ、実に生き物に対する愛のために生き物がいとしいのではない。
アートマンに対する愛のために生き物はいとしいのだ。
ああ、実に万物に対する愛のために万物がいとしいのではない。
アートマンに対する愛のために万物はいとしいのだ。
実に、アートマンこそ見るべきもの、聞くべきもの、考えるべきもの、認識すべきものなのだ。
マイトレーイーよ。ああ、アートマンさえ見られ聞かれ考えられ認識されたなら、万物が知られるのだ。

いわば二元対立というものがあるならば、
その場合、一方が他方を見る。その場合、一方が他方を嗅ぐ。
その場合、一方が他方を味わう。その場合、一方が他方に語る。
その場合、一方が他方を聞く。その場合、一方が他方を考える。
その場合、一方が他方に触れる。その場合、一方が他方を認識する。

しかし、人にとってすべてがアートマンそのものとなったとき、
彼は何によって何を見るのであろうか。彼は何によって何を嗅ぐのであろうか。
彼は何によって何を味わうのであろうか。彼は何によって何を語るのであろうか。
彼は何によって何を聞くのであろうか。彼は何によって何を考えるのであろうか。
彼は何によって何を触れるのであろうか。彼は何によって何を認識するのであろうか。
この世の万物がそれによって認識するその当の本体を、人は何によって認識できるのか。

この『非らず。非らず』(neti neti) という(ことばでのみ表される)アートマンは
捉えることができない。捉えられないから。
壊れることがない。壊されないから。
こだわりがない。こだわらないから。
つながれず、動揺せず、損なわれない。
ああ、認識の主体を何によって認識することができようか。

これで、マイトレーイーよ。お前は教えを受けた。
ああ、実に不死の本質とはこれだけのことだ、と語り終えると、
ヤージュニャヴァルキヤは、遍歴行者の生活に入った。

すべてのこだわりから無縁のお方

2007-07-22 21:42:26 | サイ・フォーラムへの書込み
すべてのこだわりから無縁のお方(Thought K322-1)   投稿者:ババ  投稿日:2002年12月31日

ある詩人がこう詠っている。

 クリシュナよ、ゴーパーラよ。
 わたしはあなたにやさしくしてもらうつもりはない。
 あなたが慈悲を請うわたしの声に動かされるとも思っていない。
 あなたが実の母親の兄上、カンサ王をその手で殺めたことを、
 わたしが知らないとでもお思いか?
 あなたはその胸にやさしくあなたを抱いて授乳した乳母プータナーの命も奪った。
 眉一つ動かすことなく、最愛の信者プラフラーダの父親を、
 目の前で苦しめたすえに打ち倒した。
 バリ王に施しをうけるふりをして近づいたあなたは、
 バリ王が喜んであなたの御足の前に頭を垂れるやいなや、
 その頭を踏みつけて地底の国に押し込めてしまった。
 そのような厳しいこころをもつあなたが、
 わたしごときの不幸に情けをかけるはずがない。
 まことに、まことに、主はすべてのこだわりから無縁のお方。
 愛するものも憎むべきものも神には存在しない。


「すべてのこだわりから無縁のお方」について思うこと 投稿者:だるまばらむ  投稿日:2002年12月31日

厳しい御言葉です。
この御言葉のミソは、ある詩人に詠わせたって事かもしれませんね。
自分で言えば角が立つ。こういったところにスワミの人間らしさをかいま見たりする。

>愛するものも憎むべきものも神には存在しない。
でこの御言葉は終わっていますが、バガヴァッド・ギーターでは次のようになっています。

『私は万物に対して平等である。私には憎むものも好きなものもない。しかし、親愛をこめて私を愛する人々は私のうちにあり、私もまた彼らのうちにある。』(バガヴァッド・ギーター9章29)

**コメント**
正直なところ、このある詩人の詩をなぜババの御言葉として掲示したのか、いまいち理解できない。
それなのにわかったような顔をして余分な事を書いて、それでBBS上ではどなたかに迷惑をお掛けしたようです。

生物と無生物のあいだ

2007-07-22 21:38:47 | Weblog
先週読んでいた「生物と無生物のあいだ」は、大変おもしろい本だった。
内容は、現代分子生物学を作り上げてきた科学者たちの物語、その光と影。発見にまつわるエピソード。
「生物とはなにか?」についての、分子生物学からのひとつの答えのようなもの。

その前に読んだ「はじめての超ひも理論」は教科書としても使えるような内容に感じられたが、この「生物と無生物のあいだ」は科学者の人間模様や著者の実際の体験がたくさん盛り込まれていて、講義の合い間の雑談のようなもの。
別の見方をすれば、「はじめての超ひも理論」は、無味乾燥だが明るいイメージがある。
「生物と無生物のあいだ」は、科学者の悲哀とか、発見競争の厳しさとか、実験動物に対する後ろめたさとか、そういった背景を色濃く感じてしまう。

それにしても、こういった最先端科学は何をめざしているのか?
基礎科学とはいえ、膨大な研究費用を消費するからには、費用を出す側になんらかのメリットがなければならないはずだが・・・

また、このような科学に十分な倫理的歯止めがかけられているのか心配になる。
それに、実験においては想定外の結果が出ることは、当たり前である。
最終的には法律による規制なのだが、先端技術についての立法はどうしても後追いになる傾向があるだろう。
さらに、法に触れなければよいという考えが世間にあることも事実だと思う。

人間はいったいどこへ行こうとしているんだろうと、思うのです。
遺伝子組み換えによる農作物ですら不安なのだが・・・

自覚

2007-07-21 22:27:09 | サイ・フォーラムへの書込み
自覚 投稿者:だるまばらむ  投稿日:2002年12月10日

スワミは普通の人です。
ナザレのイエスも、ゴータマさんも、空海さんも、ダビンチも、ベートーベンも、マツモトチズオもみんな普通の人です。
そんなの当たり前です。同じ人類なのですから。
ところが、スワミはなぜか「自身が神の化身であること」を明確に自覚している。たぶんそこのところが他の人と非常に違うのではないでしょうか。(イエスはその点スワミと似ているかもしれません)

人は、祈る動物です。理由は知りませんがそういう動物らしいのです。たぶん無神論者でも我知らず祈っている時があるのではないでしょうか。
そして、かつて私の祈りに答えてやって来てくれたのは、スワミでした。もしスワミにその「神の化身としての明確な自覚」がなければ、やっては来なかったでしょう。

というわけで、
すでに高齢のスワミが、たとえば将来老いのためにあの鋭いまなざしを失い、ビヴティーを指の間からポトポト落としながらダルシャンの会場をヨボヨボと歩いたとしても、私はその足下にひれ伏したいと思います。


ファン 投稿者:だるまばらむ  投稿日:2002年12月13日

大庭さんの「個人崇拝」を読ませていただいて、私がはじめてホワイトフィールドでダルシャンを受けたときのことを思い出しました。
周囲の人がババに酔いしれるように手を合わせるのを見ながら、場違いな感じがして「人の上に人をつくらず」とか思い浮かんだりして、少し斜めの視線でババを見ていました。この時の写真がなぜかあります。スワミと私がいっしょに写った写真は残念ながらその時の2枚しか持っていません。
しかし、郷に入っては郷に従えと、手を合わせたりしてババに集中してみると、これがなかなか気分の良いものなのですね。これって一種のマインドコントロール?
ダルシャンの前にたっふり待たせるのも、かなりマインドコントロールになるでしょう。
まあ、そういったことを考えながらでも、結局早起きして、あるいは炎天下に並んででも出てしまうだけの魅力がダルシャンにはありました。

まあ、信者の末席にも並べないような私は、スワミの「ファン」なのだと思います。その証拠に、ダルシャンの時スワミに手を拭いてもらったハンカチを数枚大切に持ってます。これってエルビスが汗を拭いたタオルを大切にしているオバサンと同じことです。まったくそのとおりなのです!!!

ファンを個人崇拝者というなら、たぶんその通りなのでしょうけれど、大庭さんの言うほど危険なことではないのでは、と思いました。(投影という問題はあるわけですが・・・これはいずれまたの機会に)

信仰のチェックの件ですが、逆に、なぜ大庭さんがサイババを信仰するようになったのか、この点がはっきりすれば、大庭さんにとってのチェックポイントが見えてくるのではないかと、思ったりします。
信仰というのは、個人的なもの、主観的なもの、責任はすべて個人個人で取ってゆくべきものなのだと思います。
信仰して地獄に堕ちるならそれも結構・・・ってくらいの覚悟があってもいいのかもしれません。(言いすぎだとは思いますが、勢いなもので、ご容赦下さい)

そういえば、大庭さんが昔の名前の頃に、スワミが寂滅されたときに信者の方が後を追うのではないかと心配されていましたが、確かにそんなことがあってはいけないわけです。

本当のところ、人間の意識というものは、過去現在未来にわたって影響し合っているものなので、ある時点で肉体が終わったからといって、だからスワミがいなくなってしまったということではないのです。
時間に関する人間の意識というものは、(たぶん)生きるという目的のために、ずいぶん狭められていますから、そのような誤解をされるのでしょう。
実際、たとえば、今の時点でさえも、もし私が本当に望むなら((ここのところが一番難しいのですが!))ナザレのイエスと直に心を通わすことができるはずなのです。
まあ、そんなわけですから、現在のスワミと心が通じ合っている方は、全く問題ないわけです。もちろん信者の方(元信者も含む!)は少なくとも間違いなくスワミと心が通じていますから大丈夫です。
 サイラム

**コメント** 
大庭さんは、このフォーラムの管理者です。ハンドルネームを大庭に変え、この時期サイババ批判を集中して行っています。
「この時の写真」は、このプログの2006年3月19日に載せてあります。


○×△◇ さまへ 投稿者:ヴァシタ  投稿日:2002年12月17日

君が、サイババの信者かどうか知らないのですが、
もし君が信者だとすると、信者を見てその宗教の主宰者(教祖)の人格を判断するということもあるので・・・

君みたいな超肯定派が、何かちょっとしたきっかけで超否定派に変わる事って、よくあるのです。
自分の中にある否定的な考えを打ち消すために、肯定を叫び続けるのだが・・・
これパウロの回心の逆パターン。

**コメント** 
私もハンドルネームを変えて、書込みしてます。

完全ということ

2007-07-20 21:18:39 | サイ・フォーラムへの書込み
完全ということ 投稿者:だるまばらむ  投稿日:2002年11月30日

>サイババは、現れます、ただし自分がすべてを創り出したにもかかわらず、カルマによる苦しみなどは、取り除きません、この答えを出してくれる人

答えになっているかどうかわかりませんが、カルキの問答にこんなのがあります。
Q.もし神が完全であり、世界が不完全だとすると、創造主もその責任を取るべきではないでしょうか? どうなんですか?
A.世界は完全です。ただ、人間の理解がまちがっているだけです。

かなり危険な解答です。怒り出す人も大勢いるでしょう。
仮にこの世界が「完全」だとすると、「完全」な神の、その「完全」というのはどういうことなのか?このあたりがポイントなのかもしれません。

この件についてババが、なんと言っているか知りたいですね。


完全ということ(つづき) 投稿者:だるまばらむ  投稿日:2002年12月 1日

ババの御言葉にこんなのがありました。
--------
人間が天地万物を神と見るならば、喜びや悲しみという二重の経験を与える力は消え去ります。その時、人は真理を知り、泰平の心を知るのです。神はひとつ、ただひとつです。「ただひとつ。ふたつ目はない。それがブラフマンである」 それは世界に内在するすべてを超越した原理です。人間は神を知るために全力を尽くさなければなりません。神こそ真理なのです。
--------
さて、神=完全として、この文章の「神」を「完全」に置き換えると、
--------
人間が天地万物を「完全」と見るならば、喜びや悲しみという二重の経験を与える力は消え去ります。その時、人は真理を知り、泰平の心を知るのです。「完全」はひとつ、ただひとつです。「ただひとつ。ふたつ目はない。それが「完全」である」 それは世界に内在するすべてを超越した原理です。人間は「完全」を知るために全力を尽くさなければなりません。「完全」こそ真理なのです。
--------
まあ、言葉の遊びといえばそれまでですが、何か見えてくるものがあるかなあと思いまして・・・

帰依しているという気持ち

2007-07-20 21:03:02 | サイ・フォーラムへの書込み
帰依しているという気持ちを捨てる 投稿者:だるまばらむ  投稿日:2002年11月20日

10月10日のダラサ祭の講話(2回目)はすばらしいものですが、その中に以下の文章があります。
ナインさんのお話に出てくる本の内容はこんな感じでしょうか。
ちなみに、以下の文章の「神」・「神さま」を「ババ」に置き換えて読んでみることをおすすめします。
-----------
 肉体の目に頼ってはいけません。神の目を養いなさい。心を神の光に向けなさい。その光はすべての人の中にあります。同じことがシャンカラの有名な歌『バジャ・ゴーヴィンダム』でも説かれています。神を思い、神の栄光を歌いなさい。ほんとうは、神はみなさんとかけ離れたものではありません。みなさん自身が神です。みなさんとわたしは、ひとつです。神さまは自分とは違ったものであり、自分は神さまに帰依しているという気持ちを捨てなさい。



帰依しているという気持ちを捨てないゾ! 投稿者:だるまばらむ  投稿日:2002年11月23日

前出したダラサ祭の講話(2回目)の「自分は神さまに帰依しているという気持ちを捨てなさい」が、どうも気になってしかたがないのです。
それで考えました。

「帰依しているという気持ちを捨てなさい」というのは、「それぞれの立場でババのように考え、ババのように行動しなさい。」ということなのでしょう。
しかし、これではまだ不十分です。
さらに、「ババのように」と意識しなくとも自然にそうならなければ,「帰依しているという気持ち」は捨てられないのです。

そうこういろいろ考えると結局、この言葉は究極の言葉であって、私のような市井の徒には歯が立たないということがわかりました。

結論として、私はこれからもとうぶんバクティーとサンニヤーサでいくことになりました。
ただし、努力目標として「スワミだったらどう考えるか」を掲げておくことにします

ゴロゴロと読書

2007-07-17 21:12:04 | Weblog
ゴロゴロと読書

日曜、海の日は、台風の影響で天気がよくないと思い、本でも読むことにした。
用意した本は3冊。井上靖「風林火山」、河合光「はじめての<超ひも理論 >」、福田伸一「生物と無生物のあいだ」

文庫本の「風林火山」を読んだら、小さい字がチラチラして、やっぱりめがねがそろそろ必要かなと思った。この本は一応大河ドラマの原作本らしいが、わずか300ページだから、ドラマ1年分には全く足りない。原作といっても、ドラマの脚本にするために大幅に内容を膨らませているし、登場人物の死ぬ時期についてさえ変更?してしまっている。まあ、ドラマは虚構ですから、どっちが正しいというわけでもないのでしょうけれど。
小説は小説、ドラマはドラマ。小説は想像力で楽しめるのでよいです。

「はじめての<超ひも理論 >」。副題は「宇宙・力・時間の謎を解く」。副題を見ると読んでみたくなりますよね。
現役バリバリの量子物理学者の本ですから内容は正統派です。それを一日で斜めに読み飛ばした私には、結局あんまりよくわかりませんでしたけど・・・またあとで拾い読みしてみます。
この種の本は好きなので、用語にうんざりして投げ出す事はないのですが、では理解できたかというと、そう簡単に理解できるはずがないんですね。
とりあえず、最先端科学の雰囲気を手軽に楽しめるのが、こういった科学読み物のよいところではあります。

最後に「生物と無生物のあいだ」。この本を読み始めたら、海の日も終わってしまって、途中までしか読んでいません。
書き出しは、科学読み物とは思えないような、文学的?な文章でした。なかなかおもしろそうです。
また、アメリカにおける野口英世の評価なども書かれていました。
続きはこれからゆるりと読みたいと思います。

そういえば昨日、期日前投票に行ってきました。
投票日が知事選22日、参院選29日で、ちょいと都合があるので、まとめて済ませました。
簡単に期日前投票ができるようになったせいか、パラパラと投票に来ていましたね。

神の化身 

2007-07-16 18:17:52 | サイ・フォーラムへの書込み
 神の信者さんへ 投稿者:だるまばらむ  投稿日:2002年/10月26日

サイババのことをいつも考えていらっしゃるあなたのことをスワミが知らないはずはありません。
スワミについて全く知らない者のところにさえ、必要とあらば現れるのですから。

---御言葉です---
肉体をまとって生まれて来たものはすべてアヴァター(神の化身)です。つまり神の降臨であり神の顕現であるのです。ではラーマ、クリシュナ、ブッダ、キリストの抜きん出ていた点は・・・(中略)・・・こうです。彼らは真理であるアートマンを悟ったのであり、あなた方はそれを悟っていないということなのです。悟りは恩寵、栄光、威厳、力、光輝を授けてくれます。悟りは執着からの解放、時間、空間、因果の法則、眠りと夢と現実から解脱させてくれるのです。アヴァターたちはつねに目を光らせ、物事を覚知し、光輝に満ちているのです。
------  
あなた自身が「自分自身も神の化身である」と多少でも感じられる時、スワミが自分よりもっともっとはるかにすごい「神の化身」なのだと実感できるのではないでしょうか。


(無題) 投稿者:だるまばらむ  投稿日:2002年11月15日

>現に、悪魔はあります。
匿名希望さんのこの言葉、とてもいいです。
私だったらつい、「悪魔はいます」と書いてしまうでしょう。でも、仮に悪魔が存在するとしても「います」ではなく、「あります」なんですね。
「神」も「あります」なのだと思いました。

>地球人は殆ど広義には、闇の住人に見える
闇の使者さんのこの言葉も、意味が深そうです。チンパンジーに毛の生えた程度の?意識しか持たない人類は、まだ文化を始めたばかりなのです。
意識には、闇の部分が多いのでしょう。あるいはほとんどが闇だったりして・・・(特に私の場合は)
でも、闇の中にあるもののすべてが悪いものであるということではないはずです。

ところで、「ほんの通りすがり」さんと、「闇の使者」さんは、目が読みたいと感じたり、書籍にビビッと感じたりするそうですが、具体的な書名があげられたらぜひお願いします。


匿名希望さんへ 投稿者:だるまばらむ  投稿日:2002年/11月17日

匿名希望さんありがとうございます。

悪魔については、わからないことだらけです。
この日本の無神論的な雰囲気の中を、悪魔がこれ幸いと大手を振って歩いているのではないかと考えたこともあります(これは、もちろん擬人化した表現ですけど)。
また、悪魔は神の属性のひとつではないかと考えたこともあります。
でも今はあまり悪魔のことを考えたくはありません。(これもサタンの仕業だったりして)


闇の使者さんへ 投稿者:だるまばらむ  投稿日:2002年11月19日

お礼が遅くなりましたが、「サイババから感じるエネルギーについて」ありがとうございました。

「独特の感じや匂い」という言葉に共感します。
私は1年の3分の1くらいの期間、どちらかの鼻がつまっているような人間なのですが、霊的なものに対しては嗅覚で感じるような気がします。めったにありませんけどね。
また、生命エネルギーのようなものは視覚で、つまり光で感じるようです。これも経験が少ないので明確ではありませんが。

なお、私の名前「だるまばらむ」は、ご存じの方も多いと思いますが、鉄道の駅の名前です。
「Dharmavaram Jn.」です。どんな意味かは知らないで使わせてもらっています。

サンニヤーサ・遍在

2007-07-16 11:01:49 | サイ・フォーラムへの書込み
遍在 投稿者:だるまばらむ  投稿日:2002年/10月20日

サイババが遍在であることの一例を私の経験からお話ししておきます。
サイババの周辺ではよくある話でしょうが、たまにはこんな話題もよいかと思います。

30年以上前に私は日本でスワミを見ています。
見ていると言っても、実体としてではなく神のビジョンとしてですが。
ビジョンに現れたスワミの姿が、その頃私のいだいていた神の姿のイメージとあまりにかけ離れており、しかもなぜかスキップを踏んでいるように見えたため、強く記憶に残りました。
もちろん、スワミが現れたのは、その時の私が危機的状況にあって必死に神(ありとあらゆる神様仏様)に祈ったからでした。
神であるスワミは、取るに足らない私の祈りを聞きつけて姿を現して下さったわけです!!!
この出来事が起こったのは、私がテレビでスワミを知るよりも15年も前のことでした。

日本でも、ほんとに多くの人が、いろいろな奇蹟を体験しているのです。
それも、インドではなく、この日本で起きているのです。
スワミは遍在します。
      AUM SRI SAI RAM


サンニヤーサ 投稿者:だるまばらむ  投稿日:2002年/10月16日

・・・・
この御言葉に相当するバガヴァッド・ギータの文章は次の通りです。

( バガヴァッド・ギーター第9章27~29 )
    
クリシュナは告げた。
「あなたが行うこと、食べるもの、供えるもの、与えるもの、苦行すること、それを私への捧げものとせよ。アルジュナ。
  
かくてあなたは、善悪の果報をもたらす行為(業)の束縛から解放されるであろう。
放擲のヨーガに専心し、解脱して私に至るであろう。
  
私は、万物にたいして平等である。私には憎むものも好きなものもない。
しかし、親愛をこめて私を愛する人々は私のうちにあり、私もまた彼らのうちにある。」

-----
なお、「放擲(ほうてき)のヨーガ」という言葉はむずかしいですが、解説によれば、この場面での意味は「ありとあらゆる行為を絶対者(最高神=クリシュナ)へのささげものとして行うこと」だそうです。
もちろん、クリシュナはサイババであり、アルジュナはあなたであるわけです。

サイ・フォーラムへの書込み

2007-07-16 10:52:59 | サイ・フォーラムへの書込み
久しぶりに、サイ・フォーラムのBBSを読み返してみた。
私がこのBBSに書き込んでいたのは2002年9月から2004年6月。
この期間の途中で、BBSの管理者がサイババ批判を始めたことにより、BBSは騒然となり、しばらくして終息した。
管理者の御好意でいまだにインターネットで見られるので、今のうちに自分の書き込んだ意見くらいはコピーしておいてもよかろうと思った。
それを、このプログに少しずつ載せてゆこうかと思う。
このブログでのカテゴリー名は「サイ・フォーラムへの書込み」とした。
BBSへの書込みなので、前後の関係がわからないと、意味がよく取れないところもあるが、あまり手直しをしないでコピーしたいと思う。
必要と感じれば、多少のコメントを付けるかもしれない。

無題 投稿者:だるまばらむ  投稿日:2002年 9月23日

最初に、幸運にもこのホームページにたどり着けたことを、スワミに感謝いたします。
スワミは、必要な時に、必要なものを与えて下さっているようにいつも感じます。
もちろん、与えて下さるものが時には試練であったりするのですが、それも、この世界の存在理由が霊性の向上であることを考えれば、当然のことなのでしょう。
しかし、では「霊性の向上とはいかなる事であるのか」ということになると、あまり明確ではないのです。
さいわい、このサイ・フォーラムはスワミの言葉で埋め尽くされていますから、これからよく読ませていただきます。特に今日の御言葉が毎日読めるのはすばらしいことです。
      AUM SRI SAI RAM


バクティ 投稿者:だるまばらむ  投稿日:2002年/10月12日

「神への愛」は、投稿日10月11日のThought K354-1では 、「DEVOTION」あるいは「Bakthi」でした。
「DEVOTION」は英語ですから、スワミの本来持っているイメージは「Bakthi=バクティ」なのでしょう。
「バクティ」は「信愛」、もっと詳しくは「神への献身的な信仰と愛」と訳されるそうです。
スワミはクリシュナの話をよくされますから、この「バクティ」は「バガヴァッド・ギーター」で説明されている「バクティ」の意味と考えるのが妥当と思われます。
「バクティ」について詳しく知りたい方は岩波文庫の「バガヴァッド・ギーター」を読むのがよいのでしょうが、私のような門外漢には、NHK出版の「バガヴァッド・ギーターの世界」がわかりやすくて目から鱗でした。

**コメント** 
この頃は、「バガヴァタ・バヒニ」とか、上村勝彦氏の「バガヴァッド・ギーターの世界」を読んでいたようです。