本間家旧本邸。長屋門。山形県酒田市二番町。
2024年9月10日(火)。
酒田市街地の酒田市総合センター内の一室にある酒田市文化資料館光丘文庫を見学後、近くにある本間家旧本邸を見学した。本間美術館は以前訪問したので今回は省略した。建物内部は撮影禁止である。
本間家旧本邸は、本間家三代光丘が幕府の巡見使一行を迎えるための宿舎として明和5年(1768)に新築し、庄内藩主酒井家に献上した二千石格式の長屋門構えの武家屋敷である。桟瓦葺平屋書院造りで、武家造りと商家造りが区分されながら一体となっている珍しい建築様式である。
巡見使一行が江戸に戻ると屋敷を酒井家から拝領し、商家造りの方で昭和20年(1945)の春まで本間家代々の本邸として使用したが、武家造りの建物部分には特別な時にしか出入りしなかった。
のち、1949(昭和24)年から1976(昭和51)年までは中央公民館、1982(昭和57)年からは観光施設として公開している。
邸内の襖絵のなかでは「日本海海戦の図」という油絵の洋画が珍しい。季節の掛け軸のなかでは小野竹喬の風景画が秀逸であった。
屋敷東側の薬医門内側。日常、家族はこちらの門から出入りした。
臥龍(がりゅう)の松。
大火を免れた樹齢400年以上の赤松。赤松は内陸部に多いため酒田で赤松が生育するのは珍しい。
玄関の屋根に覆いかぶさるように生えており、本間家では「門かぶりの松」ともよんでいた。「奢り高ぶらず、常に低姿勢でいなさい」という本間家の精神を表している。
七社の宮。
土蔵の中に七つの神を屋敷神として合祀して代々拝礼を行なってきた。
諸国から北前船で運んできた銘石を配した庭。
北海道の神居古潭石・佐渡の赤玉石・伊予の青石、灯篭には岡山の万成石など全国の石が配されており、庭の一角の石だけでも家が1軒建つほど高価なものという。
北前船は、上方に米などを運んだ帰りは積み荷が軽くなり船が不安定になることから、交易した先の港でその土地の石を船体を安定させる綿積石(海神石)として積んで船を安定させていた。
別館「お店」。
道路を挟んだ別館「お店(たな)」では、実際に使われていた帳場や度量衡、行灯等の灯かり、台所用品や写真資料などを展示しながら土産品も販売している。
本間家は初代原光が「新潟屋」というお店を開業したことから始まった。別館「お店」は本間家が代々商いを営んだ場所で、現在は商人としての本間家を紹介しており、帳場や度量衡、行灯等の照明具、看板などが展示されている。
当時多かった火事に備えて本間家が用意した消火道具も展示されている。
「竜胆車(りんどうぐるま)」は、本間家の裏紋で、女性の紋として使用している。
このあと、鶴岡市の東田川文化記念館へ向かった。