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新潟県糸魚川市 フォッサマグナミュージアム ブラタモリ ヒスイ 糸魚川-静岡構造線 

2024年03月29日 10時06分52秒 | 新潟県

フォッサマグナミュージアム。新潟県糸魚川市一ノ宮。

2023年10月5日(木)。

名勝・親不知子不知の見学を終え、糸魚川市街地方向へ引き返して、青海神社と寺地遺跡、その後、市街地南の丘の上にある国史跡・長者ヶ原遺跡(遺跡公園)、長者ヶ原考古館とフォッサマグナミュージアムを見学、最後に、南の根知にあるフォッサマグナパーク(糸魚川-静岡構造線 断層見学公園)を見学して新潟県の旅を終えた。

フォッサマグナミュージアムは高校生団体など入場者が多く、混雑していた。

第1展示室 魅惑のヒスイ

糸魚川の川や海で発見された美しいヒスイ原石が展示されています。

第2展示室 糸魚川の大陸時代

ヒスイの歴史や化学、古生代の変成岩や石灰岩を紹介しています。4.6トンの美しい小滝川産ヒスイの上には何やら物体が浮遊しています。

第3展示室 誕生 日本列島

フォッサマグナは、日本列島が誕生した時の大地の裂け目です。まだ、大陸であった恐竜時代の後に、日本列島は、アジア大陸から引き裂かれ、少しずつ今の形に変化してきました。ドイツ人地質学者、ナウマン博士が発見したフォッサマグナは、日本列島の誕生の秘密を解き明かしてくれます。

200インチの壁・床一体型の巨大スクリーンに展開される日本列島の誕生や、フォッサマグナと日本海の形成の映像は必ず見てほしい展示です。

フォッサマグナと日本列島

フォッサマグナは「大きな溝」

日本列島の真ん中には、大地をつくる地層を知ると見えてくる「大きな溝」があります。ドイツ人地質学者のナウマン博士がこの「大きな溝」を発見し、フォッサマグナと名づけました。フォッサマグナとは、ラテン語で「大きな溝」を意味します。ナウマン博士のフォッサマグナの東端がはっきりしないことから、現在は、左の範囲をフォッサマグナとしています(範囲についてはいくつかの説があります)。

大地の裂け目。

古い地層でできたU字溝のような溝の大部分は、かつての海底にたまった新しい地層によって埋め立てられました。これらが隆起した後、焼山や富士山を含む、南北方向の火山列ができました。フォッサマグナは、日本列島がアジア大陸から離れる時にできた大地の裂け目と考えられています。

糸魚川-静岡構造線

糸魚川-静岡構造線は、日本列島を地質学的な東北日本と西南日本に分ける断層であり、フォッサマグナの西側の境界断層でもあります。また、この断層は、北アメリカプレートとユーラシアプレートの境界とも考えられていますが、両プレートの境界については、いくつかの説があります。

ナウマン博士のフォッサマグナ ― 大地の大きな溝

フォッサマグナ(Fossa Magna)はラテン語で、「大きな溝」という意味です。

古い時代の岩石(おもに中生代・古生代、「薄い茶色」)でできた 、ほぼ南北方向の溝の中に、新しい時代の岩石(新生代、「緑色」)がつまっています。

この溝は、上空から見下ろしてわかるような、地形的な溝ではなく、山々をつくっている地層や岩石を知ってはじめてわかる「地質学的な溝」です。この「地質学的な溝」を、ナウマン博士は「フォッサマグナ」と呼びました。

ナウマン博士は、フォッサマグナの西縁を糸魚川 -静岡構造線、東縁を直江津-平塚線と考えました。

このようにフォッサマグナは、三次元の地質構造(二次元の広がりを呼ぶ場合もある。フォッサマグナ地域など)をさすものです。したがって、糸魚川-静岡構造線は、その西縁の境界面(断層面)ですから、「フォッサマグナ」と「糸魚川-静岡構造線」は同じ意味ではないことに注意してほしいと思います。

また、フォッサマグナのもう一つの地質学的な特徴は、フォッサマグナの真ん中に南北方向の火山列があることです。北から代表的な火山をあげると、新潟焼山・妙高山・黒姫山・飯綱山・八ヶ岳・富士山・箱根・天城山などです。

フォッサマグナの地下には、フォッサマグナの部分が落ち込んだ時にできた南北方向の断層があって、それを通ってマグマが上昇し、南北方向の火山列ができたと考えられています。

現在のフォッサマグナの範囲 溝の深さは、6000メートル以上

ナウマン博士がフォッサマグナを命名(1886年)してから、120年以上もたちましたから、日本列島の地質調査も大きく進展しました。この結果、ナウマン博士が予想したようなフォッサマグナの東縁を示す明瞭な境界(直江津-平塚線)は見つかりませんでした。

そこで、明瞭な地質学的な溝をさがすとすれば、図のように、西縁は糸魚川-静岡構造線、東縁は新発田-小出構造線と柏崎-千葉構造線にはさまれた地域となります。

現在、この地域をフォッサマグナと呼ぶことが一般的なようです(しかし、このフォッサマグナを認めない立場もあります)。この範囲フォッサマグナとすると、フォッサマグナの中に古い時代の岩石でできた関東山地が残って奇妙です。

しかし、関東山地を、フォッサマグナが落ち込んでできた時の落ち残りだと考えると、現在のフォッサマグナの範囲を受け入れることができそうです。

さて、フォッサマグナの溝の深さはどれくらいあるのでしょうか。黄丸印は、深さ6000m級のボーリング調査が実施された位置です。

しかし、それらのボーリングは、新しい地層の下にあるはずの古い時代の岩石に到達することができませんでした。

したがって、深さは6000m以上ということになります。また、北アルプス(古い時代の岩石)は標高約3000mあり、越後山地(古い時代の岩石)は約2000mありますから、それらの標高を足すと8000m~9000m以上の深さがあることになります。

ちょうど、ヒマラヤ山脈がすっぽり埋まってしまう、隠された溝があるのです。

 

糸魚川-静岡構造線の断層は、山梨県早川町、山梨県北杜市などで見学することができますが、フォッサマグナパークでは遊歩道や解説板が整備され、もっとも気軽に見学できます。

ということで、ブラタモリでも紹介されたフォッサマグナパークへ向かった。

新潟県糸魚川市 ヒスイ生産交易拠点 国史跡・長者ヶ原遺跡 長者ヶ原考古館②



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