世界遺産パレンケ。宮殿の南側から碑文の神殿方向。2014年11月17日(月)。
宮殿の南側を降りる。中段にも地下室が残っており、覗き見ることができる。
宮殿東側を流れる水路を渡る橋。水路は手前の高い南側から北側の低地に流れている。橋を渡り、坂道を登って、小高い丘の上にある十字グループとよばれる神殿群へ向かう。
パレンケはマヤ低地西端、チアパス高地山腹の丘陵上に立地する。パレンケとはスペイン語で柵の意味だが、マヤ人はこの都市を「大いなる水」を意味する「ラカム・ハ」とよんでいた。
山腹から湧き出る水が都市や近郊に小川として流れ、人々に飲み水を供給した。宮殿近くの小川は、古典期に建造された石造の水路を通り、長さ55mのマヤアーチの地下水路へと今も流れている。川沿いに歩くと、美しい滝も堪能できる。
太陽の神殿。神殿内部の壁面に太陽のシンボルとされた楯と槍からなる戦いの神が彫刻されていたことから命名された。
パカル王の息子12代キニチ・カン・バフラム王(684~702年在位)が建てた神殿群は十字グループと呼ばれる。パカル王が80歳と長命だったため、息子のキニチ・カン・バフラム王は即位した時、既に48歳になっていた。彼の治世は18年間と決して長くはなかったが、十字架の神殿・葉の十字架の神殿・太陽の神殿という3つの神殿を建てた。
太陽の神殿。頂上神殿内のレリーフ。中央に楯と槍、右に成年の王、左に少年時代の王が彫刻されている。
太陽の神殿から葉の十字架の神殿を眺める。左は十字架の神殿の基壇階段部。
葉の十字架の神殿。マヤアーチの入口と、上部の左右にあるトウモロコシの葉と人間の首を表す窓が特徴。
内部にはトウモロコシが十字架の形で表されているレリーフがあり、名前の由来となっている。
葉の十字架の神殿。上部からの風景。左に太陽の神殿。右に十字架の神殿。中央奥に宮殿。
葉の十字架の神殿。
十字架の神殿。この神殿群の中で最大の神殿。キニチ・カン・バフラム王の墓所という説もあるが、発見されていない。
十字架の神殿。石段を登る。
十字架の神殿。頂上には二つの部屋がある。内部の石板に、神殿の名前の由来となった十字架のような形が彫られていた。実際には彫られているのは十字架ではなく十字状に表象された世界樹のセイバであり、その石板は国立人類学博物館に現在は保管されている。
十字架の神殿。キニチ・カン・バフラム王のレリーフとされる。
十字架の神殿。煙草を吸う老人のレリーフ。喫煙を描いた最古のレリーフとされる。キニチ・カン・バフラム王のレリーフと対になっている。
十字架の神殿。煙草を吸う老人のレリーフ。
左を向いた人物が煙管のようなもので煙草を吸っている。
十字架の神殿。頂上から宮殿と碑文の神殿方向を眺める。その先には熱帯のジャングルが果てしなく続いている。
十字架の神殿。頂上から宮殿と碑文の神殿方向。手前左に太陽の神殿、その右隣の神殿14は弟の13代キニチ・カン・ホイ・チタム王が建てたものという。 キニチ・カン・ホイ・チタム王は702年に即位するが、711年に南65kmにある都市トニナとの戦争に敗れて捕虜となり、パレンケは衰退していった。764年にパカル王の曾孫が16代目王として即位する。記録として知られる最後の王であり、土器に刻まれた碑文の最後の日付は799年に相当する、パレンケは10世紀には放棄された。
宮殿の東側外壁。十字架の神殿から下って、遊歩道を北へ進む。ジャングルの雰囲気を体感できるらしいので、北へ川沿いの遊歩道を下り、博物館方向へ向かうことにした。