紅花資料館。山形県河北町谷地戊。
2024年9月13日(金)。
寒河江市の慈恩寺を見学後、北東に進み、「べに花の里」として有名な河北町の紅花資料館に16時10分ごろ到着したが、このころから雨が降ってきた。
河北町立の紅花資料館は、紅花の豪商として栄えた堀米四郎兵衛の屋敷跡を整備して1984年に開館した全国唯一のベニバナの資料館である。
堀米家は、元禄の頃から農地の集積を行い、文政年間から明治期まで名主や戸長を勤めた家柄である。その間、米、紅花などの集荷出荷などによって財をなした。
特に紅花は、文化年間(1804~1818)から精力的に取扱い、河北町内でも指折りの豪商に成長した。蓄積された財貨は、農地の開拓や金融に向けられ、大名貸しも行っていたと考えられる。
堀米ゆず子(バイオリニスト)の父親の生家でもある。
江戸末期に堀米家が組織した農兵隊の武器や生活用品および古文書など5000点を保存しており、ベニバナに関連する資料や享保雛などを展示している。
敷地内には紅花畑もあり、7月上旬ごろに咲き誇っている。
紅の館 。紅花の概要、 各時代の雛人形、紅染衣装等を展示している。
江戸時代には、特産の「最上紅花」(昔は村山地方を最上といった)が植えられ、可憐な花びらは紅餅(花餅)となって、はるばる京都へ送られた。京都の紅屋の手によって紅餅から真っ赤な紅がつくられ、それが京おんなの唇を彩るとともに、紅色の美しい衣装を染めあげた。
紅餅。
ぞく(紅を付着させた青苧繊維)。
笹紅。
二藍(ふたあい)。黄染(きぞめ)。一斤染(いっこんぞめ)。
朱華(はねず)。韓紅(からくれない)。濃紅(こきくれない、深紅ふかきくれない)。
御朱印蔵。御朱印蔵とは朱印状の収蔵庫で、近郷吉川村の新山神社から譲り受けた御朱印状を収めるために、6代目堀米四郎兵衛則勝が願主となって、文久3年(1863)に建立した。
唐破風向拝付入母屋造の土蔵で、棟梁は松田仁作、設計および正面の彫刻は細谷藤吉、木鼻の獅子は高山文五郎の作、ともに郷土の生んだ名匠である。
武者蔵 ( 1853年に建てられた)内部の階段箪笥。
17時に資料館を出て、河北町の道の駅へ向かった。