皆さん大変ご心配おかけしました。何とか復帰できそうな感じに仕上がってきたようです。
しかしながら博物館の「改札」のお仕事はお休みを貰ってしまって…申し訳ない限りです。
さて、今週の20日にE3系こまちR1編成がラストランとなります。そこで、歴史を少し(自分の履歴と共に)振り返ってみたいと思う。
それは、1996年12月にそれまでの土崎工場(現秋田総合車両センター)から、秋田新在直通運転開業(表向きは秋田新幹線)に向けるために、秋田支社運輸部輸送課(現車両課)に配属になり新幹線車両担当となりました。
開業までの3か月間は、昼夜問わず初期故障の対策や試運転に奔走していました。気づけば法廷超過勤務を超えていました。でも、鉄道の、しかも新幹線の開業に携われたことは鉄道マンにとっては大変栄誉なことです。
一番心に残っているのは、北上までの試運転時に、盛岡で200系(K編成)と連結する瞬間でした、しかも運転席でモニターを見ながら…。あとは、開業初日に2往復運転台に添乗することができ、しかも無事乗客を輸送できたことが誇りに思います。
さて、R1編成は部内ではS8と呼ばれていました。(新幹線の試作車は編成にSがつきます)この車は、1年前(確か?)(訂正2年前)に製造され、山形新幹線や東北新幹線で、各種試験を行っていました。おかげでかなりの走行距離を稼いでいます。そして開業に合わせて量産化改造されました。
車内のサニタリー関係や運転台が量産車と若干違っています。まあご存じのように顔も違いますが(笑)
当時は、乗務員の間では運転台が違うので嫌がられていたのは事実です。まあ、不安なんでしょうけど…。
それから、16年。ついに引退の時が来ました。よくここまで頑張ってくれたと思います。E3が無くなると私の存在が消えてしまうようでなんか悲しく思い…でも時代だからしょうがないし…子供にもとうとう自慢することができなくなりました
しかし、E3系写真を撮影しに行くと必ず1本はR1に当たっていました。で、写真をのっけます。ありがとうS8
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