ハブ ア ナイス doi!その2

2024年。今年はどんな年になるかなあ。とりあえずしっかり遊ぼう。
日々のこと、つらつらと書きます。

高野街道 五里石を超えた

2021-12-08 21:11:43 | ウォーキング

高野街道も堺から歩いて、
河内長野につき、
そこから紀見峠も越えて、
今は5里石がある少し手前の
林間田園都市まで来ています。



堺市にあったのが13里。
まあ1里4kmとして
最初の4キロも加えて
36キロ歩いてきたわけですね。

あと5里ちょっとですから、
20キロほどでしょうか。

ただし、高野手前は山道なんで、
体力的には少し厳しい感じです。
空海さんも京都から来て、
大阪の山場を越えあとは
高野山への登りが残るのみとなって、
ほっとひと段落し、
また気持ちを改めた
そんな場所だったんでしょう。

そうそう、それと今回の歩きは
ブログなどでdoiron歩きに
興味を持ってる人と
複数でその続きを
歩いてゆくことになっています。

家からだとほぼ1時間でやってくる
林間田園都市の駅前の駐車場に
車をとめて歩き始めましょう。



これだとどこまで歩いても
ここまで電車で戻ってくる
ことになりますから、
複数歩きでも融通がききますから
ちょうどいいでしょう。



それではまず駅から
慶賀野橋まで戻るように歩いて、
前回高野街道から外れたところ
までもどり、そこから継続して
歩いて行くことにします。

林間田園都市の駅は昭和56年に開業。

この辺りはその頃から
とてもきれいに整備されていますねえ。

昔は鍋谷のトンネルもなかった頃、
首藤さんと大峰の山に行くときに
よくこのあたりの道を通ったものです。

駅の周りにはマンションが何軒も建ち、
南海電鉄が開発した駅周辺の
整備された道を
「さあ、今日も頑張って楽しむぞ」
とワクワクしながら歩いてゆくのです。



慶賀野橋まで出ると、
さあでは高野街道の道を確認しましょう。



前回いただいた地図をもとに探ってみると、
ここから少し戻るように
古い通りを歩いて行けば
高野街道に突き当たるはずです。



スマホの地図なんかもこんな時には
とても役に立ちますね。
そうして出会ったこんな山手の細い道、
これが高野街道です。



なんか道の狭さや曲がりくねっている様子に、



昔の道の風格がにおいますね。



長い間街道を歩いていますとわかります。
経路が自然の姿とそれとなく
一体になった感じが、旧道には漂います。

そうして谷に沿って細長く家々の続く
旧町を通り抜けてゆきます。



果樹園の痕跡があったり、



農地も続きながらしばらく歩くと、



道は自然に国道371号線に
出てゆくことになります。



昔の道の感じとはこの辺は異なりますが、
それでもそれとなあく昔の雰囲気を
どこかに残しているって感じで、
今の高野街道は続いてゆくわけです。

道の端っこなんかを
車に注意しながら歩いてゆきますと、
目の前に見えてきました。



堺からずっと見続けてきた里程石が、
国道の横に据えられています。



この里程石が、高野山の女人堂迄
あと5里を示しています。
現在も1857年に立てられた
13基の標石はすべて現存しています。
一緒に歩いた人も感激してはりました。
普段何気なく使用している道でも
こういう標石でつながっているんだ
と思うと感慨もひとしおですね。

道周辺だけでなく道そのものにも
人々の思いが染みついている
ってなんかとってもいいです。



この標石からしばらくは
国道沿いを歩いてゆきます。

この高野街道を歩いていて、
朝からここまでで気になることが
ふたつあります。

まずこの通り沿いの家では、
庭木に高野マキを植えている家が多いようです。



高野マキとは一族一種の常緑針葉樹。
高野山を中心に仏に供える花の代用として
用いられており、名前もこれに
由来する樹木だ。



さすがに高野街道という位置づけが
庭木に多く反映されているんでしょう。

続く


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