熊野古道の大辺路を
少しずつ歩き始めています。
三年振りやから、懐かしいな
という気持ちのほかにも、
何となく熊野古道を歩いている
といううれしい感触があります。
和歌山のにおいかなあ。
ほんとにとっても懐かしい気のする
街道歩きです。
すぐ脇を高速道路が走っていたり、
ミコスモスが咲いていたり
こうしてくぐる道は、
朝降りて来た南紀白浜ICから
伸びてきている道路です。
このあたりは、街道筋もまっすぐですねえ。
気持ちよく進んでいきます。
このあたりは住宅街の中にあって
くねくねしており、右折左折を
繰り返すような感じですが、
方向的にはおおむね南に
向かって行くことになっています。
ここには飛鳥神社という
小さな神社があります。
なぜ、熊野に飛鳥が?
と思われるかもしれませんが、
熊野に行けば「阿須賀神社」
というところがあります。
この「阿須賀」は熊野三山より前に
地域の地主神だったそうで、
熊野詣での経路にあるこの飛鳥神社も
いろんな形で複雑で多様な歴史的関連を
もっているに違いありません。
古い街道歩きの根底に流れる
人々の厚き思いの決勝のひとつです。
そうしてしばらく行きますと、
前方に川が見えてきます。
高瀬川という川で、
そこにかけられているのが
「飛鳥橋」です。
あれ?川の中に人がたくさんいますよ。
どうもなにか調査をしているようです。
その時は何かなあと思っていたのですが、
帰ってから調べるとこの高瀬川には
ウナギが大量にいるようです。
シラスウナギからクロコと呼ばれる
黒いウナギ、それが黄ウナギ、
銀ウナギと育っていく姿なんかが
ここでも調査されているそうです。
過去の調査では考えられないほど
大量のウナギが捕獲されたと
ネットには記載されていました。
そんな調査の様子を見ながら
橋を渡ったところで、
左の山の方へと入ってゆきます。
ここにも飛鳥神社がありますね。
そしてこの神社には津波警告板
といわれるものがあります。
西暦1707年にこの地方を襲った
大地震と津波の被害を克明に記し、
地震があれば津波に注意せよ
という内容が書かれているそうだ。
当時の地震は、最大規模の地震といわれ、
大地震が一時間近く揺れ続けた
といわれています。
最近、和歌山や鹿児島の方でも
大きな地震が続いていますねえ。
その宝永地震は南海地震、
東南海地震、東海地震が同時に
起こったものといわれていますが、
周期的に考えて今もその
発生確率は高いといわれていますねえ。
小さな地震であってほしいなあ
と思います。
その掲示板の横に、
こんな石像がありました。
これが「阿須賀」様かなあ。
よくわかりませんが多分そんな感じです。
川での調査はまだ続いているようですね。
そんなのを見ながら
先に進んでいきます。
そして到着したのが草堂寺です。
ここへ来る時に乗ったタクシーの
運転手が、この寺のことを
結構しゃべってはりました。
意外にここへ行かれる
お客さんも多いそうです。
昔、650年にこのお寺のところから
熊野へ続いていく山道を
開いた修験者がいたそうです。
以来、この道は「行幸式定御幸道」といわれ、
その後大辺路街道となり
熊野の帰り道になっていたそうです。
そのお寺の横から続く富田坂がこの道です。
もうこの先自販機もありませんし、
きちんと整理された逃げ道もない
古道が続いていきます。
doironにも敬遠される孤高の山道です。
入り口の案内版には海と山の
景色に恵まれた、美しい景観に
恵まれた道と書かれてあります。
期待していきましょう。
さあ、では入ってゆくかと、
気合を入れたdoironでした。
続く
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