ひとりごと:「私設いけだ阿波踊り研究室」

阿波踊り大好き行政書士の日記
武術談議、阿波踊り談議が大好きです。地元の方はお気軽に(笑)

池田阿波おどりの歴史

2021年08月26日 07時51分01秒 | Weblog
2年連続で、池田阿波おどりが中止となった。
最近は、
単なるイベントと捉えている人も増えた。

イベントなら、中止はやむを得ない。
でもこれは、池田商人の文化。
文化なら2年連続の中止は、マジで危機です。

なので、、、
今年は、池田阿波おどりの簡単な歴史を
YouTubeで話してみた(笑)

動画はこちら

お盆に

2021年07月16日 07時15分29秒 | Weblog
今年の8月14日(雨天は翌日に)
いけだ阿波おどり発祥の地
池田町マチ地区で、歴史を語る動画を撮影します。
YouTubeの
池田阿波おどり夢風鈴チャンネルで公開予定しています。
いつもは、連員向けのチャンネルで、
外部発信は初めての試み。
上手くいくかな。

(昔の本町通り、まさにここが池田阿波おどり発祥の地です)

いけだ阿波おどり展望

2021年02月06日 09時38分03秒 | Weblog
「池田独自の阿波おどり」
正直な話、歴史を踏まえなければ独自性はありません。
ここは、池田住民の踏ん張りどころですね(^。^)

前回までに、
①近い将来、大幅に規模が縮小された祭りになる危険性が大
  ↓
②そのため、熱心な人ほど離れるのでは?
との持論を書きました。

そこで、歴史を踏まえる(歴史に頼る)ことで、
道があると思います。

池田の踊りは、その成立の過程が徳島市内とは違います。
僕は、ここに切り口があると思っています。

これからの池田阿波おどり

2020年12月01日 08時16分22秒 | Weblog
これからの(池田阿波おどり)を考える。
このテーマは、地元住民にとって耳の痛い話もあります。

先ず、現在の規模を維持するのは難しい。
過疎の町ゆえ、規模を維持するためには近隣地域の連さんの出演や、
近隣県外に連を作ってもらう以外に方法はありません。
ただ、現実的には、若干遅いように思います。


となると、規模縮小ということが現実的になってきます。
実際、一昨年より時間が短縮されました。

規模の小さいお祭りで、、、
熱心な人が満足するのかな?

熱心な人の(生きがい)になるように
企画していかなければ、
一気に衰退する危険性が。

マイナスに考えればきりがないほど、
悪い条件が多すぎます。

だから、、、、今こそ
(自分らで何ができるか)を
逃げず真剣に向かい合う必要があります。
※主催者は正直ね~(@_@)

次回は、前向きなお話を(^。^)


池田阿波おどり

2020年11月28日 09時27分26秒 | Weblog
近年池田阿波おどりは、
東みよし町などの他地域から、
本当に多くの方が参加してくれます。
ありがたい限りです。

その一方で、池田住民の参加は、、、
これは過疎の影響から、年々減少していますが、、、、
そこは、やはり池田の伝統行事なので、
地元の奮起を促したいところですね。

そこで、
①子どもに池田阿波おどりの歴史を知ってもらう。
②子どもらに、気軽に阿波おどりに親しんでもらう。
③池田の住民が、今一度、池田の伝統行事ということを認識する。
これらの活動が大切かと思います。

池田の先輩が大切にしてきた祭り。
来年は、もう少し頑張りたいです(^。^)


僕が(池田)にこだわる理由

2020年11月19日 09時49分01秒 | Weblog
今では三好市の観光イベントの趣が強くなった
池田阿波おどりですが、
僕の中では、今でも池田町のお盆行事。

なぜ池田にこだわるのか?
それは幼い頃、近所にこの行事を大切にしてきた
お年寄りや、マチの人たちを見てきたからです。

この写真は、奥に我が家が写っていますが(笑)
手前には、南の判屋さんが写っています。
ここが、いけだえびす連創生期の幹部さんの御店。
そこより5軒奥に、ハート連笛の名手、谷のじいちゃん宅。
さらに中通り筋を入っていくと、お三味線のH先生、
Kさん宅、提灯踊りのSさんなど、
当時の池田阿波おどり名手のお宅が軒を連ねます。

そこに、ご隠居さんグループが加わり、
それはそれは賑やかでした。

原風景がこれなので、
やっぱり僕は、(池田)にこだわっていきたいと
思っています。

三つ拍子??

2020年11月18日 08時02分00秒 | Weblog
池田阿波おどりは、大正元年~2年に
正式に始まりました。

元々、池田にあった(三つ拍子)と融合したらしいのですが、
肝心の三つ拍子がどんなもの(音)なのか?不明です。

山間部に残る精霊鉦踊り(鉦おどり系)のように、
チャン、チャン、シャンと鉦を3つ叩くのでは?
と想像していますが、
断片的な情報からすると、どうも当たっているようです。

三つ拍子や、精霊踊りは、広場で輪になって行います。
池田阿波おどりの初期スタイルが、輪になって踊るところから、
一緒にやっていたと推定できます。
その後、阿波おどり一色になったみたいですね。

私は「池田独自の阿波おどり」は、
この原点に帰るが良いと思っています。

池田の住民だからこそ、この原点を大切にしないといけません。
そんなこんなを思いながら、
三つ拍子の資料を捜す日々です(笑)

名人気質

2020年11月13日 08時25分13秒 | Weblog
昔の池田阿波おどり、、、
そりゃ名人が大勢いました。
皆さん、踊りには一家言あり。
幼い頃から講釈を聞いて育ちましたので(笑)
こんなになりました。
はるみ姉さんは、池田の置屋を知る方。
ホント粋な方で、阿波おどりを辞めた理由が、
「あんな太鼓が強くなったら、三味はいらん」
腕も確かな人の言葉だけに、よく覚えています。
大音量の集団芸も良いけど、
昔ながらの個人芸、大切にしたいですね。

デビュー

2020年11月06日 08時23分40秒 | Weblog
僕の阿波おどりデビューは、
昭和48年パンダ連でした。
この連は、本町周辺の方が、
子どもらを踊らせてあげようと結成したもので、
当時のパンダブームから「パンダ連」と銘々したそうです。

後にこの連から、有名連の踊り子2名出しています(笑)
池田にしては多いでしょ(^。^)

お盆、連で踊ってみたら、
今まで話したことがなかったマチの大人が、
「僕、ええセンスしとんで」とか
話かけてくれるようになりました。
なんか、マチの一員に認められたような気がしたこと、
今でも強烈に残っています。

このときの体験から、ちびっ子育成に力を入れよう
ってなりましたね~。

因みに、僕の踊りは好評?で、
行く先々でスイカを出してくれて、
さえあがって全部食べていたらお腹を壊し、、、
今でもスイカ、、、食べられなくなりました(@_@)

今見れば、基本が出来ていないけど、、、、
当時はそんなものですね♪