池田の阿波おどり、いったいいつから始まったのか?
先ずはそこが大切。
文献には、大正元年から2年に
当時の池田商工会から徳島商工会に
指導依頼があった旨、残っている。
なので正式にカウントするなら
大正元年からということになります。
でも突拍子も無く、
いきなり阿波おどりを習うとは思えません。
そこで、昔の人の証言と、私の推測も入れて、
恐らく明治の後半に、
池田マチ地区の商人が徳島に商いで行ったおり
(当時は日帰りは考えられないので)
数日は市内に逗留しました。
そのとき、お座敷遊びとかで阿波おどりに
触れたのではと思います。
その後、地元のお座敷余興で
見よう見まねの阿波おどりを披露したのでしょう。
ここは以前に、元池田芸者の方から
「昔昔は、お座敷で踊ってたんよ」と証言を頂いています。
それが好評で、
「一つ本格的に習おうや」となったと推測できます。
大正3年、国鉄徳島線が開通したのも相まって、
盛んになったと思われます。
昔に私が、マチ地区のお年寄りから聞いた話も
だいたいこのライン。
まず間違いないと思います。
池田阿波おどりは当初、マチ地区商人が
きっかけとなり、主にマチ地区で
行われていた。
実は、ここから池田の独自性が浮かび上がります。
それは、次回に書きますね。
先ずはそこが大切。
文献には、大正元年から2年に
当時の池田商工会から徳島商工会に
指導依頼があった旨、残っている。
なので正式にカウントするなら
大正元年からということになります。
でも突拍子も無く、
いきなり阿波おどりを習うとは思えません。
そこで、昔の人の証言と、私の推測も入れて、
恐らく明治の後半に、
池田マチ地区の商人が徳島に商いで行ったおり
(当時は日帰りは考えられないので)
数日は市内に逗留しました。
そのとき、お座敷遊びとかで阿波おどりに
触れたのではと思います。
その後、地元のお座敷余興で
見よう見まねの阿波おどりを披露したのでしょう。
ここは以前に、元池田芸者の方から
「昔昔は、お座敷で踊ってたんよ」と証言を頂いています。
それが好評で、
「一つ本格的に習おうや」となったと推測できます。
大正3年、国鉄徳島線が開通したのも相まって、
盛んになったと思われます。
昔に私が、マチ地区のお年寄りから聞いた話も
だいたいこのライン。
まず間違いないと思います。
池田阿波おどりは当初、マチ地区商人が
きっかけとなり、主にマチ地区で
行われていた。
実は、ここから池田の独自性が浮かび上がります。
それは、次回に書きますね。
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