紫峰の『滅』、藤宮の『生』というようにそれぞれの一族に相伝として伝わっていく奥儀の特徴は、そのままその一族の能力の根底に流れるものであり、生まれつき身についている族間の相違点でもある。
例えば、雅人のように何でもありの多彩な能力の持ち主でも、紫峰の特色を失うことはなく、鬼面川には珍しく自らが強い能力を持つ彰久でもその特質である武器や道具を操る力がないわけではない。
逆に言えば、何々一族という根っこを持っている能力者が、別の一族の持つ特徴的な業を使いこなそうとするのはかなり難しいことで、孝太や隆平のように両方の血を引いていてさえもどちらの力をも完全に使えるという保証はないのである。
むしろ、どこにも属さない能力者の方がいろいろな一族の業をものにできる可能性が高いだろう。
修のように純粋な紫峰でありながら、他の一族の業も身につけてしまうような例はごく稀である。言うまでもなく、完全にというわけにはいかないし、すべての業を修得できるわけではない。
とりわけ奥儀と呼ばれる業についてはさすがの修も手を出すことができないので、伝授を受けた当人にお任せするしかない。
宗教色の濃い鬼面川には『導』という祭祀があって、この祭祀によって迷える魂を逝くべき所へ導くことができるという。
紫峰や藤宮のように比較的宗教から離れて存在する一族にはない『救』という相伝奥儀があり、彰久も史朗も将平、閑平の時にそれを伝授されている。
『導』もその『救』の一部であり、長となる者は必ず修得しなければならない業である。
ところが、長が二代に亘って急死した鬼面川では誰もこの業を知るものがなく、孝太も隆平も彰久と史朗から正確な所作と文言を教わった時に初めてそれが奥儀だと分かったくらいだった。
孝太に所作や文言を指導した隆弘ならもしかしたらそのことを知っていたかもしれないし、すでに先代から奥儀を伝授されていたのかもわからない。
今となっては知る術もないが…。
さて、形骸を破壊された魂たちを文字通り救済する『救』を執り行うにあたっては、本来なら長が仕切るべきところを、場合が場合だけに彰久が代理を務めることになった。勿論、史朗に補佐を務めさせてのことである。
彰久は孝太に仕切らせてみようかとも思ったが、相手が手強そうなので万一を考えて見学させることにした。
天と地と御大親へ彰久が代理を務める許しを得た後、儀式は厳かに始まった。
修と隆平によって形を失い四散した魂は、いま、再び霊迎えによって再び社の中に集められた。
鬼面川の儀式での霊迎え、霊送りという言葉は、仏教の盂蘭盆会の魂送り、魂迎えとは少し意味する所が異なるかもしれない。
「畏くも御大親の御前にて、ここに迎えし諸々の御霊にお訊ね申す。
そも人の死に際しては、いみじくも天の定めたるところにより、その魂はあるべき姿で逝くべき所へと導かれるのが順当なり。
然るに、徒党を組み、あまつさえ異形の物と化し、現し世に生ける人を襲うはいかなる存念によるものかは…? 」
彰久が魂に問いかけた。
お経のような言い回しに、雅人たち若い衆が首をかしげた。
『修さん…何言ってるか分かんないよ。 彰久さんの言葉どうにかならない?
魂にだって通じないよ。 あれじゃあ…。』
雅人がそう耳打ちしたので、修はいまにも噴き出しそうになりながら口元を拳で隠すようにして堪えた。笙子も横を向いてくすっと笑った。
「彰久さん。 現代口語でいけますか? 文言に響かなければですが…。」
修が声をかけると彰久が頷いた。
「今のでもずいぶん崩したと思ったのですが…いいでしょう。
やってみましょう。」
彰久は一度咳払いをすると再び祭祀を始めた。
彰久の前の浄几の上あたりにぼうっと黒っぽい何かが蠢いた。
「…ここに迷い集まった諸々の魂たちよ。
あなたたちは何故、化け物になって人を襲ったりするのだ? 」
蠢くものは口々に叫んだ。
『当代長の祭祀がいい加減だったために我等は現世での命をなくした。』
『長の血を引く者は我等の恨みの声を聞け!』
隆平ははっとして顔を上げた。化け物の正体は度重なる災害で亡くなった大勢の村人だった。彼らは祭祀がなされなかったために災害が起きたと思い込んでいる。
人々は罵倒の声を上げ、社の中は姿なき声の抗議で騒然となっていた。
「静まれ! 畏くも御大親の御前で徒に騒いではならぬ。 」
彰久の声が凛と響いた。あたりはしんと静まり返った。
「さらば面川久松に聞く。
雨土による災害は通常なれば天地のなせる業である。
あなたは鬼面川方でありながら何ゆえ当代長が祭祀を怠ったせいだと言うのか?」
彰久は久松を名指した。
『祭祀もまともにできぬものが先代長を亡き者にし、自らを長に就けて権勢を欲しいままにした結果が災害となって現れたのだ。』
久松は答えた。
「さらに問う。 その災害は防げたということか? 」
彰久のその問いかけには、久松は少し間を置いた。
『防げたと考えている…。 村長と弁護士が当代長と組まなければ…。
いい加減な防災対策をして経費を削るなどしなければ…。
防げたはずであった…。』
彰久がチラッと修の方に顔を向けた。修が軽く頷いて見せた。
「久松よ。 そのことを知りながら何もせずに妻子の後を追うたのか?
何ゆえ生きて悪者どもの企てを暴こうとはしなかった?
何故、化け物などに身を落とすようなまねをした?
異形の物に身を落としては逝くべきところへ逝けぬのだぞ。 」
久松は黙した。
「…誰かがあなたの死を利用したのではないのか? 」
彰久は鎌掛けるように訊ねた。
『利用されたとは思わん…。 あれも妻子を失のうて苦しんだ。
すべては死を決意した俺が言い出したことだ。』
久松が再び口を開いた。
「胸のうちにある真情を吐露せよ。
あなたと亡くなった村人の魂を救う方法があるやも知れぬ。 」
彰久はそう促した。
『…鬼面川にはすでにそのような力の持ち主はおらぬ。
それ故、我等は当代長の血を絶やすという目的を成就させようとしたのだ。
恨みが晴れれば、皆安らかに眠れようものを…。』
久松は半ば捨て鉢とも取れる口調で言った。
「それは詭弁に過ぎぬ。
かようなことで、恨みを抱えさまよえる魂が救われるはずがない。
ましてや、罪なき少年を血祭りにあげるなど言語道断。
御大親の御心に背き奉ることになる。 未来永劫安らぎは与えられぬ。 」
彰久は強く反論した。
再び彰久は修の方を伺った。まるで許可を求めるような眼差しで…。
過去に樹の忠告を聞き入れず痛い目を見た鬼将は、今ここで、孝太や隆平のいる前で、その本性を現してよいものかどうかを決めかねていた。
修は軽く微笑んだ。
『彰久さん。 それはあなたと史朗くんの問題ですよ。
僕がどうこう言えることではありません。 あなたがお決めなさい。
鬼面川の祖霊としてあなたが決断すべきことです。 』
彰久は史朗を見た。史朗は『父上の良きように…。』と一礼した。
「久松よ…。 彰久、史朗は先代長の遺児の子である。
鬼面川の力を引き継ぐ者として、いまここに奥儀である『救』を執り行わんとしているのだ。
あなたにはその意味が分かると思うが…。」
彰久がそう語ると久松は驚きの声を上げた。
「ありえん事だ。 もはや奥儀を伝授された者はおらぬはず。
先代が亡くなった時にはおまえたちはまだ生まれていなかった。
どうやって『救』を覚えた?
おまえたちの父親でさえまだ知らなかったはずのことを…。」
久松の言葉には隆平も孝太も驚いた。鬼面川の所作や文言、奥儀に至るまで何もかも知っていた彰久と史朗。
二人は父親から作法として教えられたと言っていたが、知っているはずがないと久松は言う。
「久松よ…。 我が名は鬼面川将平なり。
この現し世に甦り、いま、鬼面川の末裔どものありさまを深く嘆いておる…。 」
いかにも口惜しげに彰久は言った。
しかし、久松はその言葉の中に強い怒りが込められていることを察した。
まさかとは思いつつもこの青年の文言の放つ不思議な力に引き寄せられた。
鬼面川将平…。
この村における鬼面川の祖。
それが真実であれば…救われる。
久松だけでなく、さまよえる魂たちがざわざわと騒ぎ始めた…。
次回へ
例えば、雅人のように何でもありの多彩な能力の持ち主でも、紫峰の特色を失うことはなく、鬼面川には珍しく自らが強い能力を持つ彰久でもその特質である武器や道具を操る力がないわけではない。
逆に言えば、何々一族という根っこを持っている能力者が、別の一族の持つ特徴的な業を使いこなそうとするのはかなり難しいことで、孝太や隆平のように両方の血を引いていてさえもどちらの力をも完全に使えるという保証はないのである。
むしろ、どこにも属さない能力者の方がいろいろな一族の業をものにできる可能性が高いだろう。
修のように純粋な紫峰でありながら、他の一族の業も身につけてしまうような例はごく稀である。言うまでもなく、完全にというわけにはいかないし、すべての業を修得できるわけではない。
とりわけ奥儀と呼ばれる業についてはさすがの修も手を出すことができないので、伝授を受けた当人にお任せするしかない。
宗教色の濃い鬼面川には『導』という祭祀があって、この祭祀によって迷える魂を逝くべき所へ導くことができるという。
紫峰や藤宮のように比較的宗教から離れて存在する一族にはない『救』という相伝奥儀があり、彰久も史朗も将平、閑平の時にそれを伝授されている。
『導』もその『救』の一部であり、長となる者は必ず修得しなければならない業である。
ところが、長が二代に亘って急死した鬼面川では誰もこの業を知るものがなく、孝太も隆平も彰久と史朗から正確な所作と文言を教わった時に初めてそれが奥儀だと分かったくらいだった。
孝太に所作や文言を指導した隆弘ならもしかしたらそのことを知っていたかもしれないし、すでに先代から奥儀を伝授されていたのかもわからない。
今となっては知る術もないが…。
さて、形骸を破壊された魂たちを文字通り救済する『救』を執り行うにあたっては、本来なら長が仕切るべきところを、場合が場合だけに彰久が代理を務めることになった。勿論、史朗に補佐を務めさせてのことである。
彰久は孝太に仕切らせてみようかとも思ったが、相手が手強そうなので万一を考えて見学させることにした。
天と地と御大親へ彰久が代理を務める許しを得た後、儀式は厳かに始まった。
修と隆平によって形を失い四散した魂は、いま、再び霊迎えによって再び社の中に集められた。
鬼面川の儀式での霊迎え、霊送りという言葉は、仏教の盂蘭盆会の魂送り、魂迎えとは少し意味する所が異なるかもしれない。
「畏くも御大親の御前にて、ここに迎えし諸々の御霊にお訊ね申す。
そも人の死に際しては、いみじくも天の定めたるところにより、その魂はあるべき姿で逝くべき所へと導かれるのが順当なり。
然るに、徒党を組み、あまつさえ異形の物と化し、現し世に生ける人を襲うはいかなる存念によるものかは…? 」
彰久が魂に問いかけた。
お経のような言い回しに、雅人たち若い衆が首をかしげた。
『修さん…何言ってるか分かんないよ。 彰久さんの言葉どうにかならない?
魂にだって通じないよ。 あれじゃあ…。』
雅人がそう耳打ちしたので、修はいまにも噴き出しそうになりながら口元を拳で隠すようにして堪えた。笙子も横を向いてくすっと笑った。
「彰久さん。 現代口語でいけますか? 文言に響かなければですが…。」
修が声をかけると彰久が頷いた。
「今のでもずいぶん崩したと思ったのですが…いいでしょう。
やってみましょう。」
彰久は一度咳払いをすると再び祭祀を始めた。
彰久の前の浄几の上あたりにぼうっと黒っぽい何かが蠢いた。
「…ここに迷い集まった諸々の魂たちよ。
あなたたちは何故、化け物になって人を襲ったりするのだ? 」
蠢くものは口々に叫んだ。
『当代長の祭祀がいい加減だったために我等は現世での命をなくした。』
『長の血を引く者は我等の恨みの声を聞け!』
隆平ははっとして顔を上げた。化け物の正体は度重なる災害で亡くなった大勢の村人だった。彼らは祭祀がなされなかったために災害が起きたと思い込んでいる。
人々は罵倒の声を上げ、社の中は姿なき声の抗議で騒然となっていた。
「静まれ! 畏くも御大親の御前で徒に騒いではならぬ。 」
彰久の声が凛と響いた。あたりはしんと静まり返った。
「さらば面川久松に聞く。
雨土による災害は通常なれば天地のなせる業である。
あなたは鬼面川方でありながら何ゆえ当代長が祭祀を怠ったせいだと言うのか?」
彰久は久松を名指した。
『祭祀もまともにできぬものが先代長を亡き者にし、自らを長に就けて権勢を欲しいままにした結果が災害となって現れたのだ。』
久松は答えた。
「さらに問う。 その災害は防げたということか? 」
彰久のその問いかけには、久松は少し間を置いた。
『防げたと考えている…。 村長と弁護士が当代長と組まなければ…。
いい加減な防災対策をして経費を削るなどしなければ…。
防げたはずであった…。』
彰久がチラッと修の方に顔を向けた。修が軽く頷いて見せた。
「久松よ。 そのことを知りながら何もせずに妻子の後を追うたのか?
何ゆえ生きて悪者どもの企てを暴こうとはしなかった?
何故、化け物などに身を落とすようなまねをした?
異形の物に身を落としては逝くべきところへ逝けぬのだぞ。 」
久松は黙した。
「…誰かがあなたの死を利用したのではないのか? 」
彰久は鎌掛けるように訊ねた。
『利用されたとは思わん…。 あれも妻子を失のうて苦しんだ。
すべては死を決意した俺が言い出したことだ。』
久松が再び口を開いた。
「胸のうちにある真情を吐露せよ。
あなたと亡くなった村人の魂を救う方法があるやも知れぬ。 」
彰久はそう促した。
『…鬼面川にはすでにそのような力の持ち主はおらぬ。
それ故、我等は当代長の血を絶やすという目的を成就させようとしたのだ。
恨みが晴れれば、皆安らかに眠れようものを…。』
久松は半ば捨て鉢とも取れる口調で言った。
「それは詭弁に過ぎぬ。
かようなことで、恨みを抱えさまよえる魂が救われるはずがない。
ましてや、罪なき少年を血祭りにあげるなど言語道断。
御大親の御心に背き奉ることになる。 未来永劫安らぎは与えられぬ。 」
彰久は強く反論した。
再び彰久は修の方を伺った。まるで許可を求めるような眼差しで…。
過去に樹の忠告を聞き入れず痛い目を見た鬼将は、今ここで、孝太や隆平のいる前で、その本性を現してよいものかどうかを決めかねていた。
修は軽く微笑んだ。
『彰久さん。 それはあなたと史朗くんの問題ですよ。
僕がどうこう言えることではありません。 あなたがお決めなさい。
鬼面川の祖霊としてあなたが決断すべきことです。 』
彰久は史朗を見た。史朗は『父上の良きように…。』と一礼した。
「久松よ…。 彰久、史朗は先代長の遺児の子である。
鬼面川の力を引き継ぐ者として、いまここに奥儀である『救』を執り行わんとしているのだ。
あなたにはその意味が分かると思うが…。」
彰久がそう語ると久松は驚きの声を上げた。
「ありえん事だ。 もはや奥儀を伝授された者はおらぬはず。
先代が亡くなった時にはおまえたちはまだ生まれていなかった。
どうやって『救』を覚えた?
おまえたちの父親でさえまだ知らなかったはずのことを…。」
久松の言葉には隆平も孝太も驚いた。鬼面川の所作や文言、奥儀に至るまで何もかも知っていた彰久と史朗。
二人は父親から作法として教えられたと言っていたが、知っているはずがないと久松は言う。
「久松よ…。 我が名は鬼面川将平なり。
この現し世に甦り、いま、鬼面川の末裔どものありさまを深く嘆いておる…。 」
いかにも口惜しげに彰久は言った。
しかし、久松はその言葉の中に強い怒りが込められていることを察した。
まさかとは思いつつもこの青年の文言の放つ不思議な力に引き寄せられた。
鬼面川将平…。
この村における鬼面川の祖。
それが真実であれば…救われる。
久松だけでなく、さまよえる魂たちがざわざわと騒ぎ始めた…。
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