病室には智哉が先に到着していた。
有や亮からのエナジーの補給を行うために滝川が呼んだのだった。
亮もノエルも西沢の顔色を見て愕然とした。
最早…生気らしいものの欠片も感じられない…哀しいほど蒼白い…。
ノエルはいつものように紫苑の手を取った。
温もりの消えかけた冷たい手…を。
智哉が急いで亮からエナジーを抜き取り、少しだけ育んでから西沢に補給した。
次いで有からも同じように補給した。
「肉親からのエナジー補給が効くのも…そろそろ限界です…。 」
智哉は西沢の容態を気の勢いから感じ取った。
滝川も力なく頷いた。
「滝川先生…すぐに試して…! 紫苑さんを助けて…! 」
ノエルが悲痛な声をあげた。滝川に縋るようにして迫った。
滝川もそうしたいのは山々だった。
しかし…ノエルの身体のことを考えれば昨日の今日では無理に決まっていた。
「ノエル…そうしたいけれど…できないんだよ。
きみは普段…男の子として生活しているから、どうしても他人事のようにしか認識できないんだろうけれど…。
きみの機能や器官が壊れてしまうというだけでなく…お産というのはね…普通でも命懸けなんだよ…。
体調の悪い今は…とても無理だ…。 ]
滝川がうんと言わないのでノエルは有の手を掴んだ。
「亮のお父さん…お父さん…お願い! 僕…大丈夫だから…。
さっき紫苑さんが来てくれたんだ。 お腹…治してくれた。
自分が死ぬか知れない苦しい時に…僕を心配して来てくれたんだよ…。
だから…こんなに急に悪くなっちゃったんだ…。
まだ…助ける方法があるっていうのに…紫苑さんを見殺しにしないで! 」
紫苑が…来た? 有が驚いたようにノエルを見た。
ノエルが悲しさのあまりおかしくなってしまったのかと思った。
「ノエル…気持ちは分かるが…きみにもしものことがあったらどうするんだ?
かえって紫苑を悲しませることになるんだよ。 」
ノエルを落ち着かせるために有は穏やかにそう諭した。
誰も…聞いてくれない…ノエルはがっくりと肩を落とした。
そのまま呆然と西沢の傍に戻り…再びそっと手を取った。
紫苑さん…ごめん…ごめんね…紫苑の手に頬ずりながら声を殺して泣き出した。
亮がそっとノエルの頭を撫でた。
「有さん…滝川さん…ノエルの頼みを聞いてやってくれませんか?
このままじゃこいつは一生…重荷を背負うことになる。
救えると分かっていて救わなかった自分を責めることになる。 」
それまで黙っていた智哉が口を開いた。
「我が子の命を危険に晒すようなことはしたくない…それは親としては当然の気持ちですが…私には…ノエルの気持ちも分かるような気がするんです…。
危険は…こいつも覚悟の上でのことだ。
大事な人を見殺しにしたなんて最悪の後悔を…生涯背負わないで済むようにさせてやってください…。 」
突然の申し出に戸惑っている有と滝川に向かって智哉は頭を下げた。
ノエルは顔をあげて驚いたように父親を見た。
「ノエル…覚悟決めたら腹据えてかかれ。
俺はおまえをそういう男に育ててきたつもりだ…。 」
智哉はそう言って笑った。
うん…とノエルは頷いた。
大事な人を見殺しにしたなんて最悪の後悔…それは滝川の胸に今も残る傷跡…。
もし…紫苑を助けられなければ…もう…治療師としては生きられない…。
そればかりか…すぐにでも紫苑の後を追ってしまうかも知れない…。
そういう想いをノエルにも負わせてしまうのは酷だ…。
それくらいなら…治療師としてあるまじき…と自分が非難された方がまし…。
滝川は腹を括った。
「そういうことなら…僕も…もう迷いません。 やってみましょう。
ノエル…ちょっとお腹診せて…。 」
ノエルのお腹に触れた途端…滝川は…まさか…と不思議そうな表情を浮かべた。
確認するように何度も触れてみた。
滝川の妙な仕草に…有が何事かと寄ってきた。 有も繰り返しお腹を診た。
昨日の失敗の痕がほとんど消えかかっていた。
有と滝川は信じられないというようにお互いの顔を見合わせた。
本当に…紫苑の…力…なのか…?
ふたりは思わず西沢の方を振り返った。
「大丈夫だ…ノエル…紫苑がしっかり治療してくれたようだ…。
紫苑は俺たちよりずっと腕が良い…な。 」
有がそう言うとノエルは眼を輝かせて頷いた。
有はもう一度…目覚めない息子を見つめた。
滝川はすぐに応接室の扉を開けた。
応接室には祥を始め西沢家の面々が集まっており、滝川から連絡を受けた輝や相庭親子も駆け付けてきていた。
滅多に外に出ることのない病身の養母美郷が不安げに滝川を見た。
これまで療養中の美郷には身体に障らないように紫苑の危篤は伏せられていたようだが、愛する息子の大事を急に知らされた美郷はどれほど衝撃を受けただろう。
病み衰えた細い肩が悲しみに震えているのが痛々しかった。
もう一度ノエルの力を試すことになったと告げて…怜雄と英武…輝を呼んだ。
相庭が玲人に何事か耳打ちした。玲人はすぐに応接室を出て行った。
「恭介…何としてもあの子を助けてやってくれ…。
うちの可愛い次男坊は…母さんの大切な宝物なんだ…生き甲斐なんだ…。 」
祥が擦れた声で滝川に頼んだ。美郷が握り締めたハンカチで涙を拭った。
滝川は何も言えずにただ無言で頷いた。
もう一度挑戦する前にノエルは西沢の枕辺に立った。
そっと紫苑の頬を撫でながら微笑んだ。
「聞こえる? 紫苑さん。
何があっても生き延びろと言ったのは紫苑さんだよ。
僕は絶対に諦めない…。 あなたを救って見せる…。
だから…紫苑さんも諦めないで…生きられるぎりぎりまで生きて…。
それもあなたの言葉なんだから…。 」
それだけ言うとノエルは少しだけ亮の手を握ってからベッドに寝転がった。
滝川がそっと子宮の位置を智哉に示した。
智哉は傍らに立っている亮からこの間より気持ち多めの気を抜き取った。
その気を大切にノエルの子宮に収めた。
みんな固唾を呑んでノエルを見守った。
「亮くんの気は子宮の中で活発に動いています。
いま…ノエルの気を見つけたようです…。 」
智哉は子宮の中に確かにふたつの気を見ていた。
滝川と有にも今度は邪魔をするものではなく亮の気を受け入れるものとして感じられた。
ふたつの気は絡み合い融合を始めた。
次第に溶け合ってひとつの極めて小さな塊になった。
突然…ノエルは胃がむかむかしてきた。
「気持ち悪い…。 」
不安そうに見上げるノエルに滝川はかえって安心したように笑った。
「悪阻だよ…。 お母さんたちはほとんどの人が経験してる。
胎児が宿ると何ヶ月も続く人もいる…。 ノエルの場合はすぐに治まるよ…。 」
治まると言われても気分の悪さは耐え難く、ノエルはビニール袋をはめ込んだ洗面器を片手に、亮に支えられて何度もトイレへ向かった。
滝川の言うとおり小さな気の成長とともに吐き気は治まった。
途端に空腹感が襲ってきた。
考えてみれば夕べから食欲が無くてろくに食べていない。
「お腹すいた…。 輝さん…何かない? 」
輝がくすくす笑いながらチョコレートを口に入れてくれた。
足りなくて箱ごと渡して貰い、甘いチョコをあっという間に食べてしまった。
いつもならそんなに食べられないくせに…と呆れ顔で亮が言った。
滝川たちが観察しやすいように寝転がったままなので好きなようには動けない。
少し腰が痛かった。
急な用事があるのか…相庭が病室に入ってきた。有の傍まで行くと小さな声で何かぼそぼそと囁いた。
有は意外そうに相庭を見つめ、相槌を打ちながら聞いていたが、やがて嬉しそうに眼を潤ませた。
「有り難いことだ…。 約束の日でもないのに…宗主のご家族と全国の御使者が太極に向けて一斉に気を進上してくれている。
紫苑が助かるようにと祈りを込めてのことだそうだ…。 」
紫苑に命を救われた御使者たちが紫苑の急を聞きつけて何か出来ることはないかと宗主に申し出てくれたという。
それではというので…すべての命の源に力添えを祈願しようということになったらしい。
太極は神や仏ではないから人間の願いをいちいち聞き届けるなんてことはないだろうが…それでも天に通じないとも限らない。
有には仲間たちの気持ちの温かさが心底有り難かった。
再びノエルの中の気の動きが活発になった。出来たての赤ちゃんの気は子宮の中を所狭しと動き回った。
お腹の中で動き回られてノエルは痛いようなこそばゆいような…初めて味わう妙な感覚に顔が引きつった。
智哉は眼の前で動き回る…言ってみれば孫…に思わず眼を細めた。
人間の形をしているわけではないが…赤ん坊の時のノエルのように元気がいい。
やがて気は狭い子宮に満足できなくなってきたようで、子宮の状態もそろそろ限界にきていた。
ぎゅうっと絞られるような感覚がノエルを襲った。
「痛っ! 先生…これちょっと前と違う…。 痛い…! 」
しばらくすると痛みは治まった。
「陣痛だよ…ノエル。 もうじき生まれるんだ…。
頃合いを見て取り上げるから…少し我慢して…。 」
相手が人間ではないので滝川にも陣痛の間隔は分からなかったが、人間が生まれる時よりは間隔が短いのではないかと予想した。
既に智哉は何時声がかかってもいいように構えていたがカチカチになっている自分に気付いて身体をほぐした。
輝も英武も怜雄もどきどきしながらその瞬間を待っていた。
彼等にとっても始めて体験するお産の現場…生まれてくるのは赤ちゃんではないけれど…。
三回目の陣痛が襲ってきた時にノエルは痛みに耐えることに少し疲れてきた。
お母さんになるって結構大変なんだ…生まれて初めてそんなことを思った。
亮はノエルの枕元に腰掛けてそっとノエルの髪を撫でた。
撫でながら祈った。
太極…あなたの化身が新たに生命の気を生みます…大切な人を救うために…。
どうか力を貸してください…。
既に窓の外は明るく…カーテンを透して陽が射し込んでいた。
不意にその陽射しの中から光の粒が舞い上がった。
部屋に居た者は皆…何事が起こったのか分からず、部屋中を舞う光の粒子に見とれていた。
光の粒はやがてふたつの群れに分かれ、それぞれの目指すところへと吸い込まれていった。
西沢の身体に…そしてノエルの身体に…。
途端…ノエルが完全に産気づいた。周囲に緊張が走った。
滝川と有が急いで子宮の様子を探った。
ふたりの見解が一致したところで智哉にGOサインが出た。
智哉はどきどきしながらノエルの子宮のある位置にそっと両手を伸ばした。
より慎重に…そして…穏やかに…。
次回へ
有や亮からのエナジーの補給を行うために滝川が呼んだのだった。
亮もノエルも西沢の顔色を見て愕然とした。
最早…生気らしいものの欠片も感じられない…哀しいほど蒼白い…。
ノエルはいつものように紫苑の手を取った。
温もりの消えかけた冷たい手…を。
智哉が急いで亮からエナジーを抜き取り、少しだけ育んでから西沢に補給した。
次いで有からも同じように補給した。
「肉親からのエナジー補給が効くのも…そろそろ限界です…。 」
智哉は西沢の容態を気の勢いから感じ取った。
滝川も力なく頷いた。
「滝川先生…すぐに試して…! 紫苑さんを助けて…! 」
ノエルが悲痛な声をあげた。滝川に縋るようにして迫った。
滝川もそうしたいのは山々だった。
しかし…ノエルの身体のことを考えれば昨日の今日では無理に決まっていた。
「ノエル…そうしたいけれど…できないんだよ。
きみは普段…男の子として生活しているから、どうしても他人事のようにしか認識できないんだろうけれど…。
きみの機能や器官が壊れてしまうというだけでなく…お産というのはね…普通でも命懸けなんだよ…。
体調の悪い今は…とても無理だ…。 ]
滝川がうんと言わないのでノエルは有の手を掴んだ。
「亮のお父さん…お父さん…お願い! 僕…大丈夫だから…。
さっき紫苑さんが来てくれたんだ。 お腹…治してくれた。
自分が死ぬか知れない苦しい時に…僕を心配して来てくれたんだよ…。
だから…こんなに急に悪くなっちゃったんだ…。
まだ…助ける方法があるっていうのに…紫苑さんを見殺しにしないで! 」
紫苑が…来た? 有が驚いたようにノエルを見た。
ノエルが悲しさのあまりおかしくなってしまったのかと思った。
「ノエル…気持ちは分かるが…きみにもしものことがあったらどうするんだ?
かえって紫苑を悲しませることになるんだよ。 」
ノエルを落ち着かせるために有は穏やかにそう諭した。
誰も…聞いてくれない…ノエルはがっくりと肩を落とした。
そのまま呆然と西沢の傍に戻り…再びそっと手を取った。
紫苑さん…ごめん…ごめんね…紫苑の手に頬ずりながら声を殺して泣き出した。
亮がそっとノエルの頭を撫でた。
「有さん…滝川さん…ノエルの頼みを聞いてやってくれませんか?
このままじゃこいつは一生…重荷を背負うことになる。
救えると分かっていて救わなかった自分を責めることになる。 」
それまで黙っていた智哉が口を開いた。
「我が子の命を危険に晒すようなことはしたくない…それは親としては当然の気持ちですが…私には…ノエルの気持ちも分かるような気がするんです…。
危険は…こいつも覚悟の上でのことだ。
大事な人を見殺しにしたなんて最悪の後悔を…生涯背負わないで済むようにさせてやってください…。 」
突然の申し出に戸惑っている有と滝川に向かって智哉は頭を下げた。
ノエルは顔をあげて驚いたように父親を見た。
「ノエル…覚悟決めたら腹据えてかかれ。
俺はおまえをそういう男に育ててきたつもりだ…。 」
智哉はそう言って笑った。
うん…とノエルは頷いた。
大事な人を見殺しにしたなんて最悪の後悔…それは滝川の胸に今も残る傷跡…。
もし…紫苑を助けられなければ…もう…治療師としては生きられない…。
そればかりか…すぐにでも紫苑の後を追ってしまうかも知れない…。
そういう想いをノエルにも負わせてしまうのは酷だ…。
それくらいなら…治療師としてあるまじき…と自分が非難された方がまし…。
滝川は腹を括った。
「そういうことなら…僕も…もう迷いません。 やってみましょう。
ノエル…ちょっとお腹診せて…。 」
ノエルのお腹に触れた途端…滝川は…まさか…と不思議そうな表情を浮かべた。
確認するように何度も触れてみた。
滝川の妙な仕草に…有が何事かと寄ってきた。 有も繰り返しお腹を診た。
昨日の失敗の痕がほとんど消えかかっていた。
有と滝川は信じられないというようにお互いの顔を見合わせた。
本当に…紫苑の…力…なのか…?
ふたりは思わず西沢の方を振り返った。
「大丈夫だ…ノエル…紫苑がしっかり治療してくれたようだ…。
紫苑は俺たちよりずっと腕が良い…な。 」
有がそう言うとノエルは眼を輝かせて頷いた。
有はもう一度…目覚めない息子を見つめた。
滝川はすぐに応接室の扉を開けた。
応接室には祥を始め西沢家の面々が集まっており、滝川から連絡を受けた輝や相庭親子も駆け付けてきていた。
滅多に外に出ることのない病身の養母美郷が不安げに滝川を見た。
これまで療養中の美郷には身体に障らないように紫苑の危篤は伏せられていたようだが、愛する息子の大事を急に知らされた美郷はどれほど衝撃を受けただろう。
病み衰えた細い肩が悲しみに震えているのが痛々しかった。
もう一度ノエルの力を試すことになったと告げて…怜雄と英武…輝を呼んだ。
相庭が玲人に何事か耳打ちした。玲人はすぐに応接室を出て行った。
「恭介…何としてもあの子を助けてやってくれ…。
うちの可愛い次男坊は…母さんの大切な宝物なんだ…生き甲斐なんだ…。 」
祥が擦れた声で滝川に頼んだ。美郷が握り締めたハンカチで涙を拭った。
滝川は何も言えずにただ無言で頷いた。
もう一度挑戦する前にノエルは西沢の枕辺に立った。
そっと紫苑の頬を撫でながら微笑んだ。
「聞こえる? 紫苑さん。
何があっても生き延びろと言ったのは紫苑さんだよ。
僕は絶対に諦めない…。 あなたを救って見せる…。
だから…紫苑さんも諦めないで…生きられるぎりぎりまで生きて…。
それもあなたの言葉なんだから…。 」
それだけ言うとノエルは少しだけ亮の手を握ってからベッドに寝転がった。
滝川がそっと子宮の位置を智哉に示した。
智哉は傍らに立っている亮からこの間より気持ち多めの気を抜き取った。
その気を大切にノエルの子宮に収めた。
みんな固唾を呑んでノエルを見守った。
「亮くんの気は子宮の中で活発に動いています。
いま…ノエルの気を見つけたようです…。 」
智哉は子宮の中に確かにふたつの気を見ていた。
滝川と有にも今度は邪魔をするものではなく亮の気を受け入れるものとして感じられた。
ふたつの気は絡み合い融合を始めた。
次第に溶け合ってひとつの極めて小さな塊になった。
突然…ノエルは胃がむかむかしてきた。
「気持ち悪い…。 」
不安そうに見上げるノエルに滝川はかえって安心したように笑った。
「悪阻だよ…。 お母さんたちはほとんどの人が経験してる。
胎児が宿ると何ヶ月も続く人もいる…。 ノエルの場合はすぐに治まるよ…。 」
治まると言われても気分の悪さは耐え難く、ノエルはビニール袋をはめ込んだ洗面器を片手に、亮に支えられて何度もトイレへ向かった。
滝川の言うとおり小さな気の成長とともに吐き気は治まった。
途端に空腹感が襲ってきた。
考えてみれば夕べから食欲が無くてろくに食べていない。
「お腹すいた…。 輝さん…何かない? 」
輝がくすくす笑いながらチョコレートを口に入れてくれた。
足りなくて箱ごと渡して貰い、甘いチョコをあっという間に食べてしまった。
いつもならそんなに食べられないくせに…と呆れ顔で亮が言った。
滝川たちが観察しやすいように寝転がったままなので好きなようには動けない。
少し腰が痛かった。
急な用事があるのか…相庭が病室に入ってきた。有の傍まで行くと小さな声で何かぼそぼそと囁いた。
有は意外そうに相庭を見つめ、相槌を打ちながら聞いていたが、やがて嬉しそうに眼を潤ませた。
「有り難いことだ…。 約束の日でもないのに…宗主のご家族と全国の御使者が太極に向けて一斉に気を進上してくれている。
紫苑が助かるようにと祈りを込めてのことだそうだ…。 」
紫苑に命を救われた御使者たちが紫苑の急を聞きつけて何か出来ることはないかと宗主に申し出てくれたという。
それではというので…すべての命の源に力添えを祈願しようということになったらしい。
太極は神や仏ではないから人間の願いをいちいち聞き届けるなんてことはないだろうが…それでも天に通じないとも限らない。
有には仲間たちの気持ちの温かさが心底有り難かった。
再びノエルの中の気の動きが活発になった。出来たての赤ちゃんの気は子宮の中を所狭しと動き回った。
お腹の中で動き回られてノエルは痛いようなこそばゆいような…初めて味わう妙な感覚に顔が引きつった。
智哉は眼の前で動き回る…言ってみれば孫…に思わず眼を細めた。
人間の形をしているわけではないが…赤ん坊の時のノエルのように元気がいい。
やがて気は狭い子宮に満足できなくなってきたようで、子宮の状態もそろそろ限界にきていた。
ぎゅうっと絞られるような感覚がノエルを襲った。
「痛っ! 先生…これちょっと前と違う…。 痛い…! 」
しばらくすると痛みは治まった。
「陣痛だよ…ノエル。 もうじき生まれるんだ…。
頃合いを見て取り上げるから…少し我慢して…。 」
相手が人間ではないので滝川にも陣痛の間隔は分からなかったが、人間が生まれる時よりは間隔が短いのではないかと予想した。
既に智哉は何時声がかかってもいいように構えていたがカチカチになっている自分に気付いて身体をほぐした。
輝も英武も怜雄もどきどきしながらその瞬間を待っていた。
彼等にとっても始めて体験するお産の現場…生まれてくるのは赤ちゃんではないけれど…。
三回目の陣痛が襲ってきた時にノエルは痛みに耐えることに少し疲れてきた。
お母さんになるって結構大変なんだ…生まれて初めてそんなことを思った。
亮はノエルの枕元に腰掛けてそっとノエルの髪を撫でた。
撫でながら祈った。
太極…あなたの化身が新たに生命の気を生みます…大切な人を救うために…。
どうか力を貸してください…。
既に窓の外は明るく…カーテンを透して陽が射し込んでいた。
不意にその陽射しの中から光の粒が舞い上がった。
部屋に居た者は皆…何事が起こったのか分からず、部屋中を舞う光の粒子に見とれていた。
光の粒はやがてふたつの群れに分かれ、それぞれの目指すところへと吸い込まれていった。
西沢の身体に…そしてノエルの身体に…。
途端…ノエルが完全に産気づいた。周囲に緊張が走った。
滝川と有が急いで子宮の様子を探った。
ふたりの見解が一致したところで智哉にGOサインが出た。
智哉はどきどきしながらノエルの子宮のある位置にそっと両手を伸ばした。
より慎重に…そして…穏やかに…。
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