徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

続・現世太極伝(第三十話 覇者のプログラム)

2006-06-30 17:50:39 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 逃げ出した敵は放っておいて、出先まで三宅を送ってから、須藤とノエルは遠回りした格好でアトリエへ戻って来たが、ノエルの頭の中にはその間中いろんなことが目まぐるしく浮かんでは消えていた。

 須藤が業使いならば…中学時代のノエルに注目していたことも頷ける。
ノエルや千春は霊媒体質だから普通の能力者とも少し違うのだけれど、多少なり戦闘能力もあるから、ノエルが何らかの力を持っていることくらいは須藤にも感じ取れたはずだ。
須藤の方は自らの能力を隠していたけれど…。

 それに…今になって思えば、ノエルは中学時代の同級生から悪餓鬼ノエルの顔の記憶を消されている。
 前中に高木ノエルという喧嘩の強い奴が居たという記憶は残っているのに、ノエルがどんな容姿であったかという記憶は鮮明ではない。
こいつだけは見かけに騙されるな…という伝説の他は…。

 須藤が…消した…? 何で…?
ノエルはそのことに触れてみた。

 「必要ないだろ…。 マイナスの記憶なんて…。 中学時代のノエルと…今のノエルは別人…それですべてが上手くいくじゃないか…。
それに…同じ中学に居た千春が兄貴を倒すための的にされたら可哀想だろ…。 」

 須藤は何でもないことのように笑って言った。
俺はおまえが気に入ってたからさ…過去の傷残さないように消してやったんだ。
同じ特殊な能力を持つ者の誼でね…。

 余計なお世話じゃん…とノエルが口を尖らせると、須藤はさらに声を上げて可笑しそうに笑った。
その後少し真面目な顔に戻って三宅のことを話し始めた。

 「気の毒に…あの子は俺と間違われている。
三宅の業使いの力はすでに失われてしまって…もう誰も継承している者はない。
あの子に潜在能力が在るとしても、最早、呪文自体が廃れてしまったからね…。

 俺の曽祖父は三宅の人でね。
須藤家の長男として生まれた祖父に呪文を伝え遺したんだ。
 それが親父から俺に伝わったんだが…俺の他にはもう伝える者もなくてね。
俺にも跡取りがないから…最後のひとりってわけさ。

 多分…最後のひとりのことが…何処からか敵に伝わったんだろう…。
あの子に多少気配が残っているので…そっちへ目が行ってしまったんだな…。 」

 少しは力があるなら…三宅に伝えてやればいいのに…とノエルは思った。 
それを察したように須藤はちょっと悲しげに微笑んだ。

 「普通の人から考えると…特殊な能力を持っていることは最高にラッキーだと思えるかもしれないが…今のあの子のように災いを招く種にもなる。
 力を持つことが…その人にとって本当に幸せなのかどうか…分からんよ。
そのために命の危険に晒される人も居るのだからね…。 」

須藤は一般論を述べたのだろうが…ノエルはなぜか西沢のことを思い浮かべた。 

 大きな力を持っているということは…なかなか面倒なもんなのさ…。
力なんて全然無いって顔していた方が楽なんだ…。

西沢が前にそう言っていた…。

 「ねえ…先生…。 三宅の家に古文書が伝わってるからってなんで襲われるの?
つうか…何が襲わせているの?  
 僕等…時空を超えて逃げ出した魔物ってのはDNAに乗っけられた付加情報じゃないかと考えているんだけど…。 」

ノエルの問いかけに須藤の表情が曇った。

 「プログラムだよ…ノエル…。 別に…古文書のせいじゃないんだ。
これは万の時を越えたふたつのプログラム同士の戦いなんだ。 
滅亡を導くプログラムと…それを阻止しようとするプログラムと…。 」

 

 西沢が眼を覚ました時、あたりはすでに暗くなっていた。
いい気分で寝過ごした…と西沢は苦笑した。

 スケッチブックを片手に西沢は仕事部屋に向かった。 
机の上にそれを置くか置かないかの内に玄関の鍵を開ける音がした。
忘れてた…ノエル…今日は書店のバイトじゃなかったな…。

仕事部屋から顔を覗かせるとノエルが飛んできた。
 
 「ただいま! 紫苑さん…お客さんなんだけど…三宅の最後の業使いなんだ!
須藤先生…洋画家の…。 」

 ノエルは行き急き切って今日の出来事を簡単に話して聞かせ、須藤を待たせてある居間へと西沢を連れ出した。

 須藤は居間のソファに腰掛けて静かに西沢を待っていた。
あの不思議なイラストを描く西沢という男はいったいどんな奴なんだろうと思いながら…。
 勿論…西沢の顔は知っている。
写真で見る限り…そのイラストに負けないくらい不思議な魅力を持つ素材だ。

 ノエルが戻ってきた時…その背後からゆっくりと現れた西沢を見上げて須藤はごくりと唾を飲み込んだ。

 でか…。

 西沢は穏やかに微笑みながら床に膝をつき居住まいを正して、わざわざマンションまで足を運んでもらった礼と詫びを丁寧に述べた。
その後で…失礼して…と自分もソファに掛けた。
 
 「いや何…急ぎ申し上げることがありましてね。 
ノエルから西沢さんたちがDNAに着目していると伺ったもので…。 」

 須藤はかえって恐縮した。今時の若者とは思えない西沢の礼譲に富む態度に少なからず驚きを覚えた。

 「実は…西沢さん…。 私は三宅の最後の業使いとして…この件から手を引くことをお勧めに参ったのです。
 何処の誰がどのような助力を要請してこようと…以後…関わらぬようになさい。
この戦いは人間が存在する限りは永久に終わりのないものなのです。 」

 それを聞いて西沢は訝しげな表情を浮かべた。
人間が…存在する限り…ですか…?

 「あまりに古い話なので…私自身にもそれが事実であるという確信があるわけじゃありませんが…三宅には古文書だけでなく口伝があります。
 古文書よりもむしろ重要なのは口伝の方で…それは一万数千年前の出来事を伝えたものだと言われております。 

 その頃…口伝には夢の世界のような…と在りますが…内容から察するに現代のような発達した文明が存在していて…火の雨を降らす武器…所謂…核兵器なども作られていたようです。

 人々を率いていた者たちはかなり戦い好きだったようでことあるごとに火の雨を降らしては世界を汚していたと思われます…。
 そんなことがいつまでも許されるわけもなく世界は滅亡の危機に晒されました。
心ある者が立ち上がって彼等を追放したようなのですが…時すでに遅く…ほとんどの人間は死に絶えたと言われています。

 その中で追放された者たちは自分たちの思うままの世界を築くために、母の胎内の新しい生命たちに世界の主導権を握るという恐るべきプログラムを植えつけたらしいのです。
 もし…彼等のような者たちが世界の覇権を握れば…滅びは繰り返されます。
未来の闇を危惧する者たちがその対抗手段として、別の母の胎内の新しい生命たちにワクチンとなるプログラムを植えつけたのです。

 人類が再びこの世に蔓延り始めると、人間の内と外との両方でプログラム同士の戦いが始まったのです。
 或るものは強調されて残り、或るものは抑制されて消え…そうしたことを何代にも亘って積み重ねながら現在に至っています。
 勿論…その過程でずれや変異が起こり無害になってしまったものもあれば、ワクチンプログラムの働きで消えてしまったものもあると思われますが…。

 過激な思想で大勢の人を死に至らしめたり、世界を征服しようとしたり…そんな歴史上の最悪な指導者たちは…元のプログラムが強調されて表面化したものだと考えられます。 
あなた方がDNAに目をつけたのは正解と言って良いでしょう。 」

 すべては人の中に潜む…。
HISTORIANは人類に組み込まれたプログラムを監視している組織か…。
 各国の中枢部に入り込んで上層部にとんでもない奴が潜んでないか眼を光らせていると言うわけだな…西沢はそう受け取った。

 それにしても一万年以上前の人間が現代よりもはるかに上を行く科学力を持っていたとは…恭介の言い草じゃないけど信じ難いなぁ…。

 「世界中のあちらこちらに三宅の家ように監視人として運命付けられた者が居ますが…この件はその役目を負った者だけで解決すべきことで、無関係なあなた方を巻き込むべきではない…と私は考えております。
我が祖先が倉橋に助力を要請したことを恥じております。 」

須藤は西沢に手を引けと言った理由を語った。

 無関係…でしょうか…?
西沢は覗き込むように須藤を見た。

 「勿論…何も知らない振りをして人任せにしておけば…そんな楽なことはない。
ですが…万が一の時には知らなかったでは済まされないでしょう。
 この世が滅びるとなったら…有無を言わさず共に消されることになる。 
どの道…無関係ではいられない。
知ってしまった以上は出来る限り…その万が一を回避するよう尽力すべきです。

 私も首を突っ込みたくって突っ込んでいるわけではない…。
すべては…生きるためですよ…。 預かり物のこの命を護るためです…。
天より授けられた命は…預かった命…黙って消されるのを待つわけにはいかないのです…。 

 それに…私にはその命に代えてさえも護らなければならないものがあります。
過去の戦いで私を救ってくれた大勢の人たちの命…仲間の…家族の命…。
手を引けと言われて…はいそうですかとは参りません…。 」
 
 須藤の顔が強張った。 家門にひとり残った業使い須藤がその役目を果たすべく孤独な戦いをしているのと同様…西沢にもただひとり背負うものがある。
孤高の男に対して手を引けとは無礼な言い草であったか…と須藤は思った。

それならば…もう…何も言うことはない…。

 最後のひとりであるがゆえにそれほどの知識はないが…必要な時にはご助力申し上げる…と述べて須藤は帰って行った。
西沢は関わるなと忠告してくれた須藤の心遣いに感謝した。

 同時に…容易ならざる戦いだと改めて実感した。
須藤の勧めじゃないが…他の者たちには手を引かせてひとりで戦うべきか…ともふと思った。






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続・現世太極伝(第二十九話 おまえの中に…私が居る…。)

2006-06-28 22:41:42 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 見舞いと称して岩島家を訪れたのは岩島のアンソロジーが店頭に並んですぐのことだった。
 無意識に三宅に襲い掛かってからというもの、ぼんやりとして気分の悪い時があるらしい…と滝川が何処からか聞き込んできたので、これ幸いに田辺と三人連れ立って様子を探りに行くことにした。

 共にアンソロジーを製作した仲間だから、岩島は何の疑いもなく見舞い客を受け入れ謝意を表した。
 おしゃべり好きな岩島の奥さんが語ってくれたところによると、この二月頃に夫妻は与那国の海底遺跡を見に出かけたらしい。
 ダイビングは出来ないので半潜水艇を使って船底から遺跡を見て回るタイプの旅を選んだ。
船底の両側に窓があって座ったまま海の中が覗けるので誰でも遺跡を見物できる。

 「遺跡を見て感動したのはいいのですけど…突然ぼけーっとなりましてね。
いきなり船の階段にぶつかって行ったんです。
当然…こけましてね。
 他のお客さんは階段で足を踏み外したんだと思ったらしいですが…あれは確かに自分から出口かなんかと見間違えて突進して行ったんですわ。 」

 それもまったく…本人は記憶にないらしい。
気がついた後で打ったところがひどく痛んだことだけ覚えているとか…。

気分の悪くなる前触れみたいなものがなかったかを…何気なく訊いてみた。

 「そうだね…誰かが頭の中でごちゃごちゃ言ってるような感じもしたけど…。
よう分からんのだよ…。 」

 頭の中で…? 三人は顔を見合わせた。
それほど懇意にしているわけでもない他人の症状を根掘り葉掘り訊くわけにもいかないので、話題を変えてしばし談笑した後、岩島家を後にした。

 「頭の中でごちゃごちゃ…なんて言われると呪文使いの業のような感じも受けるけれど…確信は持てないわ…。
 岩島先生が三宅くんを襲った時には誰かが呪文を使っている気配なんか感じなかったから…。 」

 田辺は困惑した顔で言った。
確かに…と西沢も頷いた。

 ゲノムのスイッチを最初に操作したのは…いったい何なんだろう?
呪文使いの業でもないとすると…。

 「倉橋の父や兄と相談してみるわね…。 呪文使いの業も使い手によって異なるから…何か…私の気付かない業があるのかもしれないし…。 」

 田辺によると…ひと口に業使いと言ってもさまざまなタイプがあるらしく…田辺も把握できているのはほんの一握りなのだそうだ。
 それらしいものが見つかったら連絡するから…と言い置いてこの素敵な亮の叔母さんは颯爽と引き上げて行った。



 「フォトンベルトというのを聞いたことがある? 」

 大学祭の準備をしながら不意に直行が訊ねた。
この時期に不思議な現象が起こるとしたら何が考えられるか…と亮が呟いたのに答えてのことだった。

 「ほとんど科学的根拠のない話で…カルト集団なんかが主張しているらしいんだけど…銀河系に在ると言われている高エネルギー光子のドーナッツ型の帯でね…。
 太陽系が2012年頃にすっぽりとこの中に入っちゃうって説なんだ。
2000年の時点ですでに太陽系のどこかが入っちゃったって言うんだけど…さ。

 これに入ると異常気象とか火山の噴火とか地震とかって現象が現れたり、磁場がおかしくなったりして生物にも異常が起こるって…。

 これがさ…1万3000年前にも太陽系がそこに入ったらしくて…その時にムー大陸やアトランティス大陸が天変地異で沈んじゃったと言われているんだ。
何の科学的な裏づけもないんだけど…信じている人たちが居るらしいよ。 」

 へぇ~そうなんだ…? 根拠なしにしてもよくできてるな…。
最近の地球の状況にぴったりじゃない…。

 「だから…余計に宗教屋さんが主張するんじゃないか?
科学的なことはよく分からないけど矛盾点がいっぱいあるらしいぜ。
フォトンは帯を作らない…とか…さ。 」

 なるほどねぇ~。
直行は三年生になってから少し『超常現象研究会』の部長らしくなってきた。
 単なる歴史お宅ではなく無駄知識にも眼を向けるようになった。
良いか悪いかは別としてお固いだけじゃなく、なんとなく面白味が出てきたような気がする。
 家を飛び出してから輝の兄克彦の屋敷でずっと修練を続けているらしいが、族人教育もさることながら、ちょっぴり人間教育の成果が表れて来てるかな…などと思った。

 

 滝川が仕事に戻ったので西沢はひとりマンションに帰ってきた。
やりかけの仕事の続きをするため仕事部屋に向かったが…スケッチブックを寝室に置き忘れたことに気付いた。
夕べノエルにポーズをとって貰いメモ書き程度に構図を決めておいたものだった。

 寝室に入ると閉め切った部屋は空気が淀んでいた。
西沢は窓を開けて空気を入れ替えた。

 寝室のサイドテーブルに置いてあるスケッチブックに手をかけた瞬間…何かが覆い被さるように西沢に圧し掛かった。

 そのままベッドに倒れこんだ西沢は…それが太極の一部であることに気付いた。
日溜りの温もりを感じたからだ。
 窓から射す光が揺らめきながら次第に西沢の方へと迫ってきた。
光は西沢を責めるかのようにぎゅっと身体を圧迫した。

 「乱暴だね…。 怒ってるの? 」

西沢は押さえ込まれて起き上がれないままの姿で笑みを浮かべた。

 太極の訪れは通常…至って静かで穏やかだ…。
そっと現れて西沢を包み込む。 まるであの羽根布団のトンネルのように…。
それが今日は…いささか攻撃的…。 

 紫苑…逃げ延びた悪の正体が分かったかね…?
それはすべての人間の中に存在する…勿論…おまえの中にも。
この世界の人間はひとりの母を起源とする三十数種の母から派生したのだから…。

 ただ…同じものであってもそれには個体差がある。
顕在的な差だけではなく…潜在的な個体差もある。
時折…正確な継承がなされずに生命維持には問題ない程度のずれも起こる…。

 「彼等はずれの生じた遺伝子を継承していると…いや逆か…僕等の遺伝子の方がずれているんだろうな…?
 それは…滅亡時に起こった変異によるものなんだろうか…? 
掛け合わせがずれたせいで僕等は妙な行動を起こさないで居られるわけだ…。

 だから…僕等が反応できないものに反応してゲノムのスイッチがONに…? 
いったい…何に反応しているんだろう…? 」

 太極はそれには答えず…やたら西沢のあちらこちらを探っている。
探る…とは言っても手があるわけではないので、全身を触手に撫で回されているような妙な気分。
 気に触れられることは時によって苦痛でもあるし…快感でもある。
声にもならない声が思わず唇から漏れ出てしまう。

我が化身と交わったな…紫苑…。

 「おや…嫌に乱暴だと思ったら…僕を調べてたんですね…?
不思議だな…あなたみたいな巨大な存在に…僕のようなちっぽけなもののことが細かく分析できるんですか…? 」

 おまえだからだよ…紫苑…。  おまえの中には…常に私が居る…。 
我が化身ノエルが産んだ新しい生命の気…それがおまえの中に根を張る時に私の一部もその媒介となっておまえの中に入った。

 他のものなら小さ過ぎて我が子と言えどよくは分からん…。
そんな細かいこと…他でいちいち探る気も起こらんし…な…。

 「ふうん…有り難いと言えば…在り難いことだけど…内緒でこそっと…悪いことできませんね…。 即ばれちゃうし…。 」

 はは…そのとおりだ…。 
だが…紫苑…我が化身とは良い実を結ぶといいな…。
 
太極にそう言われて…西沢は少し寂しげに微笑んだ。

 「そう…願いたいですね…。 」

 良い実…か…。 そんなこと口が裂けても言葉に出来ない…。
ノエルにとっては…これまでのような軽口や冗談では済まないんだから…。 

 他愛のない会話を続けていくうちに、やがてふわっとした感触が西沢を包み込み…抵抗できぬままに次第に眠りへと落ちていった。


 
 画材屋の中は須藤のアトリエと同様独特な匂いがした。
ノエルが使ったことのあるような銘柄の絵の具なんかは見当たらなくて…同じ水彩絵の具でも高級そうなパッケージに包まれているものや色数の多いものなどが置いてあり…文房具屋と違ってありとあらゆる色がバラ売り用で揃えてあった。

 須藤の使っている油絵の具などは…絵を描くだけなのにこんなにお金がかかるのか…と感心するほど高価だった。
勿論…素人用の安価なものも置いてあり、ピンきりなのだが…。

 須藤のお供で画材屋を覘いたあと、別段なにか目的のあるわけでもない須藤の散歩に付き合っていた。
 モデルのバイトで来ているんだから、散歩でバイト代が稼げるわけでもないけれど、中学の時の恩師に対してそんなお付き合いは嫌だとは言えないノエルだった。

 「それで…おまえは卒業したら親父さんの跡を継ぐのかい…? 」

うん…そのつもり…とノエルは答えた。 親父も店だけは継げって言ってる。

 「帰らないのか…? 」

俺…もう所帯持ってるからな…。 親父たちとは別居なんだ…。

 「何だ…もう嫁さん貰ったのか…。 そりゃ責任重大だ…。 」

ノエルはただ…微笑んだ。 

 街中は散策には不向きだが須藤には面白いらしい。
あちこちで人を観察できるから…と話していた。 
思わぬ動きも発見出来るんだとか…。

 ふうん…と相槌を打ちながらノエルはふと少し先のビルの玄関先に眼をやった。鞄を提げた若い男が出てくると何やら数人の男がそれを取り囲んだ。
知り合いではないようで…若い男は驚き怯えたような顔をして固まっている。

 げっ…三宅…あいつまたトラブってやがる…。 
ノエルは一瞬戸惑った。 先生の前で暴れちゃっていいのかなぁ…?

 「ノエル…行ってきなさい…知り合いだろ? 顔に書いてあるぜ。 」

 須藤は笑いながら言った。 
先生のお許しが出たのでノエルは三宅が囲まれている方へ走った。 

 西沢に言われたとおり、まずは相手の力加減を探った。
磯見のような能力者はいない。 

 「三宅! こっち! 」

 ノエルの声を聞いて三宅は救われたような顔をした。向かいのひとりを押しのけると囲んでいる連中から逃げ出した。 
後を追ってきた連中をノエルは身を翻しながら次々と倒した。

 三宅はさらに逃げ須藤の居る方向へ駆けて行った。
しまった…先生の居る方へ逃げちゃった…とノエルが思った時、須藤は三宅を自分の背後において楯になった。

 ノエルの手を逃れて三宅をしつこく追って行った連中が、あろうことか須藤の傍まで迫った。
 ノエルが追いつくかつかないか…須藤が何やら口の中でぶつぶつと唱えた。
三宅を追ってきた連中に軽く手を触れた…その瞬間…男たちの身体が宙を舞った。

 呪文使い…? ノエルが眼を見張った。
驚いているノエルの顔を見て…須藤はにやりと笑った。

 そうさ…俺は三宅の血を引く最後の業使いだよ…。

 須藤の唇が再び意味有りげな笑みを浮かべた…。
まるで起こっていることのすべてを知り尽くし笑い飛ばすかのように…。






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続・現世太極伝(第二十八話 遊んであげる…。)

2006-06-26 12:47:54 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 これと言ってきちんとした解答の得られない問題に、正直、かなり焦れてきていたから何もかも放り出してすっきりしたいのはやまやまだけれど、そうできない理由がそれぞれにあった。
 家門を成さない紅村や花木の立場ならば、我が身と家族さえ無事であれば別段問題はないから知らん顔しようと思えばできないことはない。
 今回…西沢がふたりに声をかけなかったのも、あまり深入りさせては気の毒だと考えたからだ。

 西沢は御使者だから何があっても途中で投げ出すことは許されない。
西沢…滝川…島田と宮原…どの一族もHISTORIANからの例の手紙を受け取っているから…古文書を持つ三宅ほど警戒されることはないにせよ…何かの拍子に同族の者たちが敵と見做される虞があるため、族人を保護する責任があった。

 亮もノエルも襲われていたHISTORIANの組織員を助けようとして、磯見に顔を見られているから…すでに敵と認識されているかもしれないし、亮にとっては母親の…ノエルにとっては元カノの仇とも言える相手だった。

 DNAの話が出てから輝はじっとノエルの御腹を見つめていた。
DNAは…ここで合成されるのよね…。

 「ねえ…技術的な操作じゃなくても…ノエルのように不思議な子宮を持っている女性が居たとすれば…可能じゃないかしら…? 」

 再びみんなの目がノエルに集中した。
視線を浴びてノエルは固まった。

 「ノエルにその力があるわけじゃないけど…もしもよ…親から子へと普通のDNAの持つ情報と同時に余分な記憶情報を付加して受け継がせられるような能力を持っていたとすれば…技術がどうのって考える必要もなくなるわ…。 」

 確かに…技術や知識がなくてもそういう特殊な能力が在れば…と怜雄は思った。
第一世代にそういう女性が居れば可能かもしれない…。

 「最初の女性が遺伝子の中に情報を組み込んでしまえば…後はそのままDNAに乗って次世代に受け渡され…継承されていくかも知れないな…。 」

 普段は眠っているそれらの情報が何かの刺激で一斉に眼を覚ましたとすれば…あちらこちらで繋がりのない人間同士が同じような行動をとり始めたのも頷ける。

 「怜雄…それらの情報を潜在記憶保持者から取り除く…或いは再び眠らせることは可能なんだろうか…? 」

 西沢が探るように怜雄を見つめながら訊いた。
眉間にしわを寄せてう~んと唸ってから怜雄は口を開いた。

 「遺伝子の組み換え治療を応用して…ひとりひとり該当するDNAをオフにセットする…なんてことは到底我々には不可能だけれど…。

 もしかすると…それらを目覚めさせた何かをストップさせることで上手く収まるかもしれないし…或いは彼等だけに共通する何かを見つけて消去するか抑え込む…そんなとこかなぁ…。 」

 共通する何か…か…? 遺伝子レベルの差異を見分けられるかなぁ…?
みんなの口から溜息が漏れた。

 「特殊能力者にはそれが可能だ…とHISTORIANは判断したんだ。
とにかく…もう一度…岩島先生や磯見に接触して共通点を探ってみるよ。
 出来れば…HISTORIANにも近付いてみる…。
何か情報が得られるかもしれないからね…。 」

 

 洗い終えたカップを拭きながらノエルは、ぼんやりと輝が帰り際に掛けていった言葉を思い出していた。
 輝は西沢の長年の恋人である輝を差し置いて西沢と結婚したノエルに対して、怒りとか憎悪とかいう悪感情は持っていないようで、いつもどおり淡々としていた。
 まるで…そんな滑稽な結婚なんて形だけのものよ…私と紫苑の間がそれでどうにかなってしまうということではないもの…とでも考えているかのようだった。

 「私はこれからも変わらない…あなたに遠慮なんかしないわよ…ノエル…。 
紫苑と寝たい時は寝るし…遊びたい時は遊ぶわ…。
 それに…時々はあなたとも…遊んであげる…。 紫苑だけじゃ退屈でしょ…坊や…?
どうせならお互いに楽しく過ごした方が…得だわ…。 」

 そう言って目の前で西沢とキスを交わして帰って行ったけれど…ノエルもこの前と違ってなんとも感じなかった。

むしろ…遊んであげる…の方にどっきり…。
 さんざん痛い目にあってるのに…男って懲りないのかな…と自分でも思う…。
輝さんに挑発されたら…跳ね除ける自信ないもんね…。

 変なノエル…おまえ…本当はいったいどっちなんだ…?
そう自分に訊いてみても答えなんか出るはずもない…。

 とにかく…今日からここが僕の家…もう出て行かなくていいんだ。
ここに居てもいいってみんなが認めてくれたんだから…。
紫苑さんのご両親も一応はOKしてくれたし…来てはくれなかったけどね…。

 「ノエル…ごめんな…。 養父も養母も…決してきみのことを嫌ってるわけじゃないんだけど…。 」

 えっ…何のこと? 不意に謝られてノエルは戸惑った。
西沢は飾り棚の上の豪華な花籠を見つめていた。

 「あの人たちは…僕が結婚する時には…この地域の最高級のホテルで豪華な披露宴をしようと計画していたんだ…。
西沢家の婚礼に相応しく各界の名士を招いてね…。
僕が…それを拒んだものだから…臍曲げているだけなんだ。 」

 気にしてないから…とノエルは答えた。
笑っちゃう…打掛やウェディングドレスなんて…僕…着られないもん。
そんなところで式なんか挙げられない…。
 
 「千春がさ…大笑いしてたんだ…冗談みたいなカップルだって…。
誰が見たって…そうだよね…。 自分でも可笑しい…。 」

 ノエルは自嘲した。
なんで…?と西沢は首を傾げた。

 「僕の周りは誰も変だとは思ってないよ。 恭介も輝も…父さんも亮も…。
怜雄や英武…紅村先生…花木先生…誰も違和感を持ってないし…谷川店長や悦ちゃんだって…。
相庭や玲人もちゃんと納得してるし…。 」

 そうなんだよねぇ…そこが不思議なんだけど…。 
やっぱ…紫苑さん自身が普通じゃないってことなんだよなぁ…きっと…。
かもね…と西沢は笑った。


 カーテンを透して寝室に射しこむ月明かりがとても神秘的でノエルは籐のソファに蹲ってぼんやりそれを見ていた。
太極の居る陽だまりもいいけれど…月明かりもなかなか…。

 こんなコンクリートの街だというのに、開け放した窓から虫の音が聞こえてきて静かで気持ちのいい夜だ。
でも…開けっ放しは…ちょっと寒いかな…。

 西沢から貰った新しいパジャマの裾を引き摺りながら、ノエルは窓の傍まで歩いて行った。
 そう言えばそろそろぴかりんの絵も完成だよな…。
完成したら…どうするのかなぁ…あの絵…展覧会に出すとか…売るとか。
ま…僕には関係ない…か…。

 あの頃…ぴかりんの授業をさぼって何してたんだろう…。
教室で昼寝してたり…早弁してたり…屋上に居たり…。
学校ずらかって…他所で喧嘩してたこともあったかもな…。 
  
 何にも考えてなかった…考える必要もなかった。
居場所なんて何処にでもあった…。 
あの事故に遭うまでは…。
 
 紫苑さんが居なかったら…生きてなかったな…多分…。
太極に出会った段階で…もうほとんど限界だったんだ…疲れちゃって…。
かろうじて…太極に慰められながら生き延びてたようなもので…。

 だめ…ノエル…考えちゃだめだ…。
また…引っ掻きたくなっちゃうから…傷つけたらいけない。
紫苑さんが悲しむよ…。 

 ノエル…ここに居られるんだよ…。 
紫苑さんの傍に居てもいいんだよ…。

パジャマ…あのパジャマ…何処…!


 西沢が寝室に入ってきた時…そのあたりに新しいパジャマが脱ぎ捨ててあり、ノエルはまた古いパジャマに包まっていた。

 西沢は何も言わず脱ぎ捨てられたパジャマを拾ってソファの腕に掛け、そっとノエルの頭を撫でた。

 ノエルはこそこそっと胸の辺りを隠すようにしてベッドに潜り込み、西沢に背を向けるようにして布団を被った。

 「ノエル…見せてごらん…。 」

 そう言われて渋々と西沢の方を向いた。
西沢がボタンを外すと…数本の引っ掻き傷に血が滲んでいた。

 「少し…減ったね…。 それに…以前ほど深い傷はない…。 」

 怒らないの…?とノエルが小さな声で訊いた。
西沢は微笑んだ。

 「少しずつ良くなっているんだよ…ノエル。 
すぐには止められなくても…傷…少なくなってるんだからいいじゃない…。」

 うん…とノエルは頷いた。
だけど…もし…また…輝さんとそんなことになったら…壊れる…。
ならないようにはするけど…なるかも…やっぱ…自信ないよ…。

 「遊んであげるって…言われたんだ…。 」

 ノエルは呟くように言った。
告げ口するみたいで嫌だったけど…また前みたいな想いをしたくなかった。
話しちゃった方がいい…と思った。

 「遊んで貰えばいいさ…。 きみがOKなら気にすることなんてない…。
僕自身が浮気性なのに…きみに文句なんか言わないよ。
 それに…僕はきみを完全な女の子にしてしまうつもりはまったくないよ。
きみもそうなろうなんて思わないで…。

 きみは半分男の子…むしろ男の子の割合の方が大きいでしょ…。
今までどおりのノエルでいいんだよ。
 輝とでも亮とでも遊びたきゃ遊べばいいし…暴れたきゃ暴れてくればいい…。
男のノエルも女のノエルも居て当たり前さ。 無理に殺すことなんかない…。 」

結婚…したのに? ノエルは不思議そうな眼を向けた。

 「これからは一緒に生きようっていう約束をしたんだよ…ノエル。
ふたりで支え合おうって約束なんだ…。

きみを縛り付ける鎖じゃない。

 自由に生きていいんだよ。 遠慮なんか要らないから…。
きみの居場所は僕…僕の居場所はきみ…いつでも帰って来られる場所がそこにあるってことだけ覚えててくれればね…。 」

 忘れない…と即座にノエルは言った。 絶対に忘れない…。
西沢は頷きながら嬉しそうに笑った。
 
ノエル…今夜は…どちらのノエル…?
新婚さんだから…紫苑さんの好きな方…。
う~ん…迷ってしまうな…。
じゃ…両方…。
両方…? 

 営みの中でふたりは気たちの祝福する歌声を確かに耳にしたような気がした。
皓々と照らす神秘的な月明かりに包まれて初夜は静かに更けていった。






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続・現世太極伝(第二十七話 …で…どうすりゃいいんだ…?)

2006-06-24 23:54:51 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 智哉に許可を貰った次の週には家族と仲間だけで簡単なパーティを開いた。
派手な挙式も豪華な披露宴もなく…西沢のマンションでのホーム・パーティ…。
 僕…女の服なんか着られない…!という花嫁の事情を考慮して、いつもどおりの気軽な服装で…。

 西沢と滝川の手料理の他に紅村の自慢料理が並び、桂のお勧めのワイン各種…。
怜雄の奥さんの手作りウェディングケーキと英武・千春コンビのオードブル…ノエルのお母さんのバラ寿司…玲人が手配した珍しい果物などなど…。

 なんだかんだみんなの持ち寄りで結構それらしく見える。
今日は亮と悦子が給仕を買って出て…忙しく動き回っている。

 有と智哉、相庭は親父同士和やかに会話を楽しみ、谷川店長と怜雄はジョッキ片手に冗談の飛ばし合い…さすがに同級生…まったく遠慮なし。
  
 輝がクリスマス生まれのノエルのために作った12種のピアスが西沢の手からノエルに渡され…それが一応挙式の代わり…。
 
 西沢家からは豪華な花籠…宗主からも高価な祝いの品が届いた。
参加者全員の手作りみたいな披露パーティだけれど参加したすべての人々が…このちょっと変わったカップルの門出を心から祝ってくれた。

 西沢の養父母…祥と美郷が現れなかった理由は美郷が病身のせいもあるが…西沢家の体面を考えれば容易に予想できることだった。
それでも渋々ながら許可したのはノエルの後ろ盾を考慮したからだ。

 両親も本人も知らないが…ノエルも裁きの一族の血を引いている。
但し…ノエルの場合は対の一族の方の血で、宗主にとっては内室の血となる。
 何かの事情で縁が途切れていたが、西沢との縁組によって対の一族はノエルの家を登録名簿に復活させた。
 こうなると…西沢家もそう簡単にノエルを追い出すことはできない。
頭痛の種ではあるが…紫苑を黙らせておくための玩具だと思うことにした。
それで祝いの花籠だけは贈ってきたというわけ…。 

 ともあれ…家族や仲間たちの祝福が在れば西沢家の意向なんかノエルにとってはどうでもいいことだった。
…というかノエルの頭の中では…やっぱり西沢との結婚を現実として捉えることが出来なかったから…。
 ずっと傍に居たいとか…心から愛しいと想う気持ちはあっても…それが男女どちらの自分が望んでいることなのか…と考えるとよくは分からない。
だから…ずっと西沢と一緒に居ていいという許可を周りのみんなから貰ったんだ…と思うことにした。



 終始和やかで寛いだ雰囲気のパーティがお開きになって、気分の華やいだ招待客が名残惜しげに暇を告げた。
 玄関先でふたりが招待客の見送りをしている間に、いつものメンバーが猛スピードで部屋を片付け、酔い覚ましの濃いコーヒーが配られた。

 「現段階で核保有国とされているのがアメリカ・ロシア・フランス・イギリス・中国…その他インド・パキスタン…だ。 あと…持ってるかもしれないって国がイスラエル…。 イランと北朝鮮が開発中…。 
 ロシアとアメリカに至っては核弾頭保有数10,000を軽く越えるぜ…。
かつては20,000~30,000って時代もあったんだ。
今では廃棄したと言われているが…。

 その他の国は200弱~400強ってところかな…。
これだけの国が一斉にドンパチやれば…世界は一巻の終わり…。
それこそ…宇宙にでも逃げ出す以外…助かる道はない。 」

滝川が半ば呆れ気味に言った。 
 
 「核兵器を管理している人間に異常が起これば…その一巻の終わりがやってくるってわけね…? 
 HISTORIANという組織はそうならないための布石ではないか…と紫苑は考えた…そうでしょ? 」

輝の問いに西沢は頷いた。 

 「そう…おそらく…第二次世界大戦の日本への原爆投下という事態になって彼等はようやく自分たちの組織の存在する本当の意味を知ったんだ。
世界の指導者及び管理者に誤った判断をさせてはならない…とね。

 保有国の政府や軍事の中枢部には多分…HISTORIANの組織員が入り込んでいて、核を使うなんて状況に陥らないように上手く立ち回っているのだろうけれど…その他の国にまでHISTORIANだけではなかなか手が回らないんじゃないかと思うんだ…。 」

 あ…それで手紙を出したわけね…。
保有国でないおまえたちの国はおまえたちで何とかせい…ってことで…。
そのわりには何人か国内に潜伏しているみたいだけれど…。

 「この国は保有国ではないけれど…核処理施設がある…。
核兵器に関する技術的なノウハウもある。 
 歴史的な国民感情と法律での規制がなければ、明日にでも他の保有国と並ぶくらいの生産能力は持ってるんだ…。
 HISTORIANの立場からみればこの国だってイランや北朝鮮と変わらないんだよ。
だから注意を促している…中枢部に眼を向けろとね…。 」

 万が一…国を動かす人間たちが磯見たちのような夢遊状態に陥ったら…。 
自分でもそれと知らぬ間に人心を混乱させ…国家にとんでもない事態を招く…。 
それが世界各国同時期に起きたとすれば…第三次世界大戦の勃発だ…。

 「この前…紫苑から電話を貰った後で考えてみたんだが…潜在記憶…というものがどうしても引っかかるんだ。
そこに重要な鍵がありそうなんだが…いまいち掴めなくてね…。 」

怜雄が顔を顰めた。

 「そう言えば…古代にも核戦争があったのではないかという説がある…。
それを確かだと証明できるものがあるわけではないんだけど…背徳の街に降った火の雨は核爆弾によるものじゃないかと…。 」

亮が呟くように言った。

 「あ…それ聞いたことがあるよ…。 
カッパドキアとかに残っている古代地下都市の址は核シェルターじゃないかって話でしょ…?」

英武が思い出したように言うと、亮はそうそう…と頷いた。

 「この前は洪水だとか言ってなかった…? 世界が滅んだ理由…。 」

ノエルが怪訝そうに西沢を見た。

 「いろいろあるんだ…考えられる原因には…ね。 真実が分からないから残っている僅かな形跡で想像するしかないんだよ…。 

 だけどノエル…僕が言いたいのはこれから起こりうること…で過去に何が起こったかじゃないんだ…。 
 状況から核戦争を思いついたけど…ひょっとしたら氷河が融解することによる大洪水だって考えられるんだよ…。 」

 現在の状況からどちらがより在り得るかって可能性の問題…西沢はそう答えた。
そっか…洪水起こそうってのなら…磯見たちを操る必要はないもんな…。
気温上げて氷河を融かせばいいだけで…とノエルは妙に納得した。

 「まあ…原因が何だったにせよ…世界規模の災厄で超古代に滅びた文明があって…その文明の残した負の遺産とも言うべき何かのせいで再び災禍が降りかかろうとしているわけだ。
 誰がそうさせようとしているのかは…ともかく…何だろうな…それは…?
時空を超えて過去と現在を繋ぐもの…だろ? 」

 みんなの顔を見回しながら…タイムマシンとか言って…また物理の講義にするなよ…と滝川は思った。

 「氷河…氷河期…マンモス…DNA…DNA…だよ。 」

 ノエルが突然…何かを連想したように言った。
DNA…? みんなの眼が一斉にノエルに向けられた。
 
 「以前…どこかの学者が凍ったマンモスのDNA取り出して象を使ってマンモスを甦らせようなんて言ってたじゃない…。
 他にもアイスマンと現代人の女性をかけ合わせるとか…琥珀の中の蚊からDNA取り出して恐竜を甦らせようとか…。

 DNAって確かすべての過去の記憶が詰まってるんだよね。
それなら…時間を越えて過去が現在と繋がってるってことでしょ? 」

 それを聞いて西沢が、あっ…と声を上げた。
五行の気の言葉…そこの部分は気にもしていなかったけれど…。
『おまえたちの言う40億年の記憶は…我々の記憶領域だけではなくて…おまえたちの中にも存在するものだ…。』

 「怜雄…どう思う…?  DNAの持つ記憶を操れるかい? 」

 西沢が怜雄の意見を訊いた。
怜雄はひとつ大きく息を吐いてから西沢の問いに答えた。

 「ヒト・ゲノムという言葉を聞いたことがあるかもしれないが…常染色体22本とX染色体・Y染色体2本…XYの組み合わせは男女で異なるけど…その中の30億対ほどのDNAの塩基配列をいうんだ。

 人間を構成している細胞はどの細胞も同じゲノムを持っていて、そのままだと全部の細胞が同じものになってしまうので、ゲノムの中の遺伝子の情報は必要な情報だけが使われていて、要らない情報は休止状態にある。
だから脳とか心臓とかいった違った働きや形のものができるわけだ。

 これは僕個人の想像の域を脱しないんだが…もし眠っている部分に細胞を形成するための情報の他に…何か…特別な行動に関する記憶のようなものが存在していたとしたら…或いは故意に情報として組み込まれていたとしたら…それが目覚めた時にはどういう状況になるかは想像できる…。 
 そういうことが実際に可能かどうかとなると…僕の知識だけじゃ証明のしようもないんだが…。 」 

 遺伝子に…情報を組み込む技術が…超古代にあったかどうか分からんしな…。
自信なさそうに怜雄は言った。

 怜雄に分からないことは他の誰にも分からない…それがみんなの共通した見解でもあった。 
 遺伝子レベルとなると専門的に勉強している者でもなければ、そう簡単に理解できる話じゃない。

 その場に重苦しい沈黙の時間が流れた…。
…で…どうすりゃいいんだ…というのが正直なところ…今のみんなの心境だった。







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続・現世太極伝(第二十六話 落ち着け…紫苑…。)

2006-06-23 00:00:47 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 ベッドに深々と身を沈めたまま…ノエルはまるで全身の力が抜けてしまったかのように動かない。
 軽く閉じられた瞼とほんの少し開かれたの唇に満足げな表情を浮かべていつもより少し早めの呼吸を繰り返す。
やがてひと際大きく息を吐くと…そっと眼を開けた。

 ノエルの身体にはまだその余韻が残っているようで西沢が触れる場所すべてに反応がある…。
 こんな状況下でノエルには申し訳ないが…面白い…と西沢は思った。
男の反応じゃないな…。

 行為の後の余韻に浸れるのは…ノエルが女性でもあるという証なのだろう…。
もし…今…再び西沢が求めたら…即…受け入れ可能なくらい…まだ続いている。

 不思議なことに女性を相手にしている時のノエルにはその感覚はないようだ…。
西沢たちとなんら変わるところのない男…輝の言葉を借りれば…だが…。

 「ごめんね…紫苑さん…。 僕なんかの相手させちゃって…ごめんね…。 」

 ノエルは余韻が冷めると急に現実に戻ったようで…西沢に対して何かひどく悪いことでもしたかのように何度も謝った。

 「謝る必要なんてないだろ…。 愛し合っただけなのに…。 
謝らなきゃいけないとしたら…約束破った僕の方…ご両親の許可を貰ってからだなんて言って置いて…。
きみのお父さんに殺されそうだね…。 」

 そう言って西沢は笑った。
ノエルもつられて微笑んだ…が…親父なら殺しかねない…とは思った。

 ずっと僕の傍に居てくれる…?
何もしなくていいから…今のままで構わないから…そう西沢が訊ねた。
 ノエルはほんの少し躊躇っていたが…誰も…何も変わらないなら…と小さな声で答えた。

 ほっとした笑顔で…有難う…と西沢は言った。

 変わらないよ…みんなそのまま…恭介も輝も亮も…父さんも…みんな…今までどおり…そう言ってもう一度…ノエルを抱き寄せた。

 

 我々が言うところの悪とは何か…を考えてみると…時代や宗教によってまたは民族や文化によって捉え方が異なっている。
 悪とは…相容れない宗教…敵対する国…反目し合う民族…と考える者も居るし…或いは殺したり、盗んだり、偽ったり、欺いたり…社会的な反正義を行う者…と考える者も居る。

 魔物だの化け物だの鬼だのと言われているものが…実は自分たちが情け容赦なく滅ぼしてしまった種族を表わしていたり、追い出してしまった先住民族を意味していたりすることもないわけではない。

 人間は時に自分たちの行為や歴史を正当化するために、犠牲になった者たちを悪と表現したり、悪魔や物の怪、動物などに置き換えてしまうことがある。

 さらに…人間というものを正当化するために、人が悪いことをするのはその人の心のせいではなく…その人の心に巣食った鬼…魔物…悪魔…悪霊などのせいだと責任転嫁を行うこともある。

 どちらも良心や神仏に対する自己弁護に過ぎない。

 それらのことを考慮に入れると…倉橋や三宅に残る古文書の言う魔物…とは化け物や悪魔と言った具現化されたイメージのものではなくて…人の心そのもの…ではないかと西沢は推測する。

 前の世界が滅びた時に滅亡の原因をつくって逃げ出した者たちとは…HISTORIANが擬人化しているだけで…やはり同じく心ではないだろうか…?

 現代人の心の中に当時の人々と同じような悪心が芽生えて世界を再び滅びに導こうとしている…そんな図式を思い浮かべてみる。

 けれど…その推測は容易に否定される…。
心はその人その人に個別に存在するもので…別に何処からか逃げ延びて現在に至っているわけではない。

 それにもし単に人心の腐敗だけが原因ならば…放っておいても世界は滅びるわけで…磯見や岩島たちが暴れる必要もなければ、HISTORIANの存在意義も否定される…。

 そもそも…HISTORIANという組織が誕生した時に、来るべき未来に戦うよう運命付けられた敵とは何者…?
五行の気はそれを逃げ延びた悪の正体…と呼んだ…。

 それは今…磯見を始め多くの潜在記憶保持者を操っている。
どうやって…? 
巨石に近付いたこと以外に…他の何かと接触があった様子もないのに…?

 待てよ…磯見たちはHISTORIANを潰すために操られているとしても…それだけじゃ世界は滅びない…。

 潜在記憶保持者を操っているもの…はどんな方法で世界を滅ぼすと言うんだ?
それに目的は…? 
例えば…もう一度…過去に滅んだ自分たちの世界を甦らせるため…とか…?

 或いは…亮が言っていたように再び選別が行われる…いや…それはないな…。
だって選別ならこんな七面倒なことしないだろう。
地震か洪水一発で終わらせられるじゃない…。

 一発…?

不意に西沢の背筋を冷たいものが走った。

 核爆弾…。 

世界各国の上層部を操って…核戦争でも起こそうってか…?
現段階では…HISTORIANの抑止力でそこまで手が出せないで居るのか…?
 ひょっとして…HISTORIANが国籍も名前も明かせないのは…あらゆる国の政治の裏側に関与しているから…?

 待ってくれよ…国が相手じゃ僕なんかじゃ…どう動きようもないじゃないか…?
いくらHISTORIANがあちらこちらの能力者たちに手紙を送っても…その手紙が真実を述べていると分かったとしても…どの能力者も二の足を踏むぜ…。

 国家が相手じゃどうしようもないって…。

いや…国を直接相手にしろと言ってるわけじゃないよな…。
 国を脅かそうとしている得体の知れない何者かをどうにかしてくれと言ってるんだから…。

 落ち着け…紫苑…落ち着いて考えろ…。
そいつ等は…見えない敵…だけど能力者なら何とかできるかもしれないとHISTORIANは考えたんだ…。
 抑止力で上層部を保護している間に…そいつ等を誰かに何とかして貰いたい…自分たちだけでは世界中を護るなど到底…手が足りない…そういうことだ…多分…。

 怜雄…怜雄だ…。
怜雄になら何か分かるかも知れない…。
あの学者頭になら…何か閃くものがあるかも…。
僕の気付かない何かを見つけてくれるかもしれない…。
 
そう思いついて西沢は仕事部屋を飛び出した。


  
 後期試験が終わったすぐ後の土曜日…西沢はノエルを連れて高木家を訪れた。
勿論…結婚の承諾を得るため…。 智哉のぶっ飛ぶ顔が眼に浮かぶ…。
くぇっこんんん…! 息子が男とぉぉぉ! 

 すでに裁きの一族には有から話をして貰って宗主の了解を得ていた。
宗主は…太極の化身を妻にするのか…豪快だな…と愉快そうに笑ったという。
 今頃は一族の特別な名簿にノエルの名前が記されている。
其処に記されてあれば…戸籍上はどうあれ…ノエルの配偶者としての権利が侵害されるようなことはない。
早い話が事後承諾…すでに届けを出したようなものだ。

 智哉は…思いの外…冷静だった。
ある程度…そういう事態になるかもしれないことを予測していたようにも見受けられた。
 西沢の丁寧なお詫びとお願いの言葉を聞きながら何かじっと考え込んでいた。
しばらくするとノエルだけを部屋の外に出した。

 「西沢さん…あの馬鹿息子はともかく…あなたは本当にそれでいいんですか?
実は…滝川先生や有さんから事情は聞いていました。
 何かのトラブルに巻き込まれたせいで…あいつの症状がだんだんひどくなっているから…このままじゃ大変なことになる。
気持ちをどうにか安定させるには想いを満たしてやるのが一番だと…。

 ですが…あいつは…いつかは西沢さんを裏切るかも知れないんですよ。
好きな女でもできりゃ…あなたへの想いはすぐに消えてしまうかもしれない…。
 あいつの想いなんて…それくらい儚いもんなんですよ…。
それでも一緒になってくださると…? 」

 智哉は気遣わしげに訊ねた。
ノエルのため…というわけではないのです…。
西沢は少し切なげに微笑んだ。

 「いつか…そういう日が来るだろうことは覚悟しています。
けれど…ノエルが好きだから…その日までは寄り添って居たいんです。

 その時が来たらちゃんと僕の許から送り出してやりますよ。
もともと自分は男だって意識が強い子だから…とてもじゃないけど何時までも僕の奥さんでは居られないでしょう…。

 それはそれでいいんです。
止まってしまった時が再び動き出した証拠なんだから…。

 心配しないでください…ノエルは好きなように生きられます…。
ノエルが望まなければ女性扱いもしません。 」

 智哉は大きく頷いた。
ノエルが心を病んだ時に…智哉はそうとは思わずかえってノエルを傷付けるような言動ばかりしてしまった。
 そればかりか自分が受けた衝撃をそのまま怒りに代えて、何の罪もないノエルにぶつけてしまった。

 結果…ノエルは家を飛び出し…未だに居場所を得られないまま…。
それでもずっと西沢が傍に付いていてくれたおかげで道を誤ることもなく無事に過ごしてきた。

 西沢は今…そのノエルに居場所を与えてくれようとしている。
ノエルの傷ついた心を癒すために…。
将来のことは分からないが…取り敢えずはノエルの心を安定させることが先決…。
 西沢には心から申し訳ないが…馬鹿息子を嫁に出すとするか…。
嫁に…ねぇ…なんとも複雑…だ。 まあ…すぐに暇を出されるかもしれんが…。

 とにかく戸籍上はなんともしようのないことだし、身内で認め合うだけの結婚だが…それでも…寄り添う間はふたりが幸せでいてくれるといいな…。
花嫁…?を託す父親として智哉は心からそう願った。

たとえ…共に過ごせる日々が僅かな月日だとしても…。







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続・現世太極伝(第二十五話 ひとつに…なろう。)

2006-06-21 23:43:06 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 倉橋家に保管されている古文書…それは古史古伝よりずっと後のもので、三宅の祖先が一族に伝わる古文書の内容を書き写して倉橋家に渡したというものだった。
 倉橋側の古文書にはその経緯が前置きに記されており、本文が写しで、後書きに当時の倉橋の当主が、世に何事かない限りは伏せて置くようにとの指示を書き残していた。

 「瑛子の亡くなりようを聞いて、私はこの文書を思い出しました。
国を追われた魔物が再び戻って動き出す時には、物の怪に取り付かれたようになる者が続出するという件を…。
 瑛子を殺した作家も岩島さんも、旅先で正気を失ったようになり、他の方に助けられたと聞いております。

 またご存知のように…あちらこちらで似たような現象が起きていて、何かの祟りではないかと噂が立っているところまであるとか…。
倉橋家が調べた限りでは決して祟り憑依の類ではありません。 」

 またしても魔物…悪…追放された者たち…。
何なんだ…その正体は…? 人の中に潜む…魔物…人の中に潜む…悪…。
繋がる時空…潜在的な記憶…。
 西沢の脳裏をいくつもの断片的データが駆け巡った。
人類を滅びに導くもの…と言えば…核戦争とか…自然破壊による自然災害……或いは彗星の衝突とか…。

 「このような古文書をお見せするためにわざわざ御呼び立てしたのは申し分けないことですが…万一…御使者が三宅の文書に手を触れるようなことがあれば、御使者もおそらくは敵と見做され攻撃の的になるでしょう。
 それよりは…たとえ写しでもこちらでお見せした方がよい…と思いましてな。
無用の敵は作らぬ方が動きやすいですからな…。 」

 久継の言葉に西沢は頷いた。
ご高配痛み入ります…と西沢は礼を述べた。

なんの…たいしてお役にも立てぬが…と久継は笑った。

 「時に御当主…。 例えば三宅のように過去に業使いであった場合…ふと先祖返りを起こすようなことは有り得るでしょうか…?
 普段は呪文ひとつ使えないのに…正気をなくしたような時に突然力が甦ったりするようなことが…? 」

 西沢は磯見のことを思い出していた。
先祖返り…ですか…久継は政直や田辺と顔を見合わせた。

 「なきにしも…あらずですかな…。 
宗主の一族のように人によって力の差はあるにせよ…ほとんど全員が能力者である…などというのは今の世ではかえって珍しいのです…。
 原始の力がだんだんに薄れていっている証拠ですか…力を持たずに生まれてくる子が増えています…。
 けれど…普段は何もできない子どもが…眠っている時にだけ力を発揮するなどということも稀にはあるのです…不思議ですが…。 」

 理由は…久継にも分からないようだった。
おそらくは…眠ることによって何らかの抑制力が弱まり…潜在的な力が外へと解放されるのではないか…とのことだった。

 「ただ…業使いの場合は…力の在る無しに関わらず…呪文などを覚えていなければ、端から力の使いようがないわけで…何の修練もなしに呪文を唱えるようなことがあるとすれば…それは他の誰かの力が働いているとしか考えられません…。 

 ですから…他から受ける影響が何もなく突然に力を使い出すとすれば…業使いよりはむしろ御使者のような特殊能力者の先祖返り…ということでしょうな…。 」

 久継は業使いのひとりとして思うところを述べた。
そう言えば…あの作家も岩島も三宅を襲う際に使ったのはただの腕力でどちらの場合も呪文や特殊能力を使ってはいない。
 と言うことは…彼等の先祖に限って言えば能力者でも業使いでもなく…彼等自身が潜在記憶の持ち主だと言うだけのことかもしれない。 
 
 帰宅したら…もう一度最初から考え直してみよう…と西沢は思った。
当主には丁寧に礼を述べ、引き続き協力して貰えるように要請して、西沢たちは倉橋家を後にした。



 玲人から久々にモデルの話を貰ったノエルは、指示されたとおり画家のアトリエを訪ねた。
 洋画家の先生で主に人物画を描かれている方ですよ…。
17~8歳くらいの男の子がご希望だったんですが…ノエル坊やの写真を見せたらひと目で気に入られましてね…。

 表札には須藤…とある。
呼び鈴を鳴らすと奥さんらしい人がにこにこと笑いながら出てきた。
 玲人に言われたとおり紹介状を見せた。
奥さんはずっとにこにこしたまま、ノエルを須藤のアトリエまで案内してくれた。

 モデルが来たことを告げて奥さんが扉を開けると、中から油絵の具や筆洗液の独特な匂いがした。
 待っとったよ…と言う声がキャンバスとイーゼルの向こうから聞こえた。
ノエルがきちんと挨拶をすると、須藤は今にも噴き出しそうな顔で、少しは成長したみたいだな…と親しげに言った。

 「俺の顔を忘れるとは…よほど俺の授業をさぼっとったと見える…。 」

 はぁ…? ノエルは探るように須藤の顔をじっと見つめた。 
げっ…やべぇ…美術のぴかりんじゃないの…。

 よくよく見れば…依頼主は中学の時の美術担当の先生だった。 
須藤って名前だったっけ…ぴかりんとしか覚えてねぇ…。

 「ま…いいや…古いことは…。 
其処の出窓の下の木の椅子に腰掛けて窓の外見てくれないか…?
背の高い椅子だから落ちないようにな…。 」

 須藤に言われたとおり、ノエルは普通の椅子の二倍はあろうかと思われる高さの椅子によじ登り出窓から外を眺めた。
 手を下げていると何だか安定が悪いので出窓の張り出し部分に両方の腕を組んで乗せ、その上に自分の顎を乗せた。

 須藤はその姿勢を見ていたが、その次には出窓より低い位置にある窓のところに行かせ、今度は身体を手前に向かせて、背もたれのない椅子に腰掛けた状態で、頭をガラスに凭せ掛けながらやや振り返り気味に窓の外を眺める様子を観察した。

 「ノエル…それでいこう。 」

 ポーズが決まると須藤はキャンバスに向かった。
須藤はどうやら木炭で下絵を描くようだ。

ノエルはそのままじっと動かなかった。
 始めは…ぴかりんてそんなにすげぇ画家だったのかぁ…とか、授業さぼってばっかりだったもんなぁ…などと昔のことを思い出したりしていたが…外の花壇を見つめているうちに何となく西沢の仕事部屋のことを思った。

 同じ仕事部屋でもこことは匂いが違う…。
明るさも…雰囲気もまるで違う…。

 「ノエル…いい顔つきになったな…。 少しばかり味が出てきたぞ…。
悩んだり…痛んだり…いろいろあったってことか…。
 中学の時のノエルとは大違いだ…。 何も考えてなかったよな…万事適当で…。
やんちゃで可愛い坊やではあったが…。 」

 須藤がそんなことを言った。
へぇ~ぴかりんが僕のことちゃんと見てたなんて知らなかったよ…。

 「おまえ…家を飛び出して西沢紫苑のところに居るんだってな…。
ジャンルは違うが…あの人の絵は俺も好きだな…。
じっと見つめてると絵の中に自分が居るような気がしてさ…。 」

 そうなんだ…紫苑さんの絵が好きだって言う人は大抵そういう感覚で見てる。
雪景色なら寒さや静けさ…温かさまで感じるって…。
その場に居て積もった雪に足跡つけてるような気になるって…。

 「西沢紫苑は若いわりに懐の深い人かも知れんな。
見る人の想いを受け止めて…温かく抱擁する…。 抱きとめられた想いは十二分に満たされる…。 
そんな不思議な魅力を覚えるんだ…。 」

 抱きとめられた…想い…。

絵の話だ…ノエル…ぴかりんは絵の話をしているんだよ…。
そう何度も自分に言い聞かせた。

 三時間ほど仕事をして須藤は筆を擱いた。
明日も来られるか…とノエルに訊ねた。 
ある程度絵が完成するまでノエルはしばらく須藤のアトリエへ通うことになった。



 抱きとめられた…想い…。
ノエルはもう一度心の中でその言葉を繰り返してみた。
 籐のソファの上に蹲って…。
抱きとめられているのに…満たされないのは…僕のせい…。

 この前の夜に思いがけず西沢に悪態ついてしまったことをずっと後悔していた。
僕なんかどう考えたって…触れて貰えなくて当たり前だったのに…何であんなことを言ってしまったんだろう。
たとえ子供扱いでも…紫苑さんは本心から僕を可愛がってくれていたのに…。

 紫苑さんに嫌な思いばかりさせてしまう…。
僕の想いを受け入れてくれたのに…僕が我儘だから…。
 
 頭の中を駆け巡る映像…胸や腕に描かれる爪痕…。 
痛みと滲み出る血…。 

壊れちゃえ…! 壊れちゃえ…ノエル!

思わず爪を立てようとした時…西沢が背後から抱きしめた。

 「ノエル…壊さないで…。 どんなきみも…僕には大切なんだよ…。 
きみは何もしていない…悪くなんかない…。 我儘でもない…。
 でも…どうしてもそうだと言うのなら…そういうきみも全部…全部好きだよ…。
心配ないよ…。 大丈夫だよ…。 」

 哀しそうな眼で西沢を見つめる。 僕を壊して…。 壊して…。
西沢の腕がそっとノエルを抱き上げ…ベッドに運んだ。

 それが望みなら…それしかないなら…僕の腕の中で…壊れていって…。
きみが壊れてしまっても…僕はきみを修復する…。
 何度でも…諦めない…きみが壊れるたびに…僕はきみを癒し続ける…。
ひとつになろう…ノエル…。

愛してる…。





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続・現世太極伝(第二十四話 いい加減じゃねぇよ…。)

2006-06-19 23:35:04 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 間もなく新学期が始まろうとしている…ということは前期の試験も目の前だというわけで、バイトの空きの時間にマンションの居間でノートの写し合いが始まっていた。
 仲間内では最も真面目な直行のノートのコピーを見ながら、亮とノエルが自分のノートに不足分を補充する。
 さらに男子学生のアイドル・夕紀が入手した過去問データを有り難く利用させて貰い、後は頭に叩き込むだけ…。
 
 「大学生の勉強って感じじゃないよな…毎度試験対策ばかりでさ…。 
ほとんど高校の延長…。 
 やっぱさ…これが研究したいってテーマがないと…。 
ゼミだってさ…科目や内容で選ぶというよりは就職有利かとか、教授の人気で選んじゃったもんな。 」

 亮がそうぼやいた。
やっぱ…そういうとこが優秀な学生と一般の学生の違いかねぇ…?

 「そうかぁ? 僕はもともとあまり勉強したい方じゃないからな…。
及第点数取れれば全然文句無いけど…。 
目標とか欲しいなら…今から卒論の研究テーマでも見つけて勉強したら…? 」

 二年越しならちょっとしたものができるぜ…ノエルがそう言った。  
あ…それいいかもな…と亮は思った。

 「そうだ…明後日バイト代わってくれない? 
玲人さんとこからバイト入ってさ…。 」

玲人さん…? 亮…まだモデルやってんの? ノエルが訊いた。

 「たまに話が来るんだ。 雑誌とかの仕事。 」

 ふうん…オーディション受けないで向こうから来るなんて最高じゃん。 
いいよなぁ…。 亮はがたいがでかいし…バランスいいもんな。

 「ノエルは女子の間じゃ超美形で通ってるじゃん。 結構…足長いし…。 」

 身長がないから…モデルは無理。 ちゃんと分かってるんだ…。
紫苑さんのイラストのモデルができるだけで…十分満足。
そう言ってノエルはにんまりと笑った。 

 「ご機嫌じゃん。 良いことあった?
新しい服もちゃんと着てるし…引っ掻き傷ちょっと治まったんじゃない…? 」

ノエルの胸の辺りを覗き込むようにして亮が言った。

 「引っ掻きたくなると紫苑さんがすぐに抑えてくれるから…。
玲人さんの店にも時々引っ張ってってくれるし…。 
まだ…ひとりでは店に入れないんだけど…服…選ぶのは…何とかいける…。 」

 よかった…良くなってきたんだ。 嬉しそうに亮が言った。
ほんの少しだけど…ね。 ノエルはそう言って微笑んだ。



 田辺カオリ…叔母さんから招待状が届いたのと時を同じくして…倉橋家を訪ねるように…という指令書も届いた。
 招待状は田辺本人ではなく倉橋家の当主から送られたものだということが容易に察せられた。 

 「ええ…? 僕も呼ばれているのかい? 有さんや亮くんじゃなくて…? 」

 滝川は怪訝そうな顔をした。
御使者の御務めに他の一族の者が同行を要請されるのは極めて異例なことだ。
宗主はどうやら滝川を要人として認め、御使者に関与する権限を与えたようだ。

 「田辺先生の招待状だけじゃなくて…指令書にもはっきりとおまえの名があるんだ…恭介…。
 宗主が滝川一族に対して滝川恭介を要人とする旨を通達したと考えていい。
これで…おまえも滝川一族の長老格…自由を奪われたってことだ…。
悪いな…僕と関わったばっかりに…。 」

 西沢は申し訳なさそうに俯いた。
何の…滝川は笑って首を振った。

 「この世でもっとも愛するお方と運命を共に出来るなど光栄の至り…。
気にするな…。 言ったろ…一緒に逝ってやるって…最期まで付き合うさ…。
宗主は良くご存知だ…僕のことを…。 」

 滝川は事も無げに言った。
御使者のお務めは下手をすれば命懸け…それに関わる者も無事で済むはずがない。
それでも滝川は西沢と生きる道を選ぶ。 

和…それでいいよな…。

 誰を失うことがあっても…紫苑を失くしちゃだめ…。
あなたと紫苑はふたつの身体を持つひとつの存在…。

 それがおまえの遺言だった…。
たった二ヶ月ほどで逝ってしまった最愛の女房…。

 「女房…と言えば…ノエルの返事はまだか…? 」

 それが…と西沢はこの前の夜のことを話した。
まともなキスより先に求婚してしまった…という話に滝川は笑い転げた。

 そりゃあ…絶対…おまえが悪いよ…紫苑…。 ノエルじゃなくたって怒るって…。
だっておまえ…輝とはそういう付き合いをしてるくせに…ノエルに対して紳士面してどうすんだよ…。
 
 「僕にとっては…あいつまだ処女なんだ。 だから拘ってんだよ。 」

 はぁぁ…? 滝川が固まった。 
冗談よせよ…紫苑…。 とっくに亮くんと…。

 「分かってる…でも…そうなんだ…。 
生まれて初めて本気で好きになった男が僕みたいな鈍感…言えなくて苦しんで…ただ笑って…。
 ぼろぼろのパジャマが僕の代わりで…。
あいつ…ここを出て行く時にそれを持って行くつもりだったんだ…。

 僕にも覚えがある…。 
養父の掛け布団で作ったふかふかのトンネルが両親の代わりだった。
叱られても叱られても…あの温もりが欲しくて…何度も持ち出して…。

 決して与えては貰えない…求めてもいけない…愛情の代わり…ノエル…どれほど切ない想いをしていたんだろう…。
何の打算もなく見返りも求めず…一途に僕を想い続けてくれてた…。
その穢れない想いは真心で受け止めなきゃいけない…そう思ったんだよ。 」

可哀想に…こんな…いい加減な男に惚れてさ…と西沢は少しだけ洟を啜った…。

 おまえは…いい加減なんかじゃねぇよ…と不意に真顔で滝川が呟いた。 
優し過ぎるだけで…。

 

 入念に手入れされた日本庭園を一望できる閑静な離れの座敷で、倉橋家当主は西沢たちが現れるのを待っていた。
 倉橋久継…70半ばにして堂々たる偉丈夫である。
普段は何処と言って調子の悪いところもないが、さすがにこのたびの瑛子のことは応えたと見えて疲れから風邪を患い、ようやく治まったところで、西沢たちを車寄せまで迎えに出たのは長男の政直と田辺だった。

 わけを言って御使者の来訪は日延べして貰えばいいのに…と家族は勧めたが久継は聞かなかった。

 「そんなわけで…見苦しいさまをご覧に入れますが…お許し下さい。 」

 政直は申し訳なさそうに言った。
なるほど当主は顔色も優れず脇息にもたれかかっていたが、西沢の姿を見るとすぐに居住まいを正し平伏して迎えた。

 「御当主…どうかお楽に…。 随分と…お辛そうだ…貴家にも病払いを得手とされる方はおられましょうが…僭越ながら滝川に診させましょう。 」

 西沢がそう言って滝川を振り返ると、滝川は軽く一礼して久継の前に進んだ。
失礼…と滝川は久継の手を取った。
 しばらく診てから胸と背中…肺と肩甲骨の辺りに治療を施した。
最期に腎臓の辺りにも…。

 「小半時もすればいま少し楽になられるでしょう。
腎臓が少しばかりくたびれております。
 異常が出るほどではありませんが…意識して水分をお取りにならないといけません…取りすぎてもいけませんが…。

 政直さん…御当主にはできる限り飲み物や水菓子などを差し上げてください…。
特に西瓜が宜しい…但し…ちゃんと食事が取れるくらいの分量でお願いします。
塩分を控えめに…野菜を主にした汁物なども宜しいかと…。 」

 素直な性格らしく政直は滝川の話をうんうんと頷きながら真剣に聞いていた。
田辺がにこにこと笑いながら…お父さまは医者嫌いでなかなか診てもらおうとしないから困るのよ…と言った。

 失礼を致しました…と滝川はもとの場所に下がった。
先程から部屋に入るべきか入らざるべきかと迷っていた使用人がようよう茶などを運んできた。
 久継は西沢たちに茶を勧め、自らも口にした後で…おや…久しぶりに茶が美味い…と喜んだ。

 「早々にご面倒をお掛けして申し訳ないことでしたな…。
当家に伝わる呪文使いの病払いは…憑き物や霊などの障りによる病を払うのが主でしてな…。
 呪文がまったく効かないわけではないが…普通の病気などはもっぱら普通の医者に掛かっておりますよ。 」

 少し顔色も良くなりにこやかに微笑んだ。
その様子をほっとしたように政直が見つめた。
  
 「なるほど…御使者は宗主に似ておられる…。
ああ…勿論…容貌のことではありません。 全体から受ける印象が…です。
同じ主流の血を受け継いでおられるのですから当然といえば当然ですが…。

木之内の有さんの若い頃に…やはりそんな感じを受けましたな…。 」

 久継の中にも何処となく亮に似たところが見受けられた。
血の繋がりとは不思議なものだと西沢は思った。

 お父さま…そんなことより…御使者にお話しがあるのでしょう…?と田辺がじれったそうに言った。

 「おお…そうだった。 政直…あれを…。 」

 久継に促されて政直は飾り棚の上におかれた文箱のようなものを取り上げて久継に手渡した。
 久継はそっと箱の蓋を開けて中から巻物と和紙を束ねた文書のようなものを取り出した。 

 「これは…ずっと昔から我が家に伝わるものでしてな。
実は三宅の先祖からの手紙とそれに纏わる話を記したものです。 」

 三宅…西沢は思わず滝川と顔を見合わせた。
久継は頷いた。

 「この手紙は…同じ呪文使いの一族だった三宅の当主が一族だけの秘密であった古文書の内容を我が一族の先祖に明かして助力を要請したものなのです。
 その時既に一族から呪文使いの血が消えつつあったのでしょう…。
危機を感じた当主が、最早、自分たちだけでは魔物に立ち向かえないと判断したのだと思われます。
結局…その時代には然したる危機は訪れなかったのでしょうが…。 」

 問題は…と久継は続けた。 我が祖先が書き残した文書の方です…。
西沢も滝川も思わず身を乗り出した。

 久継は古文書を取り上げると書かれてある内容を読み上げた。
前置きの部分などが終わると聞いていたふたりの表情に驚きの色が表れた。

 古の文書に記されたもの…それはまさに今…西沢たちの身の回りで現実に起きていること…そのものだった…。







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続・現世太極伝(第二十三話 呪文使い)

2006-06-17 23:29:07 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 鬼道というものの解釈にもいろいろあるが、倉橋家に伝わるものは大陸における方術…道術の流れをくんだもので、自然界に宿るあまたの精霊・魔物などを操る業と言われている。
 倉橋家では…呪文を駆使して人を呪い殺す…などというのは邪道・禁忌、むしろ魔を払ったり、霊を鎮めたり、病を治めたりというような業を主に伝承してきた。
 そういう正道にも通ずるところが裁きの一族に重んじられるようになった所以と思われる。
 裁きの一族の周辺には鬼道に対する正道として御大親祀り…いわゆる神を祀る一族も居て…この一族なども倉橋家の呪文と同様…超能力というよりは文言と所作で神と対話し霊を鎮め…物霊などの力を巧みに操る業を持つ。

 超能力者とは異質のこうした業使いにも独特の気配はあるが、普段、彼等に馴染みがないとなかなかそれが特殊な力であることに気付けない。 

 ひょっとすると潜在記憶保持者の多くはそういう力を遺伝子の中に受け継いでいるのかもしれないと西沢は考えた。
 記憶が甦るのと同時に力も甦る…だから普段は普通の人間としか感じられないのかもしれない…と。



 「ですからね…先生…。 これは岩島先生のたっての願いでもあるわけで…。
アンソロジーの背景写真のモデルにどうしてもって…頼まれたんですよ。
ファッションショーじゃないんですから…衣装を着て言われたとおりにポーズとってりゃいいんです…。 」

 相庭の持ってくる仕事の中で最も引き受けたくないのがモデル…。
そりゃあメンズのモデルの寿命は結構長いよ…女性が20代初めで盛りを過ぎるってのに半ばで新人って人も居るらしいから…。
その代わり女性より格段に安いギャラで働くわけよ…。

 僕の場合…ギャラに文句は言わないけど…1歳くらいから延々やってるんだから…いい加減…疲れちゃった。
 二年続きで…恭介に付き合って写真集撮ったけど…あれは遊びだし…。
ま…恭介は結構稼いだらしいけどな。

 「モデルはやらないと何度も言ってるじゃないですか…。
僕は24の時に引退したはずでしょ。 お断りしてください…。 」

 またそんな…先生はまだ20代だし…年齢より5歳は十分若く見えますって…。
相庭は食い下がった。

だから…齢の話じゃねぇよ…。

 「撮影は滝川先生にとのご希望だそうですよ。
あの滝川先生の趣味の写真集を見て是非にと思ったんだそうです…。

 それに…岩島先生は…例の潜在記憶保持者ですよ…。
しかも…このアンソロジーの出版はあの三宅って子の居る所です。
会っといた方がいいんじゃないですかぁ…? 」

 そう来たか…。
西沢は呆れたようにふうっと溜息をついた。

 「分かりました…。 予定に入れといてください…。 
但し…モデル紫苑は我儘な男なので…岩島先生のご期待に副えるかどうかは保証できません。 」

 相庭はにんまりと笑った。
では…そういうことで…お迎えにあがりますからね。 
 勝手に逃げ出さないでくださいよ。
毎度のことながら長居すると西沢の気持ちが変わるとでも思っているかのように急いで帰って行った。

 やれやれ…今度は何をやらされるやら…。
窓の外に目を向けながら西沢はもう一度大きく溜息を吐いた。



 相庭に送られて滝川のスタジオに一歩入った途端…西沢はスタッフから熱烈な歓迎を受けた。
写真集の売れ行きが良かったから福の神とでも思われているのかもしれない。

 今回はそう上手くいくかどうか…他人の作品だ…。
他人の描くイメージに合わせて撮るのは…正直…恭介もやりにくいかもな…。 

 岩島のアンソロジーは自作の詩やエッセイなどを集めたもの…頁数にして100頁前後か…。 それを写真とイラストで物語風に飾ろうというわけ…。
 イラストはアンティークな作風で定評のある田辺カオリ…。 エッセイもイラストも同業者…なんか気分複雑だけど…。

 初日…だからなのかずっと居るつもりなのかは分からないが…岩島も田辺も撮影に同席している。
 軽く挨拶を交わし…スタッフがセットを組み終えるまでに衣装とメイク…。
時折…岩島の様子を観察する…。 今のところ変化なし…。

 「写真を使うのは詩の頁…作品は読んで貰ったと思うけれど…西沢先生…。
『トンネル』…いってみよう…。
 岩島先生のイメージでは…出口は見えているのに其処に辿りつけない…焦りと恐怖…。 」

 滝川を通じて指示される岩島の要求はかなり演劇的な要素を含んでいた。
モデルにパントマイムをやれってか…上等じゃないの…。
 
 西沢の微妙な動きや表情の変化をカメラが捉え…同時に田辺が鉛筆を手に素早くスケッチをする。
 岩島は原稿のコピーを手にあれこれチェックを入れている。
周りにHISTORIANらしい人物が居ないせいかまったく異常なし…。
 現段階で岩島に業使いの気配は感じられない。
それから何日かかけて撮影は続いたけれど岩島が暴れだすことはなかった。


 最終日…残るは二作品…。 
田辺のイラストと組み合わせることになっている表紙の写真は既に決定…田辺のアンティークなイラストの陰から覗く西沢の謎に満ちた表情…。  
 依頼した岩島も撮影した滝川も構図を決めて描いている田辺本人でさえも思わず背筋がぞくぞくっとした。 

 二作品の天使…悪魔…。 岩島の詩に込められた崇高美と退廃美。
眩い天上の光を纏った大天使…慈愛と威厳に満ちた神聖な姿…。
闇と罪のベールから覗く誘惑の微笑…淫靡な世界へと誘う妖しげな悪魔…。
 どちらも西沢でありながらどちらも西沢本人ではない。
あくまで岩島の詩の世界の具象化…。
岩島が想像していたよりもはるかに詩の意味するところを捉えている。

 岩島も田辺も西沢紫苑という男はモデルというよりはアクターなのではないかと思った。
 岩島が西沢を選んだのは、滝川の写真集がお気に入りの一冊になっていたこともあるが、西沢の現役時代を知る某ファッション雑誌のカメラマンから西沢というモデルについて話を聞いていたからでもある。

 例えば…目の前に差し出された衣装がどんなに陳腐なデザインものでも西沢は即座にその衣装の何処どうを見せたら効果的かを感じ取って必ず見せ場をつくる。
 西沢を知らないカメラマンに対しては西沢はただその指示に黙って従うただのモデルだが…西沢を知るカメラマンなら西沢が創り出す無言の一瞬を見逃さない。
実に面白い素材だよ…。
 あの若さでキャリアは20年以上…如何にベビー・キッズ・メンズと成長・進化してきたとは言え…10年居られりゃ超々売れっ子って世界でそれだけ仕事が取れたってことだぜ…信じられるかい? 

 岩島がそんなカメラマンの言葉を思い出しているうちに概ね撮影が終了した。
お疲れさま…とお互いに言い合っているところへ三宅が菓子折りさげて現れた。
 遅いよ…新人くん…とスタッフに声をかけられてぺこぺこ頭を下げていた。
予定よりも撮影が早く進んだので目測を誤ったようだった。
 編集の新人…今頃様子見に来たか…と岩島が三宅に眼を向けた時、急に岩島の意識が遠のいた。

 三宅が遅れた詫びを言うために岩島の方に近付いて来た時、不意に岩島が三宅に躍り懸かり暴れだした。
 西沢が抑えに向かおうとした瞬間、岩島の傍に居た田辺が何事か呟きながら岩島の背中をドンと叩いた。
岩島は三宅から手を離すと力が抜けたようにその場に崩れ落ちた。

 「困ったものだわ…。 本人は何にも覚えてないんだから…。 」

 業使い…? 西沢は思わず滝川と顔を見合わせた。
田辺がにっこりと頷いた。

 「私は亮の叔母よ…。 瑛子の妹なの…。 」

 亮の…叔母さん…! 倉橋の一族じゃないの…。
お母さんは普通の人だと聞いていたけど叔母さんは呪文使いなんだ…。

 
 意識を取り戻した岩島が何も覚えてないのをいいことに、急にめまいですか…それはいけませんねぇ…お大事になさってください…とスタジオを送り出した。

 その後で滝川は特別な部屋…に西沢を始め田辺と三宅を招き入れた。
西沢と田辺はともかくも三宅を部屋に入れた…というのでスタジオ中が驚いたが、 さっきの妙な騒ぎの成り行きじゃないか…三宅が被害者だからさ…ということで一応納得したようだった。

 「倉橋家の人がみんな呪文使いというわけじゃないの。
呪文使いにも向き不向きがあるから…そう何人もは居ないわ。
当主の直系では長兄と私だけね。 姉と次兄はまったく向かないの。

 姉の亡くなった原因を探っていたのよ。
あの作家が最近…旅行先で突然おかしくなったって聞いてたの…。
 この作品の仕事を貰った時にその話が出て、そう言えば岩島先生も旅行先で…なんて聞いたもんだからすぐにOKしたわよ。 」

 それに…うふふ…と叔母さんは意味有り気に笑った。 
噂の…西沢先生にお目にかかれるって聞いたんですもん…。
叔母さん39歳…まだまだるんるんの花盛り…!

 それは嬉しいな…と西沢も思わずにっこり…。
あかんっちゅうに…滝川は思わず天を仰いだ。
 西沢のにっこりは曲者…これに惹き込まれると大概は西沢ワールドから二度と脱け出せない。

 「あの~それで僕はなぜこんなに何度も襲われるんでしょうか~? 」

 情けない声で三宅が訊ねた。
さすがにこれほど連続してとんでもない眼に会うと、いったい俺が何したっちゅうんじゃ…!てな気分になる。

 あなたが呪文使いの血を引くからよ…。
古文書の話をしようと滝川が口を開こうとした矢先、田辺が話し出した。

 「相当古い時代の話だけれど…あなたの先祖に魔物封じをする業使いが居たの。
その人が書き残した文書があなたの家に残っているのよ。
 それは過去に世界が滅びる原因となった魔物の復活を予言したもので、その時には一族が結束して戦えとかいうような内容だったと思うわ。
 残念なことに呪文使いの存在自体が時代とともに廃れてしまって、あなたの一族に残っているのは古文書だけなのよ。 」

呪文使い…?三宅が驚いたようにみんなの顔を見回した。

 「HISTORIANが古文書のことを知ってきみに近付いた。
同じ使命を背負ったきみの一族が復活した魔物を倒す手助けをしてくれるのではないかと思ったのだろう。
 けれど…当てが外れた。
きみの一族には最早…呪文を使える人がいなかったから。
 ところが先祖が魔物と呼んだものにとってはそんなことはどうでもよく、敵と認識したものは片付けようということで、いろんな人にきみを襲わせているんだ。きみにとっちゃいい迷惑だけどな…。 」

 お気の毒とでも言いたげな視線を三宅に向けながら西沢が説明した。
敵と認識された…そんな馬鹿な…三宅は頭を抱えた。

 とにかく相手の正体が未だに分からないから先手の打ちようもないけれど、過去に妙な行動をとったと言われている人には、極力ひとりで近寄らないようにしなさい。
 何かあったら必ず連絡を入れて…僕にでも…滝川にでもいいから…。
きみひとりでどうこうできる相手じゃなさそうだしね。

 私のところでもいいわよ…と田辺がにこやかに言った。 亮の叔母さん…かなり自信があるようだ…。 
 自惚れているわけではない…名門倉橋で呪文使いを名乗るからにはそれだけの力量がなければならないということか…。
 業使いの力の度合いは今一把握し難いので、西沢にもどれほどのものかは分からなかったけれど…。






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続・現世太極伝(第二十二話 捨てきれない想い)

2006-06-15 12:52:04 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 対象が普通の人なので、確認できたのはほんの二~三人というところだったが、滝川の一族からの情報ではやはり、英語塾襲撃があった前後あたりに潜在記憶保持者と思われる人たちの様子がおかしくなっていた。

 磯見の場合と同じように自失状態になると突然、家を飛び出して何処かへ行ってしまう。
後から心配した家族が訊ねても何も覚えていない。
まるで狐にでも憑かれたようだと不安がっている家族も居るらしい。

 「亮くんから僕に連絡があってさ…。 
あの作家先生に襲われた若い担当…どうやら三宅だったらしいんだ。
 パシリの三宅が襲われるのは妙だから…三宅の背景を調べてくれって言われたんでそいつもついでに調べてみた。 」

 滝川は報告書らしいファイルを取り出した。
差し出されたファイルを受け取って西沢はパラパラと紙を捲った。

 「実は…三宅の家にも神代文字の古文書らしきものが伝わっているんだ。
世の中に受け入れられないということが分かっているので、正式には何処にも発表していないから、ごく身近な人しかその存在を知らないらしいんだが…。

 内容は…聞いた話では…HISTORIANが送ってきた手紙に良く似ていて…太古の時代に滅びたはずの悪い芽が再び甦るといったような…子孫に宛てた一種の警告書みたいなものらしい。

 つまり…三宅の一族はHISTORIANと同じで来るべき未来の悪と戦うために選ばれた我国における救世の家門…というわけだ。 」

 なんという危ない警告書…能力者でもないのにどうやって戦うと言うのだろう。
巻き込まれた三宅が気の毒だな…。

 そんなことを思いながら次のページを捲った瞬間…西沢はぴたっと手を止めた。
思わず滝川の顔を見た。

 「そうなんだ…。 亮くんの母上は確かに普通の人で実家は知ってのとおり名家なんだけど…僕等能力者の家門と同じで、この家には少しばかり裏の顔がある。
代々鬼道のようなものを伝承しているらしいんだ。 」

 鬼道…そんな家系とどうして木之内が縁を結んだんだ?
もともと亮の母親が能力者ではなく普通の女性ということからして誰もが不思議に思っていたのだが、鬼道の家系と聞くとなおさら妙な気がする。
恋愛結婚ならともかく…と西沢は納得がいかないというように首を傾げた。

 「これも又聞きだが…裁きの一族は我々と同類の能力者だけでなく極稀に異質な力を持つ家系とも親交を結ぶことがあるらしいんだ。
勿論…よほどの信用が無ければ在りえない事なんだが…。

 この家もそのひとつで…亮くんの祖父にあたる人が有さんに惚れ込んで是非うちの娘を…と申し出たらしい。
 同族ではないし血の繋がりも無いが…名門ではあるし…ということで長老衆が木之内家との仲立ちをしたんだそうだ。 」

 道理で亮を家門の跡取りにできないわけだ…。
勿論…亮に家門を背負わせるのが可哀想だという気持ちもあるだろうが…束ねとしては…同族でもない一族に主流の血族を名乗らせるわけにはいかないからな…。 
苦労の絶えん人だなぁ親父も…と西沢は思った。



 木之内瑛子…それが母の名前だった。
静かな人という他にはこれと言って思い出せるような特徴は無い。
 まだ…作家の籍に入っていなかったから最後は倉橋瑛子…生まれた時の名前…。
亮にとってそれはまったく馴染みの無い他人の名前だった。

 小さい頃のことはあまり覚えていない。
母は稽古事や友人との付き合いに明け暮れていて…ほとんどベビーシッターと過ごしていたような気がする。

 小学校の時にはまだ木之内家の祖父の代から居る家政婦さんが家事を担当していて…その人が高齢で暇を取るまで母の作った料理はあまり食べたことが無かった。
 その人が辞めて間もなく母も出て行った。
だから…母の味の記憶は…中学の時からの月に何回かの作り置きの味。
   
 やっと戻ってきた自分の部屋で亮はそんなことをぼんやり考えていた。
倉橋の祖父には初めて会ったわけじゃないけど…最後に会ったのは10年ほど前だろうか…もう記憶もおぼろげで顔さえ分からなかった。

 とにかくこれで終わった…倉橋家とは特に付き合いがあるわけじゃないから…。
さようなら…母さん…。 これから先は良かったことだけ思い出してあげるよ…。
そんなもんあったかどうかもわかりゃしないけれど…。

 亮…と扉の向こうで躊躇いがちな小さな声がした。
ノエル…来てくれたんだ…。

 亮は扉を開けてノエルを部屋に迎え入れた。
残念だったね…大丈夫…?とノエルは訊ねた。

 「有難う…ごめんな…バイト任せっきりで…。 」

 そんなこと…いいけど…。 お父さん…もう仕事に行ったんだね…。
何か…可哀想だね…。 

それを聞いて亮は軽く笑った。

 「いいんだよノエル…その方が…痛みなんて思い出せないほど忙しい方がさ…。
こんなところでぼ~っとしてるよりずっとましさ…。 」

痛いの…亮…?
 
 「平気だって思ってたんだ…。 なんとも感じないってね…。
ずっとここに居なかったし…ほとんど会わなかったし…で…。
 だけどさ…会わないのと会えないのでは…こんなに違うもんなんだって思った。
僕を捨ててった人だけど…やっぱり僕にとっては母親だから…僕の方ではどこかで…捨て切れないもんがあるんだなって…悔しいけど…。 」

 亮の頬を涙が伝った。 ノエルがそっと亮を抱き寄せた。  
母が亡くなってから初めて亮は泣いた…自分でも信じられないくらい素直に…。



 「だからさ…早いやつはもう三年生から会社訪問を始めてんだぜ…。 」

 久々に谷川書店にやってきた元バイトの木戸が亮とノエルを前に就職活動について熱っぽく語った。
 本当は亮にお悔やみを言いに来たのだが、いつの間にか就職ガイダンスに変わっていた。
  
 「僕…無関係…。 卒業したら家の仕事…継ぐ事になってるから…。 」

 就職活動しなくていいんだ…とノエルが暢気そうに言った。
当てのあるやつはいいよなぁ…亮はどうすんの…?と木戸が訊ねた。

 「まだ全然決めてない…。 公務員系の試験を受けるつもりだけどね…。 」

 そっかぁ…お役人志望かぁ…。 それじゃ会社訪問どころじゃないなぁ…めちゃ勉強しなくちゃね…倍率高いから…。

 「問題集ならうちの店にいっぱい置いてあるから安心してね。 」

谷川店長がにこやかに言った。 そういう問題じゃないっしょ店長!

 思わず公務員試験を受けると言ってしまった亮だが実のところまだ迷っていた。
自分が何をしたいのかを…未だに見つけられなかったからだ。
 ノエルのように家の仕事を継ぐことが生まれながらに決まっていたり、西沢のように特別な才能があったりするわけでもなく、いま特に心惹かれるものがあるわけでもない。
 けれど進路を決めなきゃいけない時が刻々迫ってきている。
焦らないかと訊かれれば焦るけれど…まだ三年生ということでそれほど切迫した実感が湧かなかった。 

 ノエルは…と言えば別のことで迷っていた。
卒業したら家業を継ぐ…これは幼い時からずっと考えていたことだから、たとえ実家には帰らないとしても、その決意は変わらない。
後は居場所を決めるだけ…。 下宿…探そうかな…とずっと思っていた。
 
 いつかは出て行かなければならない…。
そのことを強く意識し始めたのは西沢が完全に回復して仕事を再開した頃だった。
 西沢の命の灯が尽きようとした時…ノエルは西沢に対してかつての自分では考えられないような感情を覚えた。
 初めて芽生えたその感情は決して受け入れては貰えないものだと分かっていた。
だから心に蓋をして口を閉ざした。
 
 まだ若い西沢がいつまでもひとりでいるわけがないし…追い出されるよりは自分から出て行った方がいい…。
 そうそういつまでもお邪魔虫で迷惑ばかりもかけていられないし…ね。  
卒業する頃が潮時かな…と秘かに覚悟を決めていた。
 
 それがまさか…こんなことになるなんて…。

 これが他の男の申し出なら…馬鹿言ってんじゃねぇぞ…のひと言で片付けられる…。 下手したら蹴りでもかましているかもしれない…。

 けど…紫苑さんなんだよね…。
すぐにでも心の蓋を引っぺがしたいのはやまやまなんだけど…。

 紫苑さんは…普通の女の人と結婚するべきなんだよ…。
だって…僕…紫苑さんのために…何にもして上げられない…。
 何もかも紫苑さんに任せっきりでおんぶに抱っこになるの目に見えてるもん…。
やっぱり…だめだよ…無理に決まってる…。

 分かりきっているのに…何度も繰り返し考えてしまう。
即答できないのは捨てきれない想いがあるから…。


  
 マンションの正面玄関のところで亮と別れて、ノエルは溜息を吐きながら部屋の前まで戻って来た。
 お休み…の声とともに玄関の扉が開いて西沢と輝の軽くキスする様子が見えた。
いつもの光景なのに今夜はちょっと胸が痛かった。

 「あら…ノエル…お帰りなさい。 夜食作ってあるから食べてね。 」

 輝がいつもどおりの笑顔でそう声をかけた。
有難う…とノエルも軽く微笑んだ。
じゃあね…と手を振りながら輝は帰って行った。
 
 いつもどおりに玄関の鍵をかけた。
姿の見えない西沢には声をかけず…風呂場に飛び込んだ。
 シャワーを浴びながらわけも無く溢れてくる涙を洗い流した。
いつものこと…僕が望んだこと…。

 夜食には手をつけず…寝室に引っ込んで籐のソファに蹲った。
しばらくすると仕事部屋に居た西沢が様子を見に来た。
 ノエルが黙ったまま寝室に向かったので、体調が悪くなったのではないかと心配したようだ。

 「ノエル…痛むのか? 」

 ノエルは首を横に振った。
西沢は膝をついていつものように御腹に触れた。

 「大丈夫だ…。 」

ほっとしたように西沢は笑顔を見せた。
 
 「嘘つき…僕…こどもなんか産めない! 紫苑さんの奥さんなんかになれない!
嘘つき! 」

 思い掛けない言葉がノエルの口から飛んで出た。
ノエル自身が驚いた。

 「ノエル…。 僕は本気だよ…。 」

 戸惑ったように西沢は言った。
急に機嫌の悪くなったノエルを見て困惑しているようでもある。

 「嘘! 僕のこと…子供としか見てないくせに。
僕…輝さんみたいに紫苑さんとまともにキスしたことも愛し合ったこともない…。
それで求婚なんて…在りえない! 」

馬鹿…ノエル…何言ってんだ…とノエルは自分を叱ったがもう止まらなかった。

 「僕の気持ち知っててからかったんだ! 輝さんも先生もみんなで…!
そうじゃなきゃ僕を選ぶわけがない! こんな…こんな身体の…僕なんか! 」

 ノエル…ノエル…西沢は穏やかに声をかけながらそっとノエルを抱きしめた。
ノエルが暴れてもしっかりと抱きとめて放さなかった。

 「ノエル…ごめんな…。 簡単に触れたくなかったんだ…。 僕の大切なノエルの身体だもの…大事にしたかったんだよ。
 ノエルが決心するまで…ノエルのご両親にお願いするまで…ひとつになるのは待とうって決めてたんだ…。
 でも…キスぐらいはしてもよかったよね…。
ごめん…。 僕には…そういう何というか…抜けたところがあって…。 」
 
 今時…信じられないよ…紫苑さん…。
輝さんとは平気なくせに…。

 ノエルは天を仰いだ。
もう何を言う気も暴れる気も失せた。
 ふいに…西沢の唇がノエルの頤から首筋を捉えた。
初めて…西沢が自分からノエルの中の女性に触れようとした瞬間だった…。
ノエルが西沢の首に腕をまわすと…西沢はそっとキスしてくれた。
 
 「ノエル…きみの答えを待ってる…。 居候でも友だちでも何でもいいけど…。
出来れば…僕をパートナーにしてもいいって…そういう答えだと嬉しいな…。 」

 そう言って西沢はノエルの胸に顔を埋めた。
埋まるほどの胸は無かったけど…。






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続・現世太極伝(第二十一話 きみにあげる…。)

2006-06-13 23:25:14 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 溜息ばかり吐いている西沢を新聞の端から眺めながら、どうしようもないな…と半ば呆れたように首を振った。
 時には周りがぶっ飛ぶほど強引で大胆なことも仕出かす代わりに、石橋を叩くどころか解体用鉄球でどつきかねないほど慎重になるようなところが西沢にはある。
そんなもんでどつかれたら逆に壊れるわけで…過ぎたるはなんとやら…。
 
 今回のことだって本音を言えば…最初は滝川の方がぶっ飛びそうだった。
ノエルのことを専門の心療医に相談したいのはやまやまだが…他人の子供を勝手にその手の医療機関に連れては行けない。
 ノエル本人が行くと言えば問題は無いが…他人に身体のことを知られたくないノエルは絶対にOKしないだろう。

 そんなこんなで考え出したのが結婚!
ずっと居ていいよ…と言ったところでノエルは不安がるに決まっている。
 だったらその証に結婚しちゃおう…。
そうすればノエルは家族なんだから誰に遠慮する必要も無くなる。
 ここがノエルの居るべき場所だ。
いつかノエルに好きな女性が出来て…自分から出て行くまで…。

 「おまえが落ち込んでどうすんだよ…? 
ノエルの卒業まで待つなんて硬いこと言ってないでさっさと結婚しちゃえよ。
 どの道…戸籍はどうにもならないんだから仲間内で披露パーティでもしてさ…。
そうすりゃ…ノエルの立場は同族の中では保障される。 」

 それはそうなんだけどね…肝心のノエルがまだ…うんともすんとも…。
西沢はまた溜息をついた。

 「おまえの傍に自分の居場所が確保されることで少しはノエルの気持ちが安定するかもしれない。
 誰も女扱いなんかしないからノエルは今までどおりのびのびと男で居られる。
結婚なんて単にノエルに居場所を保障してやるための方便に過ぎないんだから…。
ノエルが気兼ねなくこの部屋に居られるようにすればいいだけのことで…。 」

 方便か…まあ…言ってしまえばな…。
少し寂しそうに西沢は笑った。

 「何とか16歳の自分から脱け出して…大人の男として好きな女性と一緒に暮らしたいという気持ちが出てくれば…しめたものだ。
 そうしたら…おまえの手元から放ってやればいい…。
次の居場所はその女性との新しい家庭…。
 いつかはおまえのもとから巣立たせる…酷い選択だとは思うが…おまえが決めたことだからな…。 」

 滝川が厳しい口調で言った。 
分かってるさ…と西沢は答えた。

 「それじゃあ…動け…。 とにかく自傷行為だけでも止めさせないと…。 」

 西沢の表情が曇った。
悠長に二年も三年も待ってる場合じゃないぞ…。

 「分かった…。
だけど…これはあくまで僕の考えに過ぎないから…現実に上手くことが運んでくれるとは限らないぜ…。 」

 考えねぇ…ふふん…よく言うよ…心底…ノエルが可愛いくせによ…。
輝じゃねぇけど…妬けるよ…。
滝川はそう言って笑った。



 
 あちぃ~…マジあちぃ…。 
玄関からエアコンの前へ飛んできたふたりに、キッチンで素麺を湯がいていた西沢がテレビつけてよ…ニュース聞きたいから…と頼んだ。

 亮がすぐにテレビのリモコンを取ったはずなのに一向にニュースが始まらない。茹で上げた麺を水にさらしてざるにあげてから、怪訝そうに居間を覗くと、亮は真剣な顔をして画面を見つめていた。 

 どうやらワイドショーか何かで…有名人の家庭を訪問してその人の半生と日常を紹介するコーナーを見ているらしいのだが…。
テレビに向かって何やらぶつぶつ言っていた。

『去年…妻のね…もとのご主人との息子さんが二十歳になったんで…私等も正式に入籍することにしたんですよ…。 八年ほど…待ちましたが…ようやくね…。』

 待ってくれなんて言ってないし…。

『まあ…妻も月に一度はあちらへ通って…会ってはいたみたいですけど…。』

 会ってねぇよ…来てねぇし…。 離婚の時以外顔も合わせてねぇって…。

『妻にとっては可愛いひとり息子ですからねぇ…。 』

 どこがだよ…ポイ捨てにしといて…。
 
 画面にはわりと有名な作家と上品そうな笑顔の妻が映し出された。
唇噛み締めながら亮はじっとその画面を見据えた。

 亮の母親は能力者ではないが名門の出で、如何にもお嬢さまというタイプの女性だったというから、昔は名家だったとは言え…すでに凋落した木之内家で、帰って来ない有を待ち続けるだけの生活に嫌気がさしたに違いない。

 ま…あの親父とこの人は根本的に合わんわな…。
今が幸せそうで良かったじゃん…。
亮はそう呟きながらチャンネルを変えた。

 「バリバリ自分が働くタイプの女性じゃなけりゃ…親父の奥さんは務まんない。
絵里さんと結婚していたって…結果は同じだったかもしれない…。
その場合は…僕は誕生してなかっただろうけど…。 」

 そう言って亮は鼻先でふふんと笑った。
亮の場合…家にも帰れなかったノエルと違って金と居場所だけは保障されていた。
周りに誰も居なかっただけで…。
 
 中学に入学した頃から、喰うも寝るもひとりきり…。
雑貨やゲームを買い集めて自分の部屋をいっぱいにすることで、満たされない心を癒してきた。
 最近になって…ずっとネグレクトしていた父親…が本当は亮を家門から解放するためにいろいろ考えてくれていたことを知った。
このところぎごちないながらも父親とはお互いに歩み寄りを見せている。 

 「あ…別に紫苑のせいなんかじゃないからね。
親父とお袋は相性が悪かったんだよ。 あの親父がお嬢さまの面倒なんて看きれやしないって…。 」

 背後で哀しそうに自分を見ている西沢に亮は笑いながら声をかけた。
西沢は僅かに笑みを浮かべて頷いた。

 

 そのニュースが全国を駆け巡ったのは亮がテレビで自分の母親を見てから間もなくのことだった。
『作家の妻…謎の事故死!』などと見出しのついた写真つきの記事がでかでかと新聞や雑誌に掲載された。  

 原稿を受け取りに来た担当者が新人の担当者を紹介したところ、それまでいつもと変わりなかった作家の様子が急におかしくなり新人に掴みかかった。
 丁度お茶を運んできた妻が止めようと作家にしがみついたところ、作家が激しく抵抗したため突き飛ばされて転倒…病院に運ばれたが間もなく死亡…。
やがて意識を取り戻した作家は自分が暴れたことをまったく覚えていなかった。

 同席したいつもの担当者は、作家と新人の担当者の間には何の面識も無く、新人も作家には礼儀正しく接しており、失礼な態度に出たわけでもなく、なぜこんなことになったのか、さっぱりわけが分からないと言っている。

 そんな内容の記事だった。
夫である作家が警察に引っ張られてしまったので、妻の葬儀は妻の実家が執り行うことになった。

 亮のもとに母親の実家から連絡が届いたのは病院に運ばれてすぐのことだった。
亮と有は臨終には間に合わなかったが遺体には対面することが出来た。
 母を失って…悲しいと言うよりは現実味の無い不思議な感覚だった。
居ないのが当たり前のような気もして…。

 亮にとって祖父にあたる人が…木之内で大人しく暮らしておればむざむざ死なずに済んだものを…と嘆いていた。
 外聞を気にする実家の一族は、亮の母親が木之内家を出て浮気相手の作家のもとへ走ったことを快く思っていなかった。

 有との結婚は親同士が決めたものだから、祖父としては木之内有という男を十分吟味して選んでいる。
 その上で結婚させたのに勝手に離婚…娘に裏切られたという気持ちが大きく、実の娘でありながら亮の母親とはほぼ絶縁状態だった。
母さんも…結局…孤独だったんだ…と亮は思った。

 菩提寺で通夜と葬儀を執り行うことになったが作家の家族は姿をみせなかった。
代わりに亮の母親に助けられたという出版社の新人社員が通夜の席に来ていたが、亮はその顔に見覚えがあった。

 三宅…? 一度しか見てないけど…確かに三宅だ…。
新人社員も亮に気付いたようで驚いたような眼を向けた。

 襲われたのは三宅だったのか…。
じゃあ…あの作家は…潜在記憶保持者で…三宅をHISTORIANの一員と認識したんだ。
 けど…紫苑の話じゃ三宅はただのパシリだったはずで…襲われるほど深入りしてたわけじゃないのに…なぜだろう…?

 そこまで考えて急に我に返った。
母親の通夜だというのにそのことよりも他の事に気が行ってしまう。
いままでの母子の関係の希薄さを物語っているようで、なんとも切なかった。
 


 通夜だの葬式だの後始末だので出て来られない亮の代わりにフルでバイトをこなしているノエルが、欠伸しながら谷川書店から戻って来た。

 明かりが消えているのを見て、西沢が朝からずっと仕事部屋に籠もっていることに気付いた。
 キッチンを見たところ食事をした様子が無い。
またか…とノエルは思った。
紫苑さん…夢中になると後先考えないからな…。

 ノエルは食パンを取り出して簡単なサンドウィッチを作った。
お手軽ぅ~僕でもできる~♪
アイスティーをコップに満たして出来上がり…。

 紫苑さん…ただいま…入るよ…と声をかけて扉を開けた。
仕事部屋の隅においてある小さなテーブルの上にふたり分の夜食の乗ったお盆をおいて、ノエルは何気なく西沢の方に眼を向けた。

 目の前に海が広がった。
何処までも碧い世界の中に聳え立つ岸壁…。 天より射し…ゆらめく光の糸…。
 不思議な光景に魂が惹き込まれそう…いま僕はそこに居る。
全身に水の揺らぎを感じる…。 静寂の中の生命の音…。

西沢の描く独特の世界にノエルはしばし酔いしれた。

ノエル…。

不意に西沢が声をかけたので…ノエルはやっと現実に戻った。

 「あ…夜食…。 」

 西沢が微笑んだ。
有難う…そう言えば昼も夜も抜いちゃったなぁ…。

 イラストを向こう向きにして、西沢はこちらへとやってきた。
間違ってもイラストが汚れることのないようにテーブルと仕事場の間に衝立を立てた。
 いつもはあまり気を使わない西沢だが、手元に置いておきたいほどの作品となるとやはり神経を使う。

 最もひとりの時はここで飲み食いをするような愚行はしない。
ノエルや亮が持ってきてくれるのを断れないだけで…。

 ノエルがじっと見つめる中…西沢は1個目のサンドウィッチに手を出した。
思わず顔がほころんだ。

 「どこか…変? 」

 ノエルも慌てて食べてみた。 ちょっと薄味かな…?
マヨネーズ持ってくるね…。

 「いいよ…美味しいよ…。 」

 そう言って西沢は本当に美味そうにサンドウィッチを頬張った。
ノエルは嬉しそうに笑った。

 ずっとこのまま僕の傍に居てくれたらいいのになぁ…。
その笑顔に見とれながら…西沢は心秘かに思った…。

 でもそれは望めないこと…望んではいけないこと…。
いつかはここを離れて…愛する女性のもとへ巣立つことができるように…。
 本物の温かい家庭を手にすることができるように…。
それがノエルの幸せ…それがきっと正しい選択…。

 その日が来るまではずっと…僕の心をきみにあげるよ…。
止まった時が再び動き出すように…僕がきみを包んで行く…。

 今は僕がきみを必要としている…きみの居場所は僕の心。
だから…ノエル…傷付けないで…きみの身体を…きみの心を…。





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