徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

続・現世太極伝(第百三十五話 終止符)

2008-04-17 23:52:23 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 マンションの前の通りを顔見知りの子供たちが挨拶しながら通り過ぎるのを、管理人の花蓮さんは箒を片手に眼を細めながら見つめていた。
新婚の英武夫妻に部屋を譲って、西沢たちがマンションを出てから三年ほどにもなろうか…。
今…最後に通り過ぎたのは…末っ子の慧勠(エリク)…引っ越した翌年辺りに生まれた子供だ…。

 四番目の子供…花蓮さんは秘かに想像する…。
まぁ…誰が誰の親で誰の子か…なんてのは…どうでもいいんだけどさ…。
顔立ちはまぁ…西沢さんよりは多少日本人っぽいけど…アランくんとクルトくんは西沢さんの子に違いないのよね…。
あとのふたりについては…謎だわよ…本当のところ…。

 動物の絵のついたビスケットの徳用箱を両手で抱えて…兄たちの後を懸命に追っていく…。
慧勠のお気に入りのチョコレート入りのビスケット…いつもの小さな箱じゃなくて…今日は特大のを買ってもらって御満悦…。

 けれど…慧勠の小さな身体にその菓子箱は大き過ぎて…足元が全然見えない…。
両手の塞がった体勢はかなり不安定…。
花蓮さんがあっと思った時には歩道の上に転げていた…。

 先を行っていた吾蘭が慌てて駆け戻り、慧勠が泣き出す前にそっと立ち上がらせた…。
来人が転がっていた菓子箱を拾い上げ、絢人が慧勠の服についた汚れを掃ってやっている…。
怪我は…ないようだ…。

「ちょっとへこんじゃった…。 」

来人が吾蘭に箱を見せた。
目の前に潰れた箱…慧勠が悲しそうな顔をして吾蘭を見上げる…。

「大丈夫だよ…エリク…。 中身は潰れてない…。
もし潰れたのがあったら…アランが食べるからいいよ…。
エリクには潰れてないのをあげるからね…。 」

吾蘭がそう言って慰めると慧勠は嬉しそうに頷いた…。

 成り行きを見守っていた花蓮さんは…う~ん…と唸った…。
アランくん…ってばホントに良くできた子だわねぇ…。
自分だってまだ小さいのに…感心感心…。
子供たちの後ろから買い物袋をぶら提げて、のんびり歩いてくる西沢に、そんな褒め言葉をかけた。
西沢はただ黙って微笑んだ…。



 吾蘭と来人に内在する危険な潜在記憶…良好な兄弟関係を崩壊へと導く懼れのある人為的な遺伝子プログラム…。
その扱いについては、庭田の天爵さまの中に居るばばさまの魂の勧めに従い、不要な記憶を消去してしまうことに決めてあったが、まだ幼い子供の成長にどう影響するかも分からないという懸念から、ずっと保留されたままになっていた。

 今のところ、ふたりの関係は頗る良好で、対立の気配すらない。
あの忌まわしい潜在記憶を持っているからといって誰もが発症するわけではないから…運が良ければ…このまま何事も起こらないで済むかもしれない…。
そうはいっても発症の可能性がある以上は、いつまでも放っておくわけにもいかないので、御伽さまの立会いのもとに、より攻撃性が高いと思われる来人の潜在記憶を先に消してしまうことになった…。

 来人の場合は単純に不要な潜在記憶を消してしまえばいいことだが、問題は今回再び保留となった吾蘭の方…。
吾蘭の記憶は王弟の記憶、庭田家当主代々に引き継がれる天爵ばばさまの魂と同じく、わけありで存在しているものだ。
消してしまうことが果たして…正しい…のかどうか…。
前例のないことだけに、さすがの西沢も採るべき道を決めかねていた…。

「頑丈な杖さえあれば…いつ転ぶか…など案ずるには及ばない…というのが宗主の御考えです…。
アランの方は…しばらく放っておいても大事ないでしょう…。
発症したらした時の話…。
その対処方法を見つけたのは…あなた自身ではありませんか…。 」

お伽さまは…そう言って涼やかに笑った…。
 
「クルトの潜在記憶は消してしまったのですから…今後はアランの状態さえしっかり把握しておけばいいのです…。
兆しが見えた時点で…すぐに手を打てば…何の問題もありますまい…。
何かあったとしても…エリクが居ますから…それほど大事には至らないでしょう…。 」



 ただいまぁ…という子供たちの声に応えるように…奥の方から…お帰り…という声がする…。
絢人と慧勠の眼が嬉しそうに輝いた…。

パパたん…!

喜び勇んで声のする方へ駆け出していく…。
滝川が居るはずのキッチンに向かって…。

こえ…リクが持ってちた…。
ちゅぶれたやちゅ…アヤンが…あびてくえゆって…。

慧勠が懸命にさっきの出来事を話そうとする…。
聞いている方には何のことだか…よくは分からないが…それでも滝川は笑顔で頷き…それに耳を傾ける…。

 テーブルの上に所狭しと置かれた鍋やボール…。
その向うで滝川が手際よく料理の下拵えをしている…。

「これで多分…不足はないと思うけど…後は適当にってことで…。 」

テーブルの僅かに残った隙間に、西沢は買ってきたばかりの食材を置いた…。

「いいさ…ひとつふたつなくったって…どうってことはない…。
けど…うちが用意する料理…こんなんでいいのか…? 」

下拵え中のローストビーフ…アンチョビーのパスタ…サーモンのマリネ…季節野菜のサラダ…等々…。

「あと…きのこのシチュー…だろ…。
それに…オムライス…面倒だから卵焼いてのせとくだけにしよう…。
…なんか皿数…少なくねぇ…? 」

西沢の催すイベントに有りがちな飛び入りを考えると…来客数は参加予定数をはるかに超えそうだ…。

「いいんじゃないかぁ…?
紅村先生と田辺先生がいつもより多めに料理を作ってきてくれると言ってたし…。
今日…怜雄んちのママがケーキを焼いてくれたから…それも大丈夫…。
倫さんが箱寿司作ってくれるし…千春ちゃんと英武もフライドチキンとポテトを揚げてくるって…。

桂先生と仲根からは…ピザを焼くばかりに仕込んであるから…朝イチにこっちへ来て焼くつもりだって連絡あったぞ…。
酒と果物はノエルと輝が買ってくるし…それだけありゃぁ…十分じゃねぇ…?

それに…あいつが…さ…エスニック料理を届けてくれるそうだ…。 」

西沢が意味有り気にニヤッと笑った…。

あ~ぁ…あいつね…。

半ば呆れたように言いながら…滝川も笑みを浮かべた…。



 ノエルのお気に入りの籐のソファに腰を下ろして…西沢はぼんやり…外の月明かりを眺めている…。
英武たちが使うというので…家具はそのままマンションに置いて出てきたが…このソファとスミレに貰った特大のビーズクッションだけは…新居まで持ってきた…。
ビーズクッションは子供たちの玩具になってしまったが…ノエルは今でも時々…このソファに座っている…。

 大盛況だった今日のパーティ…実は仲根と桂のために西沢が秘かに企画したサプライズ…あれやこれや事情があって挙式を端折ってしまったふたりへのささやかなプレゼント…。
西沢の呼びかけに応えた仲間たちの愛情こもった手作りパーティ…趣旨を聞かされたふたりはともに感極まって涙していた…。

 その時間帯だけは他の支部から応援を頼んで…上司も同僚の御使者たちもみんな顔を揃えていた…。
勿論…西沢は応援部隊にも御裾分けの御馳走を届けさせている…。

幸せそうで…よかった…。

仲根と桂の嬉しそうな顔を思い浮かべながら…西沢はふうっと溜息をついた…。

 慧勠を産んだ後のノエルは完全に女性としての機能を失い…最早…西沢との夫婦生活は成り立たなくなってしまった…。
お互いの間に子供が居ることは紛れもない事実だから…父であり母であることには変わりはないけれど…夫と妻…という関係の継続は到底無理…。

 この頃では…西沢の傍に居る時間より輝と過ごす時間の方が確実に長い…。
ノエルは生まれた時のノエルに戻り…もう何の躊躇いも戸惑いもなく男として生活している…。
時々は思い出したように…甘えに来るけれど…。

僕の役目は…終わったってことさ…。

諦めとも自嘲ともつかない笑みが西沢の唇に浮かんだ…。
 
最初から…分かってたことだろ…。
智哉さんとも約束したじゃないか…。
ノエルにその時が来たら…笑って背中押してやるって…。

それがたまたま…僕の元恋人…輝だったってことだよ…。 
良かったじゃない…知らない女じゃなくて…。
おかげで僕等はずっと…ひとつ屋根の下に暮らせるんだ…。
一緒に子供を育てていける…。
幸せだと思わなきゃ…。

もう一度ふうっと溜息をついて…西沢はソファから立ち上がった…。



 子供たちの寝顔を確認してから…ノエルはそっと輝の部屋に戻った…。
ここのところ週のほとんどは輝の傍で夜を過ごす…。
西沢の傍に居たくないわけじゃないけれど…今でも胸が痛くなるほど好きだけれど…ノエルはそれほど意識しないまま輝を選んでしまう…。

不思議だよね…。

 輝の温かい肌に触れて…西沢とは確かに違う柔らかさを感じる…。
西沢に対しては湧いてこない衝動的な欲求が身体の奥で渦巻く…。
絢人を産んでくれた輝をそれなりに愛しいとは思うけれど…西沢への想いとは比べられない…。
それなのに…なぜ…?

「なぜ…って…そうねぇ…。
ノエルはやっぱり…本質的には男だから…ね…。
子供を産む機能が働いている間は抑えられていたものが…ここに来て再始動を始めたんじゃないの…。 」

仲は良いけど…お互い…特に恋愛感情があるわけではないから…輝も冷めたものだ…。

「まぁ…身体と心は別物…ってことね…。 」

そう言って輝は可笑しそうに笑う…。

紫苑さん…僕のこと怒ってるかなぁ…。
さんざん甘えておきながら…傍に居るって約束しておきながら…。 

 成り立たなくなった結婚生活…。
何も言わないけれど西沢は…気持ちの上で…すでにピリオドを打っているのかも知れない…。
それも仕方がないけれど…なんだか無性に寂しい気もするし…悲しい…。
決して…別れたいわけじゃないんだから…。

我儘だよね…僕…すごく自分勝手だ…。
紫苑さん…傷つけちゃったかなぁ…。
裏切り者だと思うだろうか…?

「大丈夫よ…紫苑はそんなふうに悪くは取らないわ…。
それに紫苑は…最初から覚悟の上であなたと一緒になったんだから…。
これは当然の結果よ…。 」

 そう言われても…心は晴れない…。
西沢にひどく申しわけないことをしているようで…。
もう一度…西沢の本心を訊いてみたいけれど…そしてこれからのことを話し合いたいけれど…それをする勇気が…今のノエルには湧いてこなかった…。

何か言えば…すべてが壊れてしまいそうに…思えた…。








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続・現世太極伝(第百三十四話 愛しい声 )

2008-02-26 18:18:48 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 穏やかな陽射しに照らされた霊園のありとあらゆるところから…溢れるような芳香が漂ってくる…。
何れも名のある家の幾つもの墓石の集まるところから…少し離れて開けたところに厳しく聳える霊廟…。
その前には絶えることなく…彩り豊かに馨しい花々が供えられ…辺りはあたかも…花園のよう…。

今…そこに新しく豪華な薔薇の花束が手向けられた…。

悪いな…麗香…こんな時にしか会いに来なくて…。
何だか急に…きみの意見を訊いてみたくなったんだ…。
きみなら…どうするかな…って…ね。

太極の話を聞かせれば…恭介はその指示に従うだろう…。
けれど…それは…生まれてくる子供に恭介と同じ犠牲を期待してのことになる…。
そんな動機で子供を誕生させるのは…良いことだとは思えないんだ…。

暴走という事態に陥った時…もし恭介という制御装置がなければ…僕には…僕自身の手で命を絶つしか…選ぶべき道がない…。
そうでもしなければ…この世のすべてを滅ぼして黄泉への道連れにしてしまうだろう…。
あいつが僕の中に居ると分かるまでは…そんなこと考えもしなかった…。
不安は尽きないけど…それでも僕の力だけなら…相庭や木之内の父…宗主の力で何とか抑えてもらえるはずだったから…。

すでに一度は死んだ身だもの…自分の身の処し方については覚悟決めてるけど…もしも…あっさり死ぬことができなかったら…どうなるんだろう…?
暴走する力が…この世にどんな悲惨な事態を齎すかを考えると…それが怖い…。
底なしの恐怖だ…。

太極の話を聞くまでは…それは僕ひとりが耐えていけば済むことだと思っていた…。
あいつが僕の子孫に代々引き継がれていくことは知っていた…。
でも…暴走の危険があるのは僕だけ…僕の心が病んでいるからだ…と考えていたんだ…。

ところがどう…アランまで…。
ううん…アランだけじゃない…。
この先…ずっとその恐怖がついてまわるんだ…。

父親としては…何としてもアランを護りたい気持ちはある…。
僕が生きている間は…申し訳ないが恭介に縋ってでも僕自身の恐怖を抑え込んで…何とか護ってやれるかもしれない…。
けれども…僕は何れ…アランよりは先に逝くだろう…。

僕がこの世から消えた後…クルトはアランを支えてくれるだろうが…クルトの力だけではおそらく…暴走するアランを抑えることはできない…。
運良く僕の方が長生きして…アランを護りきれたとしても…その次の代まではどうしようもない…。

太極は恭介に子供を作らせ…恭介の後を引き継がせようと考えているらしい…。
相性が合えば…代々…そんな役目を負わせるつもりのようだ…。

母胎に入る前からそんなことを期待されて…その子が幸せと言えるだろうか…?
確かにその子は望まれて生まれてくるのだけれど…生まれてきた意味もちゃんと存在するのだけれど…だからって…要らない子だった僕よりも…その子の方が幸せだとは思えない…。

勿論…何事もなければ…僕もアランもその子も平穏なまま幸せに過ごせるのかもしれない…。
それでも…もし…事が起これば…否応無しにその子の人生をも巻き込んでしまう…。
恭介のように…。

アランにとって必要不可欠な…その子の誕生を拒絶するなんて…僕は親として失格か…?
もしもの時は自らの手で死ね…と…アランに…そう告げているようなものだ…。
酷い親だな…。

麗香…きみならどうする…?
僕の選択は…間違ってるかい…?

 何をどれほど訊ねても…答えなど…あるはずはなかった…。
それでも西沢は耳を澄まし…麗香の声を待った…。
霊園の静寂の中で…聴こえるのはただ…鳥の声…水の音…木々戦ぐ音…。

ひとつ深呼吸して…西沢はふうっと溜息を吐く…。

答えは…自分で出せってか…。

切ない笑みが漏れた…。

「何があっても…どんな状態に陥っても…生きることを選ぶのが…あなたの真の道でしょ…紫苑ちゃん…。
あなたがまた…暴走するような事態が起こるのなら…当然…世の中は破滅に向かっているのよ…。
無駄よ…死んだって結果は変わりゃしないわ…。 」

背後からスミレの声がした…。

「間違わないでね…紫苑ちゃん…。
その子を必要としているのは…アラン…じゃない…。
この世界よ…。
誕生させるや否やの決定を下すのはあなたじゃなくて…滝川恭介…。

この世のすべての大元であるエナジーがそれを望んでいるのよ…。
あなたが…その子の人生を悲観することはないわ…。 」

麗香の墓前では相変わらずのオネエ…。
黙っていれば…十分過ぎるほど二枚目だというのに…。

「御墓に参ってくれて有り難うね…紫苑ちゃん…。
お姉ちゃま…きっと喜んでいるわ…。
ずっと紫苑ちゃんが好きだったんだもの…。 」

そう言って霊廟に向かって手を合わせた…。

「生きているだけで迷惑…母は僕にそう言ったんだ…。
ずっと否定し続けてきたんだけど…今となっては…そうかもしれないと…。 
僕は…いつ暴発するかも知れない爆弾のようなものだ…。 」

御馬鹿さんね…とスミレは笑った…。

「あなたは…私たちにとって大切な存在なのよ…。
あなたが居なかったら…誰が私たちを救えたというの…?
今頃…形も残ってなくてよ…。

それに…あなたがとんでもない御荷物を抱えちゃったのも…私たちを救った代償じゃないの…。
申しわけないと思いこそすれ…あなたの存在を迷惑だなんて考える能力者はひとりも居やぁしないわ…。

心配ないわよ~…。
滝川先生が居なくったって…私がちゃんと止めてあげるから…。
熱烈なキッス一発でね…。 」

あぁ…それは…確かに…効果があるかも…。

スミレのウィンクに笑顔を引きつらせながら…西沢は呟いた…。

全身…硬直しそうだし…。

「やぁねぇ…私はこれでも…美形で通ってるのよ…。
口を開かなきゃ…だけどね…。 」

スミレのカラカラと笑う声を聴いていると西沢の心も少しずつ晴れてくる…。

やっぱり…スミレちゃんは最高…。

庭田の霊廟に背を向けると…スミレは心持ち…真顔で西沢を見つめた…。
その表情は明らかに智明…。

「紫苑…生まれてくる子供がこちらの期待通りに成長するかどうか…なんて誰にも分かりゃしないんだぜ…。
こっちがそのつもりで作っても平気で裏切るのが子供って奴よ…。

 エナジーたちの思惑がどうあれ…その子の未来もなるようにしかならないさ…。
ひょっとしたら…別の誰かが…その役目を担うことになるかもしれん…。
多少なり抑制力を持つクルトがすでに居るってことは…その子を含めて…何人かで協力してアランの暴走を抑えろってことかも知れないし…。
どんな理由があるのかは…生まれてみないことには分からん…。

 何れにせよ…我々の世界で名のある家門に生まれた子供たちは…必ず何某かの務めを負っている…。
おまえや俺がそうだったように…。
重い役目を期待されて生まれてくるのは…その子に限ったことではないんだ…。

 それにな…。
滝川恭介は別に…おまえの犠牲になってるわけじゃないぞ…。
奴は奴のなすべき務めを果たしているだけだ…。
おまえを護ることで自分も救われてるのさ…。

 この世が崩壊するのを止めるなんて…いくらおまえでもひとりじゃできない…。
無理をすれば…おまえ自身が凶器になってしまう…。
そうならないように歯止めをかけるのが自分の務めだ…と…奴は考えている…。

 主力に何らかの不足があるのなら…補填できる誰かが補うのは当然のことだ…。
おまえの場合…それがたまたま…滝川恭介だっただけだ…。
今やすべての家門の能力者が…同じ目的を持つチームの一員なんだから…遠慮なんか必要ねぇんだ…。

お互いさま…なんだよ…。 」

智明が諭すように言った…。

「俺も一匹狼で…なかなか他人に頼れない性格だけど…これまで紫苑にはさんざん助けてもらったし…宗主やお伽さまにも力を貸して頂いた…。
けれども…俺は…有り難い…と心から感謝はしても…そのことでおまえや宗主方に対して引け目を感じたり…負い目に思ったりはしていない…。

 友人としてのおまえの個人的な親切はともかく…宗主やお伽さまが動かれたのは…庭田智明を天爵に立てて庭田を存続させることに意味…があるからだ…。
同情だけで親切にして頂いたわけではない…。 」

 それは…西沢にも分かっていた…。
智明を天爵に立てる意味…。
麗香の代理で各地の家門をまわり、連携組織の必要性を説いてまわった智明は、すべての家門の長にとって…庭田の顔…。
次代の連携組織を背負って立つ人物として…これ以上の存在は他にあるまい…。

「滝川恭介だって同じことだ…。
おまえを護る意味が…滝川の方にもあるから…そうするだけのこと…。
本人の思惑はどうあれ…。
それが周りにとっても…たまたま都合が良かったってことさ…。

御好意には甘えとけ…。 」

御好意…ねぇ…。
ただの御好意なら…悩みゃしねぇけど…。

西沢は苦笑した…。

智明もまた…スミレの笑顔に戻った…。

「あら…やだ…いつもと立場が逆転しちゃったわね~…。
泣き言聞いてもらうのは~私の方だったのにね~。

大丈夫よ~…紫苑ちゃん…頼りにしてて頂戴…。
私にだって滝川先生に負けないくらいの力はあるんだもの~…いざとなったら私の愛の力で何とでもしてあげるわよ~…あ~ははは~…。 」

スミレの明るい笑い声…。
それは背負い切れないほどの重荷を…ヨイショッと背負ってみせた強靭な精神力の賜物…。

いつだって…めいっぱい元気貰ってるよ…。
スミレちゃんの愛の力ってやつで…。

きみは庭田のトップに立ってから…また一段と強くなった…。
麗香がきみを選んだのは間違いじゃなかったな…。

どうしようもないことを…くよくよ考えても仕方がない…。
子供のことは…恭介とノエルの意思次第ってことだもの…。
黙って成り行きに任せよう…。

木々を渡る風の音…草原を巡る細流の音…。
西沢は今…確かにその両の耳で…麗香の答えを聞いた気がした…。








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続・現世太極伝(第百三十三話 恐怖の連鎖 )

2008-02-12 18:00:18 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 寝息を立てている子供たちの無邪気な寝顔を見つめながら、ノエルはほっと溜息をついた…。
実家を出た時にはすでに絢人と来人は半寝状態で、305号室に辿り着いた時には完全に熟睡していた…。

 熟睡した子供というのは見た目よりもずっしりと重みがある…。
眼を擦りながらも吾蘭がどうにか歩いてくれたので助かったが、そうでなければ、背負子に抱っこでふたりを運ばなければならないところ…。
いかに腕っ節の強いノエルでも…少々骨が折れる…。

「ノエル…。 」

半開きの扉の向うから顔をのぞかせて…輝が声をかけた…。
輝の好きな薔薇の紅茶の香りが漂ってくる…。
もう一度子供たちの顔を覗いてから…立ち上がって部屋を出た。

 居間のテーブルの上にティーカップがふたつ…ゆらゆらと湯気を立てている…。
香りが強過ぎて、ノエルはいまいちこの紅茶が好きになれないけど、西沢がそうであるように文句は言わない…。

輝が桜色の模様のついたティーカップを取り…紅茶をひと口含んで…ふうっと息を吐いた…。
見ず知らずの親戚ばかりが集まる宴会で、輝なりに気を使っていたのだろう…。
少しばかり疲れた顔をしている…。

「ごめんね…輝さん…。 騒がしい連中ばかりで…くたびれたでしょ…。
親父や御袋がどう話したか知らないけど…みんな輝さんのこと僕の嫁さんだと思ってるもんで…。 」

ノエルが申しわけなさそうに言った。

そのつもりで行ったんだから…構わないのよ…。
宴会での親族たちのあけっぴろげな様子を思い出して…輝はクスクス笑った…。

「えらく…年上の嫁さんだわね~…。 けど…面白かったわ…。
親族関係であんな気楽な宴会は初めてよ…。
ノエルの一族はみんな仲が良いのねぇ…。 」

感心したような輝の言葉に…ノエルの口元が綻んだ…。

「まあね…。 でも…さすがに…僕の身体のことは言えないらしい…。
紫苑さんのことも…だけど…。
だから…三人とも輝さんが産んだことになってるみたいだよ…。

僕だって…未だに信じられないもん…。
ふたりも子供…できちゃったなんてさ…。 」

不思議なノエル…。
輝にも…それは奇跡としか言いようがなかった…。

「ノエルの身体は…どう見たって…普通の男なのにねぇ…。
華奢な体格だけど力はあるし…ケントの父親なのは確かだし…。
神さまの悪戯ね…。 」

悪戯かぁ…。

唇への字に曲げて…ノエルは溜息をついた…。

あんまり…やって欲しくない悪戯だよなぁ…。

「まっ…いいけどね~…。
紫苑さんにはアランとクルトをプレゼントできたし…。
輝さんにケント産んでもらったから一応はお父さんでもあるし…ね…。

実はさぁ…。 
エナジーたちが…もうひとりだけ産める…って言ってたんだ…。
だから…先生にもプレゼントしてあげようと思ったんだけど…断わられちゃった…。 」

恭介に…?

輝は怪訝そうな顔をした…。

「輝さん…僕の子供を産むことで…子供の代で紫苑さんとの縁を繋いだでしょ…?
アランやクルトとケントは僕を通じて実の兄弟だもんね…。
分かってたんだぁ…そのくらい…。

できれば…先生にも…そうしてあげたいな…って…。
僕が先生の子供を産めば…先生と紫苑さんも子供の代で繋がるんだ…。 」

まったく…あなたって子は…妙なところに気が回るのね…。

呆れたように溜息をついた…。

「それにしても…産めるとか産めないとか…エナジーにとってはどうでも良いような些細なことを…どうしてわざわざ…?
何か意味があるのかしら…?
そこのところは…ちょっと考えてみた方が良さそうね…。

ノエルの思いつき…悪くないわ…。
恭介は根っから子供好きなの…。
ケントのことも可愛がってくれてるし…アランやクルトを育てるのだって…めいっぱい協力してるものね…。
自分の子が欲しくないはずはないと思うのよ…。

紫苑に遠慮してるだけよ…。 
一応…ノエルは紫苑の奥さんなんだから…。 」

あの紫苑が結婚相手に選んだだけでも驚きなのに…子供まで産んじゃうなんて…まさか…と思ったわよ…。
そりゃぁ小柄で美形だから…それなりの服を着てれば…女の子に見えないこともないけど…紫苑の好みといえば亡くなった麗香さんタイプ…。
紫苑にふられた私が言うのも妙だけど…かけ離れ過ぎて比べようもありゃしないわ…。

「ふふん…輝さんにとっては間違いなく男だもんね~…。
肝心の紫苑さんはどう見てるんだか…僕にも本当のところは分からない…。
先生の子供を産むなんて言ったら…さすがに…怒るかなぁ…? 」

あっけらかんと…とんでもないことを口にするノエルを…輝は呆れたようにまじまじと見つめた…。

変わってるというか…母親としての感覚や感情がかなり希薄なのね…。
産む産まない…も他人事みたいなものなんだわ…。

「やっぱり…おかしい…?
僕さぁ…御腹の中に赤ちゃんが居ると…感情も女っぽくなるみたいだけど…産んじゃったら…全然違うんだ…。
子供は可愛いんだけど…自分が母親だって意識が持てない…。
どっちかって言うと…父親…なんだよね…。 」

そのことについては…輝もかなり前から気付いていた…。
宗主の屋敷で一緒に暮らした折に…どう考えてもノエルの行動が子供を持つ母親のものとは思えなかったのだ…。

「仕方がないって言えば…仕方がないわよ…それは…。
ノエルは男として生まれて…男として育ったんだし…。
余分に女性の機能を持っているだけで…やっぱり…男なんだから…。 」

そうなんだよね~…。
知らずに済めば…済んじゃった話なのにさ~…。

「まぁ…どちらにせよ…紫苑に内緒ってわけにはいかないんだから…まずは紫苑に話をすることね…。
紫苑がOKすれば…恭介だってその気になるかもしれないし…。

もし…エナジーたちがそれを望んでいるなら…生まれてくるその子には何か重大な使命があるのかもしれないわ…。 」



 コポコポとフィルターを通して落ちる液体の音…。
鼻腔を擽る香ばしい香り…。
寝室の扉の向こうから…朝の気配がする…。

ぼんやりと薄目を開けて壁の時計を見る…。

何時だろう…?

針は滝川が目覚めるには十分過ぎる位置を指している…。

危ねぇ…寝過ごすとこだ…。

隣に眼を遣ると…西沢はまだ眠っている…。
あどけない少年の顔をして…。

ふふんっ…いくつになっても可愛いぜ…紫苑…。
小さな紫苑ちゃん…そのままだ…。

思わず顔がほころぶ…。

コーヒーは…ノエルだな…。

そう思った途端…吾蘭が弟たちを従えて飛び込んできた…。

「とうたん…! 先生…!
起きて…朝御飯だよ…! 」

この頃、かなりはっきりした言葉を話せるようになってきた吾蘭…赤ちゃんからは完全に脱皮したようだ…。

 吾蘭の声に西沢が反応する。
自分の手で育ててきただけあって…母親のごとく子供の声には敏感…。
身体の上に登ってきた吾蘭と来人をしっかりと捕まえた。
同時に絢人も滝川の腕の中に飛び込んで来る…。
捕まえられた子供たちの笑い声が部屋中に響き渡る…。

 テーブルの上には、焼き過ぎのトーストと熱々のコーヒー…。
未だに上手く作れない…ペチャンコの目玉焼き…。
インスタントの野菜スープに切り口の潰れたトマト…。
誰も文句は言わない…。
寝坊助のノエルが早起きして朝御飯を作れるようになっただけでも大進歩…。

 吾蘭が来人と絢人の小さなパンにジャムを塗ってやっているのを、西沢は楽しそうに見つめている…。
懸命に弟たちの世話をするようになったのは、大好きな父親に褒めて貰うのが嬉しいからだ…。
本家で子安さまに年下の者を可愛がるように躾けられたことも影響しているのだろう…。

「まったく…ろくなニュースがありゃしないぜ…。 」

コーヒーカップを片手に新聞を覗き込んでいた滝川がいつものようにぼやき始める…。

それはいいけど…と思いながらノエルは壁の時計を見上げた…。

「先生…遅刻するよ…。 出勤でしょ…? 」

おっと…いけねぇ…。

滝川は慌ててコーヒーを飲み干した。

「ノエル…多分…大丈夫とは思うけど…時々…仕事部屋の紫苑の様子を看てやってくれ…。
今日は定休日だろ…? 」

うん…とノエルは頷いた。

そうか…紫苑さん…調子悪いんだ…。
お養父さんとの旅が…あんまり楽しくなかったんだな…きっと…。

ノエルが心配そうな顔を向けると、西沢は別段、何処がどうという様子もなく微笑んだ。

「僕は大丈夫だよ…恭介…今日は頭の中もすっきりしてる…。
きっともう…記憶のパニックは治まったんだ…。
急ぎの仕事もあるし…いつまでも女々しいこと言ってられないよ…。
それにノエル…引越しの準備も始めなきゃね…。 」

最早…養父祥に宛がわれた新しい家への拘泥も捨てたのか…引越しという言葉を淡々と口にした…。

「紫苑…その前に僕と輝が祥さんと分譲交渉するから…少し待っててくれ…。
今月中には話をつける…。 」

祥の絶対的な支配と命令に対しては、抵抗力も弱く諦めの早い西沢が、性急にことを運ばないように、滝川は慌てて布石を打った。



 仕事部屋の窓から…薄いレースのカーテンを透して柔らかな光が射している…。
それはイラストボードに向かう西沢の背後からゆっくりと忍び寄り…次第に全身を包み込んでいく…。
昨日は気配だけを残して去ったのに…何かもの言いたげに…西沢の周りで揺れ動く…。

「おやおや…てっきり…恭介に乗り換えたのかと思ったのに…まだ…お見限りじゃなかったんですか…? 」

わざと皮肉なことを言ってみる…。
光がゆらゆらと揺らめくのが分かる…。
笑っている…のだ…。

『あの男にも少しは…言葉が通じると思ったのだが…。 
細かいものに話しかけるのは…やはり…難しいな…。 』

あなたから見れば…地球だって大きいとは言えないでしょうね…。
西沢も可笑しそうにふっと息を漏らした…。 

『まあ…良かろう…。 伝えることは伝えた…。 後はあの男次第…ということだ…。 』

恭介次第…?
思わず怪訝そうな眼を斜め上の方に向けた。
相手がそこに居るというわけでもなかったのだが…。

『我子よ…おまえが私の中に戻る時…化身の産んだ第一の実がおまえの後を引き継ぐだろう…。
我子がそうであるように…崩壊のエナジーを封印する者は…その力の暴走を防がなくてはならない…。
おまえにあの男の力が必要なように…第一の実にも抑えの力となる者が必要なのだ…。 」

アラン…にも…暴走の危険があるのか…?
僕が暴走するのは…幼少期にまともな訓練を受けられなかったことと…心的外傷で抑制力を失ったからだと思っていたのに…。

背筋を冷たいものが走った。
力の暴走を何より怖れる西沢にとって…それは言葉にならないほど衝撃的な事実だった…。

僕と同じ宿命を…アランが背負うことになる…。

全身から力が抜け…膝がガクガクと震え出すのを感じた…。

だめだ…そんなことは…させられない…。
護ってやらなきゃ…なんとしても…護ってやらなきゃ…。
こんな際限のない恐怖を…他の誰にも…ましてや…アランに背負わせてたまるものか…。

吾蘭の屈託のない笑顔が…凍えたように震える西沢の脳裏に浮かんで消えた…。 







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続・現世太極伝(第百三十二話 困った癖 )

2008-01-14 18:15:18 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 助けて…などという言葉が西沢の口から発せられるのを…滝川はこれまで一度も耳にしたことはなかった…。
おふざけや遊びで…ならともかく…まともなら西沢は他人に救いを求めるような性格ではない…。

「紫苑…ちょっと横になれ…。 顔色…良くないぞ…。 」

滝川がそう勧めると、それは何とか聴こえたのか、微かに頷き、ベッドの上に倒れこんだ…。

滝川はすぐに西沢の体調を調べた…。
取り立てて身体に異常は見当たらないが…酷く混乱しているようだ…。

「慌てなくていいよ…紫苑…。 焦らず…まずは…ゆっくり呼吸を整えよう…。
大丈夫…ちょっとパニックを起こしたんだよ…。 
多分…記憶がいち時に溢れ出して…自分の中で収拾がつかなくなっているんだ…。
落ち着けば…すぐに楽になるからな…。 」

枕辺に腰を下ろして…滝川は子供を宥める時のように優しく西沢の髪を撫でた…。

祥さんの前では…ずっと気を張ってたんだろうなぁ…。
真相が分かって気が抜けたか…。
とにかく…積年溜まっているものを吐き出させなきゃ…。

ぶつ切り状態の記憶が複雑に絡み合って…何処が頭で尻尾なのか…分からない…。
浮かんでは消え…見えては隠れ…それでも少しずつ形になってきた言葉を繋ぎ合せてみる…。

「…お気に入りの場所…だったんだ…。 」

ぼんやりと天井を見つめていた西沢が…不意に呟いた…。
西沢は…自分の中で断片化した記憶をデフラグしながら…ぽつりぽつりと語り始めた…。

「恭介の…昔の部屋…あのワンルーム…。
時々…泊めてもらったよな…。
恭介が破った…あの写真を撮った部屋…。

あそこに居る間は…誰も追っては来ない…。
痛い目にも遭わないし…切ない思いもしなくて済む…。
いつでも…安心して眠れた…。

少しだけ…期待してたんだ…。
このまま…ずっとこの部屋に居られたらいいなぁ…。
恭介の傍は温かい…。

でも…だめだった…。
僕のたったひとつの逃げ場所は…あっさり閉ざされてしまった…。
あの日…扉を開けたら…和ちゃんが居たんだ…。

恭介が幸せになるのは嬉しかったけど…ちょっとだけ悲しかった…。
僕の安らげる所は…もう何処にも無いんだ…。 」

 それは滝川にとっては…後悔の記憶だった…。
初恋の紫苑ちゃんが、年下の親友紫苑に変わってからも、家門の異なる滝川は西沢の苦境を知り得ないでいた…。
滝川の部屋で楽しそうに遊んでいく西沢を心から愛しく想うものの、距離を保つべく深入りは避けていた…。
そうしなければ…滝川の方が何処までも突き進んでしまいそうだったから…。

西沢のモデル仲間だった和と意気投合して、すぐに同棲を始めたのも、本をただせば西沢に変な奴だと思われないため…。
無論…和への愛情は…嘘偽りではないけれど…。

距離を置いたのは失敗だった…。
もっと早い段階で…気付くべきだったんだ…。
紫苑が助けを必要としていることに…。

「間の悪いことに…その晩…英武はすごく調子が悪くて…大暴れしたんだ…。
例の如く…僕は…抵抗できずにいた…。
いつもなら…致命傷に至らないくらいには防御するんだけど…うっかりしてあばらをやられた…。

ひどく痛んで…呼吸もままならなくて…英武が部屋を出て行った後も…起き上がれずにいた…。
痛みには慣れているはずだったんだけど…呼吸が乱れて…さすがに…自分では上手く治療できなかった…。

このまま…あの世行きなら…相庭にだけは知らせておかないと…。
仕事…キャンセルになったら…迷惑かけるし…。

ゴメン…と…ひと言…伝えるのがやっとだった…。

床に転がったまま…ぼんやり考えた…。
これでおさらばしたら…僕の生まれた意味は…何処にあるんだろう…。
まだ…何にもしてないのに…。

痛みは…どんどんひどくなってくるし…だんだんボーっとしてきた…。
このまま終わるのが…何だか…すごく惨めで…情けなくて…。

意味があろうがなかろうが…そう簡単に死んでたまるか…。
僕がこの先どうなっていくのか…ちゃんと見届けてやるんだ…。
何とか…しなきゃ…。

必死に…自助しようとした…。
痛みがさらに増してきて…息苦しくて…すぐにへたっちまった…。
あの時はまだ…僕も子供だったからなぁ…。

恭介…恭介なら…こんな怪我…すぐに治してくれるのに…。
そこから…意識がなくなった…。 」

滝川の心臓がギュッと痛んだ…。
身内の誰にも頼れない西沢が…届くはずもないと知りながら…心の中で滝川に救いを求めていたのだと思うと…思わず涙がこぼれた…。

 本気出せば…負けるはずのない紫苑…。
けれど…怜雄や英武には…無抵抗のまま…殴られても蹴られても抗う術を知らない…。
ふたりが発作を起こすのは…紫苑のせいだと思い込まされていたから…。

 始終…身体のあちこちに傷を残して…僕の部屋に来た…。
モデルのくせに…とブツブツ言う僕の治療を受けながら…友達と喧嘩したんだ…なんて笑ってた…。
あんな誤魔化しを見破れなかったなんて…。
紫苑は…あの頃まだ…高校出たか出ないか…くらいの齢だったのに…。

あのくらいの傷なら…消そうと思えば…自分で消せたはずなんだ…。
それでも誰かに…僕に…治してもらいたかったんだろう…。
そんな形でしか甘えられなかったんだ…。

「どのくらいそうしてたのか分からないけれど…急に温かくなって…呼吸も楽に出来るようになった…。
気がついたらベッドに寝かされていて…木之内の父が診てくれていた…。
相庭が急を察して…何もかも手配してくれたんだ…。

 何処かで…英武の泣き声がしていた…。
僕のことで養父から…かなり厳しく叱られたようだ…。
可哀想に…英武が悪いんじゃないのに…。
怜雄や英武がどれほど頼んでも治療を受けさせてくれない祖父のせいだ…。」

そう言った後で…西沢は少し戸惑ったような表情を浮かべた…。

いったい…何を言っているんだろう…?
言わなくていいことばかり口走って…。

「紫苑…いいんだよ…。 胸に痞えていること…みんな話してしまうんだ…。
言葉なんて選ばなくていい…。 思いつくままで構わない…。
そうすれば…気分がずっと良くなるから…。 」

滝川がそう促しても…西沢はそれ以上語ろうとはしなかった…。
代わりにそっと両手を差し伸べた…。

「ゲーム…しよう…恭介…。
それで全部忘れる…。 何もかも…忘れる…。 」

滝川の気を逸らそうとしている…。

僕の差し出す手には応えないくせに…こんな時には自分から手を伸ばす…。

「紫苑…分かってるだろう…?
溜まったものを吐き出してしまわなければ…治るものも治らないんだよ…。
けど…今すぐ全部…ってのは…無理だろうな…。 」

滝川は大きく溜息をついた…。
本当は人一倍寂しがりやの甘えっこなのに、そのことには誰も気付かない…。
能力者たちの英雄…強い西沢だけを…誰もが見ているから…。

「おまえが言ったように…英武と怜雄は完治したんだ…。
もう…ふたりから暴力を受けることもない…。
いつでも安心して眠れるよ…。
僕が間抜けだったばっかりに…ずいぶんと長いこと…助けてやれなかった…。
ゴメンな…。
何度も…おまえの期待を裏切ってしまった…。 」

西沢はちょっと眉を吊り上げて微笑むと…両手を下ろした…。

西沢の今現在の年齢がどうあれ…過去に失ってきたもの…与えられなかったもの…を少しでも取り戻させる…。
それが最良の方法だと滝川は信じた…。

それが何であるか…は…西沢の心の奥底に封印された幼い紫苑だけが知っている…。
大人になった今…西沢自身にもはっきり…これだ…とは…言い表わせないだろうけれど…。

 かつては相庭がすべてを背負い、いつ起こるとも知れない崩壊から幼い西沢を護っていた…。
相庭も誠心誠意だったには違いないが、どこかに御役目的な気持ちがあったことは否めない…。
西沢にとって無防備に甘えられる相手ではなかったのは…確かだ…。

「期待する方が間違いなんだ…。
同族でもない恭介に…甘えちゃいけなかった…。
分かってたんだ…。
ゴメン…変なこと言って…忘れてくれていいよ…。
もう…昔のことなんだし…。 」

自嘲するような笑みに…西沢の唇がゆがんだ…。

「今の僕は…裁きの一族の要人…一応…同族扱いだ…。
どれだけ甘えてくれたって構わないぜ…紫苑…。
大歓迎…。 」

いつもながらの滝川の答えに…西沢は声を上げて笑い出した…。

「甘えろったって…おまえ…僕をいくつだと思ってるの…?
いい齢をしたおじさん…二児の父親…もう…あの頃には戻れないんだ…。 」

そこまで言って…不意に…西沢の笑顔が翳った…。

「それに…恭介には…これまでだって十分…甘えさせてもらった…。
僕に力が無いばかりに…いつまでも付き合わせてしまって…申しわけないと…思ってる…。
これ以上…恭介の人生を犠牲にはできない…。
僕の為に…生涯を…棒に振るようなマネはさせられない…。 」

だから…と言いかけた西沢を…滝川は制した…。

「言ったろう…。 僕の幸せは僕が考える…。
ひとつしかない人生だ…僕の好きなようにさせてくれ…。

もし…また…おまえから離れるような馬鹿な過ちを繰り返したなら…僕はどれほど後悔したってしきれない…。
僕の生きる意味も存在の意味もなくなってしまうんだ…。
それがどういうことか…おまえが一番よく知ってるはずじゃないか…? 」

何度…話して聞かせても…西沢の中から消えない困った癖…。
他人に要らざる気を使い過ぎて…自らを孤独と不幸の中に追い込んでしまう…。
そのたびに幾度となく繰り返される説得…さすがの滝川も少し苛々した口調になる…。

その原因は未だに西沢を苛む実母の遺した言葉の呪縛…。

要らない子…。

まったく…とんでもない事を言い遺してくれたもんだ…。
あんたの言葉で…この齢になってまでも…紫苑がどれほど苦しんでいるか…見せてやりたいね…。

「紫苑…ずっと僕の心配をしてくれてたんだな…。
そんなに気を使うな…。
僕はとても幸せなんだ…。
紫苑の傍で…紫苑の為に生きられることが…嬉しいし…楽しい…。

 分かるだろう…?
僕には存在する意味があるんだよ…。
紫苑の中に居る…その化け物を封印し続けるためには…僕の力が必要なんだ…。

 それにな…何でもかんでもひとりで背負い込んで…黙って耐えていくことが男らしいなんて思い違いだぜ…。
それで世界が吹っ飛んだら…何にもならねぇ…。
弱音吐いたって…何かに縋りついたって…みっともねぇ姿曝してでも…護るべきものを護るのが真の強さだと…僕は思うぞ…。 」

何かに…縋りついてでも…?

西沢の問いかけるような眼が滝川に向けられた…。

「そうだ…。
この前の闘いだって…生きて生きて生き抜いて…人という存在…を護り抜いたじゃないか…。
 おまえはあの時の自分の姿を無様と笑ったが…おまえ以外の誰も…あの姿を笑うことはできない…。
生きることに真摯なあの姿こそが…エナジーの心を揺り動かし…人を滅びの危機から救ったんだから…。 」

そう…要らない子なんかじゃない…。
おまえにはちゃんと生きる意味があるんだよ…。
この世に存在する理由も…ね…。

さぁ…打ち砕け…紫苑…。
そんな呪縛の言葉なんか…。

おまえは幸せになるべきなんだ…。
背負い切れないほどの重荷に耐えながら…みんなを護ってきたんだから…。






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続・現世太極伝(第百三十一話 重要な鍵 )

2007-12-13 13:08:00 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 言葉は依然…分からない…。
それでも敵意のないことだけは…確かなようだ…。
穏やかな温かさと全身を弄られるようなくすぐったさ…決して不快ではないものの…なんだか奇妙な感じだ…。

『.。o○….。o○…。 』

だから…分かんねぇよ…。
頼むから…ノエルか紫苑の居る時に…来てくれよ…。

時折…軽い痛みを覚えるが…全身を揉み解されているような気分…悪くはない…。
気味が悪いのは…何かが身体を透りぬけていくような感触…。
苦痛と言えば苦痛なのに…慣れてくるとむしろ快感…。

『○o。.….。o○…。 』

意味を成さない音の羅列…に聴こえるそれが…何故か次第に…言葉…らしきものに思えてくる…。
不思議なことに…そう感じ始めると…何となくだが…相手の意思が伝わってくるような気がする…。

えっ…ちょっと…まさか…それはないって…。

 おぼろげながらも意味を把握できるようになると…このエナジーが自分の身体に何をしているか…が分かってきて…らしくもなくうろたえた…。
どうやら…ノエルの提案…を…実行したかどうか…調べに来たようだ…。
年甲斐もなく…赤面した…。

『.。o○…終…実…○o。.…。 .。o○…? 』

終…実…?
ノエルの最後の子供…ってことか…?

 聞いてはいけないことを耳にしたような気がした…。
エナジーは…人間も動物…動物は子孫を遺そうと躍起になるもの…自分の子孫を遺したくはないのか…と訊いているらしい…。
ノエルが産める最後の子供…最後の機会…。

だけどそれは…紫苑の為にあるんだ…。
あんたたちには到底…理解できないだろうけど…。
最後の実なら…なおさら…僕のものにはできない…。

『○o。.…○o。.…。 .。o○…。』

後は…良く理解できなかった…。
エナジーは諭すような口調で何かを語りかけたが…滝川はほとんど聴こうとしなかった…。



 寝室にあの気配を感じて西沢はそっと扉を開けた。
籐椅子に身を沈めるようにして滝川が眠っている…。
子供のようにあどけない顔をして…。

恭介…。 

その顔を覗きこんで思わず微笑んだ…。
が…それはやがて切ない笑みに変わった…。

ひょっとしたら僕も…養父と同じことをしているのかも知れない…。

そう思った…。

 西沢はずっと以前に、滝川を責めたことがある。
年下の西沢に対して特別な想いを抱く滝川…。
けれど…それは西沢本人への想いではなく…滝川が亡くなった和を忘れらなくて…西沢を身代わりにしているだけのことだ…と…。

同じこと…どころか…もっと酷いことを…しているのかも…。

 あの時、滝川は迷うことなく心を曝け出し、その誠実さで西沢の誤解を解いた。
西沢の苦境を幾度も身を挺して救い、想いの強さを命懸けで証明して見せた。

けれど僕には…違う…と…誰かの身代わりではない…と証明できるものがない…。
多分…その通りだから…。
ごめん…恭介…おまえを責める資格なんて…もともとなかったのに…。

結局…僕はどうしたいんだろう…?
受け入れもしない…拒絶もしない…いい加減な顔ばかり向けて…。

両親や養父母から無条件には与えて貰えなかった愛情…を年上の恭介に求めているだけ…。
恭介が優しいのを良いことに親代わりにして甘えてるだけ…かも…な…。
そんなふうに考えたくは…ないけれど…。

そろそろ…初恋の紫苑ちゃんから…恭介を解放してやらなきゃ…。
このまま僕の傍に居たんじゃ…恭介はずっと寡暮らしで終わっちまう…。
何とか…恭介なしで自分を抑えられるように頑張らないと…ね…。

滝川がうっすらと眼を開ける…。
傍に居る西沢に気付いて微笑んだ…。

お帰り…紫苑…。

「ゴメン…うっかり眠っちまった…。 なんも仕度してねぇ…。 
買い物…行かなきゃ…。 何時だろ…? 」

籐椅子の背凭れから慌てて身を起こす…。

「いいよ…そんなの…。 店屋物で済ましちまおう…。 ノエルたちは…? 」

チラッと時計を見ながら西沢が訊いた…。
いつもなら…もう…帰ってきてもいい時間…これから買い物では間に合わない…。

「急に親戚が訪ねて来たそうで…仕事が片付いたら…実家の方で宴会…。
ケントが一緒だから…輝も…嫁さんの振りして顔を出すことになってるらしい…。
今夜は305号室泊まり…だぜ…多分…。 」

滝川は意味有りげにニヤッと笑った…。

「じゃ…慌てなくてもいいな…。 」

子供たちが居なければ…何時だって構やしない…。

西沢がそう思った時、不意に滝川の手が頬に触れた…。
あまり…良い状態ではない…と気付いたらしい…。

上手く…いかなかったか…?

そう訊ねるかのように西沢を見つめる…。

「家の半分は…僕が支払うことになったけど…残りは親心…だとか言って譲らないんだ…。
養父と縁を切ろう…ってわけじゃないから…こっちも意地になることはないし…。
そこらへんで手を打つことにした…。 」

西沢にとっては、なんとなく、すっきりしない結果に終わったようだ…。

上出来…と滝川は笑った…。

これまでに比べりゃ…大進歩だ…。

「残りの祥さんの持分の中から…僕と輝が幾許かの権利を買い取る…。
僕等が住むことになる部屋の分譲代金だ…。
土地はお前のものだから…新しい家の半分以上は…こちら側が所有することになる…。

 あの家はもう鳥籠にはならないぞ…紫苑…。
紫苑とノエルと輝と子供たち…そして…僕の『家』だ…。
この前…輝と話し合ってそう決めたんだ…。 」

養父から…権利を…買い取る…?

西沢は怪訝そうに滝川を見た…。
そうだ…と滝川は頷いた…。

「交渉決裂なら…おまえはまた…僕のことを気に病むだろう…。
いつまでも恭介を鳥籠の中に引っ張り込んでちゃいけない…とか何とかってね…。
だから…先手を打ったんだ…。

なぁ…紫苑…僕の幸せは僕が考える…。
おまえにゃ到底理解できないだろうが…僕にとって…その笑顔見ていられる以上の幸せは…他の何処にもないんだ…。 

引っ張り込まれてる…わけじゃなくて…買った部屋に住む…だけだから…いつも傍にくっついて居るからって…別に気にすることはないんだぜ…。 」

よく言うよ…西沢は噴出した…。

「恭介…おまえ…どうせまた…自分の買いとった部屋を荷物置きにして…僕のベッド占領するつもりだろ…? 」

恭介が住むのは…僕の寝室…ってことだな…。

可笑しくてたまらない…西沢がそんな笑顔を見せた…。
いいぞ…と滝川は秘かに思った…。

だってさ~…愛する紫苑…の傍で眠りたいじゃないか~…!

いつもながら…妙に甘ったるい強請り声…西沢のへその辺りがもぞもぞする…。

いい加減…頭ん中から…初恋の紫苑ちゃん…を消せ…!

これまで何度…そう怒鳴ったことか…。

「いつまでも…初恋の紫苑ちゃんに…拘ってやしないさ…。
僕の中の大切な思い出ではあるけれど…もう消えてしまった過去…だ…。

僕が傍に居たいのは…常に…今の紫苑…だよ…。 
スローペースで齢を重ねていく…おまえを見ていたい…。
僕の眼で撮り続けたいんだよ…。 」

写真ね…。

西沢の唇から溜息が洩れた…。

女…撮れよ…女…。

「女なんか数え切れねぇほど撮ってるよ…。
芸術家のやることじゃない…って添田が文句つけたほど…マルチな仕事してんだからよ…。
何でもござれ…で…。
手は抜いてねぇ…どの仕事だって真剣勝負だからな…。

…違う…って…そんな話をしてんじゃない…。
おまえはぁ…少しは人の話をまともに聞け…! 」

今度は滝川が溜息をついた…。

だって…恭介が撮りたいっていうからさ~…。

「いいや…もう…。
とにかく…そういうことだから…僕を手放そうとしないように…。
好きでおまえの傍に居る…。
何なら…有さんの代わり…だと思って貰っても構わないぜ…。 」

その瞬間…西沢の表情が一変した…。
図星だ…と滝川は感じた…。

吐き出せ…紫苑…おまえの本心…。

何でもよかった。
逸る気持ちを抑え、西沢が口を開くのを待った。

紫苑がひと言でも本音を吐露できれば…状態はずっと良くなるはず…。
抑え込んだ自己を少しでも解放できれば…。

「…欲しかったんだ…。
たったひとつだけ…僕の心が…覚えている温もり…。
その時限り…他の誰からも与えて貰えなかったもの…。

…養父だと…ずっと信じていた…。
4歳の時…母の死がきっかけで…完全に切れた僕を必死で庇ってくれた人の…温もり…。 」

その温かさが欲しくて…養父の羽毛蒲団を持ち出してはトンネルにして遊んだ…。
叱られても…叱られても…止められなかった…。

西沢の切ない遊びは…実母絵里の死から7~8年…続いたろうか…。
掛け布団のトンネルにぬくぬくと包まっていれば穏やかな気持ちでいられた…。
さすがに…小学校を終える頃には…そんな遊びも自然に消えていったが…。

「HISTORIAN事件が起こるまでは…疑いもしなかった…。
けど…この事件に関わったせいで…養父には僕を抑え込む力はない…と分かってしまった…。
養父は並外れた力を持つ能力者だけど…裁きの一族の特殊な力を封じることはできないんだ…。 」

疑いも…?

 滝川は怪訝に思った…。
西沢の本家に生まれたとはいえ、ただひとり蚊帳の外に置かれていた西沢は、生きるための情報を入手するために絶えずアンテナを張っている。

 養父祥の力が西沢より劣る…などということは…かなり早い段階で気付いていたはずなのだ…。
気付いていながら、有り得ない現実を疑わないのは、西沢の意識に何らかの手が加えられていたからに相違ない。

「祥さん…なんてことを…! 
大パニックを起こした時の…紫苑の記憶をすり替えたのか…?
あの祥さんがそんな過ちを犯すとなれば…有さんに関する記憶だな…?

それこそが紫苑の心にとって…何よりも重要な鍵…制御装置だったのに…。
たったひとつしかない実の父親の温もりの記憶を紫苑の中から消してしまったのか…。
絵里さんの言葉の呪縛だけを残して…。 」

今や…滝川の方が爆発しそうだった…。

生まれたばかりの紫苑を有から騙し取っておいて…よくもそんな酷いことを…。
西沢家の秘密を護るためとはいえ…数々の不幸の責任を幼かった紫苑ひとりに背負わせて…ペットや玩具のように扱い…それだけでも許せないのに…。

「いいんだ…そんなこと…。 もう…済んでしまったことなんだ…。
時には痛い思いもしたけど…あれは…怜雄や英武の病気のせいだったんだし…。
それももう…ふたりとも完治したんだから…。
養父はいつも優しかったし…何でも与えてくれたし…僕は恵まれてる…幸せなんだよ…。 」

まだそんなことを…と滝川は胸の中で舌打ちした…。
人が良いのもいい加減に…と滝川が言いかけた時…突然…西沢が黙り込んだ…。

その表情は…明らかに動揺しているように見える…。
何かを言おうとして…唇は震えるが…言葉にはならない…。
西沢の内面で激しい葛藤が起きている…。

「紫苑…話せ…!
おまえが過去から解放されないと…おまえの中のそいつが意味もなく目覚める…。
そいつが本気を出したら…僕が命をかけたって抑えられるもんじゃない…。
時ならぬ時に…崩壊…に動き出されては…エナジーたちも困るだろう…。

そいつを眠らせておくためには…おまえの心の安定が必要なんだ…。
どんなことでもいい…。
もう…心の中に封じておくな…! 」

聴こえているのかいないのか…西沢は顔を引きつらせている…。

倒れるか…。

危険を感じた滝川が西沢を支えようと手を伸ばした刹那…滝川の頭の中に悲鳴のような西沢の声が響きわたった…。

「…た…す…け…て…恭…介…! 」

西沢の中で…失われた記憶…の修復が始まった…。








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続・現世太極伝(第百三十話 困った奴っちゃ…。)

2007-11-18 21:30:21 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 小さな土鍋がぐつぐつと音を立て始め…白い湯気を噴出した…。
祥はもう一度…大きく溜息をつくと…杯の中の酒をぐいと飲み干した…。

もう何も…隠す必要はない…。
洗いざらい話してしまえば良い…。
後はただ…紫苑の心ひとつ…。

「西沢の血とおまえは言ったが…おまえの中には裁定人主流の血も流れている…。
今のようにすべての家門が協力体制にある状況ならともかく…そうでない時におまえは生まれた…。

 万が一…西沢家にことが起こった場合…おまえの口から宗主に西沢家の内情が伝わることだけは避けねばならなかった…。
何れ…何らかの形で…裁きの宗主が接触を計るだろうことは…想像に難くない…。
実を言えば宗主は…有の意思に反して…西沢家がおまえを養子にしたことを未だに認めていないのだ…。
何かあればすぐにでも…取り返そうとすることは眼に見えていた…。

 それゆえ…ひとつには育ててきた我子を失いたくないために…ひとつには外部に内情を知られないようにするために…おまえを西沢家の蚊帳の外に置き…小鳥のように閉じ込めた…。

 こちらの事情だけではない…。
もしも…板ばさみになった場合に…おまえが内情を知っていれば…話したくなくても話さねばならなくなるかも知れんし…逆に…話したくても話せないかも知れん…。
どちらにせよ…おまえは…悩み…苦しむことになるだろう…。
けれども…何も知らなければ知らないで済む話だ…と…その時は思ったのだ…。

 まさか…宗主がおまえを登録家族に迎え入れて…宗主の実子扱いにするとは考えてもみなかった…。
私の想いとは裏腹に…知らないでは済まされない立場に…なってしまった…。

それでも私は…あがくことをやめたくはなかった…。
誰が何と言おうと…どう動こうと…紫苑は私のものだ…。
宗主にも有にも渡すつもりはない…。 」

 西沢は祥の真意を測りかねた…。
祥の西沢に対する執着心は…どう考えても常軌を逸している…。
息子を他人の手に渡したくないという父親の気持ちは分かるが…そのわりには西沢との間にいつでもかなりの距離を置いている…。

 実際に手塩にかけて西沢を育ててくれたのは相庭である…。
祥はそのために必要な経費を支払ったに過ぎない…。

いつも優しい人…では…あったのだけれど…。

「美郷がおまえを着せ替え人形のように扱うのを…止められなかった…。
おまえが内心…ひどく嫌がっていることには…ちゃんと気付いていたのに…。
美郷の遊びは…おまえが中学に入るまで続いたかな…。

 絵里にそっくりのおまえが女の子の服を着ると…絵里がそこに居るような気がした…。
本物ではないと分かってはいても…絵里の元気な姿を見るのが…嬉しかったのだ…。
馬鹿で我儘で人騒がせなやつだが…私にとっては可愛い妹…。

 おそらく…絵里を死なせてしまった美郷も…記憶を消されているとはいえ…女の子の服を着たおまえを見ることで…絵里の無事を確認して無意識に安心していたのではないかと思う…。 」

僕を…母に見立てていた…?

思わず…フッと笑みを漏らした…。

いつも…それだ…。
誰かの身代わりに愛される紫苑…。
滑稽だったらありゃしない…。
笑っちゃうぜ…まったく…。

結局…そういうことなんだ…。
身代わりでも…捨てられなかっただけ…有り難く思えってか…。

切なさとも…諦めともつかない…溜息をついた…。

「お父さん…それ…頂いていいですか…? 」

西沢が突然…祥の前のお通し…を指差した…。
お通しの中に…西沢の好きな生麩料理があった…。

「これか…相変わらず…妙なものが好きだな…。
怜雄や英武は…肉だの刺身だのを欲しがるのに…おまえはこんなものばかり…。
それも…こちらが訊いてやって初めて…欲しいというのだから…。
自分から言い出すとは珍しい…。 」

祥は笑いながら皿を渡してやった…。

「御菓子の代わりですよ…。 何処となく…可愛いでしょう…これ…。
怜雄や英武は好きなだけ御菓子を食べられるけど…僕は止められてたんですから…。

それに…相庭からはいつも…他人の皿のものを欲しがるのは卑しいこと…絶対にしてはいけない…と言われてたんですよ…。

はい…これはお返し…お父さん…アワビがお好きでしょ…。 」

西沢が自分の皿を渡すと…祥は嬉しそうに頷いた…。

それをきっかけに…ゆっくりと…ふたりの箸が…動き始めた…。
何事もなかったかのように…ごく自然に…。



 子供たちを寝かしつけて部屋に戻ると…滝川はすでに眠ってしまったようで…部屋の空気全体がやけに静かだった…。
起こさないようにそっとベッドにもぐりこんだが…なかなか寝付かれなかった…。
西沢の居ないベッドは広過ぎて…寝心地が悪い…とノエルは思った…。

ノエルの居場所は…西沢と滝川の間…。 
それが最も気の休まるところ…。 

「紫苑さん…大丈夫かなぁ…? 」

思わず声に出してしまった…。

「心配ない…。
紫苑は上手くやるよ…。 」

眠っていたはずの滝川が答えた…。

「起きてたの…先生…? 
けどさぁ…紫苑さんは…お養父さんには口答えひとつできないんだよ…。
僕だったら大喧嘩になるところだけど…。 
人の土地に家建てて…何…勝手なことやってんだよ~…ってね…。 」

滝川がクックッと喉を鳴らして笑った…。

「口答え…できないんじゃなくて…しないんだよ…。
大勢に影響がないから…。
ああ見えても紫苑は…言う時はきっぱり言うやつなんだ…。
いつでもウジウジと堪えているばかりじゃないよ…。

それが証拠に…ノエルとの結婚決めた時は…ちゃんと宣言したぜ…。
両親は相当面食らっただろうが…反対はできなかったな…。 」

面食らったのはこっちだし…とノエルは言った…。

「結婚…なんて…考えてなかったんだ…全然…。
別の男だったら蹴り入れて…おととい来やがれ…ってボコすとこなんだけど…。
紫苑さんのこと…心底…好きだったから…さ…。
ずっと傍に居たかったのもほんとだし…。

正直…今だって…結婚してるって実感ないし…男の僕の中に女の僕が居るなんて自覚ないし…でも実際に…子供ふたり…生んじゃったんだもんね…。

あっ…そうだ…!
先生にも赤ちゃんプレゼントしちゃおか…? 」

はぁぁぁ…?

瞬時…滝川が固まったのがノエルにもはっきりと分かった…。

あっけらかんと…とんでもねぇことを…何考えてんだ…こいつ…?

「馬鹿言ってんじゃないよ…。
そりゃぁ…ノエルと僕はお友達だけど…子供までは…。
そんなこと言っちゃ…紫苑が可哀想だぜ…。 」

まったく…困った奴っちゃなぁ…。

とんでもない申し出に滝川は閉口した…。

そうかな…?

ノエルは首を傾げた…。

「ケントは僕と輝さんの子だけど…僕を介してアランやクルトとは兄弟だ…。
結果として…紫苑さんと輝さんは子供の代で繋がった…。
もし…僕が先生の子供を産めたら…紫苑さんと先生も繋がるんだ…。
眼に見えない心だけが頼りの絆じゃなく…ちゃんと形あるものを絆として…本物の家族になれるんだよ…。 」

それは…そうなんだが…。

少しばかり心が揺れた…。

ノエルを介して紫苑と繋がりができる…子供という確かな繋がりが…。
けれど…紫苑は…それを望むだろうか…?

「まぁ…きみの申し出は…有り難いっちゃぁ有り難いんだけど…それじゃぁ…お願いしますって言うわけには…いかないなぁ…。 」

そう答えながらも…滝川の心は…ノエルの提案をはっきりと拒絶することはできず…迷っていた…。



 比較的早い時間に向こうを発ったこともあって…途中…あちらこちらへ寄り道しながらも…まだ明るいうちに到着した…。
祥を乗せた車を見送った後…西沢は部屋には戻らず…歩き始めた…。

 西沢が取り立てて咎め立てするようなことを言わなかったせいか…祥は終始穏やかだった…。
これ以上…祥を責めて何になろう…。
西沢としては新しい家のことさえ解決を見たなら…過去は問うまい…と思っていたのだが…。

 西沢が買った木之内家祖先の土地…そこにはすでに内装段階に入った新しい屋敷が建てられていた…。
すでに今日の仕事を終えたのか…作業する者の姿はない…。

新しい…鳥籠…か…。  
ひとりじゃないってだけが…前よりはマシだな…。

自嘲するような笑みが口許に浮かんだ…。

不意に…西沢の足許の…暮れかけた陽光が揺らいだ…。
それが誰であるのか…西沢にはすぐに分かったが…今日は覗きに来ただけらしく…声もかけずに消えていった…。

「ニシザワ…。 」

代わりに…あの気配が消えると…別の気配が声をかけた…。
聞き覚えのある…男の声…。

「時の輪の…まだ…この辺りをうろうろしていたのか…?
とっくにこの国から…出て行ったとばかり思っていたが…。 」

問いかける西沢の口調は皮肉たっぷり…。
時の輪…はニヤリと笑った…。

「出たさ…。 先週…戻ってきたばかりだ…。
また…この国で働けとの…大長老のご命令でな…。 」

大長老…?
へぇ~…あの首座兄弟の他にも…上が居たんだ…?
古い組織だから…それも当たり前か…。

HISTORIANはあちらこちらの国に支部を置く組織…それを考えれば首座兄弟だけが組織の要であるはずがないことを…何故か今になって認識した…。

それだけ…あのじいさんたちの印象が強烈だったってことかな…。

「大長老は…首座兄弟とは違って…争いごとの嫌いな御方だ…。
もともと…首座の地位にはこの方が就かれるはずだった…。
が…権力に固執する首座兄弟との対立を避けて自ら退かれたのだ…。

このたび…新しい首座の後見として…また復帰された…。
世話になったニシザワに就任のご挨拶を…との…お言葉でな…。 」

世話に…?

報復を企んでいるような様子はなかった…。
むしろ…時の輪の態度は以前よりずっと友好的だ…。

なるほど…知らぬ間に…大長老さんのお役に立っていたらしい…。

「大長老は現状に満足しておられる…。 それ以上は言わぬが…。
とりあえず…我々は…世界救済と奉仕のためのアカシックレコードの研究者に戻るつもりだ…。 」

時の輪はどうやら…大長老側の人間だったようだ…。
マーキスがあっさり切り捨てられたのも…案外…そんなところが原因かもしれない…。
仲間とはいえ…敵対する勢力の息のかかった者に戻ってきて貰っても…邪魔なだけだ…。

「組織を立て直すには…何かと物入りだ…。
この国で…がっぽりと…稼がせてもらうのさ…。 
まぁ…店の宣伝を兼ねて…ご挨拶に伺ったというわけだ…。 」

いけしゃぁしゃぁと時の輪は言った…。

おやおや…販促かよ…。

「なぁに…料理に毒など盛ったりしないから…ご心配なく…。 」

それだけ告げると…時の輪は背を向けた…。

「贔屓にしてやってもいいが…条件がある…。
そっちに面倒看る気がないのなら…もうあの子には近付くな…。
里心つかせるだけ罪だ…。
無論…追っ手を差し向けてあの子に手を出すことも許さねぇ…。 」

時の輪の背中目掛けて…西沢は言葉の飛礫を投げつけた…。
届いているのかいないのか…時の輪の身体は微動だにしなかった…。

それと…と…西沢は続けた…。

「誘いを受けるからには…それなりのサービスを…期待してるぜ…。 」

うって変わって冗談めいた口調…。
時の輪は西沢を振り返り…ちょっと眉を吊り上げて見せ…愉快そうに笑いながらその場を去って行った…。



 ノエルのお気に入り…寝室の籐のソファ…最近では滝川もよくこれに座って音楽を聴いて楽しんだりしている…。
座り心地が抜群なので…時々居眠りしてしまうほどだ…。
ガクンッと身体が傾いて…ハッと目が覚める…。

いけねぇ…そろそろ…買い物行かねぇと…。

そう思って立ち上がろうとした刹那…あの光に捕まった…。
これで二度目だ…。

おいおい…僕を捕まえても…あんたたちが何を言ってるのか分からんぜ…。

そう思った瞬間…全身を包み込まれた…。





  
次回へ。


続・現世太極伝(第百二十九話 すり替えられた記憶 )

2007-11-03 22:24:00 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 居間のローテーブルに並べて敷かれた三枚のランチョンマット…子供たちの食器が乗せてある…。
ノエルひとりで子供たちを看ている時の食事の定番スタイル…。

 今夜のメニューはハンバーグ…蒸し焼きブロッコリー&ニンジン添え…。
子供たちの好きなコーンスープ付き…。
キッチンから運んできたものを…手早く皿に盛っていく…。

 テーブルの前に座って今か今かと待っている三人…。
なんてったって…ハンバーグなんだから…。

 ハンバーグは…出かける前に西沢が作って冷凍しておいてくれたものを…ケチャップかけてチンしただけ…。
蒸し焼き野菜とコーンスープの作り方は…西沢の夜食用に…と…ノエルが料理を覚え始めた頃に滝川が教えてくれた…。
野菜も輝が料理するばかりに刻んでおいてくれたものに火を通してお終い…。
未だに家事の苦手なノエルの為に…総出で至れり尽くせりの御膳立て…。

いたらきま~ちゅ…。

吾蘭が弟ふたりの面倒をよく看てくれるので、ノエルはただ危険のないように見張っていればいい…。

玄関の方で音がする…。
絢人が慌てて持っていたフォークを放り出し…飛んで行く…。

ノエルの胸が少し…シクッと痛む…。

ただいま…と…居間に姿を現した滝川の腕の中には絢人が居る…。
お帰りなちゃい…と後のふたりが応える…。

できるだけ…滝川と絢人を見ないようにして…ノエルはキッチンに向かった…。
滝川の夕飯を温めた…。

「輝は…? 」

背後から滝川が訊いた…。

「得意先と飲み会なんだ…。 
遅くなるだろうからケントは今夜こっちで寝かせる…。 」

ケント…今日はお泊りかぁ…という滝川にあれやこれや嬉しげに答える絢人…。
口に出す言葉は…先生…だが…胸の内では…とうたん…と呼んでいるんだろう…。

ノエルは滝川の皿を運びながら…仕方がないんだ…と自分に言い聞かせた…。
滝川に笑顔を向けながらも…胸に迫る想いは…ある…。

すべては…僕が招いたことで…先生のせいじゃないんだから…。
輝さんに協力する時点で…こうなるかもしれないと…考えるべきだったんだ…。
考えなしに行動した罰…だな…。

無心にハンバーグを食べている吾蘭と来人…。
このふたりも…ノエルを…かあたん…とは呼べない…。
呼ばせられない…。

僕は…結局…どちらにもなれない…。

生ませて生んで…三人の子供の親にはなっても…ノエルの置かれた立場は微妙だった…。
滝川の傍で屈託なく笑う絢人を見つめながら…人知れず切ない溜息をついた…。



 今朝…玄関を後にした段階で…もう考えまいと決めていたはずなのに…いざ顔を見てしまうと心が萎える…。
飽きるほど何度も溜息をついた後…いつまでも躊躇っている自分に嫌気が差して…ようよう腹を括った…。

成るように成れだ…。

自分自身に向かって…そう呟いた…。

平屋作りの豪奢な客室に設えられてある広々とした優雅な露天風呂…西沢のように大柄な男がうんと手足を伸ばしてもどれほどのこともない…。

落ち着いた眺めの…贅沢な空間…。

相変わらず忙しい身ではあるが…祥は時々…この客室を利用しているようだ…。
ひとりで…なのかどうかは…家族の誰も知らない…。

 祥は今…運転手をお供に本館の方へ行っている…。
本館の方には…この老舗旅館の御自慢のひとつ…眺望の良い大きな露天風呂があるのだ…。
できるだけ他人の眼を避けたい西沢は…ひとり…部屋に残った…。

付き合って…背中のひとつも流してあげればよかったかな…。

ふと…そんなことを思った…。

 この部屋に到着するまでの道中を…当たり障りのない会話で遣り過ごし…そのせいか…祥は頗る上機嫌だった…。
10人が10人とも振り返るような美形の次男を連れ歩くのは…父親として…それほど悪い気はしない…。
祥の自慢の息子であり…西沢家の広告塔なのだ…。

 客室付きの仲居によって豪華な御膳が整えられる頃…本館で運転手と別れた祥が部屋に戻ってきた…。
運転手も本館のわりといい部屋をあてがわれている…。
長年…祥の為に骨身を惜しまず働いてくれている男には…祥もそれなりの待遇を以って応えていた…。

 祥も西沢も…嗜む程度の酒だが…それでも…久々に親子で交わす杯…。
ほろ酔い気分も手伝ってか…祥はいつも以上に穏やかで優しい笑みを浮かべている…。

「ところで…紫苑…新しい家は…気に入ってもらえたかな…? 」

西沢に酒を勧めながら…不意に祥が問いかけた…。
瞬時…西沢が表情を強張らせた…。

「今月中には…完成する…。
来月以降…都合の良い時に…新居に移るといい…。 」

いつものことながら…西沢がどう感じていようと一向に構わない…。
勝手にことを進めていく…。
西沢はそっと杯を置くと…真正面から祥を見つめた…。

「そのことですが…あの家を…僕に売って頂けないでしょうか…? 」

祥の口許から笑みが消えた…。
怪訝そうに西沢を見た…。

「余計な心配は…しなくて良いのだよ…紫苑…。
子供たちが大きくなっても快適に暮らせるようにと…私の一存で造らせただけのことだ…。
今のマンションでは手狭だろうからなぁ…。
おまえから金を取ろうなどとはつゆほども考えてはおらん…。 」

それは…重々…分かっている…と西沢は思った…。

「勝手に発注したのが…気に障ったか…?
家に関しては…おまえにも…ああしたい…こうしたい…はあったかも知れん…。
それでもあれは…なかなか…良い家だと思うがな…。 」

そりゃぁ…そうだろう…。
あの設計士が予算を気にせず腕によりをかけたとなりゃ…。

内心…溜息ものだった…。

こっちは…できるだけ手頃な価格で済まそうと思っていたんだが…。

「そういうことではなくて…僕はもう…いい加減…良い齢なんで…いつまでもお父さんに甘えているわけにはいかないんですよ…。 」

そう言って…普段通りに微笑んでみせた…。

「紫苑…何もそんなに気を使うことはないのだよ…。
おまえは昔からそうだった…。
何も言わないし…強請りもしない…。
こちらから動いてやらなければ…欲しいものがあっても我慢するばかりで…。
おまえも私の息子なのだから…親の好意には甘えておればいい…。 」

甘んじていろ…の間違いだろ…と西沢は苦笑した…。

「紫苑は…西沢の家にとって大事な子だからね…。
住居のことも…生活のことも…何も心配しなくていいのだよ…。
必要なものは私がすべて手配する…。
新しい家で…好きな絵を描きながら…穏やかに暮らしなさい…。 」

祥はまるで幼い子供に言って聞かせるように…優しく話した…。

穏やかに…ね…。
表立って動くな…と…はっきり言われた方が…まだましだ…。

「それほどまでに…信じられませんか…?
西沢の血を…それもあなたと同じ…あなたの実妹の血を引く僕のことが…? 」

哀しげな眼が祥に向けられた…。

「僕が…西沢家の転覆を謀るとでも…思っているのですか…?
息子と呼んでおきながら…西沢家に関するすべての情報から僕を遠ざけ…ずっと鳥籠の中に閉じ込めてきた…。 
この上まだ…僕を閉じ込めようとなさるのですか…? 」

祥の顔に驚きの色が浮かんだ…。

「閉じ込めるなどと…そんなことは…。
私は…ただ…おまえが可愛いだけで…。 」

決して取り乱すことなどないはずの祥が明らかに動揺していた…。

読んでいる…紫苑は…すべてを知っている…。

「あなたが…大好きでした…。 あなたこそが僕の父だと信じていました…。
母の死でパニックを起こした四歳の僕を…しっかりと抱きしめてくれたあなたが…。
大丈夫だよ…お養父さんが傍にいる…そう囁いてくれたあなたが…。

 だから…僕はずっと…自分自身を封印し続けてきた…。
あなたが望むのなら…僕は何も見ない…何も知らない…それが一番いいことだ…。
あなたを悲しませずに済むのなら…怜雄や英武の発作で…僕の身体や心がどれほど傷付けられても…それは仕方がない…耐えるしかないのだ…と…。

 怜雄や英武の症状は母と僕のせいだと…お祖父さまから言われ続けてきたけれど…それだけで自分を抑えて我慢してきたわけじゃない…。
あなたを父親と想えばこそ…だ…。

あれは…あれは…誰だったのですか…? 」

温厚で従順な西沢が祥に対して、これほど厳しい態度を見せるのは、祥の知る限りでは生まれて初めてのことだった…。

問い詰められて…祥は言葉に窮した…。

どう応えたら…いいのか…。

さすがの祥も…これ以上…黙っているわけにはいかなくなった…。
誤魔化しは効かない…真実をありのままに伝えるしかないと…覚悟を決めた…。

「有だ…。 」

喉の奥から搾り出すような声で…祥は第一声を発した…。



 西沢を縛り付けていたもの…鳥籠の中のすべての鎖が…崩壊を始めた…。
何もかもが崩れた後に祥に対して…西沢の中に残るものがあるのかどうか…西沢自身にも分からなかった…。

「絵里の葬儀の後…有がお前を返して欲しいと言ってきた…。
絵里が逝ってしまった以上は…実父の自分が引き取って育てたい…と…。

 お祖父さまは西沢の秘密と体面を護ることや…おまえの持つ裁きの一族の血の権威を手放さないために…有がまだ学生であることを理由に…渡すことはできないと断わった…。

 けれど…体面や権威の維持よりも…私には…生まれた瞬間から四年もの間…この手に抱いてきたおまえを手放すことの方が…問題だったのだ…。
生涯…手元においておくために…有がいなくなってくれれば良い…とまで考えていた…。

 有は必死で食い下がり…卒業して仕事に就いたら必ず紫苑を迎えに来る…と断言した…。
お祖父さまはのらりくらりと明確な返事を避けていたが…。

そんな話し合いの最中に…おまえがパニックを起こしたのだ…。

 いち早くそれを察した有は離れに飛んで行き…自分の身の危険も顧みず…おまえを抱きしめ…宥め続けた…。
二十歳そこそこの有が…大丈夫だよ…お父さんが傍にいてあげるから…と…囁き続け…パニックを抑えた…。

 ショックだった…。
これで…私との四年間など吹き飛んでしまうに違いない…。
紫苑の心から…私が消し飛んだ時のことを考え…怒りに震えた…。

 私だって…もし…その力があるのなら…そうしていただろう…。
しかし…悔しいことに…暴発した裁きの一族の主流の力を抑えることは…私ほどの力を以ってしても困難だった…。
だから…西沢家ではわざわざ…裁きの一族出身である相庭という抑えを雇っていたのだ…。

 おまえの中の有の記憶を操作した…。
おまえを宥めたのは…この私だという記憶に…すり替えた…。 
その記憶のお蔭か…おまえは何時どんな時でも黙って私に従った…。
家族思いの…優しくて素直な…息子だった…。 」

大きな溜息とともに…祥は話を終えた…。
これですべてが終わりだ…とでもいうような絶望的な表情で…。

「そんなことをしなくても…僕はあなたを愛せたのに…。 」

西沢が呟いた…。

「ただ…心から僕を…息子と想ってくださるだけで…十分…だった…。
わざわざ鳥籠など作らなくても…僕は…どこへも逃げたりはしなかったのに…。

僕は…西沢で生まれて…西沢の子として…育ったんですよ…。 」

遣り切れない思いが…身体中から溢れ出た…。
切なくて…泣きたいほど胸が痛んだ…。





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続・現世太極伝(第百二十八話 選ばれし者 )

2007-10-15 19:10:40 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 絢人が膝の上で大粒のブドウを齧っているのを滝川が愛しげに眺めている…。
滝川の食事をする手が時々疎かになるのを…輝は可笑しそうに見つめていた…。

久々に戻って来た305号室で…輝と食卓を囲んでいる…。
誰が見ても…ごく普通の家族の光景だ…。

 絢人は滝川が帰ってきてからずっと傍を離れようとしない…。
輝に叱られることが分かっているので、御飯だけは自分の椅子に座って食べたが、終わるとすぐに滝川の膝に上った…。

こえ…あびてもいい…?

可愛い声で滝川の皿のブドウを指さして強請った…。
勿論…自分の分は食べてしまった後だ…。

いいよ…と滝川が言うと…嬉しそうに皿から掴み取る…。
膝の上の絢人が器用に皮を齧りとって…ブドウの中身だけ美味しそうに食べるのを…滝川は眼を細めて見ていた…。

「恭介は…根っから子供好きなのねぇ…。
いつまでも独り身通してないで再婚すればいいのに…。 」

そう言いながら輝は…棚の上の和の写真にチラッと眼をやった…。
滝川が以前…短いながらも結婚していたことを…この部屋に住むようになって初めて知った…。
相手の女性が病気で早世してしまった…という話も…。

「再婚は…ない…。
和は僕にとって…最高の女だったからな…。
他の女に代わりは…できねぇよ…。 」

少しだけ…悲しそうな笑みを浮かべた…。

絢人がふたつめに手を伸ばす…。

「ケント…! 食べ過ぎ…御腹壊すわよ…! 」

輝に叱られて…渋々…手を引っ込める…。
恐る恐る…滝川の顔を窺う…。

「ケントの御腹…先生が診てあげよう…。
う~ん…いっぱい入ってるぞ…。
これは危ない…もう満腹だ…! 」

絢人の御腹を触りながら…滝川はわざと驚いてみせる…。

「もう一個食べるとポ~ンッと破裂…どうする…? 」

可笑しそうにキャッキャッと笑いながら…絢人は滝川に甘えて寄りかかる…。

「ケント…ブドウはこのまま残しといてあげるから…明日…食べような…。 」

滝川がそう言うと…絢人は素直に頷いた…。

「ノエルが見たら嘆くわねぇ…。
ケントはどう贔屓目に見ても…あなたの方に懐いちゃってるから…。 」

滝川にべた甘えな絢人を見て、輝は軽く溜息をついた…。

「親父としての責任がない分…甘やかすから…僕に懐くんだよ…。
ノエルはいい加減なように見えるけど…智哉さんに仕込まれてるからな…。
かなり厳しい親父だぜ…。 」

あいつが親してるとこなんて…以前には想像もできなかったけどな…。
向こう見ずなノエルの悪戯っぽい顔を思い浮かべて…滝川は愉快そうに言った…。 
「遊び相手として…なら…好みの女も居ないわけじゃないが…。
…てか…もう…誰かと遊ぼうなんて気持ちすら…消えてなくなったし…。
紫苑の傍で…紫苑と生きていく…。
そう決めたから…。

僕は…僕の力の及ぶ限り…紫苑を護ってやりたい…。
紫苑は…いつだって全力でみんなを護っているけれど…紫苑自身を護ってくれる人は何処にも居ないんだ…。 

他の誰のためでもなく…紫苑のために…生きてやる…。
それが僕の務めだと思ってる…。 」

そこまでいくと病気だわね…と輝は肩を竦めた…。

常軌を逸してる…。
まるで宗教…紫苑崇拝…呆れるわ…。

輝の心を見透かしたかのように…滝川はふっと笑みを漏らした…。

「これまでは僕だけの勝手な思い入れだったけど…結局は…あいつらも…僕を選んだ…。
紫苑を抑えることができる…ただひとりの存在として…。 」

あいつら…って…。

輝が不安げな眼を向けた…。

「意思を持つエナジーたちのこと…?
あのエナジーたちが…恭介を…選んだ…?
どうして…?
あなたには…彼等の言葉さえ分からないのに…? 」

母親が動揺したことに驚いたのか…絢人がきょとんとして輝を見つめた…。
滝川はそっと頭を撫でて…何でもないよ…と囁いた…。

「太極が…ノエルに伝えたそうだ…。
生き延びさせてしまった相手に対しては責任がある…と…。
マーキスのことは…どうやらあの場でチャラにしてもらったらしいが…。
紫苑を生き延びさせた責任は一生ものだな…。 」

下手をすれば命懸け…という重責を負わされたわりには…滝川はやけに嬉しそうだった…。

この男の眼には…紫苑の他には何も…見えてないんだわ…。

大きな溜息が輝の唇から洩れて出た…。

もう…脱帽よ…。

「人類を存続させた代償に…紫苑が負わされた重荷に比べれば…どうということはない…。
僕はむしろ…この状況を…喜んでいる…。 
もう…何処の誰に気兼ねすることもなく…ゆっくりと紫苑の傷だらけの心をケアしてやれる…。

ずっと放置され続けてきたせいで…どうしようもなく頑なに懐疑的になってしまった心を…温めて…できる限り解きほぐしてやりたいんだ…。 」

如何にも幸せそうに微笑む滝川を目の当たりにして…輝はとうとう…呆れを通り越してしまった…。
滝川とはめったに反りの合わない輝だが…その想いの一途さには小さな感動さえ覚えていた…。
たったひとりの相手に…そこまで…心を尽くせるものなのか…と…。



 小さな旅行鞄に最低限必要なものだけを詰め込む…。
出会ったばかりの頃の亮が…初めてプレゼントしてくれた鞄だ…。
あの時はまだ…西沢が実兄であることを知らなかった…。

養父は…笑うだろうか…。
ブラントとは名ばかりの安物の旅行鞄…。
それでも…亮が一生懸命にバイトして買ってくれたもの…。

 コードバンやブライドルレザーが定番の靴や鞄…。
カジュアルに合皮や化繊を使ってあるものでも…名立たる老舗の逸品揃い…。
まだ学生だった頃に処分してしまった西沢の旅行鞄は…養父が買い与えた…そうした高級品のひとつだった…。

どんな高級品だって…役に立たなければ無意味なんだ…。

胸の奥で…そう呟く…。

「珍しいよね…。 紫苑さんがお養父さんと旅行だなんてさ…。 」

あんまり…嬉しそうには…見えないけど…。

最後の荷物を鞄に詰め終えたところで、ずっと西沢の様子を見ていたノエルが声をかけた。

「子供の頃は…わりと家族旅行もしたんだ…。
英武も怜雄も家の外ではめったに発作を起こさなかったんで…。
けど…養父とふたりだけで出掛ける…ってのは…初めてだな…。 」

旅行に誘った魂胆は見え透いてるけどね…。
新しい家の件だろう…。

「大丈夫…? 紫苑さん…お養父さんが…苦手なんでしょ…? 」

少しばかり心配そうに…ノエルが訊ねた…。

えっ…?

西沢は一瞬…当惑したような眼でノエルを見つめた…。

「ノエル…ノエル…苦手だなんて…どうしてそう見えたんだろう…?
そんなふうには思ってないよ…。
むしろ…僕の方が養父に敬遠されている…。 」

笑いを噛み殺したように歪めた唇で…そう言った…。

養父や僕の生きる世界では…僕の方が権限が上…。
僕が宗主の特使になったからではなくて…生まれた時から…ずっとそう…。
自分の家系のことは知らなくても…そういうことは肌で感じてたよ…。

紫苑を怒らすな…泣かすな…。
祥はいつも…怜雄と英武にそう言って聞かせていた…。
それはかえって…ふたりの発作を助長しただけに過ぎなかったけれど…。

「え~…だけどさ~…紫苑さんてば…いつだって…できるだけお養父さんとぶつからないようにしてるじゃない…。 」

ノエルの怪訝そうな表情を見て、西沢はもう堪えきれずクスクス笑い始めた…。

「そりゃぁ…親が相手だから…僕にも遠慮ってもんがあるだろ…。
それにしなくていい諍いは避けた方がいいじゃないか…。
大事に…育てて貰ったんだし…。 」

西沢が…ふと…遠くを見るような眼をしたのを…ノエルは見逃さなかった…。

苦手ではないにしろ…紫苑さんはやっぱり…お養父さんとはしっくりいってないんだ…。
そりゃそうだよなぁ…あのおっちゃん…すげぇ我がままで自分勝手だし…。
紫苑さんのこと…ず~っとこの部屋に閉じ込めてるし…。

「優しい人なんだ…養父は…。 
いつでも…僕を気遣ってくれている…。 」

ノエルの思考を遮るように…西沢は…そう…呟いた…。
その顔の何処にも…笑みらしきものは残っていなかった…。



 マンションの玄関先にピカピカに磨かれた高級車を横付にして…中から颯爽と堅い身なりの運転手が現れた…。
扉の前で待っていた西沢に深々とお辞儀をすると…西沢が持っていた旅行鞄を恭しく受け取り…西沢の為に車の後部ドアを開けた…。

「おはようございます…お父さん…。 」

西沢は後部座席にゆったりと身を沈めている祥に軽く会釈をすると…自分も祥の隣へ腰を下ろした…。

「随分と…待たせたのでは…ないかな…? 」

祥が優しく問いかけた…。

「いいえ…お気遣いなく…今さっき降りてきたところです…。 」

西沢がそう答えると…祥は…そうか…と満足げに頷いた…。

西沢と祥を乗せた高級車はやがて…音もなくマンションの玄関先を離れ…彼等の目的とする場所へと走り出した…。

生まれてこの方…西沢がずっと回避し続けた…祥との対決の場へと…。

 




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続・現世太極伝(第百二十七話 月と迷宮)

2007-09-28 18:55:18 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 レースのカーテン越しに射し込む月明かりのせいで…西沢の横顔がはっきりと見て取れる…。
眠れないのか…ぼんやりと天上を見つめている…。

 寝苦しさから時折…身体の位置を変えたり…仰け反ってみたり…。
西沢が動くたびに陰影も変化する…。

ついには…寝ていることすら嫌になったらしく…起き上がってしまった…。

モノクロの世界の中に…俯く西沢の項のラインがくっきりと映し出されて…滝川は思わず息を呑んだ…。
何気なく天を仰ぐ時の陰に縁取られる喉のラインも胸が締め付けられるほどに滝川の感性を刺激する…。

「紫苑…。 」

そっと手を差し伸べる…。

「ごめん…恭介…。 起こしちゃった…? 」

差し伸べられた手には答えない…。

起こされたわけではない…。
西沢の様子が気になって…眠れなかっただけだ…。
滝川もゆっくりと身を起こし…西沢のすぐ脇へと近寄った…。

「いっそ…直接…対決してみたらどうだ…?
おまえの偽りない気持ちを祥さんにぶつけてみたら…? 」

その勧めにも…答えはなかった…。

向こう向きにわざと頤を反らせる…。
喉フェチの滝川を挑発して話をはぐらかすつもりだ…。
内心…溜息ついても…その魅力には抗えない…。

ずるいぞ…。

そう思いながらも…身を寄せ…触れてしまう…。
唇を伝わる体温と曲線の感触…。
滝川だけが知る…この上ない至福と快感…。

「ん~っ! 最高っ! なっ! このまま一枚撮っていいか…? 」

馬鹿言え…と西沢は顔を顰めた…。
寝癖にパジャマで撮られて堪るか…!

「いい画になると思うんだけど…なぁ…。
ちょうどいい感じに…光が…。
パジャマ…嫌なら…脱いじゃえばぁ…。 」

おっと…そんな話をしている場合じゃなかったか…。
ふと我に返る…。

「とにかく…だ…。 
祥さんの過ぎたる親切に悩むよりは…ん~っ…要らざる心配をするな…と…だな…。」

ごちゃごちゃ言いながらも…遊べるチャンスは逃さない…。
誘ったの…そっちだからな…。

「吸血鬼か…おまえは…。 幾つになってもホント…変わんねぇな…。 
そんなんだから…いつまでも…輝に変態呼ばわりされるんだぜ…。 」

呆れたように西沢は苦笑した…。

だけど…ずっと…恭介に…救われてきたんだ…。
僕…を知っている…無二の存在…。

「あのな…紫苑…。 輝が何と言おうと…僕にはまったく関係ない…。
僕に言わせりゃ…輝の方がずっとおかしいぞ…。
愛情表現に決まった形なんぞ…あるわけないじゃないか…。 

おまえの首の造作は…僕にとっちゃ至高の美…。
頭の天辺から爪先まで全部…文句のつけようがない完璧な被写体…。
そんで以って…おまえは食べちゃいたいくらい可愛い恋人なわけよ…。 」

誰が恋人だ…?

西沢が軽く睨んだ…。

ラブレター受け取ったろ…。

澄ました顔で滝川は言った…。

「だから…何があろうと絶対にひとりぼっちにはさせない…。
おまえがこれから何処で生きることになろうと…たとえ…それが新しい鳥籠の中であろうと…。

僕は二度と…同じ過ちを繰り返さない…。
おまえの受けた傷が再び開くことのないように…必ず傍に居る…! 」

そう言い切った滝川に…西沢は驚いたような眼を向けた…。

「気付かない…と思ったか…?
あの坊やのお蔭で疼きだしたおまえの古傷のこと…。

もう…考えるな…!
おまえは要らない子なんかじゃない…。
僕にとっちゃ命かけて愛しい紫苑なんだぜ…。

けど…他人の僕が何度そう言い聞かせたところで…納得しないだろう…。
あれほど口の堅い実父の有さんが、ようよう本音を吐き出してくれても、だめだったんだから…。
だから…祥さんと…ちゃんと話せ…って言ってるんだ…。 」

紫苑…西沢家には十分過ぎるほど恩を返したはずだ…。
これ以上…遠慮する必要が何処にある…?

そう言いたいのを滝川はぐっと堪えた…。
対決を避ける理由が育ててくれた西沢家への遠慮だけじゃないことも…分かり過ぎるほど分かっていたから…。

「そうか…やっぱり…はっきり言っちゃった方がいいのかぁ…。
実際…住むとなったらすげぇ不便だし…どうしようかと…あんなでっけぇ家…。
チビたちが隠れんぼでもやらかした日にゃ…とてもじゃないけど…。 」

そう言って西沢は溜息をついた…。

滝川の顔が引きつった…。

…そういう話じゃねぇよ…。
まったく…人の話を半分も聞きゃしねぇ…。
溜息つきたいのはこっちだぜ…。

けど…。
誤魔化してるだけかも知れんからな…こいつの場合…。

「まぁ…いっか…。
そのうちに…祥さんの方から…何とか言ってくるだろう…。
勝手に人の土地に家だけ建てて黙ってる…なんてこたぁ有り得んからな…。

紫苑…眠れないんだろ…?
いい子にしてな…寝かせてやるからさ…。 」



 Kホールの合作展は…滝川の全快を祝う意味で…新しい写真集と同じ『ラビリンス』…を共通のテーマとしていた…。
単に…作品の合同展示の場…というだけでなく…趣向を凝らした遊び心たっぷりの演出がなされていて…訪う人々の心を楽しませた…。

 展示場全体が迷路のように作られてあり…迷宮の小部屋を模した幾つもの展示室の至る所に…室内装飾や調度品として仲間たちの作品が展示されてある…。
あらゆるところに多様な姿で飾られてある花々…まるで夢でも見ているような気分にさせられる…。

 作品鑑賞だけが目的の人には顰蹙を買う懼れもあったが…この合作展は自分たちが楽しむ目的で開催するのだから大いに遊ぶべし…ということで宣伝・広告にもその旨をはっきりと明記した…。

 蓋を開けてみれば何のことはない。
Kホールは連日…大勢の客で賑わっている。
年齢層も様々…なかなかに好評…グッズの売上も好調…。
添田の書いた前評がお堅い層をも懐柔したからだ…と…言えなくはないが…。

「それじゃぁ…紅村先生は…初日からずっとここに詰めていらっしゃるんですか…? 」

半ば呆れながらも…如何にも実直な紅村らしい…と西沢は思った…。

 西沢たち中心のスタッフは初日と最終日を除いては交代制になっていて、西沢自身は中日と他二日ほどを担当していたが、紅村は毎日会場に来ているという。
何人もの弟子たちに、ある程度作品の管理を任せてはいても、やはり自分の眼で確認せずには居られないらしい…。

「いえいえ…毎日顔を出してはおりますけれど…ずっと詰めているわけではありません…。
花は生き物なので…放っておけないだけなんですよ…。 
ひと通り見て回って異常がなければ帰ります…。

それに…何と言っても今回は僕が言いだしっぺなんですから…。 」

当然のことです…と紅村は穏やかに微笑んだ…。

元が取れれば御の字…というくらいの企画だと…誰もが承知で参加している…。
心楽しければ…遊べれば…それで…いいじゃないか…。

それでも中心になって計画を進めてきた生真面目な紅村としては…参加者にできるだけ損害を与えないように…と気を使っているのだろう…。
花も気になるが…集客状況も気になるのだ…。

 紅村とは迷路の途中の展示室で別れて、滝川と西沢自身の作品の間へ向かう…。
途中…何人かのスタッフと挨拶を交わしながら…。
すでに開館時間からは数分過ぎているので、それぞれの展示室には客の姿もちらほら…。

あら…西沢紫苑だわ…。

ほんとだ…西沢紫苑だ…。

行く先々で繰り返される言葉…。
たまたま眼の合った相手には笑顔で軽く会釈をして…先を急ぐ…。

 迷宮の最後の部屋…へ辿り着くと…そこにもすで客が居た…。
見慣れた後姿は…西沢の養父…祥…。

「お父さん…。 」

西沢は足早に祥の許に駆け寄った…。

「お忙しいのに…わざわざ…いらしてくださったんですね…。 」

嬉しそうな西沢の笑顔に、祥は満足げに頷いた。

「なぁに…紫苑の仕事を見ておくのも…良かろうと思ってな…。 」

そう…祥はこれまで滅多に西沢の作品展に足を運んだことはなかった…。

 西沢の描く絵が国際的権威のある賞を幾つ獲ろうと、メディアで売れっ子のエッセイストであろうと、30越えても仕事の取れる元モデルであろうと、祥にとっては西沢の仕事のすべてが遊びでしかない…。
いい齢をした息子の遊びに親が付き合う必要もあるまい…と考えていた…。

 それでいて祥は…怜雄や英武に課したような西沢家の生業への従事…を求めることもしなかった…。
そうやって…ぶらぶらと遊んでいてくれる方が…都合がいい…。  
手の中から逃げ出す危険性が薄れる…。

紫苑には何でも好きなことをさせておけばいい…。 

「あの海の絵は…よく描けておるようだ…。
恭介の撮った写真も…まあまあだな…。 」

お褒めに与りまして…と西沢は答えた…。

西沢を御供にしばらく、あれやこれやと作品を眺めた後で、祥はふいに、思いついたように口を開いた…。

「近々…遊びに出ようと思っているのだが…おまえ…一緒に来んか…? 
なに…そんなに御大層なところじゃない…。
そうそう長くは留守にできんので…どこぞ…近場の湯にでも…な…。 」

瞬時…西沢の顔が強張った…。
が…祥の眼には…いつもの人懐こい笑顔としか映らなかった…。

「喜んで…御供致します…。 お邪魔でなければ…。 」

西沢は冗談っぽく…答えた…。
再び…満足げに…祥は頷いた…。

「ふむ…それなら…また後で…連絡するとしよう…。
紫苑の仕事の都合もあることだからな…。 」

そう告げると…まるで用件は終わった…と言わんばかりに…残りの作品には目もくれず…出口の方へと向かった…。
グッズの置いてある最終コーナーのところでしばし立ち止まり…西沢の画集と滝川の写真集を手に取った…。

「母さんにひとつ…な…。 」

誰にともなく…そう呟くとと…売り場のスタッフに手渡した…。
内ポケットからブライドルレザーの長財布を取り出し、代金を払おうとする祥の手を止めて、如何にも可笑しそうに笑いながら西沢が言った…。

「そのくらい…プレゼントさせて頂きますよ…。
わざわざ買って頂くほど…僕の財布も寂しくはありません…。 」

 スタッフから袋詰めにした二冊の本を受け取ると、西沢はそれを恭しく差し出し、誇らしげな笑顔で受け取った祥に対して深々とお辞儀をした…。









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続・現世太極伝(第百二十六話 夢見ただけさ…。)

2007-09-08 17:00:00 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 HISTORIANの事件が一応の解決を見て、社外データ管理室特務課には、いつもどおりにパソコンのキーを打つ音と静かな空気が流れていた。
パソコンの向こう側で騒いでいる柴崎と飯塚の周りを除いては…。

「柴崎…何見てんだ…? 」

何やら覗きこみながら歓声をあげているふたりに大原室長が声をかけた…。

「うっふっふ~。 滝川恭介の新しい写真集ですぅ~。
仲根が手伝いに行ってた時のが出たんですよ~。 
ねっ! 仲根っ! 」

柴崎に声をかけられて仲根が強張った笑顔で頷いた。
やばい…っと胸のうちで呟きながら…。

「う~ん…西沢紫苑はいつ見ても綺麗だしぃ~カッコいいわぁ~。
どう見ても30過ぎたおっさんには見えないわね~。 」

おいおい…30越えは…あんたもだろう…。

大原の笑顔が引きつった…。

「あれぇ…ちょっと…これ…っ!
何…これ…っ! 仲根じゃないのぉ…? 」

どこどこ…?

飯塚がさらに覗き込む…。
大原室長と御使者たちが慌ててふたりの周りに集まってきた…。

「これこれ…紫苑と女性モデルの向こうにちょろっと立ってる刺身のツマみたいなヒゲのお兄ちゃん…。 」

おぉ~っ!

「誰が…刺身のツマじゃ…!
これでも一応は…滝川先生にスカウトされて…だな…! 」

スカウト~ッ!

「木之内~! そうなの~? 」

柴崎の疑いを込めたひと声で、みんなの視線がひとり黙々とパソコンに向かっている亮の方に集まった。

「僕が聞いた限りじゃ…本当です…。 
今…Kホールでやってる紫苑たちの合作展にも…確か…仲根さんの写真が出てるはずですよ…。 」

ひえぇぇ~っ!

まじ~っ!
 

  
 首座や指導者が替わったとはいえ…エスニック料理店『時の輪』は今でも営業を続けているし…HISTORIANという組織も宗旨を変えて存在する…。
『時の輪』の親爺を放免し、マーキスを擁護した当初は、HISTORIANを全滅させなかったことに異論を唱える向きもないではなかった…。

 しかし…執行部と族長会議は…彼等の存続を妨げるようなことはしなかった…。
現段階で彼等を壊滅させることに意味はない…と判断した上での処置だった…。

 すべての人間には例外なくあのふたつのプログラムが組み込まれている…。
すでにプログラムへの影響力を失っているHISTORIANを完全に消滅させたところで…この事実だけはどうすることもできない…。

 なんと言っても…HISTORIANの本拠地はこの国の外にある…。
しかも…幾つもの国に拠点を置いている…。
下手に追い討ちをかけて…まったく無関係な他国の能力者たちを刺激するのは如何なものか…。

 いろいろと不安材料は残るとしても…無駄と思われる戦いは避けるべきだ…と…。
無論…彼等に対する監視と警戒はこの先もずっと継続していくことにはなるが…。
 


 ただいま…と声をかけたのに…珍しく誰の返事も聞こえない…。
灯りはついているのに…部屋にはまるでひと気がない…。
この時間…いつもなら吾蘭たちがまだ起きていて…待ってましたとばかり飛んでくる…。
先生お帰りなちゃい…とか…おちゅかれちゃま…とか…口々にいいながら…。

ああ…今日は…ノエルたち…亮くんのところか…。

 思い出して滝川はひとり苦笑いした…。
いつの間にか…誰かが迎えに出てきてくれることが当たり前の生活に慣れてしまっている…。
和の写真だけが迎えてくれていた頃とは大違い…。

 いつもどおり…居間に鞄を置いて…キッチンに入った滝川は…辺りを見回して眉を顰めた…。
使った形跡など何処にもなく…ひっそり…ひんやり…としている…。

また…食事を抜いたな…。

 何かに夢中になると食べることも寝ることも忘れる西沢の困った癖…。
それがもとで病院に運ばれたことさえある…。
ふっと溜息ついて…冷蔵庫の中から適当に食材を取り出すと…滝川は手早く夜食を作り始めた…。

 

 呼んでも答えがないので…仕事部屋の扉を開けた…。
西沢は床にぺったりと腰を下ろし…壁にもたれてぼんやりと部屋の反対側に立てかけられたイラストボードを見つめていた…。
ボードに描かれているのは…はっとするほど鮮やかな青紫の鳥…豪華な鳥籠の中から…無表情にこちらを見ている…。

「今度こそ…出られる…と…思ったんだ…。 」

嘆きとも諦めともつかない声で…西沢は呟いた…。

「土地を買った…。 結構…広い土地…。
もともとは木之内のものだった土地を…買い戻したんだ…。

 そこに家を建ててさ…。
面白可笑しく…暮らすつもりだった…。
僕とノエルと子供たち…恭介と…輝と絢人…。 」

悲しげに微笑みながら…西沢は滝川の方を見た…。

「やっぱり…だめだったよ…恭介…。

知らないうちに…その土地に…どでかい屋敷が建ち始めた…。
僕はただ…見積もりを頼んだだけなのに…。

養父が…設計士に手を回したらしい…。
西沢家の次男に相応しい家を…と…。

新しい…鳥籠だ…。 」

鳥籠の紫苑…。

その忌まわしい言葉を…滝川も輝も何度口にしたことか…。

「帰れるものなら…帰りたいなぁ…。 
木之内の父さんの待つ家へ…。

でも…それは無理…。
そんなことをすれば…家門同士の諍いの種になる…。

だからせめて…せめて…籠の外へ…。 」

言いかけて…西沢は黙った…。

最初の鳥籠は…西沢本家の離れだった…。
そして今は…この部屋…。

「紫苑…紫苑…。 ものは考えようだぜ…。
土地は…おまえのものなんだろ…?

いくら祥さんがでかい御屋敷を建てたところでだな…。
底の抜けた鳥籠じゃぁ…おまえを閉じ込めておけない…。
そうだろ…? 」

西沢の前に膝をつき…目線を合わせながら滝川は言った…。
心に受けた衝撃の度合いを確認するかのように…。

「いいんだ…。 分かってた…。
旅行鞄…最後には捨てちまったくらい…何度飛び出しても無駄だったんだから…。
年甲斐もなく…ちょっと…夢見ただけさ…。
忘れて…恭介…。 」

そう言って西沢は立ち上がった…。
黙って…諦めるしかない…生まれてからずっと…そんな生活…。
何不自由なく恵まれた人生…と世間から羨望されている男の現実だった…。

「紫苑…飯にしよう…。
人間…腹が減ると…ろくなこと考えないぜ…。 」

努めて明るく…滝川は言った…。


 
 「それじゃぁ…西沢のお養父さんは…紫苑をまだ解放しないつもりで…? 」

食器を洗っていた泡だらけの手を休め…憤慨した声で亮が訊いた…。
ノエルが不愉快そうに口を尖らせて頷いた…。

「そう…。 紫苑さんが土地買ったの…僕だけは知ってたんだ…。
ある程度見積もりがたったら、先生と輝さんにも教えて、みんなでいろんなこと相談しようって話してたの…。

 ここへ来る途中で何気なく土地の方を見たら…もう工事してるんだよ…。
そんなこと紫苑さん…全然…言ってなかったもん…。
きっと…紫苑さんの知らないうちに西沢家が動いたんだ…。 」

 背後で…子供たちの騒ぐ声が聞こえた…。
そろそろ眠い時間のはずなのに元気いっぱい…。
大好きな御祖父ちゃんを前におおはしゃぎ…。

亮はチラッと有の方に眼を向けた…。
有はいかにも愛しげに孫たちを見ていた…。

「父さん…。 紫苑は西沢家から自由になれるんじゃなかったの…?
そうしたければ…帰って来い…って…言ってたでしょ…? 」

亮の咎めるような問いかけに…一瞬…有の表情が曇った…。

「亮…。 戻れるか戻れないかは…紫苑の心の問題なんだよ…。 
どんな経緯があったとしても…祥さん夫妻は紫苑にとって大切な両親…。
簡単には断ち切ることのできない絆がある…。

 それに…祥さんたちへの愛情だけでなく…絵里の遺した言葉が紫苑を縛り付けている…。
要らない子…の自分を可愛がってくれた人たちへの恩義を人一倍感じている…。
だから祥さんの強引なやり方にも反抗できないまま…諦めてすべてを受け入れてしまうんだ…。 」

さんざん…嫌な思いをさせられたのに…?

そう言いたいのを…亮は堪えた…。
それを口にしてしまえば…有を悲しませることになる…。

「言えてるかもしれない…。 
だってさぁ…紫苑さんてば…お養父さんにはほとんど当たり障りのない話しか…しないもん…。
できるだけぶつからないように…避けて通ってるみたいなとこ…あるよ…。 」

ノエルの話を聞いて…亮は…やれやれ…というように肩を竦めた…。

「紫苑が逆らえないのをいいことに…わざと好き放題やってんじゃないだろうな…。
あ~…なんか腹立つ~…! 」

そう言って…手にした食器を思いっきりごしごしスポンジで磨いた…。
撥ね跳んだ泡をノエルがあちこち拭いてまわった…。

「まぁ…権威主義の祥さんとしては…そう簡単に紫苑を手放すわけにはいかんのだろう…。
それに…紫苑に対する愛情が…まったくない…ってわけじゃない…。

 紫苑も…祥さんを愛している…。
俺を思うよりはずっと…祥さんのことを思っているはずだ…。
なんと言っても…育ての親…だからな…。 」

そう言って有は…寂しげに微笑んだ…。

 西沢家に…騙し取られさえしなければ…紫苑は生まれた時からずっと父さんの傍に居られたんだぜ…と亮は心の中で呟いた…。
胸の奥底にしまわれた…有の無念…を代弁するかのように…。
 





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