ネット上に国家公務員について竹原信一さんが投稿していました。私たちが知らない法律の抜け道を指摘しています。以下転載します。
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「日本病の源」だった国家公務員法(1)
前阿久根市長 竹原信一氏
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国内政治・社会
政治・社会|行政 2014年9月18日10:19
阿久根市民として、市政の問題点を指摘するビラまきから活動を始め、市議、市長として、政治・行政・社会の「歪み」と向かい合ってきた前阿久根市長・竹原信一氏。在野の士となった今でも「歪み」の根本原因への探究を続けており、そして今、日本国家の仕組みへと目が向けられている。竹原氏が新たに指摘している憲法と国家公務員法の矛盾。それは、一般に「公務員」と言われている人々が、実のところ、憲法が定める「公務員」ではないというものだ。
前阿久根市長 竹原信一氏 竹原信一氏(以下、竹原) 公務員が自分たちを公務員ではないことを知りません。政治家もわかっていない、国民はもっとわかっていない。自分たちはどのような国家の設計図で動いているのかを誰も知らない。みなさんは憲法で動いていると思うわけですよ。学校で教わるから。でも、憲法を否定する国家公務員法の存在に気づいていません。実際のこの国の設計図は国家公務員法なんです。憲法は飾り物として離れたところにある「理想」。いつも解釈で変えなければならないのは、それで動いていないからです。国家公務員法を第1条から変だと思ったのは、憲法では「公務員は選挙で選ばれた人」となっているのに、どういうことなのかと。普通の役人が入る余地はないんです。「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」(憲法15条1項)、「公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する」(同条3項)。そして、「公務員は全体の奉仕者」(同条2項)となっているわけですが、どこに役人が入る余地があるのでしょうか。役人については、憲法73条に「官吏」と定義してあります。役人は「官吏」、公務員というのはどうもこれは、新しい憲法での新しい概念なんですよね。国民主権という世界での新しい概念として、国民の代表が全体の奉仕者として、実際の権力を振るう。だからこそ、危険だからいつでもクビにできる権利を国民が握っている。
――選挙で選ばれる政治家が「公務員」にあたりますね。
竹原 そういうことです。憲法の前文に書いてあります。国民は正当に選ばれた代表を通じて行動すると。それを受けての憲法15条なんです。昔は、天皇陛下を飾り物にして実権を握ってたのは役人でした。そして天皇陛下がいなくなれば、自分たちの権力を、国民なんかが選んだ代表に任せられるかと考え、「公務員」という概念を取りにいったわけです。それが国家公務員法という形になっています。いきなり第1条に、「国家公務員たる職員について」と書いてあります。なんで国家公務員が職員になるのかと、ここからおかしいわけです。それと証拠としてわかっているのは、第1条の2項です。「この法律は、もっぱら日本国憲法第七十三条にいう官吏に関する事務を掌理する基準を定めるものである」と書いてあります。第15条にある「公務員」に関する事務を掌理するとしなきゃいけないところではないですか。
――選挙で選ばれたわけではないので、そうすると間違いになりますね。
前阿久根市長・竹原信一氏が指摘している憲法と国家公務員法の矛盾。国家公務員法は、第1条で「国家公務員たる職員について」とする一方、同条2項で「この法律は、もっぱら日本国憲法第七十三条にいう官吏に関する事務を掌理する基準を定めるものである」としている。以下に憲法15条を引用する。
日本国憲法第15条
1 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
3 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
4 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。
――国家公務員法2項に「公務員」という言葉を使わなかったのは、憲法が定めた「公務員」ではないことをわかっていたことになりますね。
竹原 それをやると露骨ですからごまかしている。2つも嘘がはまっているわけです。しかも、国家公務員法は「事務を掌理する基準」を定めるとある。基準なんですよ、これ。法ではないんです、実質的に。基準ということは、状況によって裁量ができるという話ですよね。だから実質的には守らなくてもいいというところがあるわけです。それから、3項に、「何人も、故意に、この法律又はこの法律に基づく命令に違反し、又は違反を企て若しくは共謀してはならない」とあります。つまり、法律でさえないのに、基準に基づく命令、役人が「この法に基づいて」と言ったら、これが法になるわけです。もともと基準であったものが法にされる。役人の気分で法になってしまう。これは何と言ったらいいか、「恐怖政治」ですね。「恐怖政治」を可能にする法律なんです。
竹原 信一 (たけはら しんいち) 4項には、「この法律のある規定が、効力を失い、又はその適用が無効とされても、この法律の他の規定又は他の関係における適用は、その影響を受けることがない」。秩序もへったくれもないわけですよ。一旦言ったものは通せよ、という話です。そして5項に、「この法律の規定が、従前の法律又はこれに基く法令と矛盾し又はてい触する場合には、この法律の規定が、優先する」とあります。すなわち、最上位法でございます、ということです。つまり、これは職員による全体主義を強制する法律なんです。
憲法15条は、公務員の選定および罷免することは国民固有の権利としていますが、国家公務員法は3条で人事院の設置を定め、これをできないようにしています。「公務員」の名前を使っておきながら、憲法がおよばないようにしてあります。これがこの国の形です。それを気づいていないわけです。実際には、役人たちも自覚はないけれども、実質的に役人全体の利益を確保する方にしか動けないようになっています。国民のために働こうという人間は、困り者なので排除しようとしたり、出世をさせなかったり、影響力を減じていく方向性があらゆる組織であるでしょ。しかも、裁判所まで結託するわけですから。あらゆることがここから派生していることがわかります。たとえば、家庭裁判所では、裁判官が1人で年1,100件くらいを担当する。とてもまともな裁判なんてできませんよね。つまり、ただの事務をする小役人状態です。もし、裁判官がじっくり1つ1つの裁判に取り組んだら、国家公務員法の問題までたどり着いてしまうわけですよね。それをさせないようにしています。おまけに、裁判官の人事についても法務省が握っていて、国にたてつくような裁判官は続けさせない。
「強制労働所の囚人のようだ」と元裁判官の瀬木比呂志さんは仰っています。まともな分を持っていれば、人の人生を破壊していくと精神が壊れていき、人格障害にも陥ります。だから、戸塚ヨットスクールには裁判官の子どもたちが複数名いた、と。国民の暮らしの状況も似たようなもんです。なるべく、役人集団の覚えめでたくして得するように、そして、他の人を踏み台にすることが人生の目的、それをばれないようにする。そういう精神社会にこの国はなっているわけです。すべてのことがそこ(国家公務員法)から派生して作られているから。公務員が自分たちの集団のために泥棒をするのは当たり前なんです。合法ですから。
「官吏」(役人)を「公務員」とした国家公務員法に、日本社会が抱える様々な問題の根源(国を動かすシステム)があると指摘する前阿久根市長の竹原信一氏。そのシステムが、どのような事象を起こしているのかについて語る。
竹原 国家公務員法がつくられてから68年間、一度も隠したわけでもないこの法律の真意を読み取ることができなかったということです。でも、実は自民党の憲法改正案には、憲法の方を、この公務員法に合わせるという法案があります。だから、この国を動かしている後ろの官僚の世界には闇が広がっていて、彼らは着々とやってきているというわけです。また、そういう人間でなければ、官僚の世界では出世しないんですね。
前阿久根市長 竹原信一氏 悪事を国民に対して働く、そして、そうした人間は、見かけ上、下がるように見せながら、事務次官になり、勲章をもらって、その後の天下りもしっかりしたものになる。それは事実です。それは戦後に始まったことではありません。太平洋戦の時に、日本軍が宣戦布告なしに攻撃したことになっている。そのおかげで、「日本は卑怯な国だ」ということにされましたが、その時に宣戦布告を出していたのに届けないというヘマをやった外交官たちは、ちゃんと事務次官になりました。勲章も受けて出世している。
この国にはシステムがあるんです。明治時代からあると聞いています。そういうことがよくありますよね。たとえば、中川昭一大臣の酔っ払い会見を仕組んだといわれ、中川氏の隣にいた財務官僚・篠原尚之氏はIMFの副専務理事になりました。また、会見で一緒にいた白川方明日銀総裁(当時)は、国際決済銀行の副議長になりました。この仕組みは、国を超えているのです。とてつもない陰謀というか、隠しようもない陰謀ですね。露骨に出ていますから。あらゆる物事が、私たちの暮らし、教育、医療、福祉、すべてがそこから派生しています。
――出産医療では、厚生労働省が推奨するやり方が、実は、医者不足を解消するための簡略化されたもので、乳幼児に危険な負担をかけていると指摘する産科の開業医の方もいらっしゃいます。その方は、直接、厚労省にやり方を変えるよう直談判もしました。(記事参照)
竹原 国民を生かす気はないわけです。ひたすら役人集団の利益に回るように加担すれば、その事業は上手くいくんです。だから、何かを変えたいのであれば、役人と取り引きするしかないんです。そして、国民は全体的に貧しくなる。その手伝いをすると、みなさんの事業はうまくいきます。すごいでしょ。結局、役人たちの福祉を担わせられるわけです。役人が国民に強制する福祉とは、実際には、金をもっていない人たちが金を持っている人たちのお世話をすることを意味します。役人が金を持っていても国民は金を持っていてはいけない。相対的に国民の所得を減らし、常に、国民が国にすがりついていないといけない状態にする。賢い人は、役人に利益を回すやり方で利権を得る。それが天下りですね。いろんな問題を個別に叩いてもダメなんです。ど真ん中を最初からやらないと。
この条文をつくった側の人間をそのポジションに置く人事システムが存在します。誰がそうしているのかは私にはわからないけれども、確実にあります。悪人が悪人を出世させる仕組みが。一方、政治家は割合見えますよね。後ろにいる役人集団にとっては政治家なんていうのは誰でもいいんです。使い捨てで、「こいつがダメだから悪くなったんだ」と思わせる。政治家は、役人に対して利益を回す道具あるいは盾です。誰がやってもダメなのは、その政治家のせいではなく、その後ろにあるものなんです。本当は誰がやっても良くならないとダメなんですが、ことごとく国民のためにならないようつぶし、排除してしまう。大手メディアは特にそうですね。どうでもいい個人的なものを叩いて、自主的なことはさせないようにする。そして、騙される人間がそのポジションに居続けると。「騙され芸人」ですね。それが政治家の実際の姿です。
市民目線で阿久根市の行政組織の是正に取り組み、国全体から抵抗・妨害を受けたと言える竹原氏が指摘する憲法と国家公務員法のズレ。今回は、同法成立の背景、ねらいについての考察が語られる。
竹原 私が以前、道理を通そうとした時に、とてつもない騒動になり、総務省、裁判所まで噛み付いてきたわけです。なぜ、道理が通らないのかという実感だけが蓄積されて、ずっと答えを探していました。ついに見つけた答えが国家公務員法だったのです。
――困った市民が相談を持ちかけても、受け付けない役人が優秀ということでしょうか。
竹原 信一 (たけはら しんいち) 竹原 あるいは、それをテコにして、さらに利権につなげるとか。ちょっとしたことを大々的に報道させて、そのために金を注ぎ込んで、自分のところに金を回す、天下りする。それが事実ですよね。医療もそんな感じです。歳をとれば、がんになるのは珍しくないと思いますが、大々的にして大病院をつくり、薬を注ぎ込んで上前をはねていくというのがシステムであって、余計なことをしなければ、こんなにがんで死んでいないと思います。すべての問題が餌食にされています。実際には、問題さえつくっているわけですけど。何でもいいんです。思いついた人間が、その組織のなかで出世していきます。自分たちは玄関掃除をしたり、税金の請求をしたり、ただその作業を一生懸命やっているだけ。そのことをもって「全体の奉仕者」とはおかしいでしょ。給料をもらうためにやっていることを「公僕」とか言っちゃいけない。
――国家公務員法は、実のところ、どのようなねらいでできたのでしょうか。
竹原 この法ができたのは、GHQが統治していた7年間の最初の2年のうちにできています。だから、これは米軍もわかっていてやらせていると思います。GHQが去っても、米軍に代わって植民地を統治する存在を置いたわけです。大英帝国が植民地をつくる時の手口に似ています。自分たちで直接統治するのではなく、そこの人間たちを分離させて、自分たちに従う者を上に置きます。従属の競争をさせるわけです。
――憲法15条とのズレとは何でしょうか。
竹原 憲法は、いわば投網みたいなもので、一応は、全体を憲法のなかに入れないといけません。網のなかでのやり取りをやらせないといけない。そのためには公正なものでないといけません。建前です。でも、それをひっくり返すものもなかに入れておく。それを吸い上げるウイルスも入れておきます。
――そのウイルスが国家公務員法を最上位法にする5項ということですね。気づかれても崩せないように。それはGHQ統治下という特別な状況が生んだものでしょうか。
竹原 実は、戦前からなんですよ。今、私たちが認識している「政府」とは、明治維新の時に初めて作ったわけですよね。それまでは各藩が国ですから。明治維新は、西洋が武器で金儲けをしながら、日本を植民地化したものです。明治から「日本」は、最初から傀儡(かいらい)国家なんです。ここでは政治体制だけのことを考えて言っています。太平洋戦争に負けた後は、よりいっそう強まっています。国民は憲法に沿って国民主権になったと思っていますが、実際には、そうならないようになっている。そういう形の植民地なんです。だから、アメリカ国債を勝手にどんどん買ったりするわけです。それをする人間が出世する。人事には力が入りやすいですから、多数決で決めるわけではありませんし。
憲法15条で定められた「公務員」の定義から外れた官吏を「公務員」とした国家公務員法。公僕が存在せず、国民の搾取者として役人が存在するシステムの存在を指摘する竹原氏は、どのようにしてその問題を解消していくべきと考えているのか。
――本当の「公僕」と言える志のある方も少なくはないと思います。
前阿久根市長 竹原信一氏 竹原 そういった方たちが、かえってカモフラージュになってしまうこともあります。本人が国民のためと思っていようがいまいが関係ありません。たとえば、飛行機をつくるにあたり、必要な部品をつくる人たちがいますが、その完成した姿をわかっている人はいません。マンハッタン計画では、皆、何を使っているかわかりませんでした。罪のない人たちを何十万人も殺す武器になるとは誰も思っていない。一所懸命、平和のため、家族のためにがんばっていた。そのことが、最悪の結果を生む手伝いをすることになっていた。真面目な役人が一所懸命にやるから、かえって悪くなってしまう。同じことなんです。
――政治家のなかにも官吏出身がいて、これを崩すのも大変なことと思いますが。
竹原 崩すというか、相手を固まりとして見るのではなく、ただの考え違いですから。知識と感情がねじれている状態なんですね。行動から感情が生まれ、感情から行動が生まれているのに、頭のほうは「全体の奉仕者」という風に思っている。このねじれを直すだけでいいのです。それは頭のほうで「国民の搾取者」である事実を知るということです。そして、その上と下が揃ってから、正す道が見つかると思います。ねじれたままだと無理なんです。
――まず、この事実を知ることが大切なんですね。
竹原 知ることで、裁判官も「1年に1,100件もやっていたら、まともな仕事ができない」と言い始めることができます。まず、がんばることが社会のためにならないということを理解すべきです。がんばって社会のためになると思っていたことが、社会を破壊するためになっている。この枠組みで働いている以上。気づくことで、一つひとつが、社会のためなのかどうかを自覚的に判断することができるようになります。それが生きがいにつながります。民間で働く人も目の前の金のためではなくて、このことが社会のためになるとわかれば、喜びになるではないですか。事実を知ることで、そういう社会が展開していくはずだと、私は思っています。
「崩す」とか「戦う」ではなく、壊されてきたものを壊れないように持っていくという話なんです。自分で壊していることを発見し、そうではないやり方があることに気づく。壊しているものが何かを見つめれば、壊さなくていい方向がわかります。国民も国から金をもらわないとやっていけないと思わなくなり、金を持ってくる政治家に投票しなくなります。役人と結託して箱物をつくり、自分たちを疲弊させてしまう人を選ばなくなります。これ(憲法と国家公務員法の矛盾)は途轍(とてつ)もなく、大きな影響を与える可能性があると思います。
(了)
【聞き手・文:山下 康太】
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「日本病の源」だった国家公務員法(1)
前阿久根市長 竹原信一氏
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政治・社会|行政 2014年9月18日10:19
阿久根市民として、市政の問題点を指摘するビラまきから活動を始め、市議、市長として、政治・行政・社会の「歪み」と向かい合ってきた前阿久根市長・竹原信一氏。在野の士となった今でも「歪み」の根本原因への探究を続けており、そして今、日本国家の仕組みへと目が向けられている。竹原氏が新たに指摘している憲法と国家公務員法の矛盾。それは、一般に「公務員」と言われている人々が、実のところ、憲法が定める「公務員」ではないというものだ。
前阿久根市長 竹原信一氏 竹原信一氏(以下、竹原) 公務員が自分たちを公務員ではないことを知りません。政治家もわかっていない、国民はもっとわかっていない。自分たちはどのような国家の設計図で動いているのかを誰も知らない。みなさんは憲法で動いていると思うわけですよ。学校で教わるから。でも、憲法を否定する国家公務員法の存在に気づいていません。実際のこの国の設計図は国家公務員法なんです。憲法は飾り物として離れたところにある「理想」。いつも解釈で変えなければならないのは、それで動いていないからです。国家公務員法を第1条から変だと思ったのは、憲法では「公務員は選挙で選ばれた人」となっているのに、どういうことなのかと。普通の役人が入る余地はないんです。「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」(憲法15条1項)、「公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する」(同条3項)。そして、「公務員は全体の奉仕者」(同条2項)となっているわけですが、どこに役人が入る余地があるのでしょうか。役人については、憲法73条に「官吏」と定義してあります。役人は「官吏」、公務員というのはどうもこれは、新しい憲法での新しい概念なんですよね。国民主権という世界での新しい概念として、国民の代表が全体の奉仕者として、実際の権力を振るう。だからこそ、危険だからいつでもクビにできる権利を国民が握っている。
――選挙で選ばれる政治家が「公務員」にあたりますね。
竹原 そういうことです。憲法の前文に書いてあります。国民は正当に選ばれた代表を通じて行動すると。それを受けての憲法15条なんです。昔は、天皇陛下を飾り物にして実権を握ってたのは役人でした。そして天皇陛下がいなくなれば、自分たちの権力を、国民なんかが選んだ代表に任せられるかと考え、「公務員」という概念を取りにいったわけです。それが国家公務員法という形になっています。いきなり第1条に、「国家公務員たる職員について」と書いてあります。なんで国家公務員が職員になるのかと、ここからおかしいわけです。それと証拠としてわかっているのは、第1条の2項です。「この法律は、もっぱら日本国憲法第七十三条にいう官吏に関する事務を掌理する基準を定めるものである」と書いてあります。第15条にある「公務員」に関する事務を掌理するとしなきゃいけないところではないですか。
――選挙で選ばれたわけではないので、そうすると間違いになりますね。
前阿久根市長・竹原信一氏が指摘している憲法と国家公務員法の矛盾。国家公務員法は、第1条で「国家公務員たる職員について」とする一方、同条2項で「この法律は、もっぱら日本国憲法第七十三条にいう官吏に関する事務を掌理する基準を定めるものである」としている。以下に憲法15条を引用する。
日本国憲法第15条
1 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
3 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
4 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。
――国家公務員法2項に「公務員」という言葉を使わなかったのは、憲法が定めた「公務員」ではないことをわかっていたことになりますね。
竹原 それをやると露骨ですからごまかしている。2つも嘘がはまっているわけです。しかも、国家公務員法は「事務を掌理する基準」を定めるとある。基準なんですよ、これ。法ではないんです、実質的に。基準ということは、状況によって裁量ができるという話ですよね。だから実質的には守らなくてもいいというところがあるわけです。それから、3項に、「何人も、故意に、この法律又はこの法律に基づく命令に違反し、又は違反を企て若しくは共謀してはならない」とあります。つまり、法律でさえないのに、基準に基づく命令、役人が「この法に基づいて」と言ったら、これが法になるわけです。もともと基準であったものが法にされる。役人の気分で法になってしまう。これは何と言ったらいいか、「恐怖政治」ですね。「恐怖政治」を可能にする法律なんです。
竹原 信一 (たけはら しんいち) 4項には、「この法律のある規定が、効力を失い、又はその適用が無効とされても、この法律の他の規定又は他の関係における適用は、その影響を受けることがない」。秩序もへったくれもないわけですよ。一旦言ったものは通せよ、という話です。そして5項に、「この法律の規定が、従前の法律又はこれに基く法令と矛盾し又はてい触する場合には、この法律の規定が、優先する」とあります。すなわち、最上位法でございます、ということです。つまり、これは職員による全体主義を強制する法律なんです。
憲法15条は、公務員の選定および罷免することは国民固有の権利としていますが、国家公務員法は3条で人事院の設置を定め、これをできないようにしています。「公務員」の名前を使っておきながら、憲法がおよばないようにしてあります。これがこの国の形です。それを気づいていないわけです。実際には、役人たちも自覚はないけれども、実質的に役人全体の利益を確保する方にしか動けないようになっています。国民のために働こうという人間は、困り者なので排除しようとしたり、出世をさせなかったり、影響力を減じていく方向性があらゆる組織であるでしょ。しかも、裁判所まで結託するわけですから。あらゆることがここから派生していることがわかります。たとえば、家庭裁判所では、裁判官が1人で年1,100件くらいを担当する。とてもまともな裁判なんてできませんよね。つまり、ただの事務をする小役人状態です。もし、裁判官がじっくり1つ1つの裁判に取り組んだら、国家公務員法の問題までたどり着いてしまうわけですよね。それをさせないようにしています。おまけに、裁判官の人事についても法務省が握っていて、国にたてつくような裁判官は続けさせない。
「強制労働所の囚人のようだ」と元裁判官の瀬木比呂志さんは仰っています。まともな分を持っていれば、人の人生を破壊していくと精神が壊れていき、人格障害にも陥ります。だから、戸塚ヨットスクールには裁判官の子どもたちが複数名いた、と。国民の暮らしの状況も似たようなもんです。なるべく、役人集団の覚えめでたくして得するように、そして、他の人を踏み台にすることが人生の目的、それをばれないようにする。そういう精神社会にこの国はなっているわけです。すべてのことがそこ(国家公務員法)から派生して作られているから。公務員が自分たちの集団のために泥棒をするのは当たり前なんです。合法ですから。
「官吏」(役人)を「公務員」とした国家公務員法に、日本社会が抱える様々な問題の根源(国を動かすシステム)があると指摘する前阿久根市長の竹原信一氏。そのシステムが、どのような事象を起こしているのかについて語る。
竹原 国家公務員法がつくられてから68年間、一度も隠したわけでもないこの法律の真意を読み取ることができなかったということです。でも、実は自民党の憲法改正案には、憲法の方を、この公務員法に合わせるという法案があります。だから、この国を動かしている後ろの官僚の世界には闇が広がっていて、彼らは着々とやってきているというわけです。また、そういう人間でなければ、官僚の世界では出世しないんですね。
前阿久根市長 竹原信一氏 悪事を国民に対して働く、そして、そうした人間は、見かけ上、下がるように見せながら、事務次官になり、勲章をもらって、その後の天下りもしっかりしたものになる。それは事実です。それは戦後に始まったことではありません。太平洋戦の時に、日本軍が宣戦布告なしに攻撃したことになっている。そのおかげで、「日本は卑怯な国だ」ということにされましたが、その時に宣戦布告を出していたのに届けないというヘマをやった外交官たちは、ちゃんと事務次官になりました。勲章も受けて出世している。
この国にはシステムがあるんです。明治時代からあると聞いています。そういうことがよくありますよね。たとえば、中川昭一大臣の酔っ払い会見を仕組んだといわれ、中川氏の隣にいた財務官僚・篠原尚之氏はIMFの副専務理事になりました。また、会見で一緒にいた白川方明日銀総裁(当時)は、国際決済銀行の副議長になりました。この仕組みは、国を超えているのです。とてつもない陰謀というか、隠しようもない陰謀ですね。露骨に出ていますから。あらゆる物事が、私たちの暮らし、教育、医療、福祉、すべてがそこから派生しています。
――出産医療では、厚生労働省が推奨するやり方が、実は、医者不足を解消するための簡略化されたもので、乳幼児に危険な負担をかけていると指摘する産科の開業医の方もいらっしゃいます。その方は、直接、厚労省にやり方を変えるよう直談判もしました。(記事参照)
竹原 国民を生かす気はないわけです。ひたすら役人集団の利益に回るように加担すれば、その事業は上手くいくんです。だから、何かを変えたいのであれば、役人と取り引きするしかないんです。そして、国民は全体的に貧しくなる。その手伝いをすると、みなさんの事業はうまくいきます。すごいでしょ。結局、役人たちの福祉を担わせられるわけです。役人が国民に強制する福祉とは、実際には、金をもっていない人たちが金を持っている人たちのお世話をすることを意味します。役人が金を持っていても国民は金を持っていてはいけない。相対的に国民の所得を減らし、常に、国民が国にすがりついていないといけない状態にする。賢い人は、役人に利益を回すやり方で利権を得る。それが天下りですね。いろんな問題を個別に叩いてもダメなんです。ど真ん中を最初からやらないと。
この条文をつくった側の人間をそのポジションに置く人事システムが存在します。誰がそうしているのかは私にはわからないけれども、確実にあります。悪人が悪人を出世させる仕組みが。一方、政治家は割合見えますよね。後ろにいる役人集団にとっては政治家なんていうのは誰でもいいんです。使い捨てで、「こいつがダメだから悪くなったんだ」と思わせる。政治家は、役人に対して利益を回す道具あるいは盾です。誰がやってもダメなのは、その政治家のせいではなく、その後ろにあるものなんです。本当は誰がやっても良くならないとダメなんですが、ことごとく国民のためにならないようつぶし、排除してしまう。大手メディアは特にそうですね。どうでもいい個人的なものを叩いて、自主的なことはさせないようにする。そして、騙される人間がそのポジションに居続けると。「騙され芸人」ですね。それが政治家の実際の姿です。
市民目線で阿久根市の行政組織の是正に取り組み、国全体から抵抗・妨害を受けたと言える竹原氏が指摘する憲法と国家公務員法のズレ。今回は、同法成立の背景、ねらいについての考察が語られる。
竹原 私が以前、道理を通そうとした時に、とてつもない騒動になり、総務省、裁判所まで噛み付いてきたわけです。なぜ、道理が通らないのかという実感だけが蓄積されて、ずっと答えを探していました。ついに見つけた答えが国家公務員法だったのです。
――困った市民が相談を持ちかけても、受け付けない役人が優秀ということでしょうか。
竹原 信一 (たけはら しんいち) 竹原 あるいは、それをテコにして、さらに利権につなげるとか。ちょっとしたことを大々的に報道させて、そのために金を注ぎ込んで、自分のところに金を回す、天下りする。それが事実ですよね。医療もそんな感じです。歳をとれば、がんになるのは珍しくないと思いますが、大々的にして大病院をつくり、薬を注ぎ込んで上前をはねていくというのがシステムであって、余計なことをしなければ、こんなにがんで死んでいないと思います。すべての問題が餌食にされています。実際には、問題さえつくっているわけですけど。何でもいいんです。思いついた人間が、その組織のなかで出世していきます。自分たちは玄関掃除をしたり、税金の請求をしたり、ただその作業を一生懸命やっているだけ。そのことをもって「全体の奉仕者」とはおかしいでしょ。給料をもらうためにやっていることを「公僕」とか言っちゃいけない。
――国家公務員法は、実のところ、どのようなねらいでできたのでしょうか。
竹原 この法ができたのは、GHQが統治していた7年間の最初の2年のうちにできています。だから、これは米軍もわかっていてやらせていると思います。GHQが去っても、米軍に代わって植民地を統治する存在を置いたわけです。大英帝国が植民地をつくる時の手口に似ています。自分たちで直接統治するのではなく、そこの人間たちを分離させて、自分たちに従う者を上に置きます。従属の競争をさせるわけです。
――憲法15条とのズレとは何でしょうか。
竹原 憲法は、いわば投網みたいなもので、一応は、全体を憲法のなかに入れないといけません。網のなかでのやり取りをやらせないといけない。そのためには公正なものでないといけません。建前です。でも、それをひっくり返すものもなかに入れておく。それを吸い上げるウイルスも入れておきます。
――そのウイルスが国家公務員法を最上位法にする5項ということですね。気づかれても崩せないように。それはGHQ統治下という特別な状況が生んだものでしょうか。
竹原 実は、戦前からなんですよ。今、私たちが認識している「政府」とは、明治維新の時に初めて作ったわけですよね。それまでは各藩が国ですから。明治維新は、西洋が武器で金儲けをしながら、日本を植民地化したものです。明治から「日本」は、最初から傀儡(かいらい)国家なんです。ここでは政治体制だけのことを考えて言っています。太平洋戦争に負けた後は、よりいっそう強まっています。国民は憲法に沿って国民主権になったと思っていますが、実際には、そうならないようになっている。そういう形の植民地なんです。だから、アメリカ国債を勝手にどんどん買ったりするわけです。それをする人間が出世する。人事には力が入りやすいですから、多数決で決めるわけではありませんし。
憲法15条で定められた「公務員」の定義から外れた官吏を「公務員」とした国家公務員法。公僕が存在せず、国民の搾取者として役人が存在するシステムの存在を指摘する竹原氏は、どのようにしてその問題を解消していくべきと考えているのか。
――本当の「公僕」と言える志のある方も少なくはないと思います。
前阿久根市長 竹原信一氏 竹原 そういった方たちが、かえってカモフラージュになってしまうこともあります。本人が国民のためと思っていようがいまいが関係ありません。たとえば、飛行機をつくるにあたり、必要な部品をつくる人たちがいますが、その完成した姿をわかっている人はいません。マンハッタン計画では、皆、何を使っているかわかりませんでした。罪のない人たちを何十万人も殺す武器になるとは誰も思っていない。一所懸命、平和のため、家族のためにがんばっていた。そのことが、最悪の結果を生む手伝いをすることになっていた。真面目な役人が一所懸命にやるから、かえって悪くなってしまう。同じことなんです。
――政治家のなかにも官吏出身がいて、これを崩すのも大変なことと思いますが。
竹原 崩すというか、相手を固まりとして見るのではなく、ただの考え違いですから。知識と感情がねじれている状態なんですね。行動から感情が生まれ、感情から行動が生まれているのに、頭のほうは「全体の奉仕者」という風に思っている。このねじれを直すだけでいいのです。それは頭のほうで「国民の搾取者」である事実を知るということです。そして、その上と下が揃ってから、正す道が見つかると思います。ねじれたままだと無理なんです。
――まず、この事実を知ることが大切なんですね。
竹原 知ることで、裁判官も「1年に1,100件もやっていたら、まともな仕事ができない」と言い始めることができます。まず、がんばることが社会のためにならないということを理解すべきです。がんばって社会のためになると思っていたことが、社会を破壊するためになっている。この枠組みで働いている以上。気づくことで、一つひとつが、社会のためなのかどうかを自覚的に判断することができるようになります。それが生きがいにつながります。民間で働く人も目の前の金のためではなくて、このことが社会のためになるとわかれば、喜びになるではないですか。事実を知ることで、そういう社会が展開していくはずだと、私は思っています。
「崩す」とか「戦う」ではなく、壊されてきたものを壊れないように持っていくという話なんです。自分で壊していることを発見し、そうではないやり方があることに気づく。壊しているものが何かを見つめれば、壊さなくていい方向がわかります。国民も国から金をもらわないとやっていけないと思わなくなり、金を持ってくる政治家に投票しなくなります。役人と結託して箱物をつくり、自分たちを疲弊させてしまう人を選ばなくなります。これ(憲法と国家公務員法の矛盾)は途轍(とてつ)もなく、大きな影響を与える可能性があると思います。
(了)
【聞き手・文:山下 康太】
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