会社の関連昭島市の産業祭に顔を出す。
これは、仕事の関係で繋がりのある会社が昭島市の産業祭に出展するというので
陣中見舞いの意味もあった。鎌倉の家を8時半ころに出て、昭島駅に11時頃着。
この辺になると、電車は乗り降りする時に開閉ボタンを押さないとドアが開きま
せん。最近はこういう電車に慣れて来ましたよ。
駅前では、東京農大の応援団旗の下でブラスバンド・チアガールのパフォーマン
ス。
陣中見舞いを13時ころに切り上げ、お昼を食べる場所を探します。朝を食べて
ないので、お腹ぺこぺこです。池袋「大勝軒」に入ろうかと思ったら、並んでい
るので、隣の「日高屋」へ。タンメンと餃子。
14時ころの上り電車で立川~東京~品川。15時じゃあまだ早いと、品川から
新馬場まで歩くことにしました。子供の頃の懐かしい街並を散策しながら。
品川駅を出て左に線路沿いを南へ下ると、北品川です。南へ下って北品川という
矛盾には住んでいるころは気付かなかったなあ。
“品達”という今はやりのラーメングルメスポットを横目で見ながら、八つ山橋
を越えてすぐが北品川駅。
駅で第一京浜を渡り、あの百恵ちゃんたちが出た“品女”の脇をビルマ大使館
方向へ。あれ、もっと広くて長い坂だったはずと、子供のころの感覚との違いを
楽しむ。郵政官舎と東電社宅の方へ階段を上がる。もっと雑然として、開けっぴ
ろげで探検する場所が一杯あったが、今はない。
ここらは御殿山の一角で、昔はいろいろな企業の社宅が林立していた。
電電公社、郵政、日立、東電、横浜ゴム…。それらで今も社宅があるのは、郵政
だけで、他はみんなマンションになっています。
その中で、権現山公園という小さな公園だけはまだ残っていました。
その権現山公園の脇を下って行くと、品川小学校、城南中学校です。
坂のたたずまいは昔のまま。
校門の脇にあった「東海堂」という小さな文具屋さんは無くなってました。
校門まで来ましたが、まだ早かったので、ここを過ぎて“沢庵和尚のお墓”に
久々に行ってみることに。
ここで写真を撮っていたら、テレビクルーが5~6名でやってきて“もっと奥だ”
とか何かを探している様子。沢庵和尚ならここだよ、と言わなかったのは見向きも
しないで奥へ行ってしまったから。後で思うと、先日亡くなった故島倉千代子さん
のお墓がここにあるのでした。彼女は子供のころ品川に住んでいたと後で同窓会の
席でも話に出たし。
そして時間になり、小学校の同期と何人かで待ち合わせ。45年振りに合うとは
いえ、意外にみんな面影があり分かるものです。すぐに意気投合です。
新馬場の海側、旧東海道の天ぷら屋へ向かいます。
男8名、女1名の計9名。お酒が飲めない奴、医者から止められてる奴、ガンガン
いける奴と様々ですが、本当に昔ばなしに花が咲きます。
連絡がついたのは、このほか数名で他は全く返事無しか、宛先不明。45年ぶり
だから、そりゃあ無理もない。昔の同級生に会いたいと思わないわけじゃないけど
会えない理由がある人もいるかもしれなし。45年の歳月がそこに歴然とあるのは
間違いない訳だから。
今回の幹事をしてくれたS君に本当に感謝です。これで、我々品川小学校の同窓会
が今後も行われていくと確信しました。
どうも大体このくらいの年齢になるとやり始めるらしいですね。仕事も子供も落ち
ついて、幹事役が健在のうちは70歳半ばくらいまでは活発にやるらしいです。
でも、もうすでに亡くなった級友、自宅療養中の級友などの話題も出て、そういう
話になると皆しんみりとしてましたね。寿命は神様の決める事だからどうにもなら
ないとはいえ、寂しいものです。
そしてまた再会を誓いあって別れたのでした。
これは、仕事の関係で繋がりのある会社が昭島市の産業祭に出展するというので
陣中見舞いの意味もあった。鎌倉の家を8時半ころに出て、昭島駅に11時頃着。
この辺になると、電車は乗り降りする時に開閉ボタンを押さないとドアが開きま
せん。最近はこういう電車に慣れて来ましたよ。
駅前では、東京農大の応援団旗の下でブラスバンド・チアガールのパフォーマン
ス。
陣中見舞いを13時ころに切り上げ、お昼を食べる場所を探します。朝を食べて
ないので、お腹ぺこぺこです。池袋「大勝軒」に入ろうかと思ったら、並んでい
るので、隣の「日高屋」へ。タンメンと餃子。
14時ころの上り電車で立川~東京~品川。15時じゃあまだ早いと、品川から
新馬場まで歩くことにしました。子供の頃の懐かしい街並を散策しながら。
品川駅を出て左に線路沿いを南へ下ると、北品川です。南へ下って北品川という
矛盾には住んでいるころは気付かなかったなあ。
“品達”という今はやりのラーメングルメスポットを横目で見ながら、八つ山橋
を越えてすぐが北品川駅。
駅で第一京浜を渡り、あの百恵ちゃんたちが出た“品女”の脇をビルマ大使館
方向へ。あれ、もっと広くて長い坂だったはずと、子供のころの感覚との違いを
楽しむ。郵政官舎と東電社宅の方へ階段を上がる。もっと雑然として、開けっぴ
ろげで探検する場所が一杯あったが、今はない。
ここらは御殿山の一角で、昔はいろいろな企業の社宅が林立していた。
電電公社、郵政、日立、東電、横浜ゴム…。それらで今も社宅があるのは、郵政
だけで、他はみんなマンションになっています。
その中で、権現山公園という小さな公園だけはまだ残っていました。
その権現山公園の脇を下って行くと、品川小学校、城南中学校です。
坂のたたずまいは昔のまま。
校門の脇にあった「東海堂」という小さな文具屋さんは無くなってました。
校門まで来ましたが、まだ早かったので、ここを過ぎて“沢庵和尚のお墓”に
久々に行ってみることに。
ここで写真を撮っていたら、テレビクルーが5~6名でやってきて“もっと奥だ”
とか何かを探している様子。沢庵和尚ならここだよ、と言わなかったのは見向きも
しないで奥へ行ってしまったから。後で思うと、先日亡くなった故島倉千代子さん
のお墓がここにあるのでした。彼女は子供のころ品川に住んでいたと後で同窓会の
席でも話に出たし。
そして時間になり、小学校の同期と何人かで待ち合わせ。45年振りに合うとは
いえ、意外にみんな面影があり分かるものです。すぐに意気投合です。
新馬場の海側、旧東海道の天ぷら屋へ向かいます。
男8名、女1名の計9名。お酒が飲めない奴、医者から止められてる奴、ガンガン
いける奴と様々ですが、本当に昔ばなしに花が咲きます。
連絡がついたのは、このほか数名で他は全く返事無しか、宛先不明。45年ぶり
だから、そりゃあ無理もない。昔の同級生に会いたいと思わないわけじゃないけど
会えない理由がある人もいるかもしれなし。45年の歳月がそこに歴然とあるのは
間違いない訳だから。
今回の幹事をしてくれたS君に本当に感謝です。これで、我々品川小学校の同窓会
が今後も行われていくと確信しました。
どうも大体このくらいの年齢になるとやり始めるらしいですね。仕事も子供も落ち
ついて、幹事役が健在のうちは70歳半ばくらいまでは活発にやるらしいです。
でも、もうすでに亡くなった級友、自宅療養中の級友などの話題も出て、そういう
話になると皆しんみりとしてましたね。寿命は神様の決める事だからどうにもなら
ないとはいえ、寂しいものです。
そしてまた再会を誓いあって別れたのでした。