長嶋茂雄氏は国民栄誉賞をいつ授与されるのか?

2013年02月27日 00時00分00秒 | 巻二 起居注
◆前置き
俺は政府とかミカドからの褒章の類を胡散臭いと思っている。
「国家」「国民」のために命をかけている兵士や警察官や消防士等であれば、
雇い主である国家権力からお褒めをいただくのもある意味当然と思うけど。
まあ、勲章褒章類を全否定してしまうと以下の話は全く意味がなくなるので、
一応ここでは「一般に国民栄誉賞は名誉なものとされている」という前提で考えたい。


芳子夫人「天国で喜んでいると思う」大鵬さんに国民栄誉賞授与(スポーツ報知) - goo ニュース

以下、ソースは面倒なのでwikipedia中心に。

◆大鵬氏
国民栄誉賞の対象は故人に限定したものではない。
生前のタイミングとしては記録達成とか金メダルとかがきっかけになることが多いだろう。
逆にいえば、そのタイミングを逃すとなかなか難しいのではないか。
今回の大鵬の場合、この賞の誕生以前に現役引退していた。
亡くなる直前と亡くなった後とで、大鵬の功績が変化する訳はないのだから、
今回の授与は明らかに大鵬の死去がきっかけとしか言えない。
遺族がどう思っているかは知らないが、
どうせなら出来れば本人が生きているうちに…というのが本音ではないか?
天国ではなく目の前で喜ぶ姿を本当は見たかったのではないか?

なにせ、死の前後で故人の功績に変化は無いのだから。

◆そしてあの人
俺は讀賣ジャイアンツが嫌いだし、
「あの人」のことも特別思い入れがあるわけではない。
しかし、公平に考えて、
戦後日本において「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった」点で
誰にも劣らぬものがあるだろう。
好き嫌いは別にして、
表彰規程上「あの人」が国民栄誉賞にふさわしいことに異論を唱える人は少ないのではないかと思う。
(しつこいようだが賞自体の是非はあえて伏せたうえで)

本塁打記録を打ち立てた王貞治氏とは少々違い、
「あの人」は記録より記憶に足跡を残したタイプではないか。
その彼がとうに現役を引退し(そもそも現役時は国民栄誉賞が存在していなかった)、
実質的に無役であるいま、
そして健康面から今後活発な活動は不可能であるということを踏まえると、
まあぶっちゃけ「あの人」への授与はタイミングを失っているな、と。
不謹慎を承知で敢えて言えば、
「あの人」の死去こそが最大のタイミングなのではないか?

だとすると、周囲もそして(ひょっとしたら)本人も
授与の可能性を強く認識しながらも、
ああでも生きているうちは「無い」んだな、という気持ちを抱いているのだとしたら、
やや同情に似た感情を抱かないこともない。

何しろ、
現時点で授与されることも、
死後に授与されることも、
その違いに合理的な理由などないのだ。

で、もはや世間の周知の話だが、
結局は時の政権の人気取りという本質に行きつく。
…行きつくけど、そんな話になると陳腐なので敢えてこれ以上は触れない。
最終的にはどうでもいい話だしね。


て言うかさ、
国民栄誉賞(笑)ごときで内閣の支持率やイメージが上昇すると頭の片隅ででも考えているとしたらゾクゾクするくらい薄ら寒いわ。
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