交換日記(好感日記)

2022年02月28日 18時37分00秒 | 巻二 起居注
生涯で「交換日記」と呼ばれる行為に三回ほど手を染めた。


一回目は、中学三年の時。
クラスの「班」のメンバー5、6人で回していたと思う。

なぜそんなことをするようになったのか。

クラス担任の方針だったのか、それとも我々生徒の自発的な発案だったのか。
そこのきっかけを覚えていない以上、少なくともこの俺は受動的立場だったんだろう。

書いている内容は、みんないろいろそれぞれだったと思うが、他人の内容など正直覚えていない。
いや、ただ一つ、ある女子が、受験前に風邪をひいてしまったことを懺悔していたことだけ何故か記憶に残っている。
風呂上がりに髪を乾かさず湯冷めしたとかなんとか。
うーん。お子さま的だ。当然ながら。

ちなみに俺が書いていた内容だが、覚えている限りでは、ラジオのDJ風な展開になっていたと思う。
なんだそれ。

当時いろんなラジオを好きで聴いていて。交換日記の中でも、曲紹介なんかしてたからな。

まあ、バカだ。今のブログ執筆の姿勢とあまり変わっていない。勘違い野郎である。



交換日記、二回目。
高校一年。一回目の翌年度だ。流行ってたのか交換日記。

二回目は、吹奏楽研究部の担当楽器パートメンバー内で回していた。
当時は9人いたかな。
こちらも、きっかけは覚えていないが、たぶん先輩の誰かの発案だったのだろう。

書いていた内容もやっぱりほぼ覚えていないなあ。

残っている唯一の記憶。

交換日記メンバーのA先輩(三年女子)は、他パートのB先輩(同上)と完璧に反りが合わない関係だった。一方的に嫌悪していた。
それを当時の俺はたぶん察していなくて、あろうことか日記の中で「今度(A先輩じゃなく)B先輩に美味しいものごちそうになるもんね」みたいなことを無邪気に書いてしまっていた。

その時A先輩から特に反応はなかった訳だが、その後に両先輩の関係性を解ってきて、かなり空気の読めない(昭和末期にこんな言葉は無かったが)こと書いてしまったのだな、と震えたものだ。

懐かしい。恐ろしい。懐かしくも恐ろしい。



交換日記、雑誌の文通相手希望コーナー並みにアナログな昭和以前の風習だと思うのだが、今でも行われているのかね。

当時はインターネットなんて全く無縁の世界に生きていたからなあ。昭和60年代。

そもそも、上記二つの交換日記事例、見れば分かる通り「仲の良い仲間内」で回していたわけではないんだよな。今にして思えば。

クラスの班も、部活のメンバーも、偶然そこに集まった人たちの集団。
当然、親しさの濃淡はある。まして部活に至っては、先輩達がいる。

気安く好きなことを書き難いと言うか、差し支えや遠慮が生まれてしまいそうなものだ。
しかし、当時の俺は上述の通りほんと誰にも遠慮せずありのままに好きにやってたんだな、と思う。
誰から好感を抱かれるか、誰を不愉快にさせるか、そんなことたいして気にしていなかった。

そしてそれは、何となくだが俺以外のメンバーもそうだったのではないかな、と根拠無く思ったりする。

いまの周囲(職場)との関係性の中で、ああいう交換日記やったらどうなるんだろう。

ま、既に俺は上司(課長)という名の「裸の王様」だから、あんな少年時代のようなフラットな関係を築くことなど不可能なのだけれども。



そんなところです。

あ、三回目?三回目かあ、、

あれは別物だ。色恋の話になってしまう。割愛。



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