●遠くの山
実家に行く途中,坂を下る時に遠くの山がいつも見えていた。いつかゆっくり見たいと思っていたので,
今日,桜ケ丘園の「ゆうひの丘」に行ってみた。動画を撮っている時には三脚が動くほど風が強かった。
ここからの夜景はきれいで,「耳をすませば」の舞台もこのあたりらしい。
■アンナ・マクダレーナ・バッハ
(1701年9月22日 - 1760年2月22日または2月27日)
ザクセン=ヴァイセンフェルス公の宮廷トランペット奏者、ヨハン・カスパール・ヴィルケの7人きょうだいの末子
(姉5人、兄1人)としてツァイツに生まれる。母マルガレータ・エリーザベトは、オルガニストの娘であった。
1720年には、アンハルト=ケーテン侯レオポルトの宮廷ソプラノ歌手としてケーテンでは有名だった。同地で
1717年より宮廷楽長を務めるヨハン・ゼバスティアン・バッハと知り合いとなるが、ヴィルケ家とバッハ家は、
音楽家同士として早くから交流があった可能性が高い。
1721年12月3日にバッハと結婚した。バッハは前の年に先妻のマリア・バルバラを亡くしており、アンナと再婚
した時には4人の子供を抱えていた。
バッハとの間に、1723年から1742年までおよそ20年にわたって13人の子をなしたが、そのうち7人は早世して
いる。生き延びた子のうち、作曲家として名をあげたのが、ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハとヨハン・クリス
ティアン・バッハであった。
バッハとは16歳の年齢差があったが、共通する音楽への関心によって結ばれ(1730年にバッハが友人に送った
手紙には「今の私の妻はなかなかよい澄んだソプラノを歌うゆえに」と綴っている)、幸せな家庭生活を送ったと
されており、しばしばバッハの浄書稿や筆写譜の作成に協力した。このためアンナの筆跡は、時を経るにつれて、
次第に夫に似るようになったと言われている。
一般的には「バッハのメヌエット」として親しまれている曲だが、これはバッハが2度目の妻アンナ・マクダレーナに
贈った「アンナ・マクダレーナ・バッハの音楽帳」に作曲者の名前を伏せて収めたために起こった誤解で、近年音楽学者の
ハンス=ヨアヒム・シュルツェらによってペツォールトの作であると修正されている。(ウィキペディアより)