photo独~ホットドッグ大好き~

フォムービー:音楽と写真

菩提樹・フキノトウ

2019-01-30 | フォトムービー

 

●そろそろかなと探してみたら,オオイヌノフグリが2輪,フキノトウがたくさん芽吹いていた。
 この寒さの中で,いのちをはぐくんでいたことを実感した。

 今回写したボダイジュの木は,セイヨウシナノキなのかインドボダイジュなのか分からない。

■菩提樹

 『菩提樹(ぼだいじゅ)』は、オーストリアの作曲家シューベルトによる歌曲集「冬の旅」の第5曲。
 歌曲集「冬の旅」は、1823年に作曲された『美しき水車小屋の娘』と同じく、ドイツの詩人ヴィルヘルム・
 ミュラーの詩集によるもの。二部に分かれた24の歌曲から構成されている。

 この歌曲では、失恋した若者が町を捨てて放浪の旅を続けていく姿が描かれており、 全曲を通して疎外感や
 絶望と悲しみが強く表現されている。

 ちなみに、シューベルト『菩提樹』で歌われているのはセイヨウボダイジュ(セイヨウシナノキ)。ナツボダイジュと
 フユボダイジュとの交雑種といわれ、ヨーロッパの多くの都市で街路樹として用いられている。
                    (世界の民謡・童謡 http://www.worldfolksong.com/index.html より)

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冬芽(ふゆめ)

2019-01-26 | フォトムービー

 

●冬芽(ふゆめ)を探したが,枝が高いので少ししか撮れなかった。フクジュソウ,ロウバイ,
 ウメなどがもう咲いていた。暖冬だからなのかも。

■歌曲王シューベルトの“白鳥の歌”
 「セレナーデ」とは“夜、恋人の家の窓の下で奏でるロマンチックな歌や演奏”のことです。
 歌曲集「白鳥の歌」はシューベルトの亡くなった年に作曲され、死後半年を経て兄の力に
 より出版されました。

 死を前にした白鳥が、最期に最も美しい声で鳴くという言い伝えからこのタイトルが
 つけられました。(クラシック名曲サウンドライブラリー)

■『白鳥の歌』(はくちょうのうた、Schwanengesang)D957/965aは、フランツ・シューベルトによる
 遺作作品による歌曲集。3人の詩人による14の歌曲からなるが、自身が編んだ『美しき水車小屋の娘』、
 『冬の旅』とは異なり、『白鳥の歌』は彼の死後に出版社や友人たちがまとめたものであり、歌曲集としての
 連続性は持っていない。

 セレナーデは、シューベルトの歌曲の中で最も有名なものの一つ。恋人に対する切々たる思いを、
 マンドリンを模した伴奏の上に歌いあげる。(ウィキペディア)

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満月

2019-01-23 | フォトムービー

 


 ●満月が昇る時とそれ以降の色が違うので,ホワイトバランスをAutoにしないで,
  晴天にして撮ってみた。昇る時に雲台が揺れてしまったので,沈む時には大き
  めの雲台に変えた。

  動きの変化が分かりやすいように,再生速度は2倍速にして動画を作った。

 ■イタリアの協奏曲様式を1台の鍵盤で表現

 バッハは同時代のイタリアのヴィヴァルディらによる協奏曲を、
 オルガンやチェンバロ用に編曲するなどして熱心に研究していました。

 そして本来、ソロ楽器と伴奏側の合奏のかけ合いである協奏曲を、
 1台の鍵盤楽器で表現しようとしました。
 そうした試みのひとつが「イタリア協奏曲」の通称で
 親しまれている「イタリア趣味によるコンチェルト(原題)」です。

 バッハはこの曲を上下2段に分かれた大型のチェンバロで弾くことを
 想定していました。2段ですからソロと合奏の違いをはっきり打ち出し
 やすいわけです。

 こうした意味では“協奏曲”というより実際は、協奏曲的な形成原理を
 もったソロ器楽曲とした方が正しいでしょう。

 バッハは現実に協奏曲を書くことよりも、ソロと合奏のかけ合いという
 作曲語法を、自らの作品にも活かすことに熱意を傾けていたのです。
                     (クラシック名曲ライブラリー)

●これ,おもしろい。
https://www.youtube.com/watch?v=a23945btJYw

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ゆうひの丘

2019-01-17 | フォトムービー

 

●遠くの山
 実家に行く途中,坂を下る時に遠くの山がいつも見えていた。いつかゆっくり見たいと思って
いたので,
 今日,桜ケ丘園の「ゆうひの丘」に行ってみた。動画を撮っている時には三脚が動くほど
風が強かった。

 ここからの夜景はきれいで,「耳をすませば」の舞台もこのあたりらしい。

■アンナ・マクダレーナ・バッハ
 (1701年9月22日 - 1760年2月22日または2月27日)

 ザクセン=ヴァイセンフェルス公の宮廷トランペット奏者、ヨハン・カスパール・ヴィルケの7人きょうだいの末子
 (姉5人、兄1人)としてツァイツに生まれる。母マルガレータ・エリーザベトは、オルガニストの娘であった。

 1720年には、アンハルト=ケーテン侯レオポルトの宮廷ソプラノ歌手としてケーテンでは有名だった。同地で
 1717年より宮廷楽長を務めるヨハン・ゼバスティアン・バッハと知り合いとなるが、ヴィルケ家とバッハ家は、
 音楽家同士として早くから交流があった可能性が高い。

 1721年12月3日にバッハと結婚した。バッハは前の年に先妻のマリア・バルバラを亡くしており、アンナと再婚
 した時には4人の子供を抱えていた。

 バッハとの間に、1723年から1742年までおよそ20年にわたって13人の子をなしたが、そのうち7人は早世して
 いる。生き延びた子のうち、作曲家として名をあげたのが、ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハとヨハン・クリス
 ティアン・バッハであった。

 
 バッハとは16歳の年齢差があったが、共通する音楽への関心によって結ばれ(1730年にバッハが友人に送った
 手紙には「今の私の妻はなかなかよい澄んだソプラノを歌うゆえに」と綴っている)、幸せな家庭生活を送ったと
 されており、しばしばバッハの浄書稿や筆写譜の作成に協力した。このためアンナの筆跡は、時を経るにつれて、
 次第に夫に似るようになったと言われている。

 一般的には「バッハのメヌエット」として親しまれている曲だが、これはバッハが2度目の妻アンナ・マクダレーナに
 贈った「アンナ・マクダレーナ・バッハの音楽帳」に作曲者の名前を伏せて収めたために起こった誤解で、近年音楽学者の
 ハンス=ヨアヒム・シュルツェらによってペツォールトの作であると修正されている。(ウィキペディアより)

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六郷橋,大師橋,多摩川河口

2019-01-05 | フォトムービー

 

 ■フルートの独奏が愛らしい有名なメヌエット

 文豪ドーデの戯曲「アルルの女」のために、ビゼーは27曲の劇付随音楽を作曲しました。

 その中からビゼー自身が4曲を選んで、演奏会用組曲としたのが第1組曲、ビゼーの死後、
 友人のギローがやはり4曲を選んでまとめ上げたのが第2組曲です。

 そして「アルルの女」の中でも特に知られる「メヌエット」は、ギローが編んだ第2組曲の中に
 含まれています。

 ところが実は「メヌエット」は「アルルの女」の音楽ではなく、それ以前にビゼーが書いた歌劇
 「美しいパースの娘」に登場する二重唱のアリアからの転用なのです。
 それも歌部分ではなく、それをカットしたオーケストラの伴奏部分を用いています。

 しかしギローによるこのアイデアが功を奏し、「アルルの女」はビゼーを代表する作品にまで
 高め上げられたといえます。(クラシック名曲サウンドライブラリー)

●ビゼーのこの曲は,中学時代の音楽の時間に聞いたのかFM放送で聞いたのか覚えて
 いないが,フルートのさわやかさが気に入っている。

●六郷橋を渡り川崎側から多摩川を下って行ける所まで行ってみた。
 舗装されているので自転車で走りやすい。川幅が広く,電線もないので気持ちがいい。
 今日は満潮に近いらしい。ラジオを聞きながら散歩していたおじいさんが(ぼくもそうだが),
 「少ない時は真ん中辺りまで歩いて行ける」と教えてくれた。

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