ふる里は前にも投稿しましたが香川県です。
まわりは水田で大きな川がないため、ため池が大変多いんです。
50年前は春は麦、秋は稲穂で黄色に染まります。
ほとんどの子が農家の子供。
農繁期になると学校が休校になり「収穫の手伝いをしなさい」ってことになり、5日間ぐらいやったかなぁ。ありました。
あぜ豆(枝豆の事)、田んぼの水田の水がなくならないための畦。
父親か兄さん等に穴あけ貰った後、大豆を3個ずつ入れて、モミガラ焼きを一掴みづつ置く作業が私の仕事。畦の外じゃなく水田の中からの作業、ヒルに吸い付かれ痛いわ、捕れないわで、イヤデイヤデたまらない。仕事。
田植えは近所の小母さん、おねえさん等が手伝いに来てくれます。
稲刈りは釜。束ねて干し、脱穀機かけ。
その後、モミガラのなかのお米をまだ干します。(ムシロに80枚前後天日干しするため夜は、たたみ天気がよければ、こもがけ、朝になると学校に行く前にそれを全部広げ、モミをガンギでさらに干すための作業してから。
ですから、姉と二人で連携で仕事してから学校ー。
雨でも降れば全部納屋に積み上げる。家族みんなで、大仕事。
あの頃は家の手伝いを皆よくしました。
家の掃除。
はたきをかけし、手ほうきで掃き、雑巾かけ、柱、木の戸等を炒った米ぬかを袋に。それで磨く。光沢が出ててピカピカ。
だれだれはどこをするか決められていて手分けして~。庭はきが、私の当番。
もうひとつは鶏の餌やり。
学校から帰ると餌つくり。放し飼いの鶏。小屋と鶏の庭の時。
カキの貝殻をカナズチ割り、トウモロコシ、ヌカ、魚粉、菜っ葉
洗濯する金だらいでいっぱいマゼマゼで出来上がり、
最初は鶏小屋に入ると鶏が餌持ってるもんで、くちばし、足のつめ、羽で攻撃。
痛いのなんのじやない。怖い。四年生ごろ。
小屋から鶏おいだしといて餌を流し入れてセット出来次第、小屋の鳥の小さい出入り口を開けると一目散に私は走り出る外へ。
ダンダン鶏多くして1匹ずつ枠の中で育てるようになり卵がコロコロ出てくるようになり、わたしの餌やり仕事はせんでいいようになりました。
当時はお客さん来ると鳥をつぶしのが習慣。一番のもてなし。
子供とってはすごく残酷に見えました。つぶす手順運ハッキリ覚えています。
大人は美味しいよと言って食べていましたが、この年になっても今だにそのまんま、のこって消えないですね。
タマゴは昔、お見舞い品、箱にモミガラ詰めタマゴを届けました。