実家の断捨離、依然として決行中であります。
どこからか湧き出ているのでは?
と思うほどに捨てても捨てても、出てくる出てくる。
特に多いのが箱類。
紙箱や四角い缶の箱ばかり、なぜこんなにも……と思いながら、ひとつひとつ開けて中を見ると、昔の写真や手紙、私が生まれた時の母子手帳まで出て来ました。
捨てるに捨てられない。
子供の頃、母の誕生日や母の日に送ったものや、ひとり暮らしをしてから書き送ったものなど、その数かなりの量です。
今の母に見せても理解できるかどうかわかりませんが、もし見せて何の反応もなかったら少し悲しいので、見せずにそっとしまいました。
手紙をせっせと書いていた時の気持ちと今の母に対する気持ちは同じ部分もあるけれど、やはり違う気持ちもあるので、読んでいるうちに切なくなるのですが、母が亡くなった時に棺の中に入れようかと思ったり、そんなことを考える自分に対して嫌な気持ちになったりしています。
ついつい手が止まり、断捨離はまだまだ終わりそうにありません。
どこからか湧き出ているのでは?
と思うほどに捨てても捨てても、出てくる出てくる。
特に多いのが箱類。
紙箱や四角い缶の箱ばかり、なぜこんなにも……と思いながら、ひとつひとつ開けて中を見ると、昔の写真や手紙、私が生まれた時の母子手帳まで出て来ました。
捨てるに捨てられない。
子供の頃、母の誕生日や母の日に送ったものや、ひとり暮らしをしてから書き送ったものなど、その数かなりの量です。
今の母に見せても理解できるかどうかわかりませんが、もし見せて何の反応もなかったら少し悲しいので、見せずにそっとしまいました。
手紙をせっせと書いていた時の気持ちと今の母に対する気持ちは同じ部分もあるけれど、やはり違う気持ちもあるので、読んでいるうちに切なくなるのですが、母が亡くなった時に棺の中に入れようかと思ったり、そんなことを考える自分に対して嫌な気持ちになったりしています。
ついつい手が止まり、断捨離はまだまだ終わりそうにありません。