中野笑理子のブログ

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サービス至れり尽くせり

2019年04月15日 | 日記
引越しに向けて本の仕分けをしているというのに、また本を買ってしまいました。
朝夕の通勤電車の中だけでは足りず、かといって家に帰ってゆっくり読書の時間は引越しが済むまでとれそうにない。
苦肉の策として昼休みの時間を読書に充てるのですが、そんな時に飛び込むお店、それは食堂の隣の喫茶店です。

今日はストライキの関係で朝の常連さん達が皆さんお休みだったとのことで、いつものサンドイッチのセットにモーニングで余った茹で玉子をサービスしてくれました。
茹で玉子ひとつ余分についたテーブルは、なぜかいつもよりゴージャスに見える。
いつもはハムと玉子のミックスサンドなのだけど、今日は玉子がついているので野菜とハムにメニューを変更してくれる至れり尽くせりのサービス。
ありがたや~と、お行儀悪く片手でサンドイッチを食べながらの読書三昧。

よく見るとお塩と爪楊枝がダブルでサービスされておりました。

長芋のひげ根を焼きながら

2019年04月14日 | 日記
昨日は朝から引越し準備を頑張りすぎて晩ごはんを作る気力が湧きませんでしたので、今日は二の舞を踏むまいと雨が降る前にまずは買い物へ出かけたのでした。
そして本の仕分けもそこそこに切り上げ、早目に夕食の準備に取りかかりました。

買ってきた長芋のひげ根をコンロの火で炙ると、細いひげ根は香ばしい匂いをたてて小さくパチパチとはぜながら焦げて消えてゆきます。
焼け焦げて消えていくひげ根を見ながら、ここへ引越して来た時のことを思い出したり、実家へ引越してからのことを考えたりして、この先どうなることやらと思わずセンチな気分になってしまうのでありました。

どうなるもこうなるも、今はとにかく目の前のことをやるしかないのだ、ときれいにひげ根の取れた長芋を切って素揚げにして塩を振って食べました。
カリッと揚がった長芋は美味しく、ビールによく合いました。

パクチー大丈夫です

2019年04月13日 | 日記
今日、約30年ぶりにパクチーを食べました。
パクチーを初めて食べたのは、まだ10代の学生の頃で、場所は神戸三宮の今はなき無国籍料理のお店でしたが、マイファーストパクチーはパクチー入りの揚げ物とスープでした。
揚げ物につけて食べて、と出された緑色のソースもパクチーソースで、人生初のダブルパクチーに文字通り涙を流して泣いたのでした。
その後出てきた熱いスープにもパクチーが入っており、二度泣きしたのでありました。
それ以来30年近く口にすることなく過ごしてきたパクチーでしたが、数年前からパクチー専門店が出来るほど人気がでてきて普通の居酒屋のメニューにまでも進出してきた、恐るべしパクチー。

今日も朝から本を出しては残すものと手放すものに仕分けしながら手放すものを紐で縛り、業者に引越しの見積りに来てもらい、家の退去届けの書類を取りに行き、戻ってまた荷造りと忙しなく動き、気がつくと外は真っ暗、お腹はペコペコ、しかしもう晩ごはんの買い物も用意も出来る気力が残っていませんでした。
そこで前を通る度に一度行きたいと思っていた家の近くの焼き鳥屋さんへ初めて行ったのですが、このお店が銘酒は揃っているわ、キンミヤ焼酎はあるわ、ポテトサラダも普通のと酒呑み用の2種類があるわで個人的に大当たりのお店だったのです。

出てきた突き出しのフキと湯葉の煮物をウマウマと食べながら目を上げると、メニューと別の本日のオススメが書かれた黒板に「ピータンチーズ豆腐」という品を発見しました。
注文すると、お店の人に「パクチーは大丈夫ですか?」と訊かれました。
パクチー抜きができるかどうか訊いてみると、できないという返事。
その理由が「パクチー抜きでは全く別の料理になってしまうので」という所に料理人の熱意とこだわりを感じ、思わず「パクチー大丈夫です」と言い切って注文してしまいました。

出てきた「ピータンチーズ豆腐」は、クリームチーズが練り込まれた豆腐の上にピータンと刻んだパクチーとともにごま油の効いた甘辛いタレのかかった一品で、恐る恐るパクチーとともに口に入れてみるとアラ不思議、前のように泣くほど強烈な風味はなく平気で喉を通りました。
自分の体の中にいつの間にかパクチーに対して耐性ができていたのか、それとも料理人の腕なのか、その後もひとくち、もうひとくちと、パクチー入りのピータンチーズ豆腐はスルスルとお腹の中へと収まって行ったのでありました。

家を出た頃はヘトヘトだった体も元気を取り戻し、ああ美味しかった、ご馳走様でした、と店を出ました。
ちなみに酒呑み用のポテトサラダは、普通のポテトサラダの中に刻んだいぶりがっこが入っていて、その上に酒盗がタラリとかかっており大変美味しい一品でした。

明日も元気に荷造りができそうです。

渋沢栄一さんといえば

2019年04月12日 | 日記
先日、新紙幣のデザイン発表があり、一万円札は渋沢栄一さんでした。
近代日本経済の父と言われておられる、渋沢栄一さん。
実は私、渋沢栄一さんには個人的に大変感謝しておるのであります。

渋沢栄一さんの孫である、鮫島純子さんをご存知でしょうか。
鮫島純子さんは渋沢栄一さんの三男の渋沢正雄さんの次女であり、エッセイストとして御本を出されており講演などもなさっておられます。
その鮫島純子さんの絵本は日本の昔の暮らしを描いた内容で、読んでいて思わず心が温かくなるような、今どんどん失われつつある古き良き日本の風習や暮らしが生き生きと描かれていて、大人が読んでも充分楽しく、そして勉強になり、決して子供のためのものだけではないと思える絵本なのです。

まさに孫子の代まで伝えたいような内容で、教科書でしか知らなかった渋沢栄一さんの本を読むようになったのも、鮫島純子さんを通してでした。
そんな渋沢栄一さんが新紙幣の顔になる新時代、何か不思議な縁を感じるのでありました。

花びらの朝

2019年04月11日 | 日記
今朝、家を出ると、昨日の雨で散った桜の花びらが地面一面をピンク色に染めていました。
見上げると桜の花はまだたくさん残っていて、上を向いても下を見ても桜のピンク色。
そこへ風が散らした花びらが降ってきて、さやさや、そよそよ、視界の全てが桜の花びらでいっぱいになり、とても気持ちが良かったのです。

バスに乗って窓に映った自分を見ると、髪や服にも桜の花びらがくっついていて、なんだか嬉しくわざと取らずにそのままにしていました。
なんとなく今日は良い日になりそうだ、と思いながら足取りも軽く、通勤したのでありました。

会社へ行けば仕事が山積み、家に帰れば母の体調に一喜一憂し、引越し準備のあれやこれやで、あっという間に一日が終わってしまいます。
それでも朝の嬉しいひとときの余韻で、幸せな気分で一日が過ごせました。
まさに元号が変わる春にふさわしい、風景のように思えた朝でした。