中野笑理子のブログ

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魚の女王

2019年04月05日 | 日記
桜がそろそろ満開に近くなり、寒の戻りも緩んできましたね。
桜といえばサクラサクの合格、桜餅、桜エビ、あららら……どうしても食べるものを多く連想してしまいました。

そんな花より団子の私にとってこの季節のご馳走は、桜鯛であります。
尾頭付きなんて贅沢は言いませんが、三枚おろしの片身でお造り、皮をさっと湯引きしてのヅケ、アラをゴボウと甘辛く炊いた鯛のあら炊きや骨付きの身を使った潮汁など、考えただけでも楽しいものです。
そして錦糸玉子の黄色の上にヅケの身を散らしたちらし寿司なんて、お花見にぴったりだと思います。

鯛は魚の王とも聞きますが、この季節の桜鯛は女王のように思えるのでありました。

曽野さんのいない水曜日

2019年04月04日 | 日記
昨日、産経新聞の朝刊を開いてアレッ? と思い、そうか先週で終わったんだった、と気づくと同時にがっかりした気持ちになりました。
23年間にわたって産経新聞の水曜日の朝刊に連載されていた、曽野綾子さんのコラム「透明な歳月の光」は、先週の第843回をもって終了していたのでした。

ふいに城山三郎さんの著書「そうか、もう君はいないのか」を思い出し、それは愛猫を失くした直後、帰宅して昨日までそうしていたように「ただいま~」と声をかけ、その姿を探した後、現実を思い出して胸の奥がしんとなる気持ちにも似ていました。

いつもそこにいる、いつもそこにあると思って安心していても、すべてはある日突然、姿を消して手を触れることさえ叶わなくなってしまう現実を今まで何度か経験してきたけれど、終わりや別れは何度経験しても淋しいものです。

けれどすべてに終わりがあるように淋しさや悲しみにも終わりがある、別れに涙しても笑顔の出会いもまたある、帰りに曽野綾子さんの本を買って帰ろう、そう思って顔を上げて満員電車に乗り込むのでありました。

平成最後の

2019年04月03日 | 日記
この枕詞が使えるのも今月末まで、そして今日、まさに平成最後の春の選抜高校野球が終わりました。
地元民にとって駅周辺がデンジャラスゾーンと化する春と夏の高校野球期間、そしてプロ野球の阪神巨人戦の日。
駅まで自転車で通う人によると、この期間は少し遠回りして道順を変えるか、もしくはバスを使うしかないと言うほど駅周辺は混雑するのです。

母の通院でお世話になっている介護タクシーの運転手さんも、この期間は「すみません」と言いながら、いつもとは違う道を通って往復するのですが、それはこの地に住む者の宿命ともいえます。
京都など、各地の観光地と言われる場所に住む人達は皆さん、きっとこんな思いをしているのでしょう。

そんなことを思いながら毎年の風物詩ではありますが、ようやく明日から平和な駅前が戻ってくると思うと、やはりちょっとホッとします。
孫が来て嬉しい、そして帰ってくれて嬉しい、と思うおじいちゃん、おばちゃんの気持ちがよくわかるのでありました。

年号? 元号?

2019年04月02日 | 日記
昨日のブログでは新年号と書いてしまったけれど、年号ではなく元号が正しかったのかと調べてみると、どちらも使われるそうですが法的には元号だそうです。

早速「令和」のついたお菓子やお酒が発売されたり、新聞では「県内の令和さん」が写真つきで載っていたり。
「令和」と書いてそれぞれ「のりやす」「よしかず」と読むそうです。
いつも名前を読み間違えられるという「よしかず」さんは、テレビの新元号発表中継を見ていて「わしの名前やないか」と心の中で何度も叫んだとのこと。
そりゃビックリするだろうなぁ。

会社にも早速、「システムの関係で移行が遅れた場合5月以降も平成と表記されることがあります」という注意書のついた請求書が来ました。
仕事の事務手続きや役所関係も和暦が多く、しばらくは平成を二重線で消して令和と書かなくてはいけない書類もたくさん出てきそうです。
今月末に引っ越して5月に入って届け出をしたら、そこでもきっと令和に訂正されたスタンプが押してあったりするのだろうナ。

けれどラ行で始まる「れいわ」という響き、初めて聞いた時に単純にいい響きだナ、と思いました。
昭和から平成に変わった当時は、まだ学生で特に感慨はなかったけれど、平成から令和へ変わる今は年齢的なこともあるのかもしれませんが、様々なことを思うのでありました。

新年度新年号

2019年04月01日 | 日記
先日うっかり本も新聞も持たずに外出し、スマホでは満たされない活字中毒の禁断症状に困ったものの近くに書店はなく、悶絶しながら飛び込んだコンビニで文庫本を買いました。
その本を選んだのは作者の名前と、本のはじめに「週刊誌連載で発表したものの、諸般の事情があって単行本化は見送った」と書いてあり興味を持ったのでした。
それは二十世紀が始まって間もない頃の物語なのですが、平成が終わろうとする頃になって状況が大きく変わり、平成最後の年に文庫として出版されたとあり、間もなく新年号を迎える今、読むにふさわしい気がしたのでした。
そして新年号が発表された今日、読了したのでありますが、物語の中に今の自分とシンクロするキーワードに出会い、やはりこのタイミングでこの本を手に取ったのは偶然ではなかったような気がしました。

新年度の今日から新たな気持ちになった一冊でした。