安心する場所…。
何処かな?
安心するトコロなんて
ない!と思って
そう信じて疑わないトコロが
あった
どこ行ってもガチガチになる
広いトコロに独りいるのも
怖い。
自宅で独り、部屋にいるのも
不安に苛まれて、
冷凍庫にいるみたい
部屋の傍らで
小さくラジオを鳴らし
いつの間にか寝入る
主治医は
安心の樹を一緒に育てていこう
と、言った。
毎回、いつもそのフレーズで
終わりだった。
先日もそのフレーズを
先生が私に言った、その時
もう安心の樹は
育っているんじゃ
ないですか?
って、患者の私が先生に
そう言ったら、
嬉しい、と一言。
あまり、他人から嬉しいって
言われた事なんてないから
《ホケ~ッ》
としてしまう、
とても意外。
カタルシス⁉
いつの間にか、作られた
安心という名の関係だった。
しかしながら、そういう
安心という感覚を受け入れられず
にいる自分の存在があるから
嘘でも演技でもいいから
それがホントウでなくても
構わないから
ただ、そう主治医に
言っただけだった、
そうなのかも
しれないけれど
しかし
演技とか嘘でもいいから
ポジティブな発言をすると、
信じる者は救われる、か、
それがホントウになることも
まま、あるもんなんだなと
ホケ~としながら
実感した
精神科クリニックでの
セッション。
音楽のセッションでも
似たトコロもあるのかも
音楽で救われた、トコロだって
あったけれど
自己の表出が自己の
救済になるときもあれば、
そうでない場合もあるが、
やはり自己というより
誠実である関係性による
トコロが大いにあるんだろう
表現出来ないトコロ
表現で現しているトコロと
表現できずに稚拙なモノで
終わらせてしまったトコロ
よそ行きの自分。
こんな私でも
いーわけ?
セルフイメージ
さあ、ちょっとでもいいから
オシャレでもしてみよ
ウソでも演技でも、
自分をだましてもいいから、
おしとやかに
凶暴なトコロ
泣き叫びたいトコロ
お通夜みたいな
強烈な悲しみの情感
沈みがちなだるさ
疲れ
マッタリとした感覚
焦燥感
死せる処女
そんな負の感じも
まるごと丸めて
表現してしまえば
おしとやかな女らしさも
内面にある凶暴な自分も
的確に正確な筆致でもって
表現、コミュニケート
できるのであれば。
それが安心というトコロか?
私は私自身の名前も
忘れてしまった
あるがままの自分でも
OKだよ、
って言う人間って
本心からそう
言ってくれる人って
いるのかな?
そんな人って
いない、という前提の上で
それでも私はOKなんだ!って
その意気なのか、
さて何が一体
真実なのか?
無条件の愛とは
よく言ったものであるが、
作られた自己なんて
従順だとか
言いなりになるペットだから
面白いだとか、
煮ても焼いても
食えないヤツだとか、
まあ、どう振舞ったトコロで
やはり悪口は言われるのだし
ならば
いい人でいることのほうが
無難ではあるよね?
私も十分、
ワガママなヤツ
あとはバランス
作られた、私のイメージ、
役割、
同調圧力
良妻賢母型ロボット
無に帰する事、
無我夢中で。
職場の上司から
生活保護とか障害年金でも
もらって
仕事やめれば、って
マジで言われたけど、
何を持ってして
そう私に言ったのか
その本意を知りたかった