私の彼氏さんがダイエットするとの事。確かビゼンショクと言う名のダイエット食品を買ったり、スクワットや背筋を鍛えたりしているのだそう。成功するといいな。宮里みたいにダイエットとリバウンドの行ったり来たりになって今に落ち着く、なんてパターンになることもあるかもだけどさ。私が数えきれないリバウンドを体験したせいか、あまり自他共にルックスやスタイルにこだわるのやめてしまった。本心はそう、だからあまり彼氏さんが痩せきれなくとも、リバウンドしてさらに輪をかけて太ってしまっても結果に一喜一憂しない。まあそんなもんだから。ただ私は食べる量やカロリーに関係なく痩せなくなった体である。まあちまたではやせろとしか言う話題のない人たちも多いから彼らに合わせて頑張るよとは口裏を合わせると思う。ダイエットセラピーは何が効くんでしょう。本がいくらでも出せるくらいのノウハウはあるのに確実に失敗する。まあ痩せきれなくとも断食は健康にいいので、あ、ガンを防ぐのでやると思う。まあ子供産める体ではないしな。もう体力、気力、年齢的なものでリミットですね。今の体型を維持しこれ以上太らなければいいかな。彼氏さんとはつかずはなれずの程よい距離感で気長におつきあいしたいです。
とまりんに長いこと滞在した。海のそばにいるだけで心が落ち着く。いろんな雑念がよぎるがとまりんに行くと気分が落ち着く。産まれが安里、泊港近くで幼少期を過ごしたせいか、とりわけ夏の朝の清々しい海辺の陽気はエネルギーが高まる。あけぼの、であった。よく港や海辺にいったものだ。霊視してもらったゆみさんはよく元気になるところに行ったらいいと言う。Oさんの事を考える時もあった。彼女はよく私の携帯に電話をかけてくる。聞いてほしくてとか私の声が聞きたいとかではなく、Oさんが彼女自身の《宣言》文を宮里(私です)に承認して欲しがっているように見える。宮里はOさんにとってのセーフティブランケットである。東江さんの人生を脇で見届けているのである。私は淡々としている。カウンセラーや治療者よりも友達である私のほうが分かってくれる、と言う。仕事で会う、スタッフ、カウンセラー、精神科医ではあき足らないのか。彼女は共依存から脱する事ができるのだろうか、それとも依存症で人生が終わっていくのか。健全な自我とは何か?とOさんを見てると良く思う。底無し沼のような実存の不安であるのか。または安心感の持てない体質で私を宿主にして安定してエンドレスの人間関係劇場を演じるのか。こうなると治療者も限界を感じてしまうものかも知れないな、とは思う。藁をもすがる、のわらでしか私はないのだろうか?そりゃ友達も減って行くのかもしれないなあ。Oさんの相手がいないので、というかいないのが普通なのだという認識がOさんには持てないところが東江さんたる所以なのかな。とふと考えた。病気たる病気らしさなのかな。でもいろんな患者さんがいた。私のカレも患者。病気の人の豊かさを感じる昨今なのでした。