ゆうきの育児へろへろにっき

中学生の女の子を育てている高齢出産&バセドウ病母です。日々あれこれ思うことを綴っています。

父と通話(動画)できる〜思い出〜

2021年04月19日 23時40分00秒 | 日記
医師から説明が聞けるように弟が取り計らってくれたので、一緒に病院に行き、説明を聞き、最後はオンラインで顔を見て話すことが出来た。

とは言っても孫たちを優先させたので、父には私のことがあんまり印象なかったかもしれない。
母と弟と孫のことが分かればまあいいんだけど。

弟の名前を呼んでいた。

もしかしたら私のことはもう記憶にないのかもしれないな。
そう言えば昔からあんまり可愛がられた記憶がない。話した記憶もあまりない。別に怖くない父だったけど

25で結婚して家を出て
28で離婚
39で再婚するまで一人暮らしだったから

28からはほぼ追い出されたみたいなものだった。だからあまり深い付き合いしておらず、父は私が37くらいのときに脳梗塞になったから、そのあと不穏でした。良くなったりもしたけど再婚のバージンロードを歩いたときも、なんか意識が定まってなかった。。。

つまり20年くらいはそんな感じ。
9年前に出産したときも、特に孫が産まれても嬉しそうでもなかったし、里帰りも早く帰れと言われた。邪魔だったみたい。

今回T先生の説明を聞いて、パーキンソン病ゆえの症状だったのかなとは思うのですが。

とにかく離れて暮らしていたので
分かりませんよね。

うちの夫が娘を可愛がるたびに、

「私はこんなに可愛がってもらったことないなあ」と思い出すのです。
そのかわり、跡継ぎを大切にする地域なので、弟は父の大事な子でした。頭もいいし顔も良かった、勉強もできた。自慢の息子。

それに引き換えわたしは。。。

体が弱く、いつもヨロヨロ。小学生から入院。幼稚園のときは階段から転落。(手術)小学生の頃は満足に体育ができず見学。
中学はなんとかこなして、希望の高校に入りました。そして大学にすすみ、希望の会社に入り、楽しく忙しくしていたが5年で前夫と知り合い結婚→離婚。。。

それから父は私を相手にしなくなりましたね。離婚が許せなかったみたい。そういう時代でした。

父をなくす悲しみにがんじがらめになっちゃうよりは、諦めがつきました。

夫が娘を可愛がってくれるだけで、私も救われる。
コメント
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