【9月21日(水)~22日(木)】
(ここまでのお話)
台風15号直撃の中、ひばりさんは東京へ向かった。
その日の日生劇場のチケットを持っていたからだ。
迷いぬいた挙げ句、羽田へ向かう飛行機を午後3時発便から午後2時発便に替えてもらったら、午後2時発便はぶじ羽田にたどり着いたが午後3時発便は欠航決定していたり、
モノレールは普通に動いていて浜松町には行き着いたが山手線は止まってしまっていたりしたものの、
乗り換えもよくわからぬ地下鉄でなんとか日生劇場最寄駅である日比谷到着、
これが三回目の「少年たち 格子無き牢獄」開演に間に合ったひばりさんであったが、
そこで運が尽きていたことなど、知る由もなかった。
東京駅に着いたら、東海道新幹線が止まっていた…。
え?
え?
わたし、ひょっとして、大阪に帰れない???
思いがけない事態に頭が真っ白に………。
行き着けない覚悟はしていたが、
帰れないほうについては、覚悟どころか、想定すらしていなかったのである。
この点では、東京電力や、原子力保安院や、原子力安全技術センターや、原子力安全基盤機構や、原子力安全研究協会や、日本原子力技術協会等々並のうかつさというか、ぼっさり加減としか、言いようがない。
悪いときには悪いことが重なるもので、
行きしな、ANAの運行状況を調べたり、地下鉄の乗り換えを調べたりしまくったせいで、
携帯のバッテリーまで切れかけていた。
ともあれ、お腹がだいぶ空いていたので、八重洲口側の繁華街へ行き、飯を喰った。
飯喰ったへんにネットカフェがあったので、ネットカフェで状況を調べようとしたら、
受付には出張足止めと思しきおっさんたちが列を作っており、早々に諦める。
諦めたあと、
これだけ足止めくってる人がいたら、新幹線が復旧しても大混雑だろうということに、やっと気づき、
慌てて新幹線のチケットを買いに行く。
「明日朝の新大阪行きで、今からとれる一番早い指定席」でとれたのは。
東京駅7時50分発ののぞみの指定最後の一席であった。
それにしても東京駅近辺って、ファミレスとか全然ないのなー。
朝までどうする?
東京駅構内には夜明かし覚悟の人たちもあちこちにいたので、わたしもそうしようかなと思ったが、わたしは煙草喫みである。
そして東京駅構内には、煙草が吸える場所がほとんどない。
で、携帯バッテリー最後の一息で新橋にジョナサンがあることを発見、
山手線でそのジョナサンに行き、朝までそこに居座っていた。
幸い、本は鞄に二冊入っていた。
買ったばかりの西條奈加の『涅槃の雪』と、図書館から借りていた『元素111の新知識』。
ジョナサン新橋店は寒いくらいにクーラーが効いていたが、
幸い、薄くてぬくいユニクロのストールをなぜか鞄に突っ込んできていたので、凍死も免れた。
そして、毎日飲んでる喘息の薬なんかももちろん持ってきていなかったが、幸いにして酷い喘息も起こらなかった。
朝五時過ぎ、東京駅に戻る。
東海道新幹線改札は長蛇の列ができていた。
午前7時過ぎくらいまで、改札そばの円柱のとこに陣取って、本読みながら長蛇の列を見物した。
のぞみに乗る。
隣の自由席車両はぱっつんぱっつんの満杯で、
そこから溢れた人たちが、指定席車両の通路までどんどこ侵入してきていた。
10時過ぎ、新大阪到着。
モノレールで蛍池、阪急で梅田、地下鉄でなかもず、なかもずから車で我が家へ。
玄関開けると、茂吉と徹平が泣きそうな顔でわたしを見上げていた。
普段はわたしが帰っても玄関出迎えになんか絶対に現れない巳夜子まで、いつもどおりのお高く澄ました顔ながら、出迎えに混ざっていた。
夕方、八百辰に行き、朝日新聞見たら。
あらまー。
わたしが日生劇場でゲタゲタ笑ってる間に、劇場の外は、
こんなことになってたのかーーー。
そういや、新橋のジョナサンに行ったとき、水曜日の夜だってのに新橋駅、
ほろ酔いまじ酔いの酔っ払い集団が山ほどいたわー。
あれ、電車が止まってる間、駅におってもしゃあないとそのへんの居酒屋とかにとりあえず避難し、そのまま本気飲みに移行しちゃった人たちだったのね、きっと。
以上、生まれて初めて帰宅難民事件、の顛末でしたが。
神犬 「あ痛たたたたた、足攣った、痛てててててて」
重犬 「絶対、濱田のせいや」
神犬 「台風もお前のせいやからなっ!」
(9月21日日生劇場「少年たち 格子無き牢獄」“濱田、くそ犬二匹を散歩させる”の場より)
神犬の足が攣ったのと台風直撃について濱ちゃんに責任があるかどうかはともかく、
わたしが何の用意もなく東京で一晩足止めくらったのと、
うちの猫どもが晩飯抜きになったことについては間違いなく、
おいこら濱田崇裕、全部お前のせいじゃーーーっっっ!!!