朝一時間の雪かきをしてから、
心身とも不調で、
大掃除をする気力がさっぱり湧きません。
おまけに、両親を買い物に連れて行ったときに
イライラした自分が情けなく、
引きずってます。
スーパーの駐車スペースが狭かったので、
両親を下ろしてから 別の広い場所に移動しようとしたのですが、
「二人で先にお店へ行っててね~」と言ったのに
父がいつまでもバックしようとしてる車の後ろにいるのです。
先に行って~と言っても動かない。
母はほとんど目が見えないので、父には母に付き添っていてほしいし・・・
「二人で先に行ってって言ってるのに~、そこにいられると動かせない~!」と
叫んでしまいました。
もごもご言ってる父・・・
わかってるのです・・・
父は、自分が安全を確認して、私を誘導しようとしてくれているって。
なんとか私の助けになろうとしてくれる親に、
イライラした自分が本当に情けないです。
両親は最近よく言います。
「すまんなぁ」
「お世話になってばかりで、悪いね~」
同居していた義父母の、介護(のようなこと)をしていました。
仕事しながらだったので、行き届きはしませんでしたが。
認知症で同じことを何度も繰り返す義母の話を、
初めて聞くように 笑顔で聞くことが、できました。
現実と想像の区別がつかなくなって、
亡くなったお父さんお母さんが生きていると信じて、
ひとりで探しに行って行方不明になった義母を探し、
静かに話を聴くこともできました。
お風呂で体を洗ったり、
生々しいトイレのお世話だって・・・、けっこう平気で できました。
ヘルパーさんの手続きも、デイサービスの手続きも、
一生懸命やりました。
二人とも、穏やかに、悔いなく(と言ってくれた)旅立ってゆきました。
でも、今、
両親にはそれ以外のことも必要なんだと、じわじわ思うようになっています。
それは、誰でもそうであると思うのですが、
両親自身が「自分は役に立つ存在なのだ」と思うことができる・・・そんな接し方をすること。
「娘に世話になり、面倒をかける存在」なんかではなく・・・。
「ちゃんと育ててもらって、大学まで行かせてもらったんだから、
あたりまえでしょ~」と言いながらも、
私には「してあげている」気持ちがあるのですね。
だから、今日はイライラしたのかもしれないと、
反省しましょう。
そして、もう少しの間、
両親を頼りにする娘 で、いましょう・・・。
そう、心に決める年の瀬でありました・・・。
イライラも、自己嫌悪も、
年の「瀬」にさっさと流して、
軽やかな気持ちで過ごしましょう・・・。
あと30分ほどで、大阪で仕事をしている次男が帰ってきます。
お正月に父は、
孫二人と飲むのを楽しみにしているはずです。
私は母と二人、おせちを作って、お正月の支度をしましょう・・・